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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
心の行方
70/122

心の行方 4-1

  4


 夕方近くになって宮殿が解放され、左右に突き出した宮殿の両翼のあいだ、広場とも中庭ともつかぬその空間に、われ先にと飛び込んだ市民や観光客はおよそ十万人にも上る。

 そこへ、ひとびとからよく見える宮殿三階の中庭に面したテラスに皇室一家が現れれば、その瞬間の絶叫とも雄叫びともつかぬ声、正行の想像をはるかに越えて巨大で、宮殿の壁がびりびりと震え、広間に吊されたシャンデリアが揺れるほどであった。

 いま宮殿に暮らしている皇室一家は、全部で五人である。

 皇帝そのひと、皇后、皇帝の妹、皇帝の娘と息子がひとりずつ。

 そのうち、やはり人気があるのは皇帝自身で、すこし太って腹の出た壮年の男、皇室の証ともいえる銀髪もすこし禿げ上がっているが、ひとのよさそうな笑顔を浮かべて民衆に手を振る様子は、穏やかな支配者然としている。

 次にひとびとの視線を集め、また歓声を受けたのは、皇后ではなくその娘、第一皇女のクラリスであろう。

 クラリスは皇族らしい贅を尽くした青のドレスを纏い、その裾を揺らしながら手を振れば、十代の半ばにして女王の風格を湛えている。

 そのとなり、クラリスの陰になかば隠れている銀髪の少年がやがては皇帝となるはずの皇太子で、父親によく似た穏やかそうな顔つきが、いまは臆病にも見える。

 皇后はクラリスをそのまま成長させたようなひとで、白いドレスに黒い髪、目尻には皺が見えるものの、まだ若々しく微笑んで、皇帝の後ろに控えていた。

 その後、皇帝の挨拶があり、民衆は先ほどまでの熱狂がうそのようにしいんと静まり返って「お言葉」を聞き、年に一度の自由祭はわずか三十分ほどで終了した。

 それでも満足げな民衆たち、暴れることもなく、列を作ってぞろぞろと宮殿を出てゆけば、再び鉄扉が閉ざされて、宮殿には独特の清廉な静けさが戻ってくる。

 民衆との面会に出ていた皇族はすぐ宮殿内を移動し、そのまま周辺の王侯貴族を招いた晩餐会へ。

 一般の民衆よりはずっと近い位置、同じ部屋で食事ができるという光栄を授かった王侯貴族は、どれもここが見せどころとばかりに着飾り、あるものは帽子に長い鳥の羽根を飾り付け、あるものはほとんど全身をくまなく貴石で覆い、多少息苦しい形式張った晩餐会と、その後の談笑を基本とした交流会に臨む。

 無論、この晩餐会と交流会には、それぞれの王侯貴族が自国から連れてきた兵士は出席しない。

 選ばれた人間だけが参加できる、いってみれば年の一度の、自分はこの大陸における有力者なのだと自己確認する場でもあった。

 国や身分の大小はあれど、ここに出席する人間はみな皇帝のもとに集う仲間たちという認識も強く、参列者同士のやりとりは、比較的自由で気軽なものが多かった。

 最低限の礼儀さえわきまえていれば問題ない、という認識であり、しかしそれは王侯貴族同士の会話だけ、交流会にも参加する皇室一家相手には無論最大限の敬意と礼儀でもって接しなければならない。

 もちろんそれは、異邦人たる正行にしても同じこと。

 晩餐会と交流会にアリスとともに参加する権利は与えられていたが、まさかいつもの格好でそうするわけにもいかず、ぴたりとしたズボンに腕のふくらんだシャツ、その上から袖無しのジャケットを羽織り、大きな襟は肩から垂れ下がるほどで。

 正行の感覚からは異様、あるいは一言で「変」というしかないような格好でも、あたりを見れば男の参列者はどれもそんな格好、そういうものかと納得すればいくらか着慣れてくるものの、交流会ではアリスがいつもどおりの裾の広がった白いドレスだから、うらやましげにそれを見て、


