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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
古き日の後始末
39/122

古き日の後始末 3-2

  *


 わずかな衛兵を残し、ほぼすべての兵士がセントラムへ向けて出陣したノウム城では、やはりどこか活気を欠いて、明るく振る舞うことを自粛するような雰囲気が漂っている。

 急な勾配で遊ぶ子どもたちも、あまりにうるさくしていると母親に叱られ、しゅんとしょげてそれぞれの家へ帰ってゆくのが、いかにも戦時らしく仄暗い。

 城内はといえば、普段大勢の兵士が詰めているだけ、余計に空白ばかりが目立って、忙しく動きまわっている女中もどこか城の雰囲気から浮きだし、ひとりで演劇でもしているような空々しさなのである。

 かつてのグレアム城からこのノウム城に遷都して以降、王女アリスの侍女となったクレアは、その身の回りの世話以外の業務はないから、一日のほとんどすべてをアリスといっしょに過ごす。

 そのアリスもまた、一日のほとんどを病に伏せる父のそばで過ごすが、いまや王は目を覚ます時間のほうがすくなく、そばにいても手を握る以外のことはなにひとつしてやれぬ状況が続いていた。

 一日に二度の食事も、もはや一口も口にしない。

 わずかに水を口に含み、飲み下そうにも咳込んで、口のなかを湿らせる以上のことはできぬような病状なのである。

 端から見ているだけで苦しげな王の姿に、クレアは何度目を背け、その部屋を逃げ出したくなったことか知れぬ。

 親族たるアリスは、とくにそうだろうと同情するが、父の手を握るアリスの横顔はいつも凛として、疲れの色こそ見えても、気弱な気配は微塵も寄せ付けぬ気高さで。

 それは親子でよく似るところ、病篤い王でさえ、眠っているあいだは苦しげな呻き声も出すが、目を覚ましているあいだは痛いだの苦しいだのとは絶対にいわぬ。

 思わずそんな言葉が口を突いて出そうなときは、親子共々唇をぐっと噛みしめ、喉をちいさく鳴らすだけで。

 その異様なまでの精神力は、クレアには信じがたいものに思われ、一度など病床を離れたアリスに聞いたときには、アリスはかすかに笑いさえして、


「つらいこともあるけれど、そればかりでもないでしょう? つらいことのあとに、一度も楽しいことが起こらなかったなんて経験、わたしはしたことがないの。ほんのちいさなことでも楽しみが待っているなら、そのためにがまんできるわ」

「でも、アリスさま――」


 王の病が回復することはないのに、とは言えずクレア、女中衣装の裾をきゅっと握りしめてうつむく。

 アリスはそれに笑いかけて、


「大丈夫よ、クレア。やがて正行さまとロベルトさまがいい報せを持ち帰ってくださるでしょう。そうすればお父さまもいくらかは元気になられるはず。冬の深い雪に押し込められても、春になれば花は咲くのだから」


