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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
古き日の後始末
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古き日の後始末 3-1

  3


 秋晴れが続いていただけに、季節が冬へ入ってからの悪天候続きは、地上の人間をうんざりさせるのには充分すぎるほどだった。

 このところ空はまったく晴れず、昼夜問わず分厚い雲が立ちこめ、心なしか空を舞う鳥も窮屈そうに羽ばたいている。

 地上の草木も輝きを失い、風がさっと吹けば寒さにぶると震えるようで、雨が降れば凍るように冷たい雨粒であった。

 ノウム城で隊を組み、向かうは北の果て、セントラム城。

 進軍するは三百あまりのグレアム軍で、そこには旧ノウム兵はひとりも含まれず、外部からの傭兵もまた含まれぬ、純粋なグレアム王国の兵士たちである。

 戦闘となれば十人力だが、宿営を張りながらの行軍には慣れぬよう、数日のうちにぽつぽつと愚痴とも不満ともつかぬものが聞こえるようになってくるが、それをうまくとりまとめるのがロベルトの軍事的才覚であった。

 兵のあいだを吹き抜ける北風、すこしでも不満が混ざれば、すぐに兵の先頭に立ち、


「もう数日の辛抱だ。数日すれば城塞も見えようし、そうなれば戦闘は間近、不満があるならそこへ思い切りぶつければよいのだ。しかしここで気を抜けば、肝心の戦闘で気晴らしをする前に負けてしまうぞ」


 それが叱咤するふうではなく、あくまで溌剌とした顔、焦がれていた未来を語るように言うものだから、兵のほうでもなんとなく鬱々たる気分が晴れて、明るくいこうという気になるらしい。

 ロベルトが演説をしたあとは、決まって兵のあいだから笑い声が洩れ、三百の軍勢が健全な明るさに満ち、それこそちょっとした旅行へでも行くような気分になるのだ。

 いまも改めてそれを目撃した正行、ロベルトの馬が兵のしんがりへ戻ってくるのを見て、


「相変わらずすごいな、ロベルトは」


 と感心したように呟いた。

 それをとなりで聞くのが、今回の戦で正行の親兵を任されている若いヤンで、こちらも感じ入ったようにうなずいて、


「ロベルト隊長の才能は、このように兵を率いるために生まれ持ったものなのですね」

「才能っていうよりは、努力なのかもな」


 正行はぽつり、馬に揺られながらで。


「兵を率いるなら、あんなふうに振る舞うことを求められるんだ。できるできないって問題じゃない。やるしかないから、できるようになるんだろう」

「なんの話だ?」


 とロベルトもふたりに馬を寄せて、馬同士も挨拶を交わすように横面をこすり合わせる。

 正行はにやりとして、


「ロベルトはすごいって話をしてたんだよ。これでなんとか、行軍中に兵の士気が下がることもなさそうだ」

「まあ、それがおれの仕事だからな」


 こともなくロベルトは言って、ちらと曇天、強い北風にもくもくとした雲が蠢いている。


「向かい風か。縁起がいいってわけじゃねえか」

「鳥は強い追い風だと前には進めないよ」


 と正行が笑って、


「要は考え方次第だ。不吉だと思うならそうだろうし、吉兆と信じればそうなる」


 これにはロベルトもにたりで。


「若ぇのが、言うじゃねえか」


 正行は照れたようで、


「おれはどうも生まれながらにして生意気らしい。このあいだ、アントンさんにも言われてさ。ほら、アリスのことを呼び捨てにしてるのっておれだけだろ。それでちょっとな」

「アントン殿は細かいことを気にするからな。おれは悪くねえと思うぜ。王女さまだって、おまえさんには気楽に接してほしいと思ってるんだろう。王族じゃねえが、だれからも頭を下げられるのが窮屈だって気持ちはわかる。おまえさんが正しいと思うようにすりゃいいのさ。責任をとるのは自分自身なのに、他人の決定に従うなんてばからしいだろう」

