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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
古き日の後始末
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古き日の後始末 4-2

  *


 三度目の魔法攻撃を終えたエゼラブルの魔女たちは、海上にて目くらましの霧を作り出し、そのなかにじっと潜んでいたが、港へ寄ってきた兵士たち姿は見えずとも、霧のなかからはちらと見えて、魔女たちは興奮を押し殺すように低く作戦の順調な進行を囁き合った。


「はじめは作戦を聞いても、そううまくいくものかしらと思ったけれど、案外グレアム軍もやるわね。あの兵士たち、すっかり無駄足を踏まされて疲れきっているわ」

「身体もそうだろうけど、心がとくにね。城を心配して慌てて返ってきたら、それが敵の罠なんだもの。がっくりとくるのも無理はないでしょう」


 紺のローブをはためかせ、宙にふわりと浮いたまま、口元を手で覆い隠して笑みをこぼせば、まごうことなき魔女の姿。

 一方、霧に隠れた彼女たちの下、帆もない質素な船に乗せられたオブゼンタル兵たちは、波の山に身体を揺らしながら港を見て、その格好は鎧の上から平民服を着るという奇妙なもので。


「ううむ、こうまで見事に作戦がはまるとはなあ」


 ゲオルクも思わず感心したように言って、見る見るうちに港へ寄ってくる兵士たちを遠く見やり、なにをするでもなく、船の上、ゆったりと揺れている。


「いや、しかし」


 とゲオルク、首を振り振り、


「まだ作戦の一部が成功しただけ、すべてうまくいくとは限らん。グレアム軍も、そううまくはいかんだろう。おい、マルクス、ばか、船を揺らすな」

「うう、だって、班長」


 うなるマルクスは、日焼けの下で青ざめて、


「ぼく、船に弱いんですよ」

「知ったことか。でかい身体をして、情けないことを言うな。ヨーゼフを見てみろ」


 というヨーゼフは、長身痩躯を船の底にだらりと横たわらせて、櫂を枕にぐうぐうで。

 よい夢でも見ているのか、あるいは波の揺れがゆりかごを思わせるのか、満足げににたりと笑えば、強い海風にかき消される言葉をぶつぶつ呟いている。


「それに、おれたちの出番はもうすこしあとだ。それまでは辛抱しろ」

「はい、班長」

「そろそろ城門が閉じられたころかな。ここから先はなにが起こるかわからん。いつでも出られるようにしておけよ。しかし、この服はどうにかならんかな。おれたちは兵士だというのに」


 不満をぶつぶつ、ゲオルクの頭上では不自然なほどの濃霧で、魔女たちが囁き合い、それをちょうど女王が一喝したところ。

 魔女たちは霧のなか、きっと表情を引き締めて、


「そう、それでいい。戦はまだ終わっていないんだからね」


 と女王は言って、霧の向こうをちらと見通し、


「そろそろ移動をはじめようか。最後のひと仕事だ。ここでしくじったらすべてが終わり、気合いを入れ直しな」

「はい、女王さま」


 濃霧がゆったりと移動をはじめれば、それは強い北風にふらふらと揺れ動くようで不自然ではないが、よく見れば風上ではなく、風に対して真横に移動している。

 しかし港へ寄った兵士たちに、それほど細かな違和感まで気づくものはおらず、セントラム城の海に面した城壁の一部を破壊した魔女たちは、音もなく次の作戦へ移行する。

 それに気づかぬセントラム軍の兵士たち、城門の内側になんとかすべり込んだものは、顔を突き合わせて今後の作戦について会議をはじめていた。

 城門の内側へすべり込んだといって、身分は様々、槍を持って最前線に立たされていた兵士もいれば、小隊を率いていた将校もいるが、情報という点で城門の外へ弾かれた兵士より勝っていて、自らが首脳という気がしているのである。


「グレアムは、今後どう出るか」


 ひとりが言えば、ほかがうなって、


「このような擾乱策をとったからには、内側から食いつぶす気でいるにちがいない。城門を封鎖したのは、やはり正解だった。もう外で固まっている兵士のなかに、グレアム兵が混ざっているかもしれん」

「では、兵士をひとりひとり精査して、紛れ込んだグレアム兵を見つけ出すか」

「いや、それより、連中が行動を起こすのを待ったほうがよかろう。セントラム軍の内に入り込んだはよいが、城門から締め出されたとなれば、なにかしらの行動を起こさざるを得ぬ。そのとき、自ずとグレアムの兵と知れよう」

