心の行方 4-2
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アルフォンヌに謀反の兆しありと見るのは、ノウム城に軟禁されていたころからの決まりであり、辺境に封じてからもその周囲にはそれとなく監視体制が敷かれていたものの、事前にコンドラートが根回しを澄ませ、またなびかぬものは武力で退けた結果、セントラム城に反乱の一報が届いたとき、すでにアルフォンヌ率いる反乱軍はノウム城を占領していた。
それから慌てて正行を呼び戻すための早馬が出たが、全速力で駆け抜けても追いつくのは皇国へ着く直前か、着いたあとになる、そこから正行が引き返してくるとなればさらに日数を要することであり、即座の対応は正行抜きで行うしかないという結論である。
ノウム城には、セントラムから傭兵部隊が約千人派遣され、城の管理や守護に当たっていた。
それらはどれも経験豊富な兵士たちであり、気が荒い者も多いが、ひとりひとりまで指揮官の目が行き届くよい軍隊であった。
アルフォンヌが反乱を起こすなら、まずノウム城を奪還するはずというのは事前に正行とベンノが話し合っていたことで、その結果として、もしアルフォンヌが軍を率いてやってきても封じ込められる、あるいは返り討ちにできるであろう軍勢をノウム城に配備していたのだが、まさか三千もの兵を調達するとは予想外で、おまけに報告がうまく届かず、ノウム城に詰める千人の軍勢が反乱軍の接近を知ったのは、その姿が目視できるようになってからのことだった。
最初に確認した兵士が泡を食って指揮官に報告するあいだ、反乱軍は腹の底に響くような地鳴りでもってノウム城に迫り、そのまま一瞬も立ち止まることなく、守衛が籠城とも抗戦とも決断できぬうちにノウム城を飲み込んだ。
これは当然、アルフォンヌの一声ではじめられた戦闘ではあったが、実質的な指揮はコンドラートがとっていた。
前日、目視できぬぎりぎりの距離に野営を組み、翌朝も早くノウム城への突撃を指示し、止まることなく敵を蹴散らしながら城内へと叫んだのもまたコンドラートで、兵士たちは忠実に従い、まだ体勢の整わぬ守衛を強襲、そのうち二百人ほどを打ち倒し、堂々と城内へ侵入を果たした。
驚いたのは兵士ばかりではなく、ノウム城の住人たちも同様で、突然戦場と化した城下町でそれに巻き込まれて死亡した市民もまたひとりやふたりではない。
「敵兵を殺せ、ひとりでも多く! 城を占領するのだ!」
ハルシャから貸し出された兵士たちは、どこからともなく聞こえてくる悪魔の声に忠実であった。
屈強な腕は鋭く光を放つ剣を振るい、戸惑った顔の傭兵たちをいとも簡単になぎ倒す。
敵襲と聞いて武器を持つその背後、音もなく影が差したかと思えば白刃輝き、絶叫するひまもなく、ただどんと突き倒されるような音、倒れ伏した身体には頭がなく、頭部だけは赤い軌跡を残しながらどこかへごろりと転がっていく。
それを別のハルシャ兵が蹴り上げ、あるいは踏みつぶし、城下町は瞬く間に赤色と濃厚な血の匂いが充満した。
兵士の一部は城へ退却し、そこで籠城を試みるが、それよりも早くハルシャ兵が城の入り口へ殺到し、力押しで門を打ち破れば、どっと流れ込んで手がつけられない。
絶叫と雄叫び、市民の一部は何事かと家から上半身を覗かせた瞬間、肩から脇腹へと両断されてぐらりと傾ぐ。
ぱっと舞い上がった血の霧の向こう、幼い少年の目があり、ハルシャ兵が扉に手をかけてじろりと覗き込む様子はまさに鬼のごとく、泣き声すら上がらずに、ただぶるぶると震えている。
ハルシャの兵には容赦というものがない。