「おっと、ここに謀反の野望を持つ男が」


 当人たちは屈託もなくけらけら笑うが、端で聞くヤンがひやりとするような、聞くものが聞けば危うい冗談である。

 三百の兵を前に、一行が進むのは、ほとんど起伏のない平らな野原である。

 春から夏には様々な草花が生い茂り、一面が天然の花畑と化す一帯も、この時期では硬い地面に雑草が生えている程度、踏みつけるにも心が痛まず、前後左右には果てのない地平線で、いまや大海原にこぎ出しているのと変わらぬ心地。

 方角だけは、太陽の昇る向きでわかるが、この曇天ではそれも心許ないようで、道中で正行は何度か喉を締めつけられるような不安を覚えた。

 すべてが順調に進行しているようで、決定的な間違いを起こしているような、根拠のない不安が身体のなかにわだかまり、なにをしても消えようとはしないのである。

 作戦を見直し、何度も擬似的に戦を繰り返して、その都度自国に厳しく考えるが、それでもまだ死角が存在し、そこからぬっと剣先が突き出す気がしてならぬ。

 それはほとんど精神病に近く、自らの責任で行う戦に、正行の決して立派とはいえぬ身体は早悲鳴を上げているのだった。

 頭上からずしりとのし掛かる大荷物にあって、ロベルトの明るさは正行の救いとなっている。

 しかしロベルト自身にも兵を率いるという大役があり、当然重圧もあろうが、それを感じさせぬ身振りに、正行は自分のあるべき姿を見るのだった。


「エゼラブルのほうは、間に合いそうか」


 ロベルトがぽつり、前方をにらみながら言うのに、


「事前の合流ではどうも間に合いそうにないから、こっちの到着に合わせて現地へ行ってもらうことになってる。そのためにも兵の士気を高めて、予定通りに到着しないと」

「その点はおれが受け持つ。心配はするな。あとは作戦実行の好機を逃さないようにしなきゃならねえな」

「それはまあ、その場の判断でうまく動くしかないけど――おれが心配なのは、むしろノウム城だ。王さまの病状もそうだけど、それよりもアルフォンヌのことが気にかかる」

「ノウムの王子さまか」


 ロベルトもため息で、


「近々、どこかに領地を与えて独立させるとじいさんも言っていたが、それまでは城に住まわせておくしかないからな。自由に出歩かせるわけにもいかねえ」

「でも、幼い子どもを部屋に閉じ込めておくのは決していいことじゃないだろ。いっそのこと身分を剥奪して、どこかの村にでも預けたほうがいいのかもしれないけど、それじゃあ旧ノウム王国の住民からの反発を買う。下手をすれば謀反と内戦だ。それだけは避けたい」


 眉根を寄せて考え込む正行の横顔、ロベルトはじっと見つめて、正行の背中をぽんと叩くのにも親愛がこもって。


「城のことはアントン殿とじいさんがやってくれるさ。おまえさんが気にすることじゃない。おまえさんは目の前のこと――この戦に集中してくれ」

「わかってるよ。だけど、な――アルフォンヌの状況は、おれが作り出したようなものだから、知らん顔するわけにはいかないよ。こんなことになるんなら、入城のどさくさに紛れて……」

「アルフォンヌ王子を殺しておくんだった、か?」


 口を噤んだのをロベルトに読まれて、正行はびくりと身体を震わせた。


「まあ、ときにはそんな非常さも必要だろう。アルフォンヌ王子ひとりの命で、内戦で流される血のいくらかが防げるとすれば、それも悪い選択じゃねえ。でも過ぎちまったことを考えても仕方がねえのは真理だぜ」

