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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
古き日の後始末
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古き日の後始末 6-1

  6


 セントラム城と、その周囲を取り囲む城塞とのあいだには、早馬での伝令のほか、特別に調教した海鳥を使った伝令も使われていた。

 人間なら半日かかる距離を、海鳥の大きな翼はほんの一瞬で横切り、城塞から吹いた風そのままにセントラム城の一角へと届き、それによれば、つい先ほどグレアム王家の馬車が城塞を通過したということである。

 正行とロベルト率いるグレアム軍、ならびにその同盟二国の連合軍がセントラム城での戦に打ち勝ってから、一月近く経ったころであった。

 その間、グレアム軍や正行たちがなにをしていたかと言えば、やるべきことは山積で。

 まずノウム城から文官が到着する前に、セントラム王国についての情報をまとめ上げ、たとえばどれほど蓄えがあるだとか、どれほど国の経済が豊かであるだとか、そういったことを調べるのも兵士の仕事なら、積極的に城下町の市民と溶け合うことも仕事のうち、港では冬に備えて船を上げたり家を封鎖するのを手伝い、町中では青果店の棚卸しさえ手伝って、グレアム兵たちは急速にセントラムの町や人々と馴染みはじめていた。

 一方、かつてのセントラム兵はほとんどがそのまま解放され、傭兵たちは別の国へ行くもよし、この国に残りたいというなら前のとおりの賃金で雇い、戦で犠牲になった兵の家族には特別に年金が支払われて、怪我人は変わらず手厚い看護を受けている。

 セントラム城に暮らしていた文官武官のうち、出国を希望するものはわずかで、残りは家族も暮らすこの城、あるいは城下町に留まることを望んでいた。

 正行はそれを認め、可能なかぎりはもとのとおりの待遇を続けるつもりだったが、万事うまくゆくはずはなく、セントラム城には毎日のように戦で犠牲になった兵士の家族が詰めかけ、兵士相手に暴言を吐きかけ、あるいは殴りかかって、城の外へ引きずり出されている。

 また、セントラム王の処遇も問題で、いまのところは城の一室に暮らしているが、いつまでもそうしているわけにはいかず、また若いノウムの王子アルフォンヌとは事情がちがい、そのまま野へ放つこともできぬ。

 おそらくどこかにちいさな領地を与え、そこへ封ずることになろうが、そこまで手が回らぬのが実情である。

 加えて、戦に参加した兵士たちへの報酬もある。

 同盟国として兵を提供したエゼラブル、オブゼンタルの両国にも謝礼金は支払わなければならず、それらはすべてセントラム王国の蓄えを切り崩して行われるが、やがてノウム城からやってくる文官たちは頭を抱えるにちがいない。


