流星落ちるはかの国に 2-1
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標準的な形状の長い剣、先がぐいと曲がった奇妙なかぎ爪、剣の両側に無数の棘があしらわれた見るからに受ける傷も深そうな武器、斧も装飾のあるものから細い棒の先に丸く刃物が添えられただけのものまで、百花繚乱の武器展示会、美しくもあるが、恐ろしくもあり。
すくなくとも、なんの理由もなしに立っている正行には、先ほどまで興味深かったのに、いまではすっかり脅されているように思えて仕方ない。
ジーンズにTシャツ、ポケットには財布が入っているのみという正行である。
その場であたふたと見回すも、いままで見てきたようにここは名も知らぬ城のなか、夢でもないようだし、どうしようもない。
と、不意にホールの傍ら、飾られた武器のなかに忍ぶがごときちいさな扉がぎいと開いて、若い男がひょいと顔を出す。
黒髪に黒い瞳だが、彫りが深く日本人の顔立ちではない、細身だが上背もあり、ホールへぬっと出てくればひょろりとした柳のよう、格好は外の兵士と同じもの。
正行が驚いて振り返れば、向こうもぎょっとした顔で正行を見て、ずるずると後ずさる。
やがてその背中が壁にどんと当たれば、なにかに叩かれたと勘違い、飛び上がって驚き、正行にはほとんど聞き取れぬ早口で、しかし明らかに日本語ではない言葉で悪態をつく。
「こ、ここは、どこなんだ?」
正行が口を開けば、男はまたもびくりとして、どうやら体格に似合わず臆病風、壁伝いにするすると動いて、城の奥へばっと走り去ってゆく。
「ま、待ってくれ、ここがどこなのか――」
追おうと正行、城の奥へ進みかけるのに、その薄暗い廊下の先、なにやら屈強な男たちがずらりと四、五人も並んでいる。
上背も筋肉も正行の比ではなく、おまけに、各々の手には無骨な長剣、ひんやりと鉄が光って、正行は思わず両手を挙げた。
「なにも持ってない! 武器なんか、持ってないぞ」
男たちはじろりと正行を睨み、分厚い唇を動かしてなにか言ったが、無論理解できるはずもない、正行はただただ後ずさり、ちらと壁に飾られた武器を見た。
その視線に面従腹背を見たらしい男たち、一斉に声を上げて飛びかかれば、抵抗の隙があろうはずもなく、ものの数秒、正行は両腕をぐるりと縄で縛られて、ぴたりと取り込んでいる男たちの顔を呆然と見上げる。
正行の額にはじっとりと汗が浮かび、ちいさくあごが震えて、夢ならば覚めてくれと願うよう、しかし夢でなければ覚める法もなし。
容貌魁偉たる男たち、口々になにか言うのに、正行は理解もできず首を振り続けた。
男たちは正行の格好をじろりと観察し、このあたりにはない格好、言葉も通じぬらしいと理解して、大きな手のひら、正行の背中をぽんと押した。
どうやら歩けということらしい。
無論、正行は従うから、そのまま暗い廊下へ入って、どこがどこともわからぬうち、壁にかけられた松明だけが照らすじめじめした石造りの階段、どうやら地下へ続く道。
「こ、ここに入るのか?」
いやな予感しかしない正行は一瞬抵抗の仕草をしたものの、太い腕でもってどんと押されればあえなくたたらを踏み、がばと開いた鰐の口、転がるように落ちてゆく。
数段下りれば空気もひんやりと冷たく、息苦しいような気配があるものの、それほど暗くはない、等間隔の松明だけが唯一正行にやさしく道を照らす。
気づけば、正行の後ろに控える男はひとりきり、石段を下りて狭い通路を曲がり、ちいさな木の扉を開ければ、並ぶ鉄格子に武器を構えた兵士がひとり、
「ど、どう見ても牢屋じゃねえか!」
と叫べば、聞き届けられもせず、ぎいと鉄格子を開いてそのなかに押し込まれる。
鉄格子ががしゃん、絶望的な音で閉じられ、四畳程度の独房、腕を縛られたまま正行はぐるりと見回したが、その瞳に浮かぶ暗い色。
どうやら牢屋の客は正行ひとりらしく、武器を持った兵士と鉄格子を挟んで一対一、向こうがのんきそうにあくびをすれば、そんなときでもないのに正行もあくびを漏らす。
「く、くそう、なんだよ、これ――さっきまで普通に歩いてたはずなのに。どこだ、なんだよ」
ぶつぶつと呟いても向こうは知らぬふり、ちいさな椅子に腰を下ろして、足を組み、正行をじいと見ている。
正行はせめてもの抵抗に後ろを向いて、壁に面を向けてどんと座す。
「だるまの気分だ、悟りたいわけでもあるまいに」
ともかくあぐらを組めば、尻から足から石造りの冷たさがじわりじわりと伝わってきて、とてもじっとしていられない。
