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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
人魚の島
48/122

人魚の島 1-1

  1


 窓の外で暴れまわる吹雪は、まるで悪意のよう、灰色の暴風が城壁を破壊せんと体当たりし、家々の屋根を撫で、城を激しく揺さぶっている。

 雪は降り積もるというより叩きつけられるという雰囲気、窓のほとんどを白い汚れが覆うのをちらと見て、ベンノは冷え冷えとした廊下を進むのに、ローブの首もとをきゅっと締めた。

 時間はちょうど正午すぎ、普段なら熱烈なる太陽が空のまん中で輝いているころだが、ここ数日はその気配すらほとんど感じさせぬ猛吹雪で。

 城のなかも芯から冷え切って、石造りの城壁など触れれば凍傷を起こしかねないほどの冷たさ、部屋は天鵞絨などを布を貼りつけて寒さを防いでいるが、廊下ばかりはそうもいかず。

 等間隔に火が灯るなかをゆけば、あくまで豪奢なセントラム城内である。

 城の正面にあたる大回廊や謁見室の豪華さには目を瞠るばかりだが、城裏手の居住区ともいうべき一角、広さはないが、清潔感のある白い壁紙の下部には淡い色合いで蔦が描かれ、床はつるりとした大理石、壁際につけられた燭台は覗き込む人間の顔を映すほどに磨き抜かれた銀でできている。

 しかしそれでもきんと冷えた空気には敵わないらしい、城内にはどこか怯えたような雰囲気があり、どうしたものか、すれ違う兵士や女中の顔色も冴えぬ。

 北国の冬は得てしてこのようなもので。

 とくに、いつ止むとも知れぬ吹雪となれば、食料や燃料の心配はないが、日に一度は太陽を拝まなければやる気も出ぬというもの、いつ昼があっていつ夜がきて、いつの間に明けたのかわからぬふうではめりはりもない。

 ベンノは、なにか城内を活気づけるような対策をとらねばとぼんやり考え、禿頭のなかで脳髄がぐるぐると蠢くが、その老いた顔ですら覇気とはほど遠く、これでは致し方ないという色。

 進む廊下の左右には、ずらりと並んだ扉たち、女中たちの部屋だが、進んでゆけばその数も減って、行き着くはどこやら、城の最深部、海を望む一室で。

 突き当たりの扉の前には、兵士がひとり、能面のような顔つきですっと立ちすくんでいる。

 ベンノが近づくと、はっとわれに返ったように白い頬を引きつらせ、敬礼ひとつ、ベンノもうなずいて、


「面会をしたいのだが、よいかの」

「はっ、どうぞ」


 兵士は無造作に扉を開け放った。

 本来であれば日当たりのよい東向きの窓を持つ一室だが、やはり今日は薄暗く、代わりというわけでもないだろうが、ほんのりと暖かい。

 扉が開いた瞬間、室内にいた男は窓辺に立っていて、吹雪の様子を見ていたらしい、驚いたようにはっと振り返り、臆病な眼球がぎょろり、ベンノを見て、安堵したような、別の感情のような、ともかく口元がぎこちなく引きつった、どうやら笑みのようで。

