心の行方 1-2
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アルフォンヌが封じられたのは、ノウム城の南、グレアム王国の目が届くぎりぎりの距離で、あたりは見渡す限りの草原、太陽は低い地平線から上り、小高い丘に沈んでいく、人間よりも動物のほうが多いような場所であった。
一応は、そこに城があるということになっている。
実際は城というにはあまりに粗末、石造りの古城で、いまや城壁は失われ、わずかに生活のための空間が残されているのみの、一般的な農家の母屋よりすこし大きいという程度の建物であった。
城下町のようなものもなく、ただ周囲に点在する無知蒙昧なる農民だけがアルフォンヌ王子の「民」である。
ほかに、城には彼に付き従う臣下が十人ほど、それに身の回りの世話をする女中が同じ数ほどいて、領主としての収入といえば、農民が持ってくる野菜や家畜だけ、それでなんとか食いものに困ることはないが、飼い殺しという言葉がふさわしいような、とても王族としての威厳がある生活ではなかった。
アルフォンヌはそのちいさな城で冬を過ごし、春になり、ひとつ年をとった。
もはやノウム城で暮らしていたころのようにはいかぬと、多少は王子らしい顔つきになり、昼間は庭で身体を鍛え、明るいうちには読書もして、ノウム王国の復興に情熱を燃やし、その炎は周囲の手助けもあって決して絶えることがなかった。
アルフォンヌは輝くばかりの金髪を長く伸ばし、身体はまだほんの子どもだが、大人に囲まれていても萎縮せず、天性の王族としての素質を備えていた。
また、アルフォンヌはよき王でなければならぬという生前の父と兄の言葉を忠実に守り、農民が城へきた際は、ちいさいながらも一国一城の主として接していた。
文字も読めぬ農民から「上がり」を受け取ることを当然と認識し、それ相応の礼と態度でもって接するアルフォンヌは、農民たちからは「ちいさな国王さま」と呼ばれ、ある点では親しまれ、慕われていた。
アルフォンヌを取り巻く人間たちにしても、その態度は同様である。
元ノウム王国の重臣であったものがいまもアルフォンヌの世話をするのは、国王に仕えるのだという感覚より、亡き王の形見を守り抜くという意識のほうが強い。
そのなかから、徐々にアルフォンヌ自身の素質を認め、才を見いだす臣下もちらほらと見えはじめている。
「もともと、亡き国王さまもハンス王子も、アルフォンヌさまのことは認めてらっしゃったからな」
とアルフォンヌのいないとき、ある臣下が言い出せば、ほかもうなずいて、
「とくにハンスさまは、アルフォンヌさまこそ跡継ぎにふさわしいと思っていらっしゃったようだ。ハンスさま自身、血なまぐさいことがお嫌いで、国王には向かぬ器とご自身でもおっしゃっておられたし、ノウム王もそう思っておられたのだろう」
「その点、アルフォンヌさまはノウム王の血を濃く受け継ぎ、好戦的で度胸のあるよい青年に成長されるであろう。王族でも、生まれながらにしてあのように振る舞える方はすくない。あるいは成長なされた暁には、グレアム王国からノウム城を取り返し、再びノウム王国を名乗る日がくるかもしれぬ」
「アルフォンヌさまであれば、それも不可能ではあるまい」
というところで意見の一致を見たが、そこへあとから加わる男、もともとノウム王国の臣下ではないが、ノウム王国がハンスの自刃をもって終焉を迎えたとき、どこからともなく現れたコンドラートと名乗る男は別の意見を持っているらしい。
「アルフォンヌさまが青年になってからというのでは、あまりに遅すぎましょう」
コンドラートはやけに長身の、それでいて痩せ細った、いつも病気のような青白い顔をした男であった。
それが、この男のくせで、話すときは妙に猫背になり、首を突き出すようにしてノウム王国の重臣たちを見回せば、みなどきりとして息を呑む。