武器を捨て、命乞いをする兵士でも容赦なく切り捨て、また、その首を落とし、飾りのように腰から下げる者すらある。
ハルシャの地方では古来、そうして自らの武を誇る風習があったが、いまではそれも失われているはず、佯狂めいて茶化すのが、真に狂気である。
ノウムの城下町は、まるで暴風に耐えるよう、ただひたすら嵐が過ぎ去るのをじっと待ち、やがて静かになれば、今度はノウム城内で絶叫が悲鳴が響き渡る。
アルフォンヌは、その様子を巨大な城壁の外から見ていた。
無論、城下町は城壁に遮られて見えず、城内が見通せるはずもない、ただわずかに剣戟の音や叫び声が洩れ聞こえているだけで、それは幼いアルフォンヌの身体に戦闘の興奮を植えつけるのにちょうどよいだけの生々しさであった。
アルフォンヌの周囲には戦闘に参加しない文官たちが集まり、そのなかにはコンドラートの姿もある、一様に不安げな眼差しを懐かしきノウム城に向けるなかで、コンドラートだけが口元に笑みを浮かべていた。
「兵士たちはちゃんとやっているだろうか」
とアルフォンヌが問えば、アルフォンヌが生まれる前からノウム王国に仕えている重臣をさておいて、コンドラートが答える。
「兵士としては優秀な連中でございますゆえ、その点は心配ありますまい。奇襲にも成功し、城内にも突入できれば、単純な兵力差においてもわが方が負けることは決してございませぬ」
「うむ、そうか。わしが先頭に立って指揮する必要はないのか」
「王とは陣の後方にして策を発し、軍の士気を高めることがなによりの役目でございます。――おお、ごらんください、城の尖塔にどうやら変化があります」
アルフォンヌが馬上で目を細めれば、いままでグレアム王国の国旗が掲げられていた尖塔、その旗がわずかにはためきながら降りてゆき、代わりにかつてのようにノウム王国を示す旗印が空に掲げられた。
実質的な戦闘がはじまって、わずか数十分後のことである。
電光石火の攻撃はこれ以上ないほどの成果を見せ、ノウム城は約一年ぶりにグレアム王国の支配下を脱したのだ。
これには重臣からも驚きと安堵、そしてよろこびの声、アルフォンヌは馬上で手を振るわせ、よろこびに唇を噛みしめている。
コンドラートはそれにそっと寄り添うよう、手つきだけは優しく、アルフォンヌの背を撫でて、
「参りましょう、アルフォンヌさま――あなたの城に戻る日がやってきたのです」
「うむ――長かったな。父上と兄上はごらんくださっているだろうか」
「必ずや、よろこんでおいででしょう」
アルフォンヌの馬はゆっくりとノウム城へ向けて進みはじめた。
門前はすでにハルシャの兵が押さえ、敬礼でアルフォンヌを迎える。
アルフォンヌは馬上で敬礼を返し、それから慣れ親しんだ城下町に入っていった。
そこでアルフォンヌが見たものは、輝かしい勝利の裏にある、血なまぐさい真実の戦であった。
ノウム城へ向かって伸びる起伏の激しい坂道、そこにおびただしい量の血が流れ、赤い川のように下方へと流れている。
あたりには生臭いような、錆のような匂いが立ちこめ、路地を進む先の噴水にはいくつか兵士の死体が投げ込まれ、血で染まった赤い水だけが吹き上がっていた。
アルフォンヌは傍らを馬ですぎるあいだ、ふと覗き込んだ噴水の底から兵士の死体がじっとアルフォンヌを見返して、怖気をふるって視線を逸らした。
そのまま城へ行き着くまで、アルフォンヌは数えきれぬ死体を目にし、また、恐る恐るという様子で路地の様子を盗み見ていた市民を見たが、市民のほうではアルフォンヌと目が合うと慌てて家の奥へ引っ込み、帰還した王子に対する喝采もないままに。