「うむ、そうだな。そうしよう」


 と城門の内側で半ば他人事のような囁きが起これば、分厚い城門を隔てた外側では依然混乱が続き、どれが味方でどれが敵やらわからぬまま、全員がなんとなく距離をとり、互いに監視するような、奇妙な視線を向け合っていた。

 そのあいだにも続々と兵が到着し、たむろする兵と閉じられた城門に困惑しながら、まだなにも知らぬ無邪気で、城の様子はどうなった、と近くの兵に問うのだった。


「おれたちははめられたんだ」


 と兵がぶっきらぼうに返せば、いよいよ首をかしげて、なにがどうはめられたのかわからぬ様子、しかしともかくこの状況が奇妙なことだけは理解し、いまや城門前は兵士たちの混雑にもかかわらず異様な静寂に包まれている。

 鳴るのは、わずかばかりの鎧と足音、それだけではむしろひゅるると吹く北風のほうが大きく。

 グレアム軍とセントラム軍の邂逅から、早半日が経とうとしている。

 曇天に阻まれているが、東の空から上ったばかりだった太陽は天球の頂上を過ぎ、西へ大きく傾いている。

 あたりはわずかに霧のような暗闇が迫り、気温もぐんと下がって、雪でも降り出すのではないかというほど冷たい空気、雲も厚く蠢いて不気味である。

 兵士たちは息も絶え絶えに城へ駆け戻ったが、安堵するどころか状況さえ正確に伝わらぬ現状、陣形などあったものではなく、広い範囲にばらばらと兵士が散っていて、起伏に富んだ緑の土地には昆虫の繁栄を思わせる黒点が無数に浮かんでいた。

 時間も経ち、さすがにこのままではと兵士が焦れはじめたころ、ようやく変化が起こったのは、城門からもっとも遠い一角で。


「あっ」


 と兵士のひとりが思わず叫び声を上げたときには、いままでどこに潜んでいたものか、一丸となったグレアム軍が白刃を煌めかせ、怒濤の勢いで迫りはじめたあとである。


「構えろ、敵だ、敵襲!」


 だれもが口々に叫ぶが、その舌もうまく動かず、ましてや帯剣を抜き去る手つきもおぼつかずで、丘を駆け下りてくるグレアム軍に背を向け、ひとまず逃げ出すしかない。

 しかし追いつかれては背中からばっさりと斬られ、鎧に剣の刃がぎいんと鳴って、守られていない首からぱっと散る紅、それを頭から浴びてグレアム兵は止まらず、まだ息のあるセントラム兵を三百あまりの兵で踏み殺して前へ前へと進む。

 陣形が乱れ、よもやかような勢いで攻め込まれるとも思っていなかったセントラム兵の、なんと脆いこと。

 そしてだれひとりとして突出せず、先頭に立つ兵を巧みに入れ替え、速度を落とさぬようにしながらセントラム軍のまっただ中へ飛び込んでゆくグレアム軍の、なんと強固なことか。

 それこそまるで大人と子ども、セントラム兵は剣を抜ききらぬうちに斬り倒され、逃げ惑うのを背中から突き刺され、丘の起伏に足を取られて転んだところを踏みつけられ、羊の群れに狼が数匹飛び込んだよう、上空から見れば黒山の人だかりだったのが、グレアム軍の進む先はぱっと割れ、われ勝ちにと兵が逃げてゆく。


「逃げるな、戦え! 剣を抜け、相手はたかだか三百、陣形を組み直せ!」


 指揮する将校が必死に叫ぶが、声が届く範囲の兵ははっとしたように剣を抜き払うのを、広がりすぎた六千の兵のほとんどはその声も届かぬ阿鼻叫喚、身体の芯からぞっとするような悲鳴があちこちで上がる。


「進め、まだいける、相手が陣形を取る前にできるだけ殺せ!」


 グレアム軍を操るロベルトは、歩兵ばかりのなかひとり馬上にあって、白刃をひらひらと振りながら、楽隊を率いる指揮者のようで。

 グレアム軍による怒濤の突撃のあとには、肉食獣が食い散らかしたような死体だけがぽつりぽつり、濃い赤色がどろどろと流れ出して緑を覆い隠し、死にきれぬ呻き声が至るところから聞こえてくる。

