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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
古き日の後始末
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古き日の後始末 5-1

  5


 戦の帰趨決したとみて、城塞を越えたすぐの丘の陰に身を潜めていた正行とヤンはもぞもぞと這い出し、馬とともに丘へ上がって、ぐるりとあたりを見回した。

 西の空も、いまではすっかり静寂、魔法攻撃の名残もなく。


「うまくいったのでしょうか」


 ヤンが不安そうに問えば、正行もまさにその心情にちがいない、しかしゆっくり首を振って、


「うまくいったはずだ。ロベルトのところへ行こう」

「しかし、もし失敗していたら、西には敵の大群が」

「失敗していたなら、余計におれたちは西へ行かなきゃいけないよ」


 正行は薄い笑みを浮かべて、


「作戦が失敗して、おれが生きて帰るわけにはいかない。それに、ロベルトたちならきっとうまくやってくれたはずだ。行こう」


 馬の腹を蹴れば、美しい毛並みの馬はいななきひとつ、薄闇のなかに馬蹄を響かせる。

 ヤンも馬を操ってあとに続き、いくつも丘を越え、近づけば、ちょうど正面からも馬が駆けてくるような音で。

 正行とヤンは一瞬だけ視線を合わせて警戒するような素振り、ヤンは剣の柄に手を添えるが、丘の向こうから現れたのはロベルトの日に焼けた顔、ほっと息をつけば向こうも正行たちに気づいて、


「うまくやったぜ」


 と一言、それだけですべてが報われる。


「いまから城へ行く。ほかの兵はすべて捕虜の見張りと傷の手当てにつけてあるし、エゼラブルにも協力を頼んである。おまえさんも行くかい」

「そうだな……」


 正行はすこし思案顔で、薄暗い空をぐいと見上げた。

 吹きつける北風に、雲はゆっくりと棚引くが、まだ北の空にはずらりと厚い雲が並んで、やがて雪を降らせ、この地にも本格的な冬を運んでくるにちがいない。

 北へ向けて飛び立つ海鳥の、ほとんど羽ばたかせない大きな羽根に自由を見れば、海鳥は人間の自由な手足を羨むだろう、風は地を羨んで、地は空を羨んで、そうしてこの星ができているのなら、いま持てるものが最良であると考えるほかない。

 正行はゆっくり首を振り、ようやく北風の冷たさを感じたよう、白い頬にひたと手を当て、顔を上げればひとりの青年ではなく、毅然とした軍師の顔で。


「城へ行こうか。オブゼンタルの兵がうまくやってくれているはずだから、こっちの兵は持っていかなくてもいいと思う」

「じゃあ、行くか」


 三人連れ立って馬を走らせれば、急激に日が落ち、あたりはまったく光のない暗闇に落ち込む。

 馬の足下もおぼつかず、それでもなんとか城門前、いくつもの松明が星のようにきらめくのを見て、正行は馬上でどきりと心臓を高鳴らせた。


「もし上陸作戦がうまく行っていなかったら」


 と考えれば、たった三人で城へ向かうのは自殺行為、しかし近づくに連れ、大きく開け放たれた城門に、どうやらオブゼンタルも成功したらしいと知れる。

 オブゼンタルの兵たちはみな直接この地へ派遣されているから、グレアム兵との顔合わせもしていない。

 城門の前で一度止められ、馬を下りるように指示されるが、グレアムの紋章を示せば敬礼を受け、すぐに仲間の笑顔で。


「城下町、城ともに制圧は完了しております。敵の兵も少数残っておりましたが、すべて確保し、いまは城の一室へ」

「城下町への被害は?」


 と正行が問えば、オブゼンタルの兵はそれが思いのほか若い青年であることに驚きながらも、


「魔法攻撃、ならびに上陸作戦において出た城下町の犠牲は、いまのところわかっている範囲ではひとりも出ておりません。今夜は外出禁止にさせるつもりでおりますが、翌朝には生活も再開されるかと」

「そうか――よかった。それを心配してたんだ」


 深々と息をつく正行の横顔は、いかにも心やさしい青年というふうで、松明の陰影に揺れるのを見ながらロベルトはぽつりと、


「正行殿も、なかなか奇妙な男だな」

「奇妙?」


 心外だという正行の顔、ロベルトは笑って、


「いや、なに、悪い意味じゃない。冷酷かと思えばそうでもなく、しかし他を思う気持ちばかりでもない――優秀な兵士の証だ。この世界で生きていくためには、奇妙でなけりゃいけねえのさ」

「そうかな。おれは、素直こそいちばんの武器だと思うけど」

「素直を武器と思う時点で、正行殿は充分奇妙だろ」


 馬を下りたロベルト、笑いながら城下町へと入っていて、正行もあとを追えば、ヤンはそのふたりの背中をうらやましそうに眺めて、追いすがるのも気遣う様子で。

 城下町の様子といえば、さすがに大きな城だけあって、馬車が三台は並べるような大通り、煉瓦敷きのものが城までまっすぐ伸び、その両側には比較的大きな宿や酒屋が並んで、城壁のおかげか、強い北風もあまり吹き込まぬらしく。

