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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
古き日の後始末
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古き日の後始末 4-1

  4


 セントラム軍とグレアム軍が衝突する正確な日にちに関しては、両軍ともに早い段階で把握していた。

 セントラム軍は周辺の村や集落をすぎるたびにグレアム軍の足跡を知り、グレアム軍もまた知られていることを承知していたから、グレアム軍が城塞へ辿り着いたときにはセントラム軍も準備万端、手ぐすねを引いて待ち構えているにちがいなく、その日がすなわち両軍衝突の日となるのだ。

 いくつかの夜が過ぎ、無数の風が吹いても上空の分厚い雲は流れず、いよいよ明日が決戦だという日も頭がずんと重たくなるような曇り空であった。

 日中進むグレアム軍はまだいくらか余裕もあるという様子、厳密な隊列からすこしばらけて気楽に歩き、ロベルトと正行も斥候によってどうやらセントラム軍は城塞の前に兵を置いて待ち受けていると知り、多少気分も楽になっている。

 それが、起伏が多くなってきた地形を進みながら日が暮れれば、夜明けには決戦という共通意識が空気をぴりりと震わせ、宿営でもちょうど酒が尽き、多くの兵士が棚引く雲を見上げながら無言のうちに眠った。

 正行は夜のあいだ一度も天幕からは出なかったが、ごろりと寝転がったまま目も閉じず、半ば狂気めいた光が瞳に宿るのに任せていた。

 あるいは明けぬかと思われる長い夜である。

 冗談のように東の空を覆う雲が薄ぼんやりと、いまかいまかと見つめていた兵士たちが起き出す音が朝を告げる鳴き声よりも早く。

 これまでの朝ならなんでもない話や見た夢のこと、ぽつりぽつりと話して起き出すのが、この日は全員が全員、自分がすべきことを理解しているから、余計は会話はほとんどない、ただ時折、だれかの冗談に白い歯をちらりと覗かせるくらいで。

 天幕を畳み、それらの道具を野原へ放り出して最後の行軍をはじめようという早朝、それがまだ薄暗い時間帯だが、眠たげな目をしている兵士はひとりもおらず、馬さえ荒ぶるように前足で土塊を蹴り上げ、頭を上下させている。

 三百余りの兵士が、号令もなしにぴたりと揃って陣形を作り、それが縦に二列ずつ、横にずらりと長い薄い膜のような陣形で、ロベルトはその前に回り込み、馬上からじろりと一瞥したあと、


「では、行こう」


 と一言で。

 兵士たちは地を鳴らし、鎧を鳴らし、歯を鳴らし、冬の寒々した空気を裂いてゆく。

 すでに前方、薄霧の向こうに、巨人のごとき巨大な城塞が見えている。

 足下と、臑より先は霞んでとんと見えぬ。

 ただぬっと影だけが現れ、それが広い野原の左右に延々と続いているのである。

 なんと巨大な建造物か、それを作りうる大国の力を誇示するような影だが、兵士たちはそれをきっとにらんで、ひるみもせず槍の柄を握れば、ぎりと音がするようで。

 それが冬の野原へ響けば、一方に対するセントラム軍も似たようなもの、しかし規模だけは桁違いで、六千あまりの兵のほとんどすべてが城塞の前に陣形をとれば、それ自体が人間の壁となる。

 いくつかの隊に分かれてはいるが、それらのすべてを指揮するのは三十がらみの若い男で、いかにも軍人らしく筋肉質の身体に屈託のない表情を浮かべている。

 そのひび割れもない、女のような唇が言うのに、


「グレアム軍はすぐそこまで迫っているが、たったの三百、エゼラブルの魔女が加わったところで千とすこしよ。恐るることはない。存分に受け止め、はじき返し、ひとり残らず殲滅させてやればよいのだ!」