「いいよなあ、そういうきれいな格好でさ」


 アリスもゆったりと笑って、


「正行さまも、よくお似合いですわ」

「お似合いかなあ。それもなんか、釈然としないけど」


 と正行は無理やり着せられている服を見下ろし、ため息で。

 晩餐会と交流会には、家族で参加している王侯貴族も多かったが、そのなかでもこのところ大陸で派手に動いているグレアム王国、そしてアリスの美貌はひときわ目立って注目を浴びていた。

 しかしアリスは父親に連れられて毎年のように参加していたから、ほかの参列者にとっても顔なじみ、交わす言葉も大抵は、


「またお美しくなられて」


 というところからはじまるのに、となりでぼんやりしている正行は、だれにとっても未知の若者である。

 まさか、アリスの姉弟ということもないだろうし、参列している以上、一兵士というわけでもない、ではなんなのかといえば、ほかの参列者はちらと正行の顔を覗き見て、アリスのそっと、


「もしや、こちらの方は婚約者で?」


 と囁くのだった。

 アリスはその度に笑って、軽やかに否定して正行を社交界に紹介する。


「雲井正行さま、いまは国で軍事を一任している方ですわ。わたしひとりでは寂しいので、無理を言って出席していただいているんです」

「はあ、お若いのに、軍事を」

「どうも、アリス女王の婚約者です」


 正行がぺこりと頭を下げれば、それでもうすっかりこの華々しい集団の仲間入りである。

 王侯貴族といえば、一般大衆から見てあまりに遠い地位、そのせいで傲慢や奢侈のそしりを受けやすいが、蓋を開けてみれば、当たり前だがどれも普通の人間、ことさら傲慢であることもなければ、わざわざへりくだることもなく、気軽に笑い合ったりまじめな顔で大陸の情勢について話し合ったりで。

 あるいは、正行がアリスの紹介を受けた人間だからこそ、そのような対等な相手として見られているのかもしれない。

 そうでなければ、どこの者ともつかぬ若者、見下して、ろくな話もできぬままかもしれないが、それは王侯貴族としての誇りというより義務から発生するものであろうと、正行もぼんやり考えている。

 正行は視界の端にアリスを収めながら、自分は交流会が開かれている大広間の隅へ移動し、壁にもたれてちいさく息をついた。

 そのもたれた壁もまた豪華絢爛、金細工が施され、蔦の意匠がうねうねと壁を張って五メートル以上は頭上の天井まで続いている。

 敷衍して視線を大広間の天井へやれば、いくつものシャンデリアがぶら下がり、蝋燭の炎が揺れている、それもひとつひとつが巨大で、広い天井がすこし手狭に感じられるほどであった。