「グレアム王国の、国土拡張の速度をごらんなさい。彼らは夏から冬へかけてだけで、もとの何倍もの領地を手に入れております。果たして彼らが現状で満足しているか? まさか、そんなはずはありますまい。彼らに限らず、人間というものは目の前にぶら下げられた餌を無視できぬ生き物にございます。彼らの目の前には、いまも領地拡大、国土拡大の餌がぶら下がっておりますれば、必ずやいつかは手を出すでしょう。さすれば、いまでさえセントラム王国の兵力の大部分を吸収し、六千を超える大軍となり、加えてエゼラブルやオブゼンタルとの同盟も生きておりまするゆえ、やがては大陸でも一、二を争う軍事大国となるにちがいない。そうなっては、もはやそのような国からちいさな領地といえど取り戻すことは不可能と考えるべきでしょう」
場はざわめき、重臣たちは怯えたように視線を交わし、やがてそれがコンドラートに集中すれば、彼はだれにも気づかれぬ闇のなかでにやりと笑みを浮かべ、青白い頬を神経質に引きつらせた。
「で、では、どうするべきだというのだ」
とひとりが問うのに、コンドラートはさらにぐいと首を突き出して、
「そのような体勢が整う前に、奪え返してしまえばよいかと。無論、本当にアルフォンヌ王子をして主と崇め、亡きノウム王国の復古を諸君らが望んでおられるのであればの話ではありますが」
これには重臣たちはかっと頬を赤らめ、
「な、なにを言うか! われわれほどノウム王国の復古を望んでおる者もおらぬというに、いまにしてその決心を疑うとは!」
「いや、申し訳ない。ご無礼をお許しくださいませ」
とコンドラートは深々と頭を上げて、顔を上げれば、目に涙さえ浮かべている。
「私のような古参ではない者にとっては、一国も早く古きよきノウム王国を目の当たりにしたいのです。気持ちが急き、かようなご無礼を、そのつもりがないのはもちろんですが」
「まあ、気持ちはわかるが、しかし口で言うは易いが、いったいいかにして体勢が整う前にノウム王国を取り戻すというのだ。それはただ、ここでわれわれがノウム王国の復古と独立を宣言すればよいという話ではないのだ」
「わかっております。ノウム王国の復古と独立は、ノウム城でもってなされなければなりませぬ。そのためにはまずノウム城を奪還せねばなりませぬが、これは私に案がございます」
「案とな」
「いま現在、グレアム王国の兵力は六千とすこし、その大半がセントラム城に詰めております。セントラム城へ遷都したあと、ノウム城にも兵士が送られて参りましたが、その数は千に見たぬ少数、おまけに秀でた将軍もおらず、これを落とすことは決してむずかしくありません」
「千足らずといえど、わが方は百にも満たぬのだ。友好的な農民に武器を持たせても、戦うこともできぬ兵力にしかならぬが」
「その点もご心配には及びませぬ。わが手に兵力がないなら、よそから借りてくればよいのです」
「よ、よそから借りると?」
これもまた保守的なる重臣たちには考え至らぬことで、互いに目を見合わせるが、そのざわめきが収まるのを待ってコンドラートは、
「ハルシャ、という国をご存じですかな」
と切り出した。
「ハルシャといえば、南端の――例の、皇帝などと称する反乱児がおる国ではないか」
重臣がその名に顔をしかめるのも無理はない、彼らはもとを辿ればクロイツェル王国で生まれ育った人間たち、クロイツェルといえば、だいたい皇国と関わりが深いことで知られている、いわば保守派の人間たちであった。
そこへきてハルシャはといえば、皇帝を名を汚す所行を大陸の南で繰り広げているとうわさされる反逆者、名を呼ぶことさえ穢らわしいと感ずるのも無理はない。
コンドラートはそのような人間たちを前に堂々と、
「ハルシャから、兵を借りることができます」
と言ってのけたものだから、重臣たちは一瞬ぽかんと口を開けたあと、慌ててその口を閉じて、
「な、なんだと。わ、われわれにハルシャと手を組めというのか」
「な、ならぬ! そのようなことは断じてならぬ。天地が逆転しようとも、われらが皇国に仇なすなど!」
「まあ、ここはひとまず、ハルシャが大陸の南でやっているという暴虐には目を瞑りましょう」
コンドラートは諭すように言って、それから剣呑極まる目つきで重臣を脅しつけた。
「ハルシャという国を、ただの倉庫と考えればよいのです。そこからは無限の兵や資金、並びに武器が運び出される。それをわれわれが借り、目的を果たした暁には、その兵を奪い皇国を守ればよいのですよ。ハルシャのような逆賊相手に、なにも恩義や正義を実行することもない」
