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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
古き日の後始末
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古き日の後始末 7

  7


 アリスの戴冠式は、同盟軍によるセントラム城占領から二ヶ月近く経ったころ、年も変わって、降り続く雪にようやく嫌気が差してきた時期に行われた。

 事前の告知で、深く積もった雪のなか、城下町はもちろん、周囲のちいさな村や町、その代表者がセントラム城に集結し、広々とした城はにわかに窮屈ささえ覚えるほどの人混みとなっている。

 城門の外には、城下町にすら入らなかった馬車がずらりと並び、城下町では雪の白には負けぬとばかり、赤や青、黄色や緑に着飾った男女が入り乱れ、この日ばかりは市場も畳んで、代わりに商売根性たくましく、セントラム城の土産物と称して海にちなんだ工芸品を売っている。

 大通りには、リボンの飾りがついた女物の帽子がいくつも、男は縁の広い紺の帽子で、子どもだけが髪を晒し、しかし普段は着ないような上質な布地のおめかしで、親の手を引かれる顔ばかりはいつもと変わらぬ無邪気さ。

 戴冠式までさほど時間がないとあって、人の波は城下町からセントラム城内へと続き、それが行列のようになって、いつまで待っても進まないのに怒り出すひともちらほら、大通り沿いに店を構える酒場の主人など、昼間から売り物の酒をぐいとやりながら、


「これだけ並んで、ご苦労なこった。まるでお祭り騒ぎじゃねえか。グレアム王の追悼も兼ねてるってのによ、まったく」


 と呂律の回らぬ舌で呟きながら、目は城へ向けられ、赤ら顔にも興味は隠せぬ色。

 こんな日にも、北の大地には雪がちらつき、着飾ったその肩にひょいと降りては水に変わる。

 それにも気づかぬひとの熱気でごった返す大通り、さすがに今日ばかりは野良猫も近寄らぬ。

 一方、城内でもやはり騒ぎは変わらず、謁見室のなか、その壁沿いはすでに有力な参列者がずらりと揃って、赤絨毯の伸びる扉、そして王座にアリスが現れるのをいまや遅しと待っている。

 城門から謁見室までの、はるか天へ伸びるような廊下にさえ人が溢れ、ぎっしりと詰まって、上から見下ろせば黒いものがすき間なく集ってゆったり蠢いている様子で、判別できぬいくつもの声が高い天井へ反響している。

 それを、脇の狭い廊下へ続く扉の影、ちらと覗く影があって、


「す、すごいひとの数です、アリスさま」


 クレアは首を引っ込め、まるで自分のことのようにぶるると震える。

 後ろに控えるアリス、足首まで覆うドレスに王家の紋章が入った外套を羽織り、すっと目を伏せていたが、心づもりが決まったように白い額を上げると、あたりがきらと輝くような美しさで。

 そのさらに後ろでは、いつもより派手なローブを着たベンノ、まるで身体の具合でも悪いのかと思うような顔色で、となりに立つ正行はその背中を叩きながら、


「大丈夫だって、じいさん。主役はアリスなんだから、だれもじいさんのことなんか見てないって。緊張したって無駄だろ?」

「そ、それはそうかもしれんが、どうもこういうのは苦手での」

「だめだなあ、じいさんは」

「お主、他人事だと思って……」

「おれなら余裕だね」

「なら代わるか? それでもよいのだが」

「い、いや、それはやっぱりほら、大陸中に名前を轟かせてるじいさんじゃないと!」

「むう……」


 ベンノは恨めしい顔で正行をにらみ、それをちらと振り返るアリス、すこし気が抜けたように笑って、


「時間までもうすこしありますから、気楽になさってくださいね、ベンノさま」

「これでも気楽にやっておるつもりなのですが」


 とベンノ、ぱっとフードを払って禿頭を撫でて、またフードをかぶり直してはすぐ払い、ということを繰り返す。

 これはだめだ、と正行、からかうのをやめて、すこしでも緊張をほぐしてやるように話題を変える。


「じいさん、昨日言ってた話だけど――」

「ああ、宝のことか」


 話題が目前に迫った戴冠式から逸れ、その大役から意識が外れたらしいベンノ、ようやく安堵したように息をついて、


「今朝、すこし早く目が覚めたので調べてみたのだが、どうやら想像どおり、おまえさんがエゼラブルからもらってきた水晶は、やはり八重の宝のひとつらしいの」

「昨日も聞いたけど、その、八重の宝ってなんだよ」

「古文書に残る、大陸を統一した伝説の英雄に由来する九つの宝よ。なにせ古い話、いまでは知る人間もほとんどおらんが、古い書物には時折顔を出す伝説の宝なのだ」

「あの水晶が、そのひとつ?」

「うむ」


 とベンノはうなずいて、アリスを、その白い胸元に輝く貴石を見るに、アリスははっと手で胸元を隠し、正行はベンノを責めるような目で、


「エロじじい」

「ち、ちがうわいっ。エゼラブルの水晶同様、おそらくアリスさまの貴石も八重の宝のひとつらしいのだ。まあ、名札があるわけでもなし、由来と古文書に残された形状を照らし合わせて推測するしかないがの」