 三百余りのグレアム軍が、六千のセントラム軍に突入し、果たして何人を斬り殺したか。

 一対一では利かぬ数の死体を生み出したグレアム軍は、なお止まらず、すっかり血に染まった髪や顔、剣さえも気にせず、修羅のごとき表情であたりを見回し、獲物を探す。

 それが、気づけば広がったセントラム軍の奥深くまで辿り着いて、閉じた城門を正面に、前後左右すべて困惑したような、緊張したような顔のセントラム兵に取り囲まれている。

 ロベルトはぐるりと首を回し、あたりを見回してそれを確認すると、口元をにいと釣り上げて、


「撤退!」


 その一声でグレアム軍は方向を変え、再び全速力で駆けながら、そのあいだあいだで白刃が踊る。

 緩やかにグレアム軍を取り囲んでいたセントラム兵は、勢いに押されて立ち向かうよりもむしろ逃げる姿勢、包囲を抜け出すのは容易であった。

 しかし向かう立場と追う立場なら心持ちもちがう、セントラム兵は一丸となって逃げるグレアム軍を追いはじめる。

 起伏の激しい丘を登り、下り、三百のグレアム軍がひたすら西へ逃げれば、そのあとをどろどろと黒い影が追いすがる。

 身軽でいえばグレアム軍が有利、おまけにセントラム兵は約半日のあいだを一心不乱に駆けたあとで、そのあとにすがってきたグレアム軍とて同じことだが、両者では精神状態がちがう。

 ロベルトは馬を巧みに操り、一同の方向と速度をうまく調整しながら、時折振り返り、追いすがるセントラム兵の一部が突出しはじめたとみては、


「反転、攻撃!」


 白刃を振って指示すれば、訓練の行き届いたグレアム軍、唐突に進む方向を変え、一部だけが突出したセントラム兵を蹴散らし、大軍が近づいてくる前にまた逃げはじめる。

 つかず離れず、セントラム兵は徐々に減り、心体ともに弱ってくるが、グレアム軍の被害は軽微であり、士気も高く、逃げながらも血がこびりついた顔を歪ませて、笑ってさえいる。

 それがつい昨日まで酒を呷り、明るく打ち笑っていた兵士たちであろうとは、だれが信じられるだろう。

 彼らは人間のほかに、純粋なる兵士という顔も持っている、その顔が返り血の下でにたりと笑うのである。

 しかし追うセントラム兵も、闇雲にあとをつけるばかりではない。

 指揮官がさっと遠くを見れば、勝ち誇ったような笑みで、


「そのまま、連中を西の果てまで追い詰めろ。どこまで逃げようと、左右には城塞と城壁、後ろには六千の大群に、前は広大なる海よ。逃げ場などない、追い詰めて、ひとり残らず首を刎ねてやる!」


 獣じみた顔で歯をむき出しにすれば、なるほど、グレアム軍の逃げる先には白波を立てる海がじっと待ち受けているのである。

 逃げるグレアム軍にもそれは見えようが、集団入水自殺をする鼠のよう、逃げる足取りは一向に衰えず、くるりと反転して攻勢へ出る厳しさもそのままに、やがて両軍、高い崖と、そこから望む海にじりじりと詰め寄る。

 グレアム軍はもはや身体を押し寄せる大波たるセントラム軍に向けたまま、海のほうへ後ずさる態勢で。

 詰め寄るセントラム兵も焦る必要はなく、深手を負って獰猛になった獣を始末するよう、極めて慎重に近寄り、剣先、あるいは槍の先端をぐいと突き出して、徐々にグレアム兵を崖のぎりぎりへと追いやる。