「それは――そうかもな」


 正行も、ともすれば俯き加減になる顔をきっと上げ、ぞろぞろと進む歩兵の足音、絶え間なく続く地鳴りのようなのを聞けば、自然と気分も固くなってゆく。

 そろそろ夕方、曇天の向こうに隠れる太陽は見えぬまま、夕焼けもなく、あたりに音もなく薄闇が満ちてゆく。

 兵は行進をやめ、その場に宿営を張りはじめた。

 瞬く間にいくつもの天幕が張られ、松明が掲げられて、押し寄せてくる夜を一部分だけ押し返す。

 このあたりには獣のなく、食料は塩漬けの保存食だが、それでも酒はあり、まだ交戦までしばらく間を置く夜ともなれば、飲めや歌えやの大騒ぎ、月も星も輝かぬ空に人々のきらめきだけが乱反射し、あたりはぽっと熱を持って騒がしい。

 宿営を見張る衛兵も背中がそぞろで、松明の下で槍にもたれかかれば、ぷんと漂う酒の匂いに精いっぱい鼻を鳴らしている。

 正行は、ほかの兵士数名と同じ天幕が寝床だが、そこにも杯の縁からどろりと酒をこぼす酔っぱらいが押し寄せて、あっという間に酒盛りへ。

 こうなっては正行も飲まぬわけにはいかず、ごくりと飲めば、あたりの兵士はぱっと喝采で。


「今日はあたりに女中や女もいないし、飲んでも平気でしょう」

「いやあ、前に城で飲んだときはすごかったものなあ、正行殿は」

「うむ、おれも三十年ほど生きていて、あれほどなのははじめて見たよ」


 兵士たちが口々に言うなか、正行は保存のためにアルコールを強めた酒で、すでに赤ら顔。


「おれ、なにかしたかなあ」


 とのんきそうに呟けば、まわりの兵士はどっと笑って、


「あれ以降、女中のあいだでは正行殿に近づくなかれというお触れが出たそうですよ。まあ、無理もありませんが」

「記憶がないんだよなあ。飲みはじめた最初のほうは、なんとなく覚えてるんだけど」

「まあ、ぐいとお飲みなさい。飲めば、酔ったときのことを思い出すかもしれませんよ」

「ん、そうか。じゃあまあ、もう一杯」


 にたりと笑う兵士に気づかず、ぐいとやればもはや前後不覚で。

 兵士たるもの、いかに強い酒であろうとも飲まれてはならぬというのが当然の決まり、そこへきて正行など酒に飲まれっぱなしで、それがどうやら兵士たちの楽しみになっているよう、今宵も宴はたけなわに。

 閉ざされた空は夜のあいだもわだかまらず、常に臓腑のようにずるずると動いて入れ替わり、しかし下から見上げるかぎりの曇天は変わらず。

 地上から隔離された天上では、冬の澄んだ空気に数えきれぬ星が瞬き、月も煌々、かすかに瞬くのが唯一の動きで。

 星空とて常に動いているはずだが、遅々たるものは往々にして見えず、静止した星座もただ地上を、分厚い雲で覆われた上部を見下ろすのみ。

 あまりに多い星なれば、同じ星々を使って巨人でも大鳥でも鉾でも女子でも作れようが、はるか昔に天上人が線を引いたという決まった星座がいくつかあって、そのうちの三つ、天球を西から東へと這う大蛇と、伝説上の神がふたりと、いまもまだ古い戦争を夜空で繰り広げている。

 その天球がゆっくりと回転し、真夜中すぎ、正行はふらふらと天幕から歩き出し、冷たい夜風に当たってぶると身体を震わせた。

 兵士たちは盛り上がるだけ盛り上がり、夜更かしは明日に差し支えると寝てしまったが、痛飲した正行はそう簡単に眠れるはずもなく、うつらうつらとした矢先に目を覚まして、どうにも明白でない意識を叩き起こすために天幕から這い出したのだ。