城ではすでにハルシャ兵が仕事を済ませて待っている。
すなわち、ノウム城維持のために城へ残ったグレアムの文官や残りの兵士を残らず捕らえ、それを跪かせた形で並べているのである。
兵士たちは揃ってアルフォンヌに敬礼し、捕らえられた文官たちはアルフォンヌの姿を見ると驚いたように目を見開いた。
「これだけの兵士を、いったいどこから――」
とだれかが囁いた瞬間、その人物は兵士に腹を蹴りつけられ、咳込んで床に転がった。
アルフォンヌは馬を下り、城の広間に集められた捕虜たちを見回して、満足げにうなずく。
そこへすかさずコンドラートが寄ってきて、
「アルフォンヌさま、これらの捕虜はいかがなさいましょう」
「しばらく地下牢へ入れておくか、入りきらぬものは城の外へ放り出すがよい。城内には決して入れるな。この城には、ノウム王国の国民以外住むことを許さぬ」
コンドラートはうなずいて、
「ご立派でございます。しかし、兵を外へ解き放つのはいささか危険かと存じまする。それに彼らは逆賊グレアムに魂を売った者ども、慈愛をかけてやる必要もございませぬ」
「では、どうするのがよいか?」
「公開処刑、というのがよろしいかと」
「公開処刑?」
アルフォンヌが無邪気に首をかしげれば、コンドラートはぐいと近寄って、
「彼らは長らくノウム城を不当に占拠していた者たち、その罪は死をもって償わなければならぬ大罪にござります。そしてまた、ノウムの城下町に暮らすひとびとは彼らによって虐げられ、抑圧されてきたのです。その解放の象徴として、市民の前で公開処刑を行うのがもっとも適当かと存じます。そしてまた、それをもってノウム王国の復古とグレアム王国からの独立を宣言するのです」
「解放と、独立か」
「ま、待て、そのような人道にもとることが行われてよいはずはない!」
と縛られた姿で叫ぶものがあれば、コンドラートの一瞥、ハルシャの兵士が手を下し、一撃のもとに黙らせる。
アルフォンヌはその様子を見ていたが、陰惨たる城下町の風景、そしてノウム城を自らの手で取り返したという自負心がその幼い目を覆い隠し、見えぬようにしている。
そこにコンドラートの巧みな甘言が加われば、アルフォンヌはそれがよい、そうせねばならぬと思い込むに至り、アルフォンヌ自身の声で命令を下すのだった。
「これらの兵と文官を公開処刑に処す。市民の目の前で、われらの敵を殲滅してみせるのだ。すぐに準備せい」
ハルシャの兵はまたもや恐るべき素早さで捕虜たちを城の前に引っ張り出し、また一方で、先ほどの進軍に怯えて家から出てこようとしない市民たちの住処に踏み込み、
「王の命令だ、すぐに広場へ出てこい!」
と高圧的に命じ、それでも従わぬものは無理やり腕を引いて広場へ集結させた。
それは奇妙な光景であった。
まるで時勢を現すような曇天の下、普段は空に遊ぶ鳥たちの姿もなく、また風も吹かず、耳が痛くなるような静寂で、昼間だというのに異様なほどの薄暗さ、血で濡れた足下を見誤り、ずるりと滑って転ぶ市民も大勢出たほどである。
広場に並ばされた捕虜、すなわち死刑囚は五百人にも及んだ。
それらひとりにつきハルシャ兵がひとりずつ、跪かせた背後に立ち、抜き払った白刃が薄暗い曇り空にひらめく。
市民のあいだには恐怖と緊張が走り、連座させられている人間の顔を見れば、つい昨日まで同じ城のなかに暮らしていた者同士、もとを正せばノウム王国とグレアム王国だが、一年あまりもいっしょに暮らせば情も湧く。
アルフォンヌは市民たちの顔が冴えぬまま、むしろ恐れに引きつっているのに気づかなかった。