 ロベルトは崖近くの丘に登り、視界のすべてを埋めつくすセントラム兵の黒い影を見た。

 さざなみのように揺れる黒い影、地面を覆い尽くす疫病に、怯えるか諦めるか、しかしロベルトはむしろにやりと笑うようで。


「さて、そろそろ仕上げかな」


 と西の空をぐるりと振り返れば、ちょうどそこに無数の黒い点が散り、曇天を背景に集結しようとしているところ。

 ロベルトは馬を走らせ、自軍へ戻ると、


「全員、魔法攻撃に備えろ。最後の最後だ、気合い入れろよ」


 兵士たちは声もなく、ただ炯々と輝く視線でやりとりし、丘の影にそっと身を潜めた。

 セントラム兵はほんの一瞬グレアム軍を見失ったが、直後、西の空にエゼラブルの魔法隊千あまりが集結しているのを見つけ、泡を食ったように逃げ出すが、もう遅い。

 夜が近づき、雲と二重になって人間の頭上を押さえつける闇が、ぱっとまばゆい光に払われた。

 セントラム兵は突如空中に現れた、太陽めいたまばゆい火球に目を細め、それから吹き荒れる熱風にぞっと身体を震わせた。


「退け!」


 と一声かかるよりも早く、火球は轟々と音を立ててセントラム軍の中央へ落下し、悲鳴や絶叫、それに炎が爆ぜる音が重なって。

 それがひとつやふたつではない、数えきれぬ数の火球、ひとつひとつが人間ほどもある巨大なものが流星群のように空を鋭く横切り、セントラム軍へ落ちてゆくのである。

 鉄製の鎧がどろりと溶け出すほどの高音、人間などひとたまりもなく、直撃を受ければ火傷では済まぬ。

 腕がどろりと溶け出し、あたりには鼻を突くような匂いが立ちこめ、丘を覆う乾いた草に火がつけば、早馬のごとく火が回る。

 セントラム兵は酸鼻を極める被害を受け、火に囲まれ、逃げようにもあとからあとから詰めかける兵に阻まれてままならぬよう。


「弓はどうした、弓で打ち落とせ!」

「あれほど上空までは届きません、同じ魔法でなければ対応は――」


 叫ぶうちにも火球が落下し、空を燃やし尽くすような紅は、まるで血の色で。

 一方グレアム兵は、エゼラブルの魔女たちによる魔法攻撃が開始されると同時、身をかがめ、混乱に乗じてセントラム軍の脇を抜け、その後方へ脱出している。

 そこでまたくるりと踵を返し、ずらりと一列に並んで、魔法攻撃から脱しようと東へ逃げてくるセントラム兵をひとりたりとも逃さぬ姿勢、ずらりと白刃が並ぶのも、さきの戦闘で薄汚れているものがほとんど、それがまた新たな血潮に濡れてゆく。

 上空の魔法隊は攻撃の手段を変え、矢のように鋭く尖った氷を降らせ、セントラム兵の大部分に深い傷を負わせている。

 それをグレアム兵がじりじりと崖の間際へ追いやれば、グレアム兵と戦闘できるのは実質六千のうちのほんのわずか、それ以外は敵もなく、ただ為す術なく魔法攻撃の餌食となるだけ。

 死してなお忠を誓う兵士ばかりなら、それでも最後のひとりまで戦う意思を失わぬが、六千のうちのほとんどが金で雇われた傭兵、契約は遵守するものの、命より大切なものというわけでもない。

 兵士たちのほとんどは武器を捨て、白旗の代わりに自らの服をちぎって槍の先に結びつけ、上空へ向かってぶんぶんと振った。

 六千のうち、被害は二千弱、残り四千は命からがら降伏を選んだのである。

 一方、北の海では、ちゃぷちゃぷ波間で遊んでいた船たちがいつの間にか港や城壁へ接近し、ぱっと民間人の服を脱ぎ捨てれば、歴としたオブゼンタルの兵士たち、剣を抜き払い、港から城下町へ、さきの魔法攻撃で破壊された城壁からセントラム城の内部へと飛び込んでゆく。


「一般人は殺すな、兵士でも刃向かってくるもの以外には手を出すな! あくまで制圧が目的である、できるだけ殺さずにいけ!」


 事前の了解で、すべての兵士が目的を理解し、剣を抜いているものの、驚いて逃げ惑う住民には目もくれず、城内にわずかに残った兵士だけを探し出す。

 上陸作戦の合図は、西の空ではじまった派手な魔法攻撃であった。

 そちらが大群を圧倒している影で、オブゼンタルの兵たちは城内を制圧しようという思惑なのである。

 ゲオルク、マルクス、ヨーゼフの三人は、壊れた城壁をよじ登って城内へと侵入し、甲高い声を上げて逃げまわる女中は無視して、激しく踵を鳴らしながら城内を探し回った。


「それにしても、でかい城だ」


 と行く先々で悲鳴を受けながら、ゲオルクは呟く。


「さすが、もとクロイツェル王国の首都だな。うちの城とは大違い」


 城の裏手から入った三人だが、巨人用に作られたようなアーチの回廊を抜け、そこからまっすぐと伸びる廊下もまた天井が恐ろしく高い。

 空でも見上げるように仰ぎ見れば、はるか頭上に美しく輝くシャンデリア、別の場所は天井画で、大理石の廊下は磨き抜かれ、数段しかない短い階段がいくつもある。

 それをほとんど跳ねるように上ってゆけば、事情を知らぬ女中たちがひらめく白刃に悲鳴を上げて逃げ去り、残った文官らしい男たちは、逃げこそしないが、壁にぴたりと背を押し当てて、目を見開いたまま動かない。

