心の行方 5-2
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アルフォンヌ反乱、と一報を受けた正行は、そのまま皇国にアリスと衛兵を残し、報告へきた兵士とふたりですぐさまセントラム城へ向けて出立した。
夜が明けるまで馬を飛ばし、疲れ果てた馬が動かなくなる前に農家や集落で新たな馬を飼い、人間のほうはほとんど休みなくセントラム城へ向けて飛ばし続けた。
それでも皇国からセントラム城まで十日はかかり、すでに一報が届くまでにも同じだけの時間を消費しているいま、もはや一刻の猶予もなかったが、馬を変えながら休みなく進めるのも、事情を聞いた皇女クラリスが無条件で財宝の一部を貸し出してくれたおかげであった。
馬を買えるような財宝など持ってきていない正行たちにとって、その申し出は渡りに船、しかし一方で皇国に、そしてクラリスに借りができるということでもあり、正行はそれを懸念しないわけにはいかなかったが、断る法はなかった。
しかし報告が届くまでに十日、そこから正行がセントラム城へ帰り着くまでに十日、そのあいだになんの動きもなかったかといえば、そんなはずもない。
ノウム城を血と暴力で占領した反乱軍は、そのままノウム城に留まり、グレアム王国へ向けて一方的にノウム王国の独立を宣言していた。
グレアム王国は当然それを認めず、領地であるノウム城を不法占拠し、市民を不安に貶めているとして反乱軍制圧を公言、市民を無事に救出することを第一目標として軍を編制中という情報である。
アルフォンヌは、市民はノウム王国の復活を歓迎していると伝えていたが、事実はグレアム王国の見解に近かった。
ノウム城へ留まった三千のハルシャ兵はどれも粗悪で乱暴、市民に乱暴することも多く、それがさらなる悪感情へ繋がっている。
視察と称して一日に何度も城下町を見て回るアルフォンヌにもそのことは自ずと理解され、兵に市民への乱暴をやめるようにと命令を出したが、城下町の片隅まではその目も届かない。
やがてアルフォンヌは、正当なノウム王国の王子でありながら、ノウム城に言いようのない居心地の悪さを感ずるようになった。
ここではだれも自分を歓迎せず、兵は自分の命令には従わぬ、臣下たちは民はノウム王国の復活をよろこんでいるなどと甘言ばかり、城下町へ出れば市民の責めるような視線を浴びる、それはなぜなのだろうとアルフォンヌは考えた。
ノウム王国が、そもそも市民の望むところではなかった。
いや、そんなはずはない、グレアム王国が攻めてくるまでは平和で満ち足りた日々があったのであり、グレアムによる占領の直後はノウム王国の国民も反発していたはずなのだ。
ではなぜ、ノウム王国の復活を、その王子の華々しい帰還を歓迎しないのか。
「グレアム王国が、まだそのままの形で存在しているせいでしょう」
コンドラートは、アルフォンヌの心中を覗き見ているかのように、その不安定な幼い心に寄り添う。
「市民はみな、アルフォンヌさまの帰還を歓迎しているはずでございます。素直にそう表現できぬのは、みなグレアムの圧力のせいにちがいありませぬ。グレアム王国がこの大陸上から消え失せたとき、ようやく彼らは安堵し、アルフォンヌさまを迎えるのです」
「うむ――わしもそう思っていたところだ」
アルフォンヌは深くうなずき、コンドラートの笑みにも気づかず、部下に命じた。
「すぐに兵を招集しろ、グレアム王国の本丸、セントラム城へ攻め込むぞ!」
一度そうと決めれば、無理にでも自らの決定を通すようなわがままさがアルフォンヌにはあった。
臣下たちは当然、アルフォンヌに反乱軍とグレアム軍の兵力差を説き、またセントラム城には巨大にして堅牢な城塞があり、外から攻めるには滅法強い防御要塞であると説明したが、アルフォンヌの心は翻らなかった。
その頑ななアルフォンヌの心を理屈で補強するのがコンドラートの役割であり、彼が言うに、
「たしかにグレアム軍はいまだに五千以上の兵力を持っておりますが、それらはすべて合わせた数、いまは巨大な領地を守るために方々へ散っておりまするゆえ、セントラムに残っているのは三千か四千と見てよいでしょう。そうなれば兵力差などあってないようなもの、むしろ相手の準備が整う前に突くことができれば、わが方が有利にすらなり得ます。城塞といって、すでに古びた建造物、老朽化はしておりましょう。一部を集中して破壊すれば、城塞を打ち崩すことも不可能ではない。そして城塞を打ち崩し、その内部へなだれ込んだ暁には、城塞が守ってくれると油断しているグレアム軍に奇襲することさえできるのです。勝機は充分にございます。加えてアルフォンヌさまの指揮があり、われわれの背後には正義が控えております。僭主たるグレアム王国を追い出し、大陸の北に本来の姿を取り戻させる、それこそわれらの使命でありますれば、万が一にも敗北など。われわれの血が流れることは、天上人が許しませぬ」
コンドラートのまくし立てるような口調はひとびとを幻惑すると同時に、アルフォンヌを励ます役割も担っていた。