 呼応する鬨の声に雲がびりびりと震え、城塞に巣作る海鳥も驚いたようにばっと羽ばたいて北の空へ飛び立つ。

 彼らの左手にはちらと冬の海が見え、前方の小高い丘にいざグレアム軍の影が写れば、陣形がすこし前のめりになる。

 グレアム軍も丘の上、足下にセントラムの大軍を見て、あまりに衆寡敵せず、多勢に無勢で、セントラム軍のかすかな足踏みが大地全体を揺るがすほどに大きく響く。

 両軍は、互いに影を確認できる程度の距離でしばらく動きを止めた。

 先頭で向かう兵士たちも個々を確認できるほどは接近していないが、鬼神めいた視線は両者ともにひしひしと感じ、とくにセントラムの大群は黒々した塊が蠢いているだけで威圧を帯び、グレアム軍の先頭に立つ兵士は槍を握る手に浮かんだ汗を何度も拭わなければならなかった。

 そこへ、天上もこの戦に興味を持ったよう、すっと白い指先で雲をかき回したようにわずかな晴れ間が覗いて、淡い光が両軍の中央にさっと降り注いだ。

 グレアム軍のロベルトは、馬上ですっと背筋を伸ばしたまま身じろぎもしなかったが、やがてとなりの正行をちらと見た。

 正行も普段と変わりない目つき、白い横顔などぞっとするほど冷酷で。


「そろそろか」


 ロベルトが問えば、正行はじっと北の空を見て、こくりとうなずいた。


「行こう。時間だ」


 それがいましも無数の黒い影が北の空に終結し、まるで夕陽でも現れたようにぱっと赤い光が爆発した瞬間で、ロベルトは腰の剣をさっと抜き払い、空に掲げた。

 太く長い剣だが、ロベルトの腕に支えられ、ふらともしない剣先、見えぬ敵を一閃するように振り下ろされれば、


「全軍突撃!」


 三百あまりの雄叫びが一塊となり、陣形などあってないようなもの、どっと丘を駆け下り、土煙が舞い上がれば、その姿も消えて。

 同時にセントラム軍にも号令がかかり、六千あまりの兵士が一気に進み出せば、城塞の向こう、歩行で半日かかるという距離にあるセントラム城にさえ地鳴りが響き、家々の床が揺れるほど。

 舞い上がった土煙はあっという間に視界を覆い隠し、敵味方騒擾し、戦況はあっという間に混沌となる。

 どれが敵かわからず、土煙のなかで影がちらとでも動けばそちらに槍を向け、剣を向け、背後の弓兵も容易には射られぬ。

 セントラムの兵士は土煙に目を細め、そのなかでぐっとあたりをにらみつけて、


「敵味方の確認を! 同士討ちしてはならぬ、敵を探せ! 焦る必要はないっ」


 激しく叫ぶ声に周囲の兵士もはっと干戈握る手を止めてあたりを見回し、周囲が味方ばかりであることに驚きながら敵を探すが、真の驚愕は、土煙のどこを探してもグレアムの兵が見つからぬことであった。

 混乱と戸惑いが兵士のあいだに伝播し、伴って動きをぴたりと止めてゆけば土煙が収まり、改めて味方ばかりが武器を握りしめ、なかにはちょうど同じ旗印でつばぜり合いをしている者までいる、そのくせグレアムの旗印を見つけることは、だれにもできないのだ。


「どこへ行った、連中は? 先ほどまで、そこにいたではないか」


 呆然とあたりを見回すなかで、何人かの兵士があっと声を上げた。

 だれがだれに教えたというわけでもないのに、全員がぱっと背後を振り返れば、小高い丘からでなければわからぬ、北の空を焼き尽くすような赤色を。

 それが疑いなくセントラム城の報告だと知れれば、グレアム軍の消失など取るに足らぬ問題になる。


「しまった、やつらは海から攻める気だ! 地上軍は少数の囮なのだ、全軍城へ戻れ!」


 ぎりと歯を噛みしめれば、城塞から城までの距離が恨まれる、どれほど急いでも半日はかかる。

 燃ゆるのは空ではなく、守るべきセントラム城なのである。

 いまもまた、北の空、巨大な火球が無数に舞い上がり、星のように瞬いたかと思えば、恐ろしい破滅の輝きであり、遠く離れたこの地さえ赤く照らしている。


「戻れ、戻れ!」


 六千あるセントラム兵のうち、純粋にセントラムで生まれ育った国の兵は千近く、ほかはすべて金で雇われた、戦うことを生業とする傭兵である。

 その判断力でもって兵士は、どこかに隠れた囮であろうグレアム軍を探し出すより、いままさに海上から攻められているセントラム城へ引き返すほうが先だと考え、一度は閉じられた城塞を叩き、すべて開けさせ、馬があるものは馬で、ないものはその足で駆けさせた。