 さすが皇室の暮らす宮殿、大広間はとくにしっかりと贅沢をしているのだろうが、それにしてもすごいものだと、正行は参列者に振る舞われる弱い酒をごくり。

 大広間のどこかには皇室一家もいるはずで、皇后を除いて全員が銀髪だから目立つはず、と何気なく視線を彷徨わせれば、それとは別の方角から、女にしてはすこし低い声で、


「ちがう服を着ているから、別人かと思ったぞ」


 はっと振り返れば、薄い青色のドレス、肩を露出して、そこにふわりと波打つ銀髪がかかっている。

 自信に満ちた笑顔と視線がぶつかれば、正行はわずかにためらうような顔つきで、


「ああ、えっと――」

「ひとの名前を覚えるのは苦手か。私は、ひとりに二度名乗るのは生まれてはじめてだが」

「いや、ちがうんだ、名前は覚えてるんだけど――」


 とためらうのも無理はない、この交流会の主役である皇族の第一皇女クラリスが、だれを伴うこともなくふらりと近づいてくるのである。


「そ、その、ご機嫌麗しゅう」


 正行がぎこちなく頭を下げれば、クラリスはあたりをはばからぬ笑い声、周囲の人間がはっと振り返ってクラリスの輝くような銀髪に驚くほどで。


「別にいままでどおりでかまわんよ」


 とクラリスが言うのに、正行が頭を掻きながら、


「さすがに素性を知ったからにはそういうわけにもいきませんよ。まさか、本当に皇女だとは思わなかった」

「よく言われる。この髪がなければ、そうは見えぬらしい」


 クラリスは自らの銀髪を指先で撫で、すこし首をかしげるような仕草、それがなんとなく婀娜っぽく、視線を上げればいたずらっぽい目つきで。


「そなたも見違えるようだ。酔いは醒めたか?」

「お、おかげさまで。その節は、ほんとに申し訳なく思ってます」

「すこし意外であったよ。うわさに聞く雲井正行とは、雰囲気がちがっていた」

「うわさ?」


 眉をひそめる正行、クラリスはうなずきながら正行のとなりに立ち、壁に軽くもたれかかれば、美しい銀髪がふわりと揺れる。


「グレアム王国の参謀は剣呑らしい、という話は大陸中に伝わっておる。この三十年、動きがなかった北方が慌ただしくなったのは、ひとえに雲井正行という異邦人のせいであるとな」


 そうした大時代的な言葉が不思議と似合う女である。

 正行はわずかに笑って、


「そのうわさは正しいですよ。いくつかの戦争は、おれが指揮しました」

「そして見事、グレアム王国は連勝してきたというわけだな」

「グレアムの兵は優秀です。数はすくなくても、どこにも負けない強さがある」

「しかし常に劣勢であったことはたしかだ。皇国へも、多少の時間差はあるが、大陸中の戦況が届いておるのだ。そのなかでも私は北方に注目しておった。なにしろ、常に状況は圧倒的劣勢、そのなかで万が一にも勝ちがないような戦で、どのように戦うのかと。グレアム王国にはかの大学者ベンノもおるが、それ以上にそなたの働きが大きいと聞く」

「勝たなきゃいけない戦なら、なんとしてでも勝ちますよ。負けるよりは、勝つほうがいい」


 嘘か真か、正行はぽつりとそんなことを言って、やけのように酒を呷った。

 クラリスはそんな正行の横顔をじっと見つめたあと、あたりをはばかるようにぽつりと、


「そなたはなんのために戦うのだ。なんのために血を流すのだ。勝利の果てになにを見る? 他国を支配する野望か、自らの力を過信する自惚れか、あるいは別のなにかがあるのか」


 正行はすこし虚ろな目、クラリスではなく、すこし離れたところで老夫婦と話しているアリスを眺めている。


「おれは別に、なんの目的もない。ただ平和に暮らしたいだけです」

「それなら、国を離れればよかろう。どこか静かな田舎へ引っ込めば、血なまぐさいこととは無縁に暮らせる」

「それだと恩返しができないんだ。どこにも行けないおれを拾ってくれたグレアムのひとたちへ、まだ恩返しが住んでない。それに、おれはみんなが好きだから、みんなが平和に暮らせれば、それでいいんです」

「傲慢だな。御しがたい自分勝手、わがまま、それがそなたの本質か」

「そうかもしれないな――ああ、たぶん、そうなんだ。褒められて、どうも居心地が悪いのは、そのせいだと思います。おれは英雄なんかじゃないし、優しくもない。自分の好きなひとたち以外は、どうなったっていいんだ。その代わり、自分の好きなひとたちは、生きていてほしいと思うひとたちは、なんとしてでも守りたい。もしグレアム王国に牙を剥くものがあるなら、おれはそれを全力で排除する。それがおれの仕事だし、望みでもある」


 クラリスはあごを引き、わずかにうつむいて、次の瞬間には青いドレスの裾がぱっと揺れる。


「ちょ、ちょっと――」


 と戸惑う正行の左手を、クラリスの右手がやわらかく掴んで、大広間の外、夕方に皇室一家が顔見せをした広場に面したテラスへと導く。

 そのふたりの姿を、老夫婦と談笑していたアリスは視界の端で捉えて、いぶかしげに首をかしげていた。

 不思議なのは正行も同じで、あまり広くはないテラスへ出てようやく解放されれば、その手首をそっと押さえてクラリスを見る。

 クラリスはわずかに呼吸を荒らげて、頬もほんのりと赤く、むき出しの白い肩が上下して、前髪が乱れて額にかかる、それを指でさっと払いのけながら、ぎらぎらと光る真剣な眼差しで。


