古き日の後始末 6-2
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グレアム王死去のうわさは、ノウム城よりむしろセントラム城で驚きをもって囁かれた。
ノウム城にはかつてのノウム国民が多いが、セントラム城に暮らすある程度より年長の者は、みな暴君を打ち倒した英雄としてグレアム王を尊敬している。
それが、ノウム城からセントラム城へ向かう途中に死去したとあって、騒がしかった城下町は自主的に喪に服し、商店の窓辺には手向けの花が飾られ、騒がしかった城もまたひっそりと静まり返った。
それでも忙しくしていたのは、ノウム城から続々と到着しはじめた文官たちである。
とくにそれらをまとめるためにアリスとともにやってきたベンノは、城へ入ってすぐ、その経済状況や報酬などの仕事に忙殺されて、禿頭に汗を浮かべながらも精力的に役割をこなしている。
一方、ベンノやほかの文官がくるまでの繋ぎとして仕事をしていた正行は、すこし身体が自由になって、浅い夜、いまだ降り止まぬ雪がちらつくのを眺めながら、城のなかをあてもなくふらふら彷徨っていた。
初雪にして、多分に水を含んだずっしりと重い雪に変わり、どうやらこのまま積雪する気配、正行は深々たる夜によく生える雪の粒が、掲げられた松明に飛び込んで消えてゆくのを見て、密かに嘆息、その息も白々。
中庭に面したちいさな回廊を出ると、大理石にきんと冷えた城内の空気、自室へ戻るのも落ち着かず、かといって城内のどこを探しても気が休まるような騒ぎは見つからずで、謁見室へ続く巨大な廊下を彷徨えば、同じような心情らしいグレアム兵がちらちらと、顔を見合わせては苦笑いですれ違う。
正行は何気なく廊下を進み、断続的に配置された階段を上りながら謁見室へ近づいた。
見張りの兵がふたり、正行に敬礼するのに、正行は苦笑いで、
「おれに敬礼はいいよ。年下だし、新参だ」
「はっ――しかし、軍師さまでありますから」
という兵士も、すでに正行とは顔見知りだから、からかうような口調である。
「ううむ、軍師さまか」
正行は腕組みで、しかつめらしい顔をしてみるが、どうにもさまにはならぬ。
「なかには、だれか?」
「アリス王女――いえ、国王さまが」
「そうか。じゃ、遠慮するかな」
と扉を離れかけた正行だが、追いすがるように大きな扉がぎぎと軋んで、ほんのわずかにすき間が開く。
慌てて衛兵が押し開ければ、やはりひとりでは開けられなかったらしい、アリスはほっとした顔で、
「正行さま、遠慮なさらず、なにかご用があるなら」
「いや、用ってわけでもなかったんだけど」
正行は頭を掻きながら、アリスの白い裳裾をちらと見て、断るわけにもいかず謁見室へと入る。
広々として、絢爛を尽くした謁見室、赤い絨毯の毛足も長く、落ち着かない様子で正行が歩けば、さすがにアリスでもこの部屋は身に余るらしい、ただでさえ細い身体が一層ちいさくやわく見え。
正行の後ろで、衛兵が音もなく扉を閉ざせば、この広い空間にふたりきり、どぎまぎするほど密着する必要もないが、正行の視線はためらうようにアリスの周囲を彷徨っている。
アリスはくるりと踵を返し、裾の広がったスカートをひらめかせながら、正行についと背を向けた。
「正行さま」
とアリス、広い空間に響き渡る声で、
「わたし、もう泣きませんし、弱音も吐きません。みんなが求める王として振る舞います。威厳と愛に満ちた王として――ですから、ひとつだけ、約束してくださいませんか」
「約束?」
「正行さまだけは、わたしの味方でいてください」
振り返ったアリスは、笑っているような、泣いているような顔で。
黒髪がさっと流れるのも切なく、余裕のない、危うい鋭さのようなものがアリスの顔には浮かんでいて、正行も心配そうに瞳を揺らした。
「きみの味方は、おれ以外にも大勢いるだろ」
「グレアム王国の味方、お父さまの味方は大勢いらっしゃいます。そのうちのほとんどは、わたしのこと助けてくださるでしょう。でも、わたしの味方はひとりもいません。正行さまは、わたしの、わたしの国の味方でいてくださいますか?」
ほんの一瞬の沈黙で、
「おれはアリスの、アリスの作る国の味方でいるよ。なにがあっても」
「そうですか――ありがとうございます」
アリスは太ももに手を揃え、丁寧に頭を下げた。
その黒髪が再び背中に流れるころ、正行は照れたようにそっぽを向いて、
「そういえば、ベンノのじいさんから聞いたか? 近いうちに、ここで戴冠式をやるって」
「窺いました」
アリスは背後の王座を振り返り、柳眉をわずかにしかめた。
「だれが冠を授けるかってところで悩んでるらしいけど、結局じいさんがやることになりそうだ。いちばん年長で、有名人だからな。戴冠式にはこのあたりの村や町からひとがどっと押し寄せてくる。じいさんの話じゃ、この部屋も、外の廊下もひとでいっぱいになるくらいらしい。それが正式な王位継承になる。だから、いまのところはまだ、アリスは王女なんだよ。もうすこしのあいだくらい泣いてもいいんじゃないか」
「だめです、そんな――」
さっと裳裾を払って正行に背を向けたのは、堰きあえぬ涙が頬を伝ったからで。
アリスのちいさな背中は、だれかにそっと支えられるのを待つように揺れていた。
正行はその背中にじっと見入って、押し殺した嗚咽を聞いていたが、最後までその背中に触れることはできなかった。
よそ者の、たった半年前にやってきたばかりのありふれた男に、やがてこの大国を背負うその身体が、どうして支えられようか。
アリスが堰きあえぬ涙に頬を濡らすなら、正行は抑えきれぬ自己嫌悪に顔をゆがませ、ふたりはただ一言もなく、いつまでも、いつまでも。




