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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
馬の目
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馬の目 0

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 残月輝く明け空の、晴れ渡ったその下に、幾重にも風が折り重なり、吹き荒れて、びゅうびゅうと鳴ればなにやらこの朝が恐ろしいもののように思えてくるというところ、背のある草は葉をすり合わせ、喬木は枝をしならせるのに、風そのものは生暖かく、早朝にして気温も高い。

 真夏というならもうすこし先だが、いよいよ深まった雰囲気も強く、空の青色も淡く発光するような。

 夜半の輝きこそ失っても、残月は白く明るく、空の片隅を飾っていて、ほかの星々はさすがに見えない。

 白っぽい青色の、一面の晴れ空で、強風のために雲もなく、草いきれも吹き飛ばす。

 それは草の先にちょんと乗ったてんとう虫が吹き飛ばされるような強風で、ところによっては草ごと引きちぎられて風に舞い、翻弄のあげくどこぞの片隅に打ち捨てられるというくらい。

 天よ空よと荒れ狂う無色の風に地上のすべてが侵略されて、代わりに空は静かなもの、明けて間もないせいもあるが、鳥の羽ばたきもなく、ぎらぎらした太陽もまだ東の山の向こうから現れ出ない。

 そんな場所に響くのが、ひづめの足音である。

 強風うなるももろともせず、むしろそれらを裂き、打ち滅ぼして、ようやく小高い丘に現れるのがその姿。

 赤毛の馬が一頭、急な勾配を乗り越えて現れ、その後ろから灰色がかった白馬も続き、二頭は丘の頂点に首を並べる。


「見えるか」


 と白馬のほうが問えば、赤毛のほうは首を振り振り、


「まだ現れていないらしい」


 声は存外に若い。

 姿もまた、筋骨隆々たる馬を完全に御しているのが、小柄な女なのである。

 赤茶けた長い髪をくすんだ色の布でひとつにまとめ、それが馬の尻尾のように長く垂れ下がって、目は物静かでありながらときに苛烈なまでの輝きを見せ、唇は薄く大作りな顔立ちにそこだけが愛らしい風情。

 白馬のほうはそれよりもいくらか年長の男、髪はやはり赤茶けているが、肩に届くかどうかというところでばっさりと切り落とし、それが丘を這って舞い上がる風に揺れている。

 ふたりが騎乗する馬は、止まれと命じれば首を上下させることもなく、精密な彫刻めいた完璧な静止、それが動けと命じるまでいつまでも続く。


「ここを通ることは確実なのか」


 白馬のほうが問うのに、赤毛のほうはわずかに首をかしげて、


「この街道以外、馬車が通れるような道はない。昨日皇国を出たという話だから、今朝にはもう通るはずだけど」


 見下ろす風景もまた広大で。

 ふたりの足元には無限に思われる草原が広がっていて、夏のこの時期、植物たちの盛りは人間の想像を超えて、大地はすべて青い植物で覆われ、一斉に風に揺れるさまは無数の人間が手を振っているような異様。

 その隙間を、大陸を割る大蛇のごとく太く長い川、うねうねとつづら折り。

 馬車一台分の道幅しかない街道は、そのなかで埋もれてほとんど目視できない。

 足元で風に揺れている草そのものが人間ほどの大きさもあって、昆虫や小動物以外のものも多く潜んでいるが、いまはそれを感じさせぬ静寂であった。

 ふたりはそれぞれに草原を見やって、どうやらその視線は若い女のほうが鋭く厳しい。

 男のほうはどちらかといえば穏やかな目つき、身体つきは乗る馬に撒けず劣らずの屈強ぶりだが。


「本当にやるのか」

「もちろん、やるしかないよ。それ以外になにか手が?」

「いや、そういうわけじゃないが」


 ためらいがちに男が手綱を握れば、馬も気遣うように振り返って。


「やるしかないか」


 男はぽつりと独りごち、馬ごとぐるりと旋回すれば、振り返った丘のふもと、二百あまりの騎馬が並ぶ圧巻で。

 ところ狭しと並ぶ馬の、ちいさく上下する頭や息遣い、無駄に足踏みさせるような馬乗りはおらず、全員が同じ方向を向かせ、ぴたりと静止し、指示を待っている。


「いましばらくこのまま待機する。予定どおり、合図があり次第、動き出せ。何度も言うように、決して殺すなよ」

「殺しては、もったいない」


 白馬のとなり、女は薄い唇をにいと吊り上げ、野生じみた白い八重歯を晒して笑う。


「生け捕りにして、利用するだけ利用するんだ」


 男は、そんな女の横顔、なにか思うところがあるふうに見つめ、やがてふいと視線を足元へ落とせば、振る首から諦観がぽろりぽろりとこぼれて落ちる。


「やるしかないか」


 再びつぶやき、男は馬上で顔を上げ、まだ見えぬ、草原の彼方から現れるであろう影を探した。

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