古き日の後始末 2-1
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揃った一同を見回せば、正行がこの世界へやってきて半年あまり、すっかり知った顔ばかりになっていることに改めて驚くと同時に、妙に心がざわつくような気分になる。
正行が立つとなりには、公私ともにずいぶんと世話になった学者ベンノ、皺だらけの手だけを黒いローブから出し、それで机の端をちょっと掴んで身体を支えている。
その向こうには、どことなく狷介で神経質そうな顔をした四十がらみの男、アントンで、文官としては最高位にあり、この城の内政はほとんどこの男が受け持っている。
青白い顔に、いつもうっすらと汗を浮かべて、瞳は疑り深そうにあたりを見回し、素性のわからぬ異邦人、すなわち正行を見るときはまず警戒と懐疑から入るのも、国を思ってのことと考えれば不審もない。
その奥には武官の最高位、容貌魁偉を絵に描いたような巨躯のロベルトが立っていて、この狭い部屋においては筋骨隆々たるのがむしろ不便そう、頭も天井を掠めて、先ほどからすこし気にしては、
「おれもベンノのじいさんみたいに禿げちまいそうだ」
と呟き、ベンノにじろりとにらまれている。
快活な性格そのままに、明るい瞳とあまり他を拒まぬような大きな手、この時期でもよく日に焼けて、国の客として滞在しているベンノにかような冗談を言うような人柄であった。
ほかに、アントンの補佐をする痩せぎすの男がひとりと、ロベルトの補佐を務める正行よりもいくらか年少の、緊張した面持ちの兵士がひとり、計六人の男がひしめき合えば、この狭い会議室のなかは身の置き場にも苦労する混雑で。
正行とベンノは、すでにふたりで細部まで詰めた作戦の提示を彼らに行ったあと、反応を窺ってじっと押し黙るのに、アントンがぽつりと、
「机上の空論ならいくらでも生み出せましょうが、はて、実際にやるとなればどうなることやら」
これに正行が答えては角が立つから、ベンノが横から、
「実際にやると仮定して、どこが問題になるのか、それを諸君らに聞いておるのだ。思いつく問題点はすべて言ってもらいたい。どれだけ些細なことでも構わん」
「では、ひとつ。そのようにエゼラブルの魔法隊を配置するなら、そのあいだどうやってセントラムの目をよそへ惹きつけておくのです? 配置が気づかれた時点でこの作戦は成り立ちますまい」
「それには目くらましの魔法を使えばいいと考えています」
正行は地図上にさっと指を走らせ、全員がその若い指先に視線を集める。
「だいたいこの位置に待機し、以前グレアム城でも使ったような目くらましの魔法をかけておけば、しばらくは時間が稼げるはずです」
「ふむ、じゃあ、おれからもひとつ」
とロベルトが顔を上げ、
「正直、おれはエゼラブルというと恐ろしい魔女の国という印象しかないが、信用がおける相手なのか?」
「それは直接国へ行って、彼女たちに会ってきたおれが保証する」
正行はロベルトの目をしっかりと見返して。
「たしかに変わった風土の国ではあるけど、人間的には充分信用できる」
「そうか。なら、おれはそれを信じよう」
ロベルトが気楽に言うのに、アントンは未だ納得いかぬ顔、腕組みし、ううむと唸って地図を見下ろしている。
「まだいくつか不明瞭な点はあるが」
とアントンは前置きし、ちらと正行を上目遣いで、
「この作戦がすべて機能したとして、セントラムには確実に勝てると言いきれるのですかな」
「言いきれます」
と正行は今度もはっきりうなずいて、
「でないと、それは作戦としては未完成だ。おれは、この作戦が完璧にいけば、被害も少数でセントラムを圧倒できると信じています」
「ベンノさまも同意見で?」
「うむ――そうだの」
ベンノはゆっくり部屋のなかを見回して、
「ここ数日、寝食を忘れ練った案だ。作戦実行の時期を考えれば、これ以上の案は出ぬとは思う。しかし正行殿の言うように、作戦がすべて機能すれば間違いなく勝利できるとは言い難い。戦とはなにが起こるかわからぬ。仮に作戦がうまくいっても、相手にこちらを上回る策士がおるというなら、話は別であろう。まあ、そのような仮定はしても意味はないが――ともかく、現時点ではわしもこれが最良の策であると信ずる」
「では、ほかに意見がないなら、今回はこの作戦で」
正行は強い視線でぐるりと室内にある顔を見た。
うなずいているロベルト、その後ろで正行の視線にびくりと身体を震わせ、緊張しているようにごくんと唾を呑む若い兵士、表情の読めぬアントンの部下に、まだ思案顔のアントン、しかし異論の声はいつまで待っても出ぬまま、沈黙のなかで視線だけが走って。
「責任は、だれがとるか」
どこからともなくぽつりと出たのに、ベンノがちらと正行を窺うなか、正行自身は視線を動かさず、あえて振り返ることを禁じているような、唇をきっと噛みしめた横顔で、指先だけが心許なさげに机上の地図に触れている。
「おれが取ります。今回は、おれの発案だ」
それなら、と納得したようなアントンはすっと顔を上げ、額の汗を拭う腕が濡れる。
「雪が降るまでにすべてを決着させたい」
正行は机に身を乗り出すように言って、
「作戦実行は、十日後。そのころにはエゼラブルからの返事も早馬で届くでしょう。ただちに出兵して、兵の足ならセントラムの城塞へ着くまで二週間ほどですか。ちょうど後始末を終えて帰ってくるころには雪もちらつくでしょう。兵に関