 ゲオルクがちらとそちらを見れば、はっきりわかるほど身体を震わせて、ぶるぶると動く唇は命乞いでもしているらしい、そんな囁き声が届くような距離でもないのに。

 構わずまっすぐ長い廊下をゆけば、徐々に天へ向けて近づいているような感覚、ふと立ち止まり、振り返れば、廊下の入り口はいつの間にかはるか下に見下ろしている。


「なるほど、北方の皇帝と言われただけはあるな」


 ゲオルクがぽつりといえば、マルクスが後ろから、


「クロイツェル時代ですか」

「ああ、おれの親父はもともとクロイツェル出身だからな。そこでエゼラブルの魔女に騙されて、オブゼンタルへきたんだ」


 そこへ背後から、


「待て、敵兵ども!」


 と数人の兵士が廊下を追ってくるのに、ゲオルクはそのまま背を向けて進み、ヨーゼフとマルクスだけがくるりと振り返って、


「命は大事に」


 ひょいと遊ぶような一太刀、しかし鋭く光のような素早さで、たちまち兵士たちを打ち倒し、さほど遅れもせず、ゲオルクを追う。

 徐々に城の上部へ近づく廊下、突き当たりにはこれ見よがしな扉があって、その前には衛兵がふたり、いまからぐっと槍の柄を握りしめて控えている。


「ぼくが先に行きますか」


 とマルクスが言うのに、ゲオルクは首を振って、自ら剣をすらりと抜き放ち、


「おれもすこしは活躍せねば、出世の道が危うい」


 片手に抜き身の剣、もう片手は自由に揺れ動き、衛兵たちが堪らず飛びかかれば、すっと身体を傾けてかわし、次の瞬間にはもう剣の腹でもってふたり同時に打ち倒している。


「無駄な殺生はよくないからな」


 ゲオルクは後頭部をしたたかに打たれて床に伸びる衛兵を見下ろし、きんと軽やかな音を立てて剣をしまった。

 それから三人、やはり巨人用にしか思えぬ巨大な扉の前に立つ。

 蔦や花、貴石や金銀がちりばめられた絢爛豪華な扉で、観音開きなのを片方だけ押し開ければ、なかは広々とした謁見室で。

 扉から奥の王座までは赤い絨毯がまっすぐ伸び、巨大な王座のなかには、思ったよりも小柄な男がひとり、臆病そうに入ってきた兵士三人を見ている。


「な、なんだ、おまえたちは。わが国の兵ではないな」

「グレアム王国の同盟国、オブゼンタル王国の兵であります」


 ゲオルクは頭を下げ、それからゆっくりとあたりを見回す。

 広い部屋を飾るのは、冠や腕輪、数々の美術品、きらびやかに輝き、巨大な青い宝石があしらわれた首飾りがあれば、南方でしか生産されぬ濡れたように白く美しい皿があり、実用には耐えぬ宝石だらけの剣やら盾を見つけるに至っては、ゲオルクは思わずため息をついた。


「お、おれの兵はどうした。なぜオブゼンタルの兵が城内におるのだ」


 王座のなかで、これらの財宝を有するセントラム王はたるんだ頬を引きつらせた。

 まるで愛想笑いでも浮かべるようでありながら、闖入した敵兵にそんなはずはない、困惑がそんな表情を作らせているらしいが、目だけは別の色を帯び、常にきょろきょろと動きまわっている。


「セントラム軍は城の外でいまごろ降参しておるでしょうな」


 ゲオルクは、足音も立てぬ深い絨毯、ふわふわと毛先が足裏を押し返してくるのに戸惑いながら、ゆっくり進んで。

 王はびくりと身体を震わせ、後ずさろうにも、巨大な王座の背もたれがぎしと鳴るばかり。


「城下町、並びに城内はわれわれオブゼンタルの兵が制圧しております。どうかお覚悟を、セントラム王」

「覚悟だと? な、なにを覚悟せいというのだ。お、おまえは、おれの首を切るつもりか」

「さて、どのような処遇かは聞いておりませんが、ともかくグレアムに引き渡せばこちらの仕事は終わりで。ゆめゆめ抵抗などなさぬよう」


 王の手がぴくりと動いたのを見て、ゲオルクが念を押せば、王は一瞬反抗するようにゲオルクをにらみつけたが、すぐにぐったりと脱力して、視線だけでちらとゲオルクを見上げた。


「わしは、悪い王であったか」

「よい悪いの問題でもないでしょうな。強いて言うなら、時勢でしょう」

「うむ――やはり、グレアムには敵わぬか」


 ゲオルクは王の腕をとり、マルクスとヨーゼフに先導を指示して、ひとまずどこかの狭い部屋へと歩き出した。

 王座から立ち上がった王の姿は、巨大な王座に比べるとちいさいが、すくと立てば立派な体格、足取りもたしかで。

 王たるものの最後の仕事は、その身体を王座から引き剥がすことであった。

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