「へえ、アリスの首飾りも」


 正行がまじまじと胸元を覗き込めば、アリスはさすがに照れたようにぽっと頬を染め、背を向ける。

 それではっと気づいた正行、慌てて弁解するも、それを遮るようにアリス、


「この首飾りはお母さまから譲り受けたものなんです。それが、宝なのですか?」

「まあ、推測ですが。そもそもアリスさまの母上、すなわちグレアム王の后はクロイツェルにおけるもっとも古い一族の末裔でしたからな。代々受け継がれたものとあれば、その可能性はあります。エゼラブルにしても同じこと、正行殿の言う異常に巨大な植物というのも、宝の効果と考えればおかしくはない。ほかにもうひとつ、かつてのクロイツェルには宝のひとつと思われる指輪があったはずなのですが、今回どうもそれが見当たらず、もしやセントラム時代にどこかへ売却されたか、失われてしまったのかもしれませぬ」

「あ、あの……」


 と嘴を挟んだのは、アリスの前に立つクレアで。

 自分で呼びかけておきながら、視線が集中するとびくりと身体を震わせて、しかしおずおず、差し出した左手の中指に、装飾もなにもない金色の指輪がきらり。


「おおっ、それは」


 とベンノが声を上げ、クレアの手をとってまじまじと観察するに、


「うむ、たしかに数十年前に見た指輪だの。しかし、なぜおまえさんが?」

「そ、それが、その」

「あら、その指輪なら、わたしがクレアに贈ったのです」


 アリス、頬にひたと手をやって、


「いつも付き添ってくれるクレアにはなにもあげられないから、こちらへきてから、高価そうでないこの指輪ならと」

「ははあ、そうでしたか」

「あ、あの、そそ、そんな指輪なら、お、お返しを」

「いや、なに、八重の宝といってもいまでは覚えておるものもおらんような古い話よ。アリスさまが許し、おまえさんが気に入ったなら、素直に受け取るがよかろう。ここに他国からほいほいと持ち帰った男もおることだし」

「事実だけど、その言い方、なんか引っかかるなあ」


 正行もクレアの白い指先で光る控えめな指輪を見て、こくんとうなずきひとつ、


「たしかに、よく似合ってるな。そのままもらっとけばいいんじゃないか?」

「そ、そうでしょうか……」


 クレアはぽっと頬を染め、アリスを見て、アリスも笑いながらうなずいている。


「あなたは本当によく働いてくれているもの。そのまま持っていて」

「じゃ、じゃあ、はい――あの、大切にしますっ」


 自らの指をきゅっと握りしめてクレア、決意を込めて言うところに、兵士が無骨な足音を鳴らして近づいて、


「アリスさま、ベンノさま、そろそろ」

「むっ、時間か」


 とベンノ、兵士から戴冠式用の過剰に装飾があしらわれた冠を受け取り、深呼吸ひとつ。

 クレアがふたりに目くばせして、扉を大きく開けると、人々が詰めかける廊下からぴたりとざわめきが止んだ。

 ただ数えきれぬほどの視線、黒い目に碧い目、灰色の目に幼い目が見つめるなか、アリスはあごを引き、胸を張って、泳ぐ裳裾にも威厳が満ちる。

 続くベンノは、多少緊張が見える足取り、前を向いているが、それはあたりを見回す余裕がないせいで。

 らしくなく緊張しているベンノに、見送る正行はくすくすと笑うが、極端にいえば、立ち並ぶ数百、数千の客はだれひとりとしてベンノを見てはいなかった。

 だれもが白いドレスに王族の証を纏ったアリスの姿に見入って、洩れるものは深いため息、囁き合う言葉もなくして、ただただ目の前をすぎるアリスを見つめ、去っていく背中にいつまでも視線を奪われている。