仕方なく立ってうろうろ、さながら動物園に入れられた猛獣のよう。
「どうなってんだよ。ここはどこだ、おれはどうなった、これからどうなるんだ? こんなことになってるのはおれだけだろうな。あいつは――一巳は無事に帰ったんだろうな。くそ、確認もできねえな。せめて携帯でも持ってきてりゃよかったけど、あっても使えないか、こんなとこじゃ」
同じところをぐるぐる、早口で独りごちれば、外の兵士もどことなく不安顔、狂人とでも思っているのかもしれない。
正行は石造りの牢屋で、ひたすらに考えを巡らせたが、どうしても鎮守の森からこの場所までが繋がらぬ、ぷつりと糸が途切れて無理やり別の糸をつぎ足したように色味がちがうのだ。
夢かと思しき風景状況にあって、そうでないと皮膚感覚、ひんやりした石の非情さから澱んだ空気のかび臭いことまで感じ取っている。
いかに鮮明な夢でも、これほどまでとは思えぬ。
正行は足を踏みならしては感触をたしかめ、壁に触れては指を見つめ、端からはほとんど狂人のような振る舞いで、真実牢獄の扉が開いたとき、外の兵士は明らかに安堵の表情を浮かべていた。
鉄格子のなかの正行もちらとそちらを見れば、ちいさな木の扉、小柄な黒い影がのろのろとくぐって、兵士が出迎える。
言葉はわからぬ、態度で見るに、兵士は正行を横目でなにやら説明しているふう、小柄な影は黒いフードをすっぽりかぶり、顔も見えぬが、ローブの裾から茶色い靴の先がちらと覗いている。
小柄な影は何度か小刻みにうなずき、それが悪魔の相談めいて正行には怪しく映るのだが、裳裾をするすると引きずりながら正行の入れられた牢に近づく。
鉄格子を挟み、向かい合えば、どうやらそれは年寄りらしい、深く皺の刻まれた顔だが、黒い目は炯々たるもの、鋭く正行を見ている。
それが、色味の悪い唇、開いたかと思えば、わけのわからぬ言葉で話しかけられた。
正行は後ろ手に縛られ、諦めと戸惑いのなかで首を振って、
「わかんねえって。英語でもないんだろ。通じないよ」
と矍鑠たる老人も小首をかしげれば、
「では、これでどうか」
「あっ――」
と紛れもない日本語なのである。
正行が驚いて鉄格子へ近寄れば、後ろから兵士がきっとにらみを利かせる。
老人は振り返りざま、兵士になにかちいさく言って、兵士は後ろの椅子へどかりと腰を下ろした。
そして向き直った老人、フードをとれば、禿げた頭に白髪がちらほら、鷲鼻に厚い唇、大作りな顔立ちだが、痩せているせいか異様な鋭さがあって剣呑である。
「兵士は下がらせたが、通じておると考えてもよいのだな」
しわがれた声には厳しさとやさしさが同居し、笑えば好々爺というところ、正行はうなずいて、
「つ、通じてる。日本語が話せるのか。ここはどこなんだ、おれはなんでこんなところに――」
「まあ、聞きたいことが多々あろうことは理解できるが、すこし落ち着きなさい。ひとつひとつ話してもわしは逃げんよ」
と老人は振り返り、兵士になにか言って、ちいさな椅子を持ってこさせた。
自分はそこに座り、正行は立って鉄格子を透かして見下ろせば、
「年寄りの足腰はどうにも言うことを聞かんのだ、失礼させてもらう」
「そ、それはいいけど――その、なんで爺さんは日本語ができるんだ」
「わしは学者だ。とくに言葉というやつを研究しておる。言葉というのはな、不思議なもので、地方によって変化をするが、何気ない変化であってもそれが理に適っておるものなのだ」
その話題に踏み入れれば、老人は椅子のなかでぐっと身体を乗り出して、子どものごとき明るい目、正行がすこし身を引けばわれに返って、さすがに照れた顔で咳払いする。
「いや、まあ、とにかく、言葉を研究しておる学者なのだよ。それでな、ときおりよそからやってくる人間に言葉を教わるのだ。この言葉もはるか以前、ある男に教わったもの。どうやらおまえさんと同じ故郷らしいのう」
淀みのない日本語、違和感のない発音に、老人はどうやら言語学に優れた才能を持っているらしいと正行も目を見張る。
「おれ以外にもいるのか。その、日本からこの世界にやってきたやつは」
「おまえさんがただの若者でないことは、わしらにもわかっておるのだ」
老人はぐっと背もたれに身体を預けて、ローブの袖をさっと払う、その仕草も若々しく。
「ときおりな、あるものなのだよ、こういうことは」
「こういうこと?」
「おまえさん、よその世界からやってきたのだな?」
「そ、そうなんだ、気づいたらここにいて――」