 ベンノは室内に入り、兵士が扉を閉めて、寝床とちいさな書き物机があるだけの室内、男は窓辺に片手を添えたまま、


「久しいな、大学者ベンノよ」


 たるんだ喉を震わせて言えば、ベンノはちいさくうなずいて、


「こんなところに幽閉してすまぬな、セントラム王」

「もはや、おれは王ではない、知らなかったのか?」


 冗談のような囁きに、セントラムは自分で笑い、寝床にどんと腰を下ろした。

 ベンノは書き物机の椅子をぎいと引き、ローブの裾を払いながら座って、じっとセントラムを見つめる。


「すこし痩せたか」

「前が太りすぎだったのだ。心配するな、ベンノ。食事もきちんと振る舞われている。無礼な応対は受けていない」

「ふむ――なら、よいが」


 とうなずくベンノの瞳、深い色が重なり合うように潜んで、そこには悲しみの灰色もちらと見える。

 セントラムは、なにがおかしいのか、ひとりでにたにたと笑って、


「前にあったのは、三十年ほど前か。変わらぬようだな、ベンノ」

「おまえさんはずいぶんと変わったの、セントラム」

「そうか」

「うむ――クロイツェル革命のころは、グレアム、ノウムのなかにあっても決して見劣りする男ではなかった。頭脳は三人のだれよりも優れ、判断力もあり、臆病だったが、よい男だったのだが」

「いまはただの醜く太った中年男か」


 やはりセントラムは笑って、どうやらこの男は、あらゆる感情を笑みでしか表現できないらしかった。

 引きつった口元に、ベンノはちいさく頭を振って、


「気ままに生きるわしと、王としての重圧を背負うおまえさんとでは、同じ時間でも感じるものが違おう。わしが大して変わらんのに対しておまえさんが大きく変わったのは、世の必然よ」

「しかし、結局のところ、三人のなかでおれがいちばんうまくやったと思わぬか、ベンノ」


 セントラムはぐいと身を乗り出して、内緒話でもするふうで。


「三十年前の革命で、おれはこの城をとった。計画を主導したのはグレアム、戦闘面ではノウムが活躍したが、最初に城へ辿り着き、この王座へ座ったのはおれだった。それから三十年、おれは王座に座り続けたのだ。やがてノウムがその性格に起因する戦争で死に、グレアムは病で死んだ。やはり最後まで生き残ったのはおれだったのだ、ベンノ。どうだ、いちばん卑怯で臆病なおれだけが生き残るとは。世の中はなんと不平等であろうか。おれより才を持つものはいくらでもいようし、おれより剛胆であり、おれより決断力に優れ、おれよりよい体格の男など数えきれぬ。グレアムも、ノウムもそうであった。しかし最後に生き残ったのはこのおれなのだ。ベンノよ、大学者ベンノ、このことを、おまえはどう思う?」


 ベンノはうなだれ、足の上で両手を組み合わせながら、


「ひとの生き死にとは、理屈ではない。運命などというものはないのだ、セントラム。どれほど優れた人間であろうと、何事もなさぬうちに死にゆくこともあろう。泥を食い生きるようなものがだれよりも長く歴史を見ることもあろう。それは単に、風が吹くか否かという問題よ。いつどのような風が吹くのかは、だれにもわからん」

「グレアムのような英雄でさえ、名もなき病に死ぬのだからな。その点、ノウムはよかったのかもしれぬ。あいつは、戦争が好きだったのだ。戦争のなかで死ぬことを至高としていた。おまえの指示した籠城戦を聞いたぞ、ベンノ。ノウムは最後まで降伏しなかったようだな。ノウムが粘ったせいで、多くの民衆と臣下が巻き添えを食らった。おまけに、最後には敵兵ではなく、息子に殺されるのだ。おれなら包囲された時点で降伏しているだろう」

「しかし、それは臆病ではあるまい。臆病というなら、ノウムのほうが臆病だったのかもしれん。あいつは最後まで王であることにこだわり、王たるものとしての死を望んだのだ。王以外の何者かになることを恐れ、臆病のために失策をしたのかもしれん。しかしそれも王としてのあり方であろう」

「ベンノよ、それはちがうぞ」


 セントラムは粘つくような笑みで、丸々と太った腹を窮屈そうに撫でながら、存外に細い足首を振る。


「あいつは、はじめから敗戦国の王として死ぬ自らの姿を想像していた。クロイツェル革命を実行する前夜、おれたち三人は最後の宴として酒を飲んだのだ。そのとき、ノウムが言っておった。死ぬときはなんと言って死ぬか、という話題でな、まだおれたちがほんの若造だったころだ」