「してやられた!」


 と兵士のひとり、城塞に繋がれていただれのものとも知れぬ馬に飛び乗り、とんと腹を蹴り出して歯噛みすれば、馬も激しくいななき、その瞳に燃え上がる北の空を映して弾けるように駆け出した。

 巻き上げる土塊に、城塞の内側は小高い丘がいくつも連なる特殊な地形、駆け上るのはよいが、駆け下りるときにはどの馬も臆病に怯えるのを、無理に手綱で走らせる。

 六千もの兵が、こけつまろびつしながらわらわらとセントラム城へ群がるのである。

 上空からでは、さぞ滑稽な見物であろうが、彼らは一刻を争う事態と、自らの息が苦しく詰まることにも構わず、右足を踏み出し、地面を蹴って、重たい鎧などその場に脱ぎ捨てるものもいる。

 所属の隊を示す旗印もうち捨てられ、それを踏みつけて通る兵士が多数、白い旗にはいくつも茶色く足の型が残って、やりきれぬ。

 城塞の内側とはいえ、広々とした大地、そこに数えきれぬ兵が一心不乱に駆け、馬がそのすき間を縫い、北の空はこの世の終わりのような紫色で、炎の矢が降り注ぎ、海は荒れ狂う。

 さながら、狂気の坩堝である。

 喘ぐ兵士の白い喉、勢い余って転がったところに別の兵士が突っかかり、悪態をつきながら立ち上がった背に馬の前足がのし掛かり、ごりと深く背骨が折れる音、どうと地面に倒れれば、ほかの兵士がわらわらと寄って抱きかかえるが、意識はどうも北へ向けられ、より近い城塞ではなく、城まで引っ張って行こうということになる。

 それが一瞬の騒ぎであるならまだしも、数時間続くのだ。

 兵士たちは見えぬ手に背中を押されるよう、北の空を見上げたまま幽鬼のようにふらふらと進み、そのあいだもエゼラブルの魔女たちによるのであろう攻撃は、激しく燃え上がり、稲妻が走り、とてもこの地方に吹くとは思えぬすべてを凍らせる風が荒れ、かと思えば不意に静寂、しいんと耳が痛むようなのが数時間も続く。

 雲の上で、太陽は東から天球の頂上近くへと上ろうとしている。

 もっとも足の軽い馬が城へ辿り着くまで、魔法による大規模な攻撃は三度行われた。

 それをただ見ていることしかできぬ兵士たち、おそらく城へ帰り着いたころには城下町もろとも破壊されて跡形もないだろうと考えるが、はたしてどうしたことか。

 いちばん乗りが薄く開かれた城門を駆け抜けたとき、目蓋の裏に浮かべたのは、家々が焼け、ひとが焼け、命が焼けて、あたりには生臭く焦げたような匂いが立ちこめ、瓦礫のなかからは深い火傷を負ってほとんど黒こげになった腕や足が覗き、という地獄のような光景であった。

 しかし実際は、城下町に変化なし、むしろ城門から矢のような勢いで飛び込んできた兵士に驚いた顔の住民たちで。


「なんだ、なにが起こった?」


 と兵士が問うやら、住民が問うやら。


「グレアムの、エゼラブルの魔法攻撃があっただろう。途中、海のほうにいくつも船が浮かんでいるのを見たぞ、あれがグレアムの本隊であろうが、城は無事か」


 息も絶え絶え、休みなく走り続けた忠実なる馬もほとんど倒れ込むような様子で言うのに、住民はああとうなずいて、


「派手な魔法攻撃だったが、城にも町にも被害は出ていないぞ。なにをやっているのか知らんが、ほとんど空中で消えちまうのさ。海側の城壁には多少被害があるらしいし、港はすべて閉鎖されているが、町では火事のひとつも起こっていない」