「別に、お金なんていいのに」


 と魔法隊の一員としてセントラム城へやってきたエゼラブルの王女、ロゼッタは、気分転換に散歩をしていた正行を捕まえて唇を尖らせる。


「なんだか、お金のために協力したみたい。そんなんじゃないのに」

「わかってるよ、そういうことじゃないんだ」


 正行は薄く笑い、そこにも疲れの色がはっきり見えて、どうやらこの数日まともに寝ていない様子、代わりに居眠りでもしたのか、白い頬に服の折り目がくっきりと残っている。


「ただまあ、大人はいろいろと大変だからなあ」

「正行くんもあたしとあんまり変わんないよ」

「変わるよ、おれのほうがずっと大人だろ」

「えー、変わんないよー」


 ふたりは広大な城のなか、いまはなんの草花もない中庭に面した回廊に。

 ロゼッタはひょいと正行の前に回り込み、その顔を覗き込んで、


「ほら、やっぱり変わらないよ」


 にっこり笑えば、正行は照れたようにふいと視線を逸らして、


「おれのほうが、大人だよ」

「ほっぺた、居眠りの跡ついてるよ」

「これは、あれだ、仕事をしてる証拠だ」


 と正行、激しく頬をこすって。


「ともかく、すこし遅れるかもしれないけど、そっちにもちゃんと謝礼金を出すから。まあ正式にはあとでおれが女王のところへ行って説明するつもりだけど」

「でも、もうみんな国に帰っちゃったよ?」


 気楽に言うロゼッタ、実は一週間ほど前、寝坊をしているあいだにほかのエゼラブルの魔法隊に置いていかれ、これ幸いと未だセントラム城に居座っている身分である。

 正行は、その気楽さを羨むやらなんやら、複雑な表情で、


「あとでちゃんと、そっちの国まで行くよ。冬のあいだはむずかしいかもしれないけど」

「ふうん、じゃあ、あたしも一足先に帰って待ってるね。アリスもきてくれるかな?」

「どうかな、アリスも大人で、忙しいからなあ」

「あっ、なんかあたしだけ子どもで暇人みたいな言い方」


 頬をふくらませれば、やはりその顔は子どもじみていて、軽く笑う正行を遮るように兵士のひとりが駆け寄り、


「正行殿、ここにいらっしゃいましたか。いま、城塞から伝令で、グレアム王家の馬車が城塞を過ぎたと。もう数刻のうちに到着すると思われますが、いかがなさいますか」

「王家の馬車――まさか、王がきたのか?」


 正行は信じられないという顔、ともかく出迎えねばなるまいと兵士ともども駆け出すのを、ロゼッタもなんとなく追っている。

 こぢんまりとした白い回廊から別の廊下へ出ると、すぐに伝令を聞いたらしいロベルトと出くわして、とくに言葉を交わすだけでもなく、並んで歩き出す。


「むう……」


 とロゼッタはそのふたりの背中、なんとなくうらやましそうに眺めるが、割り込むことはできず、とぼとぼと後ろをついていくしかなかった。

 前のふたり、正行とロベルトは早足で城門を出て、


「王の容体が回復されたのか。それなら、よいが」

「でも、時間から考えれば、こっちの情報が届いてすぐにノウム城を出たはずだ。まさかそれほど回復しているとは思えないけど……無理をしてここまできているのかもな」

「無理が利く身体でもないだろうが」


 城下町は、すっかり戦の前の活気を取り戻している。

 大々的に開かれる市場には人々が集い、恰幅のよい中年女や荷物を担いだ男たち、その足下にじゃれつくような子どもに、港から町へ入り込んだらしい野良猫や海鳥、様々なものが城下町には住んでいて、それが独特の明るい喧騒の一部となっている。

 すき間を縫うように進めば、周囲でこそこそ、正行の横顔に囁き声が反響する。

 ほかの兵士とちがい、細々した仕事でほとんど城に詰めていた正行は、未だにこの城下町で馴染みの顔というわけではない、むしろ例の宣言をした人物として正体がわからぬまま有名になっているから、ひとたび町へ出ようものならこの騒ぎ、正行はどうしてよいのかわからず、わずかに足を速めた。


「なんだか、自分が自分じゃなくなったみたいな気分だ。おれの印象だけが一人歩きしてる」

「悪いことばかりじゃないだろう」


 ロベルトはあくまで毅然として胸を張り、


「これから先、自分なんてもんをさらけ出せる時間はもっと減るぜ。偉くなるってのは、そういうもんさ」

「なんとなくわかってはいたけど、自分がそうなるのとでは大違いだ。アリスも大変だな」

「ねえ、あたしも一応王女なんだけど」


 とようやく入る隙を見つけたロゼッタ、たたと軽い足音で追いついて、正行のとなりで。


「ロゼッタも大変だろうと思うよ」


 正行が苦笑いで言えば、それで満足らしい、ロゼッタが笑うのに、ロベルトはぽつり、


「大変なのは正行殿だろうよ」

「どういう意味だ、ロベルト」

「そのままの意味さ」


 三人組、広々とした大通りを行く。

 市場を抜けると、数人のグレアム兵、酒場の手伝いをしているところに出くわし、ロベルトと正行に敬礼するのを、なぜかしゃちほこばったロゼッタが応えて、丸々と太った酒場の店主が呵々大笑。