 懐かしむようなセントラムの目に、ありありと浮かぶ古き日の情景、薄茶色がかった映像だが、その声だけはいまも耳朶に残るよう。


「おれはもう決まっている」


 と若きノウム、血気盛んな頬を酒で赤らめて、自信ありげににやりと笑えば、この恐ろしい夜にあってもいつもの青年の顔で。


「おそらくおれは戦って死ぬだろう。降伏するか、討ち死にするかわからんが、ともかくどこかの戦場で、おそらく大将となって戦っているはずだ」

「ずいぶんな自信だな」


 茶化すようにグレアムが言って、これは若いうちからどことなく陰があるような、一種独特の魅力を持った男であった。


「一兵卒でも、気分は大将よ」


 ノウムは大口を開けて笑い、それからふと野心に富んだ目つきで同席するふたりを見回して、


「おれは死ぬ間際、おれの首を落とす大手柄に、こうやってやるのさ。しくじるなよ、ってな」

「おまえらしいといえば、らしいが――言われたほうは堪ったものじゃないだろう。しくじるなよ、とは」

「だからこそ言ってやるのさ。おれの首を落とすほどのやつだ、敵ながら天晴れと褒めてやりたいが、いかんせんおれの命を絶つ者でもある。一言くらい毒づいてやる。おまえは、どうだ、グレアム」

「おれか」


 グレアムは杯をちらと傾け、口元には珍しく薄い笑みを浮かべている。


「おれは、そうだな、もし妻よりも先に死ぬのなら、その不義を詫びるか」

「ふん、つまらんやつめ。それで、もしおまえのほうがあとに死ぬなら?」

「ひとりあちら側で待たせた罪を詫びるだろう」

「どちらにせよ詫びながら死ぬのか。まあ、それも薄暗いおまえらしいが」


 ふたりの視線が自然とセントラムへ向かえば、セントラムは杯を傾けるふりをしてそれらの視線から逃れながら、


「おれは、とくには決めていない」


 と答えた。

 ノウムもゆったりと酒を身体に流し込み、喉の奥でぐっと鳴って、


「いまから決めておかねえと、明日には全員首を落とすかもしれねえぜ。そのときまで右顧左眄では男の沽券に関わる」

「しかし、思いつかないんだ。自分が死ぬ様子は想像できない。死がいつかやってくる、それも明日か明後日にはやってくるかもしれんと、理屈ではわかっても、実感としてはわからん」

「ふん、まあ、そんなもんか。ともかく、今夜は最後の宴になるかもしれん。飲もう」

「飲みすぎて、明日に差し支えなければよいが」

「この緊張にあって、それほど酔えるかよ。樽ひとつ飲んだところで酔えやしねえさ」


 ノウムの言うとおり、その晩は三人で樽ひとつを開けたが、いつになれば酔いつぶれるかと待つうちに清々しい朝で、まるで宴が夢であったかのように寒々とした気分、革命の夜明けへと出ていく三人なのだ。

 セントラムは、なぜだか半地下になった薄暗い部屋を未だに覚えていて、室内にある何段かの階段を上がって外へ出るが、開け放った扉からまっ白い光がさっと差し込み、そこへ向かって出ていくグレアムとノウムの背中、逆光でほとんど影になった後ろ姿は、一枚の絵画のように記憶されている。