正行は鉄格子に身を寄せる。
手が自由なら、文字どおりすがりついていたにちがいない。
「おれは、どうなるんだ。なんでこんなところにいるんだよ。家には帰れるのか」
「落ち着けというに」
老人はさもありなんという顔、ちいさく息をついて、
「まず最初の、おまえさんがどうなるか、という問題だが、これはおまえさんが決めるべきこと、わしらはどうにも関与しがたい。城内におったため、いまは拘束しておるが、咎もなき身、じき自由になろう。その後どうするかはおまえさんが決めることよ。若い身空で哀れとは思うが、仕方ない。それから、なぜここにおるのか、ということだが、これはわしにも説明できん。なぜか起こるのだ、というしかない。たとえば時ならぬ一陣の風、なにゆえ吹くかといって、説明できる者はおらんのと同じよ。家に帰れるかどうか、これもやはりわしにはどう言ってやることもできん。うまくすればもとの世界にも帰れようが、帰れんことがほとんどだ」
「なんだよ、それ――結局、なんにもわかってねえんだろ」
厳しい口調で言えば、老人も鋭く正行を見返す、それがあまりに厳しい視線なので、正行は力なくうつむいて後ずさり、暗い牢の奥、冷たい石の壁に背中を預けた。
老人はまたもため息、皺の深い顔に哀れの色、
「おまえさんの気持ちもわかるが、仕方ないと諦めるしかないこともある。とにかく、いつまでも縛られたままではかわいそうだ。いま解いてやろう。どうやら害もないらしい」
老人は指先をちょいと上げ、兵士に指示し、兵士が素直に従うところを見ると城での地位も高いらしい。
鉄格子が開き、縄が断たれて、正行は確かめるように自分の両の手を見下ろした。
ぐっと拳を握っては解き、握っては解き、ため息をつけば、瞳にもようやく諦めの気配。
「トラックにでも轢かれたと思うしかねえのか――死んだにしては、中途半端に死んだもんだ」
鎮守の森の前で死んだもの、と思えば、どうやら冷静に考えられるようになったらしい、正行は鉄格子の外をちらと見て、老人にぺこりと頭を下げた。
「すんません、いろいろ」
「いや、なに」
と老人はすこし驚いた様子、指を振って、
「わしこそ、なにもしてやれんが――せめてこの国が平時のとおりなら、城下町で仕事を見つけてやることもできるのだが」
独りごちれば、憂鬱がふつふつと上がってくるものらしい、老人は力なくうつむいて、今度は正行が励ますように、
「よくわかりませんけど、おれ、さっき町の様子を見てきたんですよ。明るくていい町に見えたけど」
「それもひとつの奇跡なのだ。城門を開放し、状況はすべて民衆に伝わっているはずだが、一見変わりのない生活、逃げ出すものなどいやせん。だからこそわしは心苦しいのだ、このよい国が滅びてゆくさまを見るのが」
「滅びる?」
「隣国との戦争がいつ起きてもおかしくない状況にある。おまえさんも、巻き込まれたくなければ早々によそへ逃げるがよい。言葉も通じぬうちは苦労もあるだろうが、じきに慣れる」
老人は顔を上げ、椅子から立ち上がりながら、
「もしあてがないなら、まっすぐ北へ進むがよい。いくつか町を越えれば、やがて海が見える。港町はいつでも若い男を求めておるもの、食い扶持くらいは見つかるであろう」
「はあ――戦争、か」
と正行は考え込み、老人は椅子の背を指でなぞりながら立ち去る足取り。
しかし、
「じゃあ、あれは敵の軍隊だったのかな」
と正行が呟くものだから、とって返して、
「ど、どういうことだ、敵の軍隊とは?」
「いや、ちらっと見かけただけだけど」
とむしろ正行が戸惑って、
「ちょっと離れた野原のところに、黒い影みたいなのがあったから、なんだろうって不思議だったんだよ。いまから考えれば、人間の集団じゃないかな」
「ど、どの方向だ。西か、北か?」
「どっちが北だかわかんねえよ、おれには」
「あっちだ、城の正面が北になる」
「じゃあ、北東かな」
呟いた瞬間、老人の顔からさっと血の気が引いて、そのくせ汗がぶつぶつと浮かび、並々ならぬ表情、椅子の背を握る手もぶるぶると震えている。
「ま、まことか、それは人間の集団だったのだな」
「そうだと思うけど」
「なんということだ――予定より早い。あいつらめ、裏をかいて逃げる隙も与えぬつもりか――遺恨なく根絶やしとは、人間の、誇りある人間のやることとは思えん」
老人は椅子の背を離すと、おぼつかぬ足下で駆け出した。
残された正行と兵士、互いに顔を見合わせ、仲良くかしげるが、どちらも名さえ知らぬ。