 それはアリスの心情でもあったが、同時に城全体がそんな淡い期待だけを頼りに夜を迎え、朝を待っているのだ。

 せめて、戦がうまくゆけば、この冬を控えた苦しい時期も越えられるかもしれぬ、王さえ蘇れば。

 しかし、だれもが信じる王は、いまだ病床で目を覚ますこともなく、やせ衰えた顔に苦渋を浮かべ、荒く息をつくばかりなのである。



  *



 グレアムからエゼラブルへの使者は、すでに馬を替え、返事を携えてグレアムへと戻っている。

 一方で便りの届いたエゼラブルでは、結んだばかりの同盟で兵士のほとんどを呼び出されるのはどうか、という反論も起こっていたが、そこは女王の一喝、


「ごちゃごちゃ言わずに、準備しな」


 で解決され、問題は、とくに了解もなく、自動的に同盟へ組み込まれたらしいオブゼンタル王国である。

 男ばかりのこの国で、エゼラブルからの使者は一言、


「持てるかぎりの兵を出せ」


 と言い残したきり、返事も聞かずに去っていて、あれではまるで上空から石つぶてを当てられたようなものと憤懣やるかたないものの、オブゼンタル王国に暮らすだれもが、


「エゼラブルが言うんじゃなあ」


 と諦め顔、使者がきたといううわさを聞きつけた兵士も自主的に城へ集まり、王に謁見を求めるも、王も仔細知らぬと見えて、


「ともかく、エゼラブルがこいというのだから、行くしかない」


 とのこと。

 そうしてオブゼンタルにあるほぼすべての兵力、数にして四百あまりの兵は、エゼラブルへ向かう厳しい山道を、がちゃがちゃと鎧を鳴らしながら進むのだった。

 そのなかに、当然オブゼンタルの兵士たるゲオルク、ヨーゼフ、マルクスの姿もあって、一班として固まる三人、ヨーゼフは相変わらず寝ているような起きているような顔で。


「まったく、乱暴な命令だよ」


 ゲオルクはぶつぶつと愚痴を言うのに、マルクスは聞くふりをしながら、山に鳥でもいやしないかとあたりを見回している。


「事情も知らせず、こい、の一声だものな。それで、オブゼンタルが自由に動くと思っているんだ、エゼラブルの女王は」

「実際に動きますけどね」


 マルクスは上の空で答えて、


「いまも、こうやって動いているわけだし」

「ううむ、情けない! こんなだから、いつまでもオブゼンタルはエゼラブルの尻に敷かれておるのだ。ここは一念発起、亭主関白なるものを実行せねばならぬ。なあ、ヨーゼフ、おまえもそう思うだろう?」

「はっ……?」


 ヨーゼフはぱちりと目を開けて、きょろきょろ、なぜかほっと息をつき、


「なんだ、夢か……大鳥についばまれるところでした。危なかった」

「そいつはよかったな。ついばまれてしまえば、もっとよかったのにな」

「で、なんです、班長」

「いや、もういい。おれはいま、なぜオブゼンタルが代々エゼラブルの尻に敷かれてきたのか、その一端を見たよ。これじゃだめだ」

「エゼラブルへ行くってことは、久しぶりに嫁にも会えるなあ」


 とマルクスが言うのに、ゲオルクはいよいよため息で。


「おまえは、いいよな。そのくせ、嫁がいるんだ。おれやヨーゼフなんて、独り身だぞ。エゼラブルには若い娘もいるんだろう。紹介したまえ、マルクス二等兵。これは班長命令である」

「紹介するのはいいですけど、班長、ちゃんと家庭を築けますか?」

「ふん、おまえに言われたくはない。おれだって、やるときはやる男だ。なあ、ヨーゼフ」

「はあ、たしかに」

「見ろ、ヨーゼフもこう言っている」

「じゃあまあ、向こうに着いたら」


 とマルクスが言うのに、すこし前を歩く別の班が振り返って、


「おまえら、なんのためにエゼラブルへ行くつもりだよ」

「知ってたら、もうちょっと上機嫌さ」


 ゲオルクは言い返して、


「まあ、兵を使うようなことだ、宴の誘いじゃないことはたしかだが。大方、戦争だろう。ばかな他国が攻めてきたのか、あるいは例の同盟か」

「グレアムと共闘するわけですか」


 とマルクスは言って、眉をひそめる。


「それ、まずくないですか、班長。ぼくたち、例の森でグレアムとはいまいち仲良くしなかったし」

「ううむ、たしかにな」


 とゲオルクも腕組みに。


「あとから聞いた話では、ロゼッタ王女といっしょにいたあの小僧は、なんでもグレアムの重臣らしいしな。あの年で重臣というのも妙な話だが、まあ、なにかわけがあるにちがいない。それにしても、あの小僧が戦に関わっているとすれば、おれたちはいちばん危険な前線に回されるかもしれんな」