 そこを、後ろから夫人らしい、同じく恰幅のいい中年の女がぱしんと肩を叩いて、


「兵隊さんに手伝ってもらわないで、まじめにやりなさい」


 としかれば、太った店主はすごすごと店のなかへ戻りながら、ロゼッタをちらり、


「お嬢ちゃんは、こんなふうになっちゃいけないぜ」

「こんなふうって、どんなふうよ」

「いけねえ、聞こえてやがった」

「あんた、ちょっときなさい」


 太った店主、首根っこを掴まれて薄暗い店内へずるずると引き込まれながら、ロゼッタに手を振る。

 ロゼッタは引きつった顔で手を振り返し、行きすぎてから、


「大変そうだね、結婚って」


 と重たい一言で。

 しかし次の瞬間にはもう表情をころりと変えているのがロゼッタらしいところ、正行越しにロベルトを見て、


「そういえば、ロベルトさんは結婚してないの?」

「おれは剣と結婚したのさ」

「わあ、格好いい。じゃあ、正行くんも剣と結婚するの?」

「おれはやだよ、剣となんて」

「やだって言うなよ」


 ロベルトは正行の肩をとんと叩いて、正行は薄く笑い、


「おれは、そうだな、おれにだけやさしい年上のお姉さんとかがいい」

「なに、それ」


 ロゼッタは眉をひそめて、


「正行くん、妄想ばっかりしてちゃだめだよ、現実を見ないと」

「妄想くらいさせてくれよ。現実はいろいろ大変なんだから。それに、いるかもしれないだろ、そういう年上のお姉さんが」

「いないよ、きっと」

「断言するなよ」

「じゃあ、知り合いとかにいるの?」

「知り合いに?」


 正行は腕組みに考えて、ぱっと脳裏に浮かぶのはロゼッタの母、アンナ女王だが、まさかと首を振れば、あとはロゼッタにアリス、クレアが浮かぶ程度、どれも年上ではない。

 ううむと唸る正行、腕を解いて、


「ま、これから知り合えばいいんだ。おれはこっちの世界にきてから前向きに生きることに決めたんだよ」

「いないと思うなあ、そんなひと」

「絶対いるって。なあ、ロベルト」

「世の中のどこかにはいるかもな」

「遠いよ。そのへんにもいるって」


 と歩いてゆけば、大通りも半ばをすぎて、影のように沈んでいた巨大な城門が目前に迫ってくる。

 自由を標榜するこの国にあって、城門は有事以外、常に開け放たれている。

 傍らにふたりの衛兵を有するが、行き来する荷馬車や業者が精査されることもなく、内から外へくぐるのも、外から内へ入るのも気楽、様々な人種や職種の人間が今日も城門を通りすぎている。

 騒がしさもまた節操がなく、煉瓦敷きの大通りを馬車が通れば、その車輪ががりがりと石を踏みつけるように鳴り、馬蹄も甲高く律動的で、飛び交う声もまた様々、そこに珍しい動物を満載した馬車がやってくれば、ありとあらゆる種類の鳴き声も加わって。

 正行とロゼッタは好奇心に目を輝かせ、前をすぎていく馬車の荷台、ちいさな檻に入れられた見たことのないまっ白い猿や美しい毛並みの猫などを眺めた。

 動物のほうでも、鉄格子を透かして人間の様子を見ているようで、ロゼッタが猿に手を振れば、猿のほうはぐいと歯茎をむき出しに、威嚇したのか笑ったのか知れぬ顔。

 セントラム城へやってきたばかりの業者は、ふたりを見てただの若者ふたりと思ったらしい、まさか高価な愛玩動物を購入する富裕層でもあるまいしと愛想もなく通りすぎれば、ちょうど曇天、見上げるものもいないなか、白い雪がひとひら舞い落ちた。