必ずや市民の喝采でもって迎えられるであろうという期待は早々に裏切られても、まだこの斬首と解放、そしてノウム王国の独立によって市民が歓喜するであろうと無邪気に信じきっていたのだ。
アルフォンヌは罪人たちの前に立ち、そのちいさな身体を精いっぱい大きく見せながら、集まった市民に宣言した。
「これらはすべて、ノウム王国を痛めつけ、われわれの生活を蹂躙した悪人である。これらの悪人の死をもって、わがノウム王国の復活、そして新たな独立を宣言する!」
アルフォンヌがさっと腕を掲げ、それを振り下ろした瞬間、白刃がひらめき、うなり、低い苦痛の声が重なって、五百人あまりの処刑が同時に行われた。
まさにアルフォンヌの短い腕が彼らの首を切断せしめ、同時にいびつな形でノウム王国を復活させたのである。
市民たちは残虐極まる光景にぐっと押し黙っていた。
斬首の瞬間、目を伏せていたものがほとんどである。
アルフォンヌは市民たちの表情が明るく輝くことを期待し、忙しく彼らの顔を見回したが、どこにもそのような明るさはなく、服の裾を握りしめて苦痛に耐えるような顔をしている者、静かに落涙している者、嗚咽を堪えている者、嫌悪感、失望感。
そのようなものはどこにでも見いだせるのに、たったひとつの希望、歓喜がない。
市民には、アルフォンヌの背にはいま首を落とされたばかりの兵士、あるいは文官たちの胴体があり、その切断面はぐいとこちらを向いて、どくどくと溢れ出す血は留まるところを知らぬまま。
それどころか、切り落とした首を処理する人間もいないから、それが広場のわずかな傾斜を下って、アルフォンヌの背へ、市民が集まっているほうへ、ころころとぎこちなく転がりながら迫ってくるのである。
つい数分前まで呼吸し、考え、感じていたものがすべて一太刀で失われて、恐怖か痛みか、悔しさか後悔か、かっと開かれた目は転がりながら市民をにらみ、またいまも生きているかのように首からも血が流れ出す。
どれもそのちいさな頭部にどれだけ血が詰まっているのかと思わせるような、異様な量の出血で、胴体から溢れ出したものも含み、広場は石畳の地面が見えぬほどどろりとした血液が広がった。
市民の足先もそうして濡れ、足を上げれば靴底と地面にあいだで血が糸を引き、足を滑らせて転ぼうものなら全身を生暖かい血で汚すこととなる。
まるで逃げるように市民の大多数が後ずさり、そのままわれ先にと家へ逃げ帰っていくのも無理はなかった。
「待て、どこへゆくのだ!」
アルフォンヌは足下を満たす血液にも気を止めず、血の水たまりをばしゃりと跳ね上げ、去っていく市民を追った、それがまた市民を恐怖させ、アルフォンヌの逃げる先、大の男も老人も散り散りとなって逃げ出して、最後には広場から市民が消え失せ、ただ溢れんばかりの血液と、数えきれぬ亡骸と、すでに剣の血を拭っている事務的な表情のハルシャ兵と、茫然自失のアルフォンヌだけが残った。
アルフォンヌは父親のため、兄のため、自分のため、そしてなにより市民のためにノウム城をグレアム王国の支配から解放したつもりだった。
それが市民には、アルフォンヌは血で遊ぶ狂気の子どもにしか見えていなかった。
もっとおとなしい形でノウム城の奪還が行われていれば、あるいは追い打ちとなった公開処刑され行われていなければ、アルフォンヌは悲劇の王子として自らの城に堂々と戻ることができたかもしれない。
しかしいまやアルフォンヌはノウム王国の国民においても悪魔のごとき禍々しさを持ち、同情すべきわれらが王子ではなくなっていた。
後世に悪名高い「血の独立宣言」はこのようにして行われ、約一年の断絶を挟んで、ノウム王国は忌まわしき復活を果たしたのだ。