「それくらいなら、まあ、いいですけど」


 マルクスはこんがりと日に焼けた、丸太のような腕をぎゅっと抱いて、


「最悪、前線に回されて、後ろから仕返しされるかも……」

「まさか。そこまで陰湿ではあるまいが。しかしこんなことなら仲良くやっておけばよかったな」

「ぼくも、あのあと王女さまになにをするんだって嫁からずいぶん叱られましたよ。仕事だとは言っておきましたけど」

「男はつらいものだな。いつも仕事と家庭の板挟みだ」

「班長は、家庭、ありませんけどね」

「ここから転げ落ちろ、班長命令だ」

「死んじゃいますよっ」

「だからやれと言っとるんだ」


 そんな騒ぎが、四百あまりの大行列、鎧ががちゃがちゃ鳴るのに重なって、越える山全体が騒擾しているようで。

 オブゼンタルからエゼラブルまでは、深い山をふたつ越えて、約一日の距離。

 あまりに山道が深く、馬での行き来はできぬし、雪が降れば歩行もできぬが、おかげでオブゼンタルは他の国から攻められるという危険がまずない。

 城に兵を残さず、ほぼすべてをエゼラブルへ送ったのも、それがいちばんの理由であった。

 山々はすでに冬の気配濃く、針葉樹はほとんど紺に近い色合いで、葉を失った樹木は寂しげに風を受けて、揺れることもなく。

 代わりに、山へぶつかって複雑に乱れる風が巻き上げるのは地面に降り積もった枯葉で、茶色や紅、様々な色が曇天にぱっと散る。

 オブゼンタルを早朝に出た兵士たち、日が傾いて、つるべ落としに夜がくるころ、ようやくエゼラブル城へ辿り着いた。

 四百あまりの兵が、一日歩き続けた疲れを広場に座って癒していると、赤いドレスを纏った女王が堂々たる風格で現れて言うのに、


「同盟を組んだグレアム王国からの救援要請があった。エゼラブルの魔法隊千二百と、オブゼンタルからの兵四百、すぐに移動をはじめるよ」


 やはり、という声もあれば、予想だにしなかったらしい驚きの声も、それを、腕一本をさっと振るだけで黙らせて、


「エゼラブルの魔法隊はすべて飛行することになる。オブゼンタルの兵は、本来であれば歩いて向かうところだけど、今回はそれじゃ開戦に間に合わないというから、ひとりにつき魔法使いがひとりついて運んであげるよ」


 と王女の後ろから、紺色のローブを着たエゼラブルの魔女たちがぞろぞろと現れる。

 フードを外せば、若くて美しいのやら年老いて皺だらけのやら、様々いるのに、オブゼンタルの兵ひとりにつきエゼラブルの魔女ひとりがつくとあれば、期待せざるを得ないのが日ごろ女と隔離された環境で生きている男たちである。

 ゲオルクは、となりで当然のようにマルクスがその妻と連れ立っているのを見て舌打ちしながら、自分のそばにも魔女がやってくるのを待つ。

 夜のことで、エゼラブル城の広い庭には松明が掲げられ、その至るところ、なんとなくもじもじしたような男女の挨拶が交わされている。

 どうやらヨーゼフのところにも魔女がきたよう、どんなものか、とゲオルクが覗き込めば、それが長身痩躯の美しい女で。


「わたしがあなたを連れて行くわ。よろしくね」


 と微笑む横顔もまたぐっとくるものがあって、ヨーゼフめと恨む気持ちが通じたか、眠りこけるヨーゼフはびくりと身体を震わせて起き上がると、別段興味もなさそうに、美しい魔女に会釈するのだった。


「しかし、ヨーゼフがあれなら、おれも期待は持てるはず」


 とゲオルク、ひたすらに待つのに、さっと足下に影が差す。

 きらと輝く瞳は子どものような無邪気な期待に満ちていて、それが赤いドレスの裳裾を見た時点で若干曇り、恰幅のよい女王が見下ろしているのを、薄く口を開いて見上げるに至っては、まるで霧がかかったような瞳の色で。


「なんだい、まだひとり余っているよ」


 と女王が声をかけ、あたりを見回せば、どうやらほかはすべて一対になっているよう、ゲオルクだけが取り残されて。

 女王は腰に手を当て、


「仕方ないね。あんたはあたしが連れていってあげるよ」

「え、じょ、女王が?」


 ゲオルクが思わず後ずさるのに、女王はにたりと笑って、


「魔法の力はいちばんだよ。途中で落としゃしないから、安心しな」

「い、いや、そういうことじゃなくて――」


 女王は、もはや中年の域、かつての美しさは充分に残しているものの、恰幅がよく、いささかゲオルクの好みからは外れる。

 なにより、とゲオルク、女王の顔を見上げて、その気の強そうな眉が怖い、と心中独りごちて。

 そこに、


「もうみんな決まったの?」


 と女王の背中から、ひょいと若い顔が現れる。

 まだ子どもめいた幼さは残すものの、美しさの片鱗を感じさせる王女ロゼッタである。

 しめた、とゲオルク、立ち上がって、


「そ、その、わたくしのようなものが女王さまに運んでいただくなど恐れ多いことで、その、それでしたら、王女さまにでも……」

「ロゼッタかい?」


 ちらと振り返る女王、事情を知らぬロゼッタも不思議顔で、


「ロゼッタは、まだ魔法は未熟で、ひとを連れて長時間の飛行はできないよ。途中で落っことされてもいいなら、別にかまいやしないけど」

「お、落っこと……」

「なあに、別に気を遣う必要もないさ。あたしが運んであげるよ。それじゃあ、みんな決まったね」

「あ、あの、女王さまっ」


 しかし王女はもう振り返りはせず、炎のような裳裾をひらめかせ、


「出発は明朝、目指すは大陸の北端だ。陸路なら何日かかるか知れないが、二日でそこまで行くよ。待ち合わせに遅れちゃいけないからね。それじゃあ、全員今夜はよく寝るように」


 魔女たちの高い声と、兵士たちの低い声、揃って響くなかで、ゲオルクの啾々と嘆く声はだれにも聞こえず、ただ炎のなかへ飛び込んで、ぱちんと爆ぜるのみ。

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