 宿営の外では、赤々と燃える松明の下、ふたりの衛兵が夜を徹してがんばっている。

 その邪魔をするのもなんだと考えたのか、衛兵のいない暗闇へふらと進んで、足下を覆う雑草を探りながら腰を下ろした。

 ふうと酒の匂いがする息を吐き、代わりに冷たい夜風を肺の奥まで吸い込めば、どうやら身体もきんと冷えて意識も蘇ったよう、暗闇をぼんやり見る目にも冷静な光が戻る。

 そこへ、後ろから正行を追いかけてきたらしい、ひとつの影が近寄って、


「正行さま、正行さま」


 振り返れば、松明に逆光で、顔がわからぬらしい、正行が目を細めれば、


「ヤンです。大丈夫ですか。ずいぶん召し上がったようですが」

「ああ、ヤンか。やっと酔いも醒めてきたころだ。まあ、座れよ」


 恐縮したヤンは、正行の斜め後ろにどさりと座って。


「眠れないのか」

「はあ――ぼく、いや、自分は、今回がはじめての戦ですので」

「実は、おれもだ」


 にやりと暗闇で笑っても、ヤンには見えぬが。


「やっぱり戦争は怖いな。まだ敵も見えていないのに、つくづく思うよ」

「正行さまでも、恐ろしいと思うことがあるのですか」


 驚いたようにヤンが言えば、正行は首を振って、その動きはかすかにヤンにも見えたらしい、


「自分は、正行さまやロベルト隊長は、もはや戦を怖がってなどいないのだと。ちがうのですか」

「ロベルトはどうだか知らないけど、おれは怖いよ。前の戦争は、ついていったわけじゃなかったからな。それに右も左もわかってなかったし。いまは、この世界のことも知って、兵士ともそれなりに仲良くなった。そういう、さっき笑い合った兵士を死地へ追いやるのが、どうやらおれの役目だ」

「反対ではないのですか。死地から救うのでは」


 正行は振り返り、ヤンの若い頬に情熱の赤が差しているのを見て、自分がそうあってもおかしくはないのだと妙に不思議な気分、また暗闇に目をやれば、そこにぼんやりと戦場を幻視して。


「戦争がなければ、兵士が死ぬことはない。戦争を作るのはおれや王だよ。ま、そこまで言いきるのはどうもおこがましいけどな。だからおれたちは、敵も殺すし、味方も殺すんだ。とくに今回はグレアムの兵だけじゃない、エゼラブルとオブゼンタルの兵も参加する。彼らにはグレアム王国の運命なんて関係ない。グレアム王国が滅んだからといって、彼らの国が滅ぶわけじゃないんだから。そういう無関係な兵を使って彼らに犠牲が出れば、文字どおりおれたちのせいってことになる。まあ、ひとを殺すのは、別にいいんだ」

「別に、いい?」

「おれは聖人じゃない。見えないどこかで、名前も知らないだれかが死んだって、それが自分のせいだって言われたって、なんとも思わない。ただ、名前も顔も知ってるだれかが死んでいって、それは間違いなくおれのせいなのに、おれの手がちっとも汚れない、それがどうも怖い」


 ヤンは言葉を失ってぐっと黙り込み、ただただ沈黙に、風が鳴って。

 正行はふとわれに返ったように顔を上げると、立ち上がりながら、


「悪ぃ、どうもまだ酔ってるらしい。もうひと眠りするよ。いまの話は忘れてくれ。おまえも、ちゃんと寝なきゃ身体が保たないぞ」


 ぽんとヤンの肩を叩いて天幕へ戻れば、振り返ったヤンの幼い横顔を松明がさっと照らした。

 若いヤンの横顔がなにを思うか、それはわからぬままで、東の空が徐々に明け。

 分厚い雲がほんの薄く灰色に輝き出せば、どこからともなく鳥が鳴くのも奇妙で、光はわずかなのに朝の到来がわかるらしく。

 眠っていた兵はごそごそと起き出し、簡単だが栄養のある食事を済ませ、あっという間に天幕を畳み、また隊列を組んで、セントラムの城塞へ向けて行軍を再開するのだった。

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