「おれはあのふたりが嫌いだったのだ」


 セントラムがぽつりと言うのに、ベンノは答えず、ただうつむいて。


「おれの持ち得ないものを持っているあのふたりが嫌いだったのだ。だから、あいつらを出し抜いてこの城を手に入れたときはしてやったりという気分、それから三十年間、いつあいつらがおれの国を攻めてくるか、おれを裏切り者と罵るか、恐怖に怯えていた。そのうちにどうやら頭も鈍ったらしい。いまではどうも、頭にかかった靄が晴れん。おれは人間的に欠陥があるのだ。よくも悪くも、グレアムとノウムは他人を信じていた。とくにグレアムはそうだろうが、臣下や兵士を心から信頼していたにちがいない。それだけの信頼を寄せられれば、臣下や兵士も応えぬわけにはいくまい――それもわかっているが、おれはどうしても臣下を信じられなかった。まあ、所詮おれなど僭主、臣下も兵士もおれのことを主として崇めてはいない。王というのはな、ベンノ、いつ裏切られるか、どいつが裏切るのかと、いつも戦々恐々としているものだ。しかしグレアムやノウムはちがうのだろうな。あいつらは、やはり王として生まれたのだ。王になる素質があり、周囲に認められ、王となった。おれはその素質もなしに無理やり王となった偽物だ」

「王の素質など存在せんよ」


 ベンノはフードをとり、禿頭をずると撫でた。


「王になる者というものは、ただ偶然にそうなっただけ、ふさわしい者もなかにはあるだろうが、そうでない者がほとんどよ」

「しかしベンノ、おまえはグレアムが王にふさわしいと思ったのだろう。だからおれたち三人のなかで、グレアムについた。ちがうか?」


 臆病そうな瞳に、いつしか理知的な光が灯り、冗談めかして言えば、ベンノも乾いた声で笑って、


「そうかもしれん。しかしそのグレアムも死に、ノウムもいない。たしかにおまえさんの言うとおり、最後まで生き残ったのはおまえさんひとりだ」

「だが、意思は受け継がれる。グレアムには娘がいて、ノウムには息子がふたりいた。そのうちひとりは死んだが、幼いほうはまだ生きているのだろう。おれには娘も息子もおらぬ。他人がどうにも恐ろしく、とてもそんな気にはなれぬのだ。どうだ、ベンノ、おまえから見てグレアムの娘は? また王としてふさわしい人間か」

「いや――正直なところ、まだわからん。グレアム王は、希有な人間であった。その場にいるだけで周囲を惹きつけるような魅力があり、特別頭脳が冴えるというわけではなかったが、他人を従わせる才と、他人を信頼して任せられる度量の大きさがあった。王の素質というなら、それが最たるものであろう。しかしアリスさまは――悪いひとではないが、グレアム王と比べるなら、いくらか劣るというのが事実であろうな。まだ未熟ということもある。グレアム王でさえ、国を作ったのは三十をすぎてから、アリスさまはまだほんの十七」

「しかし、おまえは見限らず、その娘を支えてやろうと思うのだろう」


 セントラムはあごを引き、かすかにうなずいた。


「その支えてやろうという気持ちが王の素質といえぬこともあるまい」

「うむ――そうかもしれん。しかし、王というのは象徴なのだ。頭脳であり、肉体であり、精神である必要はない。国そのものであればよい、町そのものであればよい。たとえば、城下町を見てみよ。たったひとりで魚を捕り、野菜を作り、肉を作り、着るもの、使うもの、家、町を作る者などおらん。それらを担当する個が集まり、町なのだ。国も、王もそうであるべきであろう。王とはすなわち容れ物であり、そのなかに戦術に長けたもの、内政に長けたもの、外交に長けたものが集まる。それらを信頼し、用いることができる度量の広さが王の必要条件であろうが、アリスさまは、まだそれには足りぬ。すべて自分でやろうという気概があるうちは、真の王として信頼を得ることはむずかしい」