 アリスは謁見室の前まで歩き、くるりと方向を変えて、ゆっくり謁見室へと入っていった。

 ベンノが続き、その部屋のまん中、辿り着くころには、そっとあとを追う正行とクレアも謁見室の扉の影からその様子を見守る。

 それ以外、近隣の有力者が謁見室に詰めかけて、単に見とれるような顔から品定めするような視線まで、ベンノでなくても緊張するような、きんと張り詰めた空気で。

 ベンノとアリス、赤絨毯のまん中あたりで立ち位置を変え、向かい合って、ベンノの咳払いが謁見室に響いた。


「えー、本日をもって、汝をグレアム王国の国王に任命する」


 しわがれてはいるが、堂々たる宣言、アリスは優雅に頭を下げて、


「謹んでお受けいたします」


 そのちいさな頭に、ベンノがそっと冠を載せた。

 アリスは頭に載せた冠をほとんど揺らさず顔を上げると、ゆっくり謁見室に集まった一同を見回した。

 その視線、長いまつげの奥からじっとひとりひとりを見つめるようなのが、得も言われぬ魅力と力強さがあって、間違いなく一種の威厳というものを含んでいた。

 ぐるりと謁見室を回る視線が、扉の陰に隠れたクレアと正行に行き着くと、クレアは胸を貫かれたようにきゅっと押さえ、薄く開いた唇からちいさく息を吐いた。

 正行は王としてのアリスをじっと見返し、豪奢な冠をつけてはいてもいつものアリスであると考えて、なんとしてもアリスを支えてやらねばと考えていた。

 正義や悪という概念から離れて、たとえアリスがどのような立場になっても、世界中と敵対することになろうとも自分ひとりだけは味方でいてやらねばならぬと、心の底から決心したのである。

 アリスは謁見室を見回したあと、ゆっくりした足取りで絨毯を進み、アリスの身体には大きすぎる王座、モケットの肘掛けに指先で触れて、謁見室を振り返りながら腰を下ろした。

 いかにも王らしい黒く力強い瞳、父親譲りなのをちらと動かせば、だれからともなく拍手が起こって、やがて謁見室は耳を劈くような大音響、それが廊下へ、あるいは城門の外へ詰めかけている市民へと伝播し、セントラム城全体がアリスを讃える音を響かせたのだった。

 歴史書には、その場面はこう記される。

 ――セントラム城にて、グレアム王アリスの戴冠式。夜半より降り続く雪止まず、しかし戴冠の瞬間にはぴたりと止まって、多くの国民、臣下が国王アリスの誕生を祝した。



  *



 大の男がすっぽりとくるまれるような、巨大な地図である。

 大陸全体を表した詳細な地図であり、東側には峻峭な山々の折り重なるさま、西側には広大な野原、中央には皇国に、北にはいくつかの山と国を表す青色がぽつりぽつり。

 しかし地図の下方、大陸の南は、ほとんどの範囲が赤く塗り潰されている。

 それを無感動に見下ろす男、地図をするすると撫でながら、厚い唇で呟くのは、


「このあたりはだいたい獲ったか。西へ転じて、小うるさい賊どもを一掃するもよし、東へ進んで鬱陶しい山々を均してしまうもよし。中央はもうしばらく残しておいてやるが、さて」


 はなはだ剣呑、自ら皇帝を名乗る男は、自国の領土を示す赤色が日々拡大し続けても、まったく感じ入った様子がない。

 そこへ、定時の報告、五名の兵士が入ってきて、それぞれに跪き、自らの担当する地域の情報を事細かに、そしてよどみなくしゃべる。

 皇帝は、一見それを聞き流すふう、地図に目を落としたままだが、ふと、


「おい」


 と顔を上げ、兵士をびくりと怯えさせて、


「いまのところ、もう一度繰り返せ」

「はっ、いまのところとおっしゃいますと」

「北の、グレアム王国の報告だ」

「はあ――グレアム王国は、先の戦闘で勝利したセントラム王国を解体、城を占領し、前グレアム王死去に伴い、跡継ぎのアリス王女が戴冠式を行ったとのことであります」

「つまり、こうだな」


 皇帝はにやりと笑うと、傍らのインク壺、青いものを頭上にかかげ、地図に向かって叩きつけた。

 がしゃんと激しく鳴るのに兵士たちは打ち震え、皇帝ひとりだけが口元を歪ませて、北の大地が真っ青に染まりゆくのを見る。


「領地としては、まだおれのほうが上だな」


 まるで贈り物を受け取った子どものよう、皇帝は目尻をぐっと下げ、


「しかしこの大陸において、三番手まで上ってきた――あの小国グレアムが、わずか半年で。はっはっは、愉快愉快、これでこそ戦争、これでこそ侵略よ。まったく、近ごろはおれに刃向かうやつもいなくなって退屈していたところだ。グレアムは旧クロイツェル領を丸々収めたわけだが、やつらにこの先国盗りの意思があるかどうか。まあ、なんにせよ、なるようになるか」


 皇帝はさっと地図から顔を上げ、五人の兵士を見下ろし、言った。


「おれは東へゆく。まず、大陸でおれより大きな国を持つやつを叩きのめす。こいつは多少骨があるはずだ。グレアムは、それが済んでからゆっくり当たろう。楽しみは最後にとっておかねばな、はっはっは」


 狂気の色がちらつく笑声、五人の兵士は剛胆極まる皇帝の態度に顔を見合わせ、しかし逆らうわけにはいかぬと、深々頭を下げた。



   了

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