 強い北風に揺り動かされ、上空でむしろ高度を上げたり下げたり、ようやく城の影に入って落ち着けば、ふわりと綿毛が踊るよう、右へ左へ揺れながら、ロゼッタの赤毛にひょいと乗る。


「おっ」


 と正行、それに気づいて、振り返ろうとするロゼッタの頭をしかと掴み、


「な、なに? どうしたの?」

「動くなって――ほら」


 指先にまだいびつな雪の結晶を載せ、ロゼッタにも見せるが、あっという間に指先の暖かさに消え失せて。

 しかし空を見上げれば、雪は次々と降下して、灰色の空を背景に、すでに頭上一面が白く染まっている。

 今年の初雪、騒がしかった町もほんの一瞬動きを止めて、舞い降りる冬の使者を迎えるよう。

 人々の声が止み、ただ馬車の行く音だけが響けば、雪も静寂を孕んで舞い落ち、市場の天幕に、ぱっと空目がけて跳ねる子どもの手のなかに、熱く鼻息を立てる馬の耳に、そして正行の頬に触れて、さっと消える合間、また新たなひとひらが降りつのる。

 ロゼッタはぷるると身を震わせて、大きく息を吐けば、その息もまた白く。


「もう冬なんだね」

「これからが大変だ」


 正行が呟けば、また新たな城門をくぐって城下町へ入ろうとする馬車がある。

 二頭立ての立派な馬車で、白地に青く蔦模様、縁は金で飾られて、大きな車輪が四輪、がりがりと煉瓦の上を走り、御者は待つロベルトと正行を見つけると、敬礼で。

 馬車はそのままセントラム城まで乗りつける予定だったはずだが、出迎えのふたりを見つけた時点で城門の脇に馬を止め、御者がひょいと飛ぶように降りて、馬車の扉を開いた。

 降りてきたのは、白いドレスを着た上から天鵞絨を纏ったアリスである。

 雪のように清廉潔白な裳裾を払えば、透き通る足首がちらと見え、馬車の段差に降りれば、靴の先か煉瓦でこつんと音を立てる。

 そのときのアリスの美しさを、正行は生涯忘れることがなかった。

 すっと背筋を伸ばし、ひやりとした夜の闇を閉じ込めたような黒髪、背中へ美しく流せば肩の曲線が愛らしく、細い首が可憐で、頬はかすかに赤らみ、薄い唇をきゅっと噛みしめて、天鵞絨の裾を掴む指先には力がこもって。

 豪奢な馬車から降り立つ姿は、さながら天上人が地上へやってきたような、まるで現実離れした美しさと威厳を兼ね備えているのだ。

 正行はほんの一瞬、アリスの姿に見とれて、アリスが背後を振り返り、馬車のなかを気にする素振りを見せぬところで、多くの事情を察した。

 馬車を降り立ったアリス、真っ先に正行とロベルトのほうへ目をやりかけるのを、きゅっとまじめな過で堪えた様子、まずは城下町の様子をゆっくりと見回した。

 時ならぬ初雪に、天上の姫君のようなアリスの姿、静まり返った城門前で、唯一アリスだけが自由に振る舞える。

 裳裾も流れず、首だけであたりを見回したアリスは、セントラムの町になにを思ったか、不意に眉をひそめて苦しげな顔で。

 ほんのちいさく呟けば、


「この美しい町を、お父さまが今一度見ることができれば、どれほどよろこばれたでしょう」


 それからようやくロベルトと正行に目をやると、アリスは深く相手を引きずり込むような瞳で、


「事情は、すでにお察しと思います。よろしくお願いいたします」


 ロベルトはその場で跪き、深く染み入るような声で言った。


「この身、この心、あなたにお預けいたします。国王陛下」


 言葉を受け、アリスはほんのすこし悲しげに目を伏せ、正行はそれをとなりで見ていることしかできなかった。

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