感情的な発案に、理路整然とした理屈がつけられ、だれひとりとして反論できぬまま、三千の反乱軍はノウム城を出たのである。
それと同時に、ノウム城で暮らす市民たちは安堵し、このあいだにどこかへ逃げようかという話し合いすら持たれたが、結局彼らは逃げ出さなかった。
だれの持ち物になろうともノウム城は、そして城下町は彼らの住処であり、わが家であったから、それを放り出して逃げることはできなかったし、また彼らはセントラムでの決戦に反乱軍が勝利するなどとは露とも信じていなかったのだ。
反乱軍はかつてノウム城を占領し、セントラム城へ向けて行軍したグレアム軍と同じ道を、三千という軍勢で進んだ。
一方、迎え撃つセントラムのグレアム軍はどうかといえば、慌ただしいなかにもある種の納得めいた感情があって、各地へ散っている軍勢に緊急帰還命令は出しているが、いまいち戦闘には乗り気でないような、アルフォンヌ率いる反乱軍に同情するような雰囲気さえあった。
そのころ、セントラムにはまだノウム城で行われた陰惨な出来事が伝わっておらず、捕えられた文官や兵士はみな捕虜として牢にでも入れられているのだろうと考えていたのだ。
「アルフォンヌがグレアム王国に刃向かう気持ちはわからんでもないが、しかしかといって負けてやるわけにもいかんしの」
セントラム城の奥まった一室、軍事作戦会議室でベンノはぽつりと呟く。
その場にはほかに、新たにグレアム王国に文官として加わったコジモ、内政を専門とするアントン、武官であるロベルトなどが集い、肝心の女王であるアリスと参謀たる正行は不在のままになっている。
「ともかく、正行殿が戻ってくるまで、まだしばらく時間がかかる。各地に散った兵を呼び戻すのとだいたい同じころになるか。それまでに決着をつけてしまうか、それとも正行殿が戻るのを待つか」
「兵力ではこちらが勝っているのでしょう。それなら正行殿の帰りを待つまでもなく、正々堂々迎え撃ち、そしてはじき返してもよいでしょう」
痩せぎすの男、アントンが言うのに、普段は仲がよいとはいえぬロベルトもうなずき、
「正面から迎え撃っても負けることはねえんだから、それでもいいとおれも思うが」
「勝利というならそれでもよかろうが」
とベンノはすこし疲れた顔、禿頭を撫でながら、
「それでは双方に被害を出した上の決着となろう。ただでさえわれわれは兵力が豊富というわけではない。これだけの広い領地を完全に保つには、六千でもまだ足りぬ。そこへきて三千あまりの敵軍と衝突し、千を減らす程度で撃退、あるいは殲滅が叶ったとしても、わが方の打撃は大きい」
「兵法の理想は、戦わずして勝つこと、すなわち敵味方双方の兵に被害を出さずに決着させることにありますからな」
コジモも控えめに言って、あごひげをしごく。
「戦わずして勝つ方法など、この状況下であり得ますかな」
腕組みのアントン、いぶかしげに言う。
ロベルトもとなりでわずかに首をかしげ、
「正行殿ならなにか思いつくかもしれねえが、今回は間に合いそうにねえな。ノウム城を出た反乱軍は、まっすぐセントラムを目指してもう七日か八日で攻めてくるぜ。どれだけ急いでも、正行殿が帰り着くのはその五日か六日あとだろう」
「ではひとつ、時間稼ぎといくか」
とベンノ、机の広げられた地図をゆっくりと撫で、
「どのみち、わが方の兵が集結するまでは反乱軍にものんびりしてもらわねば困る」
「どうやって時間稼ぎを」
「ひとつ、策がある」
ベンノはにやりと笑い、このところ正行の影に隠れてあまり目立たなかった老獪さでもって、手勢に奇妙な指示を与えた。
その指示というのがすなわち、セントラム城周辺の集落に、うわさを流すことである。
曰く、セントラム軍は城塞を出てどこかの丘に潜み、反乱軍が城塞突破にかかっている背後を強襲する気らしい、と。
町のひとびとは知らず知らずそうしたうわさ話を広げ、やがてそれがセントラム城を目指す反乱軍が出した斥候にも届く。
反乱軍を実質的に指揮するコンドラートは斥候の報告を受け、なるほどと考える。
たしかに反乱軍を徹底的に叩くには、その作戦は有効である。
しかし唯一の欠点は、強襲に使う軍勢はあくまで潜んでおかなければならぬということ。
ひとりやふたりならだれにも気づかれず丘の影に潜んでいられようが、四千五千の兵を隠すことは至難の業、実際にもこうして情報が漏れだしているのだから、もはやこの強襲は成功しない。
コンドラートはにやりと笑い、反乱軍の行き先を、まっすぐセントラムの城塞から、その周辺の探索に切り替えた。
あわよくば強襲する予定の軍を先に発見し、こちらが背後を突いてやろうという作戦である。
こうして反乱軍の足は鈍り、ベンノが目論んだ通り、反乱軍の城塞到達は予定よりも一週間ほど遅れることとなる。
そしてそのあいだにセントラム軍は全兵士が集結し、夜を徹して駆けてきた正行もまた、反乱軍より一足先にセントラムへ帰り着くことができたのである。