 店先に釣られた商店の看板はぎいぎいと軋みながら前後し、どうやら日ごろは市場でもあるらしい一角、天幕は畳まれているが、普段使っている木の台はそのままで、正行はふと足下に真新しいトマトがひとつ転がっているのを見つけ、ひょいと拾い上げた。

 そこに、じっと視線を注ぐのが、家々の窓、鎧戸のすき間から覗いている住人たちで。

 正行も見られているということは重々に理解し、明るすぎぬ表情でトマトを木の台へぽんと置き、城へ向けて歩き出す。

 大通りの左右は、細い路地が何本も伸び、やはり路地沿いは商店が多いようで、あまり生活の気配がない城下町である。

 とくに住民のすべてが家のなかに引っ込み、がらんと空白のいま、煉瓦の上をこつこつと鳴らす足音もたったの三人分、この広々とした城下町には寂しく。

 日が暮れて、大通り沿いにはずらりと松明、その光に導かれて進めば城の入り口があり、衛兵がふたり立っているのは、すでに国の交代を象徴するようにオブゼンタルの兵士たち。


「ご苦労」


 とロベルトが言えば、直属の部下ではないはずだが、その容貌魁偉に気圧されたものか、かつんと踵を鳴らして敬礼を返す。

 正行もそのふたりが敬礼するあいだを抜け、城に入って、思わずちいさく声を上げた、それも高い天井のホールに嫋々と響いて。


「すごい城だな、これは」

「クロイツェル王国は、でかい国だったからな」


 ロベルトもしばし立ち止まって、その広間をぐるりと見回した。

 丸い屋根ははるか頭上霞むほどで、そこからぐっと巨大なシャンデリアがぶら下がり、四方の壁はほぼすべてが金箔、所々に置かれた鏡がそれを乱反射させ、広間全体が異様に光り輝いているような印象を持つ。

 それが、千人近くは入れるほどの巨大な広間なのである。

 そこからまっすぐ正面に巨大な廊下が延び、いくつかの階段を越えた突き当たりにはまるで神の部屋があるかと思わせるようなきらびやか、オブゼンタルの兵もおらず、ただ正行のあげる感嘆だけがいつまでも響いていた。


「ロベルトは、この城に入ったことはあるのか」

「いや、ない。クロイツェルが三つに分かれたときは、おれがガキのころだったからな。城の外の、ちいさな村に住んでたんだ。城の外観はよく見たが、こうして入るのははじめてだ――これほど絢爛を尽くした城は、ほかに陛下の城があるばかりだろう」

「陛下の城?」

「大陸のまん中にある、皇帝陛下の城さ。この世界の中心だからな、そりゃでかい城がある」

「へえ――一回、それも見てみたいな」


 正行はふらふらと彷徨いながら広間を見回し、左右へ伸びる回廊の縁まで彩る金銀に目が眩むよう、後ろから続くヤンも声を失ったまま、目だけを見開いている。

 ロベルトはそんな年少ふたりを苦笑いで、


「まったく、本当に奇妙な男だな、正行殿は。それほど驚くことか?」

「だって、すごい装飾だろ。グレアム城もノウム城も広いとは思ったけど、これほどじゃなかった」

「でも、そのとんでもない城を、おまえさんは攻め落としたんだぜ」


 にたりと笑うロベルトに、正行はと胸を突かれたような顔、思い出したように表情を引き締める。


「そうか、一瞬忘れてたよ――観光にきたわけじゃ、ないんだ」

「そうだぜ。正行殿にはまだ大切な仕事が残ってるんだ」

 そう言われて、正行ははじめて臆病そうな、すがるような視線をロベルトに向けて、

「なあ、ロベルト、なんとか代わってくれないか? おれ、そういうの、苦手なんだよ」

「いまさらなに言ってるんだ。おまえさんがやらねえで、だれがやる」

「ロベルトでも充分さ。そっちのほうが様になる。おれみたいな、別に見た目が派手でもない子どもが出ていけば、むしろ具合が悪い。こういうときは見栄えする人間のほうがいいんだ」

