心の行方 6-2
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ロマンの指揮するハルシャ軍には、二通りの攻撃方法があった。
ひとつは使者を出し、絶対的な降伏と服従、そして兵士の提供を要求したあと「略奪」を行うという方法。
もとは兵士の数も限られた小国であったハルシャがいまのように巨大化したのは、その方法の実施と成功によっている。
そうして行く先々の町で兵士を増やし、力と欲望こそすべてだと叩き込まれた兵士たちは、やがてある程度巨大な城や町に出くわすと、その城壁なりなんなりをぐるりと取り囲み、数の力に任せて襲いかかった。
力による一方的な破壊、略奪、陵辱、それがハルシャ軍のもうひとつの攻撃である。
本来、兵士には常に死の恐怖がつきまとい、ともすればそれが最大の敵となる。
敵国はできるだけ弱小であってほしい、と願うのが当然のことで、敵が巨大な国であればその分だけ士気も下がるというもの、しかしハルシャの場合は正反対なのだ。
敵国が巨大であれば、すなわちそれだけ多くの財宝をため込んでいるということ、弱小であればあっという間に勝負がついてしまって取り分に預かれぬこともあるが、肥え太った巨体が相手ならいくらでも奪い放題というわけで。
欲望と暴力による支配は、もはや自身でも止めようのない暴風となり、大陸全土を飲み込もうとしている。
一度たがの外れたものは二度と元には戻らない。
ロマンはにたにたと笑いながら、臣下たちに暴力と欲望を「布教」する。
「人間はだれでも暴力に対する欲求を持ち、どす黒く唾棄すべき欲望を持っているものだ。普段、それらは世間体や社会通念によって抑え込まれている。隣人は大切にすべき、慎み深くあるべき、とな。しかしそんなものは所詮、蓋にすぎん。一度開けてなかを覗いてみろ、どんな穏やかな男のなかにも、あるいはどんな美しい女のなかにも、暴力と欲望が詰まっているのみよ。おれはな、それを解放してやるのだ。暴力を認め、欲望を解き放てと指示してやるのだ。賛美された暴力、推奨される欲望の効果は、何百万かの大軍よりもはるかに強力である。殴れ、殺せ、奪え、犯せ、そうすれば褒美を与えようと言ってやれば、だれだってそれに従う。人間とはそういうものよ。隣人は好き放題に振る舞い、おまけに称賛まで受けているというのに、自分ひとりがまんにがまんを重ねてなんになるのか、とな。あとは自然と、放っておいてもハルシャの屈強な兵たちは増えてゆく。町を襲い、あらゆるものを奪い尽くせば奪い尽くすだけ、この大地に悪の観念が広がっていくのだ」
事実、ハルシャの兵は大陸中で増え続け、幾度の戦闘を重ねても兵を欠くどころか、投降者の続出により戦闘開始よりも戦闘終了直後のほうが総勢が多いほどなのだ。
大陸北部に身を寄せる学者たちは、ハルシャの快進撃をなによりも恐れ、また真に恐ろしいのは、これまで数百年にわたってすこしずつ築いてきた人間らしい美徳、社会通念がいとも簡単に破壊され、人間という種族が獰猛極まる動物に逆戻りするという懸念であった。
ハルシャが大陸全土を支配するようになれば、おそらく人間はそのように変質するであろう。
大陸の北端で反乱を起こしたたったひとりの男によって、人間という種族そのものが変化するのだ。
しかしいまはだれひとり、ハルシャの勢いを止めることはできないとだれもが認めている。
いましも、ハルシャの大軍は三十数万となって、大陸南部でいちばんの巨大な城、パノライム城とその城下町を包囲しているところである。
ハルシャの戦い方は、もはや戦争ではない。
「かかれ」
というロマンの一声を待ちわびたように、腹を空かせた野獣がわれ先にと城壁にまとわりつく。
石積のあいだに指を入れ、よじ登ろうとするものがあれば、巨大な斧でもって打ち崩そうとするものもあり、男たちは獣のように喉を鳴らし、うめいて、いちばん乗りの栄光ではなく、となりにいる兵士よりも多くのものを奪ってやろうと躍起になっている。
城を守護する兵士が現れても、狂気に目をぎらつかせた三十数万の大軍には為す術もない。
やがて城壁の一部が壊れれば、そこからどっとなだれ込んで、町は悲鳴と絶叫の坩堝と化す。
逃げ惑う女子ども、裳裾がはためき、乱れた髪が口の端に引っかかれば、後ろから荒々しい足音、ぐいと長い髪の先を掴んで引き倒され、見上げた場所に三日月のように笑う男のひげ面と、振りかぶられた白刃と。
白い石畳の路地に血の雫がさっと散れば、無残に落ちた花弁のように。
情なきは、それさえも覆い隠すどろりとした血の海で。