「これから先のことは、一切他言無用だ。そなたの仕える王といえど、知る必要のないこと、私とそなたの身分を介さない個人的な話と考えてもらっていい」

「個人的な話?」

「そなたには、ぜひ私の仲間になってもらわなければならぬ。いやといって断れると思うな、もはやそなたには選択肢などないのだ」

「ちょっと待ってください、いったいなんの話ですか」

「謀反のことだ」


 クラリスは正行にぐいと顔を寄せた。

 それが、色気のあるような理由ではなく、単に話が洩れ聞こえぬようにするだけとわかっている正行でありながら、どきりとして身を引くのは致し方ない。

 盛んに話し声が飛ぶ大広間の外、ふたりの影は抱き合うように重なって、囁き声は空に浮かぶ月すらも知らぬ。


「近々のことではないが、近い将来、私は謀反を起こすつもりでおるのだ」

「む、謀反って、いったいなんのために? そもそも、だれに対して」

「無論、父上に決まっておる。私は第一皇女だが、次に帝位を継ぐのは皇太子たる弟になる。そこを奪って、私自ら皇帝を名乗ろうと思っておるのだよ」

「皇帝に、あなたが?」


 正行はまじまじとクラリスを見て、その姿に皇帝の肩書きが添えられてもなんら違和感もないことに気づく。


「でも、どうして」

「父上はいささか消極的すぎる」


 とクラリスがわずかに眉をひそめるのも美しく。


「大陸の南でハルシャが猛威を振るっておるのは、そなたも知っておろうが、やがてその波は必ずやこの皇国へ届く。父上はそれでも戦争などいかんという。平和的な使者のやりとりで解決可能と、はじめから信じきっておるのだ。もはやそのような時期でもなし、ましてやほかの列強とちがい、ハルシャは皇帝を自称して、われわれ皇室をなんとも思っていないことは明らか、戦闘を避けて降伏しようものなら、変わらず民衆の支持が篤いわれわれは変容の国に押し込められ、秘密裏に殺されることになろう」

「でも――」


 反射的に正行は反論を考えているが、ハルシャという国の残虐非道なうわさと、あえて皇室を刺激するような自称をしていることを思えば、クラリスの考えは悲観ばかりと決めつけることもできない。


「何度も父上には進言したが、父上は根っからの楽観で、ひとの心が清いものと信じきっておられる。それも平和な時代にはよいことだが、このような荒れた時代には、私のような剣呑な指導者こそが求められていると思わぬか」

「だから、謀反を?」

「平和的に帝位が受け渡されるならそれが最善だがな。弟は、父に似て争いを好まぬ性格、それにまだ若く、戦争の陣頭指揮をとること叶わぬ。まさか銀髪ではない母上が皇国を率いるわけにはいくまい。この国を守るには、私が立つしかないのだ」


 クラリスの赤い瞳は、いまや紅蓮に燃え上がり、その身をすら焦がすように。

 正行はその瞳に心をぐいと掴まれるのを感じながら、一方で冷静に、この熱狂に付き従う人間は多いだろう、謀反というものもあながち夢物語ではないかもしれぬとも考えている。


「――とまあ、国を守るというのは、大義名分に過ぎぬ」


 とクラリスはその表情をわずかに和らげて、


「実際のところ、根っこにあるのは野望よ。私は皇室に生まれながら、なんの因果か女だ。帝位を継ぐことは決してないし、やがてどこぞの王だか公爵だかに嫁ぐだけ、そうなってはこの銀髪もただの飾りでしかなくなる。私はこの世界の頂点に立ちたい。正義や大義名分は二の次、事実はただその一点にある。謀反はそのための第一歩、ハルシャをはじき返すために必要な手続きに過ぎん」


 恋人にだけ秘密を打ち明けるような親しさで、クラリスは正行の耳元に囁いた。

 言葉と吐息が正行の耳朶をかすめ、いたずらっぽくくすぐって、地形的に風の吹かぬ皇国のなか、いつまでもそのほのかな温かさが残っている。


「どうしてそれを、おれに言ったんです」


 ようやく正行が言葉を返せば、クラリスはふと笑って、


「そなたの傲慢さが気に入った。能力としても、そなたは敵に回すべきではないと判断した。ハルシャの皇帝、ロマンという男もまた、敵に回すには有能すぎるが、まああれは仕方がない、すでに向こうが敵対を表明しておるのだから。しかしそなたはいまだ敵でも味方でもない。そうなれば、取り込んでおくのが当然であろう」