 セントラムは年老いた学者をじっと見つめ、ふと笑えば、それはいままで見せたことがないような自然な笑みで、


「もしおまえがグレアムでなくおれのもとについていたら、なにもかも変わっていたのかもしれぬ。まあ、三十年も前のことを言っても仕方あるまいが」

「過ぎたことだ、すべて。いまはただ、若い世代が新しい世界を作ろうとしておる。わしもその協力はするつもりだが、表舞台からは引くつもりでおるのよ」

「ほう。大学者ベンノもさすがに引退か」

「まだまだ知らぬことも多い。表舞台から身を引いて、再び勉学に励もうと思っての」

「ふん、その勤勉さが不気味だが――しかし国の重鎮として、いまおまえが抜けるのは決して得策ではなかろう。その穴はどうするのだ」

「雲井正行、という若者がおる」


 今度はベンノがにやりと笑う。

 老獪なる戦術家が見せる深遠な笑みに、セントラムは持ち前の鋭さで理解して、いっしょになって笑った。


「そいつを隠れ蓑に、自分は引っ込むつもりか」

「なに、悪意あってのことではない。正行殿が優れた戦術家の素質を持つのは事実よ。ただ、戦というのは心理が大きく影響する。雲井正行という名が大陸中に轟けば、敵対する軍は必ず緊張し、冷静さを欠こう。それもひとつの戦術、戦略よ」

「そしておまえはその影で、さらに知識を詰み、いったいなにになろうとしておるのだ。全知全能の神、いや、悪魔にでもなるつもりか、ベンノ」

「さて、どうかの」


 ベンノは含みを持ったまま、窓の外へちらと目をやった。

 変わらず荒れ狂うのは猛吹雪、窓の外に白い布でもぶら下げたように視界はなく、逃れる視線も追い詰められて、背後に迫るはセントラムの回復した鋭敏な知性で。


「まあ、悪魔といえば、そうかもしれん。わしはの、セントラム、おまえさんより何倍も醜く、何倍も愚かなのだ。神ならぬ身にあって、知らずにいることががまんのしようもない苦痛なのだよ。わしはあらゆることを知り、あらゆるものを操りたい。たとえばこの吹雪さえ、必要とあらばわしの指示ひとつで消し去れるような、まさに全知全能でありたいと願うのだ」