路地という路地を血が埋めつくし、その上でさらにひとが殺され、家が引き倒され、家財が破壊される。
逃げる鳥も鷲の鋭い爪にかかり、墜落して激しく地面に打ちつけられれば、飢えた狼が忍び寄って瞬く間に鳥の姿が消え失せる。
牙の端に引っかかる、鮮やかな青い羽根の物悲しさ。
数万人が暮らす城は、いまや城壁のほとんどすべてが破壊され、家もなくなり、炎の揺らめき眩しく、煙にむせても出る涙がない。
ハルシャ兵は暗闇も煙も、血潮さえもろともせず、町を破壊し尽くした。
目に見えるものはすべて力の限りに打ち崩し、子どもの悲鳴と恐怖に歪んだ顔さえ口直しで、猫背になって抜き身の剣をぶら下げ、ぐるぐるとあたりを見回すのは破壊された町の片隅にでもなにか残っていないかという顔で。
事実、彼らは猫の一匹さえ逃がそうとはしなかった。
暴力は暴力によって高まり、発散されることはなく無限に募って、唯一疲労だけが希望だが、屈強な男たちにはなかなか遠い。
疲れきって手足が動かなくなるまでは、なにかしら破壊し、殺戮しなければ済まぬ彼らなのだ。
数万の人々、立派な町、古くから変わらずに建つ城でさえ、彼らのすべてを受け入れるにはまだ足りぬ。
三十数万の兵のうち、町の破壊に参加したのはそのうちの半分程度、残りは後方へ隠れてしまって、町のなかへ入り込んだころにはあらかた破壊され尽くしたあと、悪態をつきながら死体を蹴り飛ばすしかない。
また、吹き荒れた暴力と殺戮の名残は炎と黒ずんだ煙のなかにも消えきらず、兵士のひとりが瓦礫にどかりと腰を下ろして言うのに、
「くそ、せっかく首まで落としたのに、髪が短くて持ちにくいったらありゃしねえ」
「ばかだな、だから殺すには髪の長い女がいいのさ」
とだれかが笑えば、狂気の笑いが伝染して、意味もない哄笑が高々と響く。
奇跡的にこの暴虐から逃れた住民は、背中にいつまでもこの哄笑を聞きながら、遠く北の土地へ逃れていくほかなかった。
戦闘中、ロマンは常に小高い丘の上に陣を張り、そこに立ってじっと町を見下ろしていた。
ひとりひとりの姿までは見えぬが、町の家々が倒されるさま、火をつけられて燃えゆくさまは逐一見てとれる。
周囲には何人かの臣下もあり、さぞその光景をよろこんでいるのだろうとロマンの横顔を盗み見れば、不思議なことにいつもの笑みすらそこになく、むしろ口元が引きつったような、厳しい表情をしているのである。
臣下たちが驚いているのに、ロマンもふと気づいてあたりを見れば、わずかに鼻で笑って、
「前に、すべての人間には暴力と欲望があるといったが、実のところあれは誤りだ。なかには、そうしたことに一切興味を持たぬ者もいる。たとえばおれがそうだ。おれは暴力にもその他のことにも興味はない。では、おまえたち、おれがなにに興味を持つかわかるか?」
「いえ、それは――」
ロマンは破壊された町に向き直りながら、
「娯楽だよ。おれは楽しいことにしか興味がない。そしてその楽しさは、困難であればあるだけ増すのだ。たとえば今回の戦闘など、こちらが負ける要素は一切ない。おれが指揮する必要もない。兵士の欲望だけで充分だ。こんなものは、おもしろくもなんともない。しかし全力でなければ負けてしまうような戦いは、娯楽である。おれはそのために皇国へけんかを売りにいくのだ。腐っても皇国、その兵力は強大であり、また皇国側に属する諸国の兵力を合わせれば、いまのわれわれにも匹敵する。そうした敵を打ち倒すとき、あるいはそうした敵に苦労をさせているとき、真に愉快なのだ。いまこの瞬間は、その楽しさへ向けた準備でしかない」
破壊され尽くした町から、彼らの立つ丘の上にも緩やかな風に乗って焦げくさい匂いが到達しはじめている。
ロマンはすっかり興味をなくしたようにくるりと背を向け、丘を降りはじめた。
「さて、これでようやく皇国へまっすぐ進める。皇国へ到着するのはいつになるか――」
ぽつりぽつりと呟けば、ようやくその顔にも笑みが広がって、いつものように不気味な、虎視眈々と世界の破滅を狙う男の表情になっていた。
ロマンの腹心の部下にして、いまはアルフォンヌ率いる反乱軍を支える身のコンドラート、異様に細長い身体を馬に乗せ、歩兵の進行速度に合わせて走らせながら、薄い唇を噛みしめる。
セントラム城へ向けて進軍するなか、その城塞がのっそりと見えてきたころ、ようやくあたりの集落に流れていたうわさが偽りであることに気づいたのだ。
「うまくやられたな――各地に散っていたセントラムの兵士が集結するまでの時間を稼がれたか。その上、雲井正行も戻ってきたころであろう。さすが、知に聞こえるベンノだけある」