「おれは、謀反には手を貸せませんよ」


 正行はゆるゆると首を振る。


「そもそもおれはグレアム王国の人間で、皇国のことはよくわからないし、今日一日で皇帝がどれだけひとびとに慕われているのかわかった。それを敵に回して謀反を起こすほど向こう見ずにはなれません」

「謀反は失敗する、と思うわけだな」

「現時点では」

「もちろん、現時点ではむずかしい。だからそなたを仲間に入れようとしておるのだ。すくなくともそなたの力が加われば、謀反はより成功に近づく。報酬は働きに従っていくらでも与えよう。幸い、この国には財宝のたぐいが溢れるほどある」

「そして、失敗の暁には連座する、というわけですね」


 クラリスはにやりとして、


「死の瞬間までいっしょというのは、すこし気分がいいじゃないか」


 婀娜な笑みにどきりとする正行、それを目聡く見抜いたものかどうか、クラリスは正行にそれとなく身体を寄せ、誘惑するように囁いた。


「褒美は働きに従って与えようが、仲間になると誓うなら、まずひとつ褒美をとらせてもいい。だれにも触れられたことのないこの身体、自分で言うのもなんだが、悪くはないと思うが」

「そ、それは、どど、どういう意味で……?」

「察しのいいそなたならわかっているはずだ」


 クラリスの妖しげな笑みは、もはや気高く清廉な皇女ではなく、妖婦のそれで。

 一方がぐいと身体を寄せれば、もう一方がたたらを踏みながら逃げて蹣跚、手すりまで追い詰められれば、クラリスの青いドレスが正行の姿を覆い隠して。

 もし都合よく使用人が正行を呼ばなければ、そのままどうなっていたか知れぬ。

 正行は大広間で自分を呼ぶ声をきっかけに、クラリスと手すりのあいだからするりと抜け出し、冷や汗を吹きながらクラリスに一礼して、大広間に戻った。


「正行さま、雲井正行さまはいらっしゃいますか」


 と使用人が呼ぶところ、正行が出てゆくと、足音もなく近寄って、


「グレアム王国の兵士の方が、外でお待ちです。至急報告したいことがあると」

「兵士が、報告したいこと?」


 正行は首をかしげながら、使用人に従って大広間の外へ向かった。

 アリスはそれを何気なく眺め、ちらとテラスに目をやれば、クラリスが大広間へ戻ってくるところ、ふたりの女は一瞬視線を交わし、クラリスは裳裾を引きずりながらアリスに近づいた。

 皇国に忠誠を誓う臣下としてアリスがぺこりと頭を下げれば、クラリスはちいさくうなずいて、


「そなたの国の臣下は、よい者が集まっておるな」


 と言えば、アリスは謙遜もせず、ぱっと花開くような笑顔で。


「はい。みな優れたひとばかりでございます」

「うむ――そのなかからひとり、私にくれぬか」

「ご冗談を――グレアム王国は皇国に忠誠を誓った国です。グレアム王国の臣下はそのまま皇国の臣下、われわれ諸国の王は皇国の大切な兵士たちを預かっているにすぎません」


 ほうとクラリスは感心したように目を開いて、アリスはその赤い瞳をまっすぐに見返した。

 クラリスは目を細め、


「二代目のグレアム王も、なるほど、それにふさわしい人間がなったようだ。しばらくは諦めるとするか」


 その言葉の真意を知るのは、クラリス本人のほかは正行ばかり、アリスはゆったりと微笑みながらも首をかしげる。

 一方、大広間を出た正行は、そのまま宮殿の裏へ導かれ、皇国へは連れてきていないはずの兵士がいることに驚きながら、どこかで不吉な予感を覚えていた。

 兵士は正行を見るなり待ちきれぬという様子、その腕をぐっと掴んで、


「正行殿、ただちにセントラム城へお戻りください。アルフォンヌ王子が蜂起し、三千の兵を率いてノウム城へ攻め込んでおります!」


 悲愴な叫びに、正行はさっと血の気が失せるよう。

 なにも知らぬ皇国の華やかな祭りは、まだはじまったばかりである。

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