「し、しかし――」
「ノウム王国のため、幼きアルフォンスさまのため、手段を選べるときでもございますまい」
「ううむ――しかし、なぜハルシャがわが方に兵を貸すか」
「ハルシャは大陸の南を支配しておりますが、以前大陸中央の皇国以北に関しては手がつけられぬ状況です。そこへきて、大陸の北端で急速に力をつけつつあるグレアム王国は、ハルシャにとってもやっかいな国となっておるのです。それに敵対しているわれわれは、敵の敵、味方ではないが、協力するにやぶさかではない関係性でしょう」
「ハルシャからはどれほど兵を借りられるか」
「さて、それは今後の交渉次第ということになりましょうが、三千余りは期待してよいかと」
「三千」
重臣の目にもきらと希望が灯る。
「それだけの兵があれば、ノウム城を取り戻すことも易かろう」
「現状では、そうでしょう。しかし今後、グレアム王国はノウム地方の豊富な食料、あるいはセントラムの漁業や貿易で資金を作り、より強兵に務めるでしょう。ノウム城に三千や四千という兵が振り分けられるようになれば、われわれに勝機はありますまい。それまでに電撃的攻撃でもって叩くのです」
「うむ――それなら、いけるかもしれん。しかしハルシャとの交渉はだれが?」
「よろしければ、私めが。アルフォンヌさまには、余計な期待をかけてそれを裏切るようなことになっては問題がありましょうから、交渉締結まで黙っておいたほうがよいでしょう。ただでさえその幼い身に数々の重荷を背負わされている方、これ以上の苦労を押しつけるわけにはいきますまい」
「うむ、そうだな。では、ハルシャとの交渉は任せたぞ。必ずやよい結果を」
「はい、最善を尽くします」
頭を下げるコンドラートは、うつむいた下でにやりと笑う、その顔つきが妙に爬虫類じみて不気味だが、あたりにいるだれひとりとしてそれには気づかぬままで。
そこへ、朝の鍛錬を終えたアルフォンヌが城へ戻ってきたものだから、臣下たちは妙に裳裾を気にしながら取り繕い、アルフォンヌは不思議そうな顔、青い目を揺らし、首をかしげた。
「どうしたのだ。なにか、妙な雰囲気だが」
「なんてことはありません、大人同士の、まあ、猥談のようなものです」
とコンドラートが言えば、アルフォンヌは薄く目を細め、
「そのような、下世話な話は控えてくれ。ぼくは――いや、わしは、そのような話題は好かん」
「だからこそ、みんな取り繕ったのです。申し訳ございません」
アルフォンヌは幼い身体に似合わぬ、とってつけたような言葉と態度で城の奥へと消えていった。
頭を下げていたコンドラートはそのちいさな身体が充分見えぬ位置まで移動してから、ようやくむくりと長身を起こし、軽く首を傾けて筋肉をほぐしながら城を出る。
今日はいつになく春めいた陽気で、太陽は温かく、風は涼しく心地よい。
コンドラートもその青白い頬を風に当て、陰気な顔つきにもすこしの明るさを見せて、大きく伸びをした。
細い腕を天に伸ばせば、いよいよその身体は長細く、城の二階から見ていたらしいアルフォンヌが頭上から、
「そのままじっとしていれば、鳥が巣作るかもしれんな」
笑い声ばかりは、年相応の幼いもので、コンドラートは頭上を仰ぎ見て苦笑いする。
「鳥が巣作るには、いささか色気がなさすぎる」
「なに、このあたりにはおまえほど高い木もないから、平気であろう。試しに夜までそうしているか」
「ご勘弁ください、これから馬を飛ばして行かなければ。それぞれの国を知るのに、やはり目で見る以上のものはございませぬ」
「うむ、そうかもしれん。頼んだぞ、コンドラート。ノウム王国のために」
「無論でござります」
コンドラートは、姿は見えぬアルフォンヌに頭を下げ、すくと起き上がると馬小屋へ行き、繋いで置いた若い馬に飛び乗る。
ひょろりとしたコンドラートが操る馬は、まるで風のように速く走り、アルフォンヌなどはコンドラートには重さがないせいだと称するほどであった。
その早馬が向かう先は、南の大国ハルシャか、あるいはまた別のどこかか。
不吉な馬の足音は、いまや大陸北部を所狭しと駆け回っている。