「なんのため、というのは愚問であろうな」

「うむ――目的などない。全知全能を得てしまえば、あとは死ぬだけ、なにをすることもない。ただ得たいのだ。あらゆる知識を、あらゆる能力を」

「なるほど……大学者ベンノを支えるのは、なによりも純粋で醜い欲求か」

「しかし全知全能にはほど遠い。老いぼれのわしなど、いつ死ぬともわからん。だからこそ死が訪れるその瞬間まで、学び続けたいのだ。それには、表舞台は明るすぎる」

「雲井正行という若者の影で自分の欲求を満たすか。ではその若者がどのように振る舞うか、見物だな」

「異邦人ゆえ、こちらの人間とは考え方がちがうのかもしれんが、まあよい男だ。いまのところはの」


 ベンノは木造のちいさな椅子のなか、背もたれにぐっと寄りかかり、伸びでもするように目を細めて、ローブの裾から生白い足首がちらと覗く。

 それからセントラムに向き直れば、まさか雑談をしにきたわけでもあるまいに、ようやく本題へ入るようで、表情を引き締めた。

 セントラムのほうでもそれに気づき、ちいさく鼻を鳴らして、


「おれの処遇か」

「うむ」


 ベンノはしっかりうなずきを返し、


「この冬が明けるころ、東にちいさな領地を設けて、そこに封ずることに決まった」

「それでよい。不満はない」

「しばらくは監視もあろうが、反乱の心なしとわかれば自由にもなろう」

「反乱の心など、あるものか」


 セントラムは嘲笑なのである。


「もう、自分の臆病をいやというほど味わった。おれに王は向かん。畑でも耕し、細々と暮らすさ。いまさらグレアムの娘を困らせようとは思わぬ」

「そうか――それならよいのだが」


 うむとうなずき、ベンノが窓の外に三度目をやれば、セントラムもそれに従って、ふたりして窓枠で切り取られた猛吹雪を見るに、時間がするすると滑るように過ぎ去っていく。


「ここの冬は、毎年このような気候であったかの」


 ベンノが三十数年前を思い出すように呟けば、セントラムはうなずいて、


「毎年、猛吹雪が二、三度はある。しかしこれが明ければうそのように晴れ渡るのだ。それを繰り返し、やがて草花が芽吹いて春になる。強固なものだ、自然というのは」

「そこで生きる人間もまた強固であろう」


 ベンノは椅子を引き、その脚が床にぎぎと音を立てる。

 扉のほうへ歩いてゆけば、セントラムが名残惜しげに見つめて、ふと話題を思いついたよう、


「ベンノよ」


 と声をかければ、ベンノは扉を半分ほど開けたところで振り返り、手を扉に添えて、


「なにかの」

「もうふたつ、聞きたいことがあるのだが、よいか」

「ふむ」


 再び扉を閉め、ベンノはセントラムに向き直って。


「まずひとつ目だが、この国は、変わらずグレアム王国と称するのか。それともかつてのクロイツェル王国を復古させるのか」

「たしかに、領地こそ以前のクロイツェル王国と同様だが、中身はすっかりちがっておる。頂点に立つアリスさまを含み、もはやこの国に生きる若者はクロイツェルを知らぬ世代、いまさら名前だけ戻したところでどうなろう。やはりグレアム王国と称するのがよかろう」

「そうか――では、もうひとつ。ノウム王国を滅ぼしたのは、かかった火の粉を払うという大義名分もあろうが、おれの国を、セントラム王国を攻め落としたのは、まさに侵略、目的はなんだ。背後の憂いを絶つといって、正面なくして背後もない。これからセントラム城を拠点に、大陸の中央へ打って出るつもりか。皇帝陛下に反旗を翻すつもりでもあるまいが」

「侵略か。たしかにそうかもしれんな」


 ベンノは、敗戦国の王を目の当たりにして、すこし目を伏せた。


「あの時期にセントラム王国を攻めた理由はいくつかある。もっとも大きい理由は、グレアム王の命が限りあるものであったということ。ご自身でもとても春まで保たぬとご理解しておったし、わしらもそう思っておった。その前にセントラム王国を攻めねばと考えたのは、グレアム王亡きあと、その混乱のさなかに攻め込まれては到底敵わぬと踏んだせい」

「しかしそれなら、和平という手もあったろう。その使者さえ送らず、攻め込んでくるとはあまりに性急よ」


 セントラムはベンノが苦悩するのを楽しむよう、口元に意地悪な笑みを浮かべてやめない。


「和平の手段に出ぬのは、やはりそれで時間を引き延ばされ、冬まで達すると考えたのだ。向こうもこちらの状況は伝わっておろうし、それならあの手この手で時間を伸ばしてグレアム王の死去を待つはず、交渉途中で無理に宣戦布告するわけにもいかん。それに、和平に動いた時点でそちらに戦意ありと悟られるであろう。ただでさえ大きな差のある兵力を、さらに強化されれば一握りの勝機も失われてしまう。勝つつもりなら、あの時点で動くしかなかった」

「なるほど、道理だ」


 とセントラムはうなずきながらも、


「しかし、グレアムが死んだあと、おれがその領地に攻め込むと考えたのはなぜだ。やはりグレアムも、おれのことを疑っていたというわけか」

「おまえさんだから疑っておったというわけでもない。自分ならそうするであろうと考えたまでのこと。それもまた、王の条件かもしれんな。他人を信頼しながら、楽観主義に陥らぬという平衡感覚は」


 ベンノはちらとセントラムを見た。

 セントラムは目を伏せ、首を振って、


「聞きたいことはそれだけだ。引き止めてすまぬな」


 と低く言った。

 ベンノは口のなかでもごもごと答えたが、声にならぬうち、扉を開けて、寒い廊下へと出ていく。

 ばたんと閉まる扉、セントラムは寝台の上からじっと見つめ、なにを思うのであろうか、そのまま硝子窓に目をやって、いつまでも降り止まぬ豪雪に、ふと独りごちれば、


「城下町は無事であるか」


 ふと自らがすでにそのような心配をする立場ではないのだと思い出し、けらけらと笑うセントラム、寂しげに笑いを止めれば、にわかに雪風も止んできたようで。

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