「なんだって? どういうことだ――グレアム軍は、港から上陸したのではないのか」

「いや、そんな話は聞いていないが。それより、もう戦は済んだのか? さっきから魔法攻撃も止んだから、向こうで決着がついたのかと思っていたが」


 兵士は答えず、馬からすべり落ちるように降り立って、港のほうへふらふらと歩み寄った。

 そのころ、城門では次々に馬が到着し、乗る兵士も必死の形相なら、馬もぐっと馬銜を噛み、歯茎をむき出しに、口の端から飛び散るよだれは城下町の路地を雨のように濡らして。

 みな異口同音、口々に言うのは、


「無事なのか」


 の一言、住民の困惑は深まるばかり。

 封鎖された港は、おそらく魔法攻撃の跡であろう、いくつか焦げた天幕や木箱があるものの、被害というなら軽微、ほとんどなしと言ってもよく、打ち寄せる波の向こう、すこし沖合には未だにいくつもの船が浮かんでいるが、目を凝らせば、乗っているのは鎧ではなく平民の服を着た男たち。

 空を見上げても、魔法攻撃を展開していたはずのエゼラブルの魔女たちはすでに姿を消しているらしい、ただ普段よりも濃い霧がじわりと立ちこめ、立っているだけで全身がじっとりと濡れてゆく。

 かくんと地面に膝から崩れたのは、急き込んで戻ってきたものがすべて徒労であったと知ったせい、あとからあとから港へ駆け込む兵士は、


「おい、どうした、城は無事なのか。いったいどうなっている?」

「やられたのだ。なんということか――見事にはめられたのだ」


 兵士はむしろ腹を抱えてけたけたと笑って。

 まだ不安顔が抜けぬほかの兵士は、もしや正気を失ったかとゆっくり後ずさり、自らの目でもって城の無事と、沖に浮かぶ船の影、いつもと変わらぬ海を眺めて、察しのよいものは口をあんぐり、頭の巡りが悪いものはいつまでも愚鈍そうに首をかしげるばかりであった。

 やがて運良く馬を得た兵士三十人ほどが集まって結論したのは、グレアムの作戦にはまったのだ、ということで。


「やつらは、派手な魔法攻撃でおれたちを引き替えさせ、その混乱に乗じて城塞の内側へ入り込んだにちがいない――沖の船は、おそらくグレアムから連れてきた一般人、兵に見せかけ、海上からの侵攻を匂わせるための囮であろう。そうだ、これこそ囮なのだ。城塞の前に終結していたのが、グレアムの本隊にちがいない。やつら、混乱に乗じて一気に城内まで攻めてくるつもりだぞ。城門を閉めよ、もうひとりたりとも城内には入れるな!」


 その号令が飛ぶや否や、城門の衛兵たちは大慌てで巨大な城門を閉じ、すこし遅れて到着した騎兵や、その二本の足で野を駆けてきた兵士たちは城門の前で事情もわからず立ち往生することとなった。

 六千もの兵、それも、縁もゆかりもないような傭兵がほとんど、顔だけでは敵か味方かもわからぬ。

 格好や旗印といって、偽装できぬものではなし、ただ武器を帯びた兵士数千、それも時間を追うごとに増えてゆくのが、城門をぐるりと取り囲む人だかりとなれば、敵ではないとは思いつつ、城下町の住民はなにやら敵が目前まで攻めてきたような不安を覚えるのだった。

 兵士たちにしても、数時間走り続けてようやく辿り着いたところに、城にも入れず状況もわからぬとなれば、ほとんど暴動のようなもの、城門を叩き、なかには打ち壊そうとするものもいて、もはや敵味方の区別などないに等しい。

 そしてどうやらこれがグレアムの作戦だと知れれば、兵士たちは自分のとなりをはっと見て、それが自国の兵士がどうか品定めするように視線を交わしたが、はじめから兵士である証などなく、相手の指先が剣の柄に添えられていると見れば、自らもばっと柄を握り、ぎらと輝く瞳も剣呑で。

 六千もの兵のうち、脱落したものは百にも満たぬが、それ以上の効果が彼らの心理に影響し、いまは味方と信じられるものは互いに顔を知っている者か、おのれのみとなっている。

 セントラム兵の心を殺すものは、エゼラブルの魔女たちでも、グレアム兵の鋭く尖った剣先、その咆吼、血に飢えた黒い瞳でもなく、疑心暗鬼かもしれぬ。

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