独りごちるのは正直だが、近くにアルフォンヌの馬が寄ってくれば、そのような気配は微塵も見せず、神経質そうな笑みを浮かべて、
「大丈夫です、アルフォンヌさま。敵が何千あろうと、正義がこちらにあるかぎり、負けるはずがありませぬ。それに連中は数で勝りながら城塞の奥へ引きこもっているような臆病ばかり、なぜわれらの屈強が兵が敗れましょう」
「そうか。たしかに、わが兵が敗れるはずはあるまい」
アルフォンヌは、もはやコンドラートの甘言のみを聞き、自らの心を鼓舞していた。
兵を率いて草原を彷徨うこと十日あまり、ノウム王国があったころから付き従ってきた臣下たちは、もはやアルフォンヌに兵を引くようにとしか言わぬようになっている。
このままぶつかっても必ずグレアム軍に敗れよう、しかし一度ノウム城へ戻るか、あるいはさらに南方へ逃げれば、再び兵を集めて互角に戦うこともできるはずだ、というのである。
アルフォンヌは、そのような言葉を信じてはいない。
きっと前を見つめ、ただ憎きグレアム王国の打倒だけを目指し、馬を進めている。
ノウム城は、もはやアルフォンヌの望むノウム城ではなかった。
市民はだれもアルフォンヌを認めず、ただ怯えるばかり、臣下たちは反抗し、兵たちは言うことを聞かぬ。
幼いアルフォンヌが、巧みに自分を導くコンドラートに心酔するのは無理もない。
コンドラートは常にアルフォンヌの言を優先し、それというのもコンドラートはアルフォンヌの心理を誘導し、自分にとって都合のいい思考をさせていたから、アルフォンヌの言葉はコンドラートの言葉であり、アルフォンヌの振る舞いは少年王の姿を借りたコンドラートの振る舞いであった。
アルフォンヌは馬を駆る。
兵の前に飛び出し、巧みに馬を操りながら、兵を鼓舞する。
「われらには天上人がついておる、正義がついておる! 負けるはずがない、敗れるはずがない。戦うのだ。戦って、逆賊グレアム王国を塵ひとつ残さず消し去るのだ。それが正義というもの、それがわれらの使命というもの」
兵はなにも言わず、ただわずかにうつむく。
アルフォンヌに気づかれぬよう、にやりと笑えば、ハルシャにてロマンに命令された言葉を必死に心中思い出す、曰く反乱軍をしているときはアルフォンヌには逆らわず、すくなくとも表面上を敬え。
ハルシャの兵は厳命を守り、いままでアルフォンヌに仕えてきたが、それもどうやら綻びが見えはじめたようで。
しかしいまや、セントラムの城塞は目前である。
セントラム地方独特の、潮風に由来するらしい薄もやのなか、厳めしくそびえ立つ巨大な城塞は皇国の城壁に匹敵するほどの偉観、誇らしげに霞んで、根元と頂点が見えない。
黒々とした中腹の、石積の目が見えてきたころ、コンドラートはアルフォンヌにそれとなく進言し、兵を止めさせた。
反乱軍の動きはグレアム側も知っているはずだが、見たところ城塞に動きはなく、その外で軍勢が待ち構えることもなく、森閑たる風情にどんよりと沈む。
ときに六月のよく晴れた日のことで。
この時期、雨はほとんど降らず、雲が立ちこめることすらまばら、いまも青空澄み渡り、白い浮き雲ひとつなく、どこが空だか区別もつかぬ。
コンドラートは雨という不安要素を頭から追い出し、兵をぐるりと見回して、指揮官然と背筋を伸ばし、他の重臣を差し置いて。
「さて、諸君らも見えるとおり、この城塞は強固そのもの、そしてこれは海まで延々続き、打ち破らぬかぎりわれわれはセントラム城の姿すら拝むことができぬ」
コンドラートがいえば、兵士たちはぐっと顔を上げ、まじめに指示を待つ、その反応に満足し、コンドラートはアルフォンヌに場所を譲った。
昨夜のうちに、アルフォンヌには必要な言葉を吹き込んである。
それはコンドラートが与えた言葉ではなく、アルフォンヌの内側から導いた言葉たち、自然と口調にも覇気が出て、まばゆい光にアルフォンヌの金髪が揺れれば、あたかも気高い大国の王子のようで。
「どこでもいい、城塞の一部でも破壊せよ!」
わずかに高い、幼い声が金属のように打ち響き、りんりんと草原に鳴った。
肌触りも爽やかな風が起伏に富んだ草原を走り、アルフォンヌの髪をふわりと跳ね上げて、それが追い風で。
「一カ所でも破壊し、そこから侵入するのだ。やつらは城塞の奥で待ち構えておる。恐るるには足りぬ、われらを待つものは勝利以外にはない!」
アルフォンヌは腰に帯びていた剣をさっと抜き払い、空に突き刺した。
兵士たちも真似るように剣を抜き、かざして、ぎらぎらと振り乱しながら丘を駆け下り、城塞に取り憑いていった。
こうして戦闘は開始されたのである。