「本音は、やりたくないだけだろう?」


 ロベルトはにやりと笑い、正行の背を叩く。

 正行はげんなりした顔で、ロベルトをちらり、


「晩飯、奢るからさ」

「奢ってもらわなくても飯は出る」

「じゃ、酒。好きなだけ奢るよ。だから代わってくれ」

「じゃあ、この国をおれにくれるか?」


 ロベルトが言うのに、むしろ端で聞いているヤンがどきりとするが、正行はちいさくため息で、


「おれがやるしかないのか。いやだなあ、やりたくない。こういうのは、向いてないよ」

「兵の指揮と似たようなもんさ」

「兵の指揮だって苦手だから、ロベルトに任せてるんだろう」


 憂鬱に表情を曇らせた正行、ちらと背後のヤンを振り返って、


「そうだ、ヤン、代わりにやってくれないか?」

「は、じ、自分ですか。代わりとは」

「だめだだめだ」


 とロベルト、あきれ顔で。


「そこまでいやかよ、正行殿。せっかくの晴れ舞台だぜ」

「人前は苦手なんだよ、昔から。授業でもなんとか当てられないように日々苦労してたんだから」


 独りごちる正行の腕を掴み、ロベルトは廊下をつかつか、近くにいたオブゼンタルの兵を呼び、案内を頼む。

 半ば引きずられるように正行は太い廊下を外れ、傍らの、石造りの無骨な階段を上がる。

 湿ったひんやりとした空気の螺旋階段で、果てがないようにぐるぐると上がってゆけば、やがてちいさな木造の扉で、雨風のせいか木が腐食して黒ずんでいるのを押し開ければ、強い北風に裳裾も踊る。

 そこは城の正面、昼間なら城下町どころかはるか遠くの城塞まで見渡せるというテラスで、石造りでありながらほっそりとした軽やかな手すりが囲むちいさな空間であった。

 案内役の兵士が、強風のなかで苦労して松明を灯せば、城下町から見上げてもその部分だけちらと光って人影が浮かび上がる。

 正行は深い闇に沈んだ城下町を見下ろし、その大通りが松明の道と化しているのをぼんやり眺めて、やはり深々とため息で。


「なあ、ロベルト、せめて明日にしようよ。今日はもう暗いし、やったっておれがだれだか見えやしないって」

「姿は重要じゃねえのさ」


 ロベルトはあたりをきょろきょろ、なにかを探す目つきで、


「声が届けば、それでいい。風が強いから、ちゃんと声を張り上げろよ。でないと下には届かねえぞ」

「おれの貧弱な喉じゃ無理だ」

「無理でも、やるんだ。それがこの戦争を率いたものの仕事だ。本来なら王がやることだが、体調もあって、いつこっちに到着できるかわからん。それまで放っておくわけにはいかねえだろう」

「そりゃ、そうだけどさ」


 まだ煮え切らぬ正行に、ロベルトはようやく目的のもの、城下町に注目を伝える鐘を見つけ、ぶら下がるロープを力任せにぐいと引けば、城の頂点に掲げられた鐘がぐらりと揺れて、がらんと激しい鐘の音で。

 距離が近い正行が思わず身をすくませるほどの轟音だが、城下町の隅々まで届けるにはそれほどでなければならぬよう、何度も鐘が鳴り響くうち、大通りに住民が集まり出す。

 鐘が鳴るときは、城のテラスに王が現れたとき、住民は一斉に城を見上げ、松明に照らし出された正行の影を認めた。


「ほら、やれよ」


 と背中を押すロベルト、にやにやと笑っているのに、正行は恨めしそうに見やりながら、しかし覚悟を決めるしかない。

 ごほんと咳払いひとつ、


「えー、みなさん」

「声がちいさいぞ。それじゃ真下にいても聞こえねえ」

「う、うるさいなあ、わかったよ」


 正行は手すりにそっと手を添え、そのきんと冷えた石を指先で撫でれば、そこからすっと身体全体が冷えていくような心地で、頭も冴え冴え、吹く風に髪がなびくにも気にならず、じっと城下町を見下ろした。


「セントラム城、ならびに城下町に告ぐ」


 先ほどよりはよく通る、しっかりと芯のある声で。

 ロベルトの及第点とばかりに後ろでうなずくのを、正行はもう振り返りもしない。


「グレアム王国、そして同盟国のエゼラブル王国、オブゼンタル王国は、今日このセントラム城を占領し、ここにセントラム王国の消滅を宣言する」


 城下町から、ざわめきが風に乗って聞こえてくる。

 正行は表情ひとつ変えず、横顔を照らす松明まで冷たく凍ったように、まるで冷酷で。


「これよりこの地はグレアム王国の領地となり、この宣言を聞くすべてはグレアム国民となるが、城下町の暮らしに変化がないことはここに約束する。また、旧王族、ならびに城へ仕えた人間たちへの処罰も行わず、いままでどおりの生活を約束する。現国王には退陣していただくが、それはセントラムの地に暮らす人々の誇りを失わせるものではない。そもそもグレアム王国とセントラム王国は同じ国の民であり、侵略者ではない。どうかこの宣言を聞く人々にはそれを理解してほしい――われわれは侵略者ではなく、諸君らの平和を脅かす存在でもない。今後、交易は増え、人々は行き来し、国は栄えるだろう。それはこの地に暮らすすべてのひとの幸福に繋がると信じている。この宣言はグレアム国王に代わり、臣下たる雲井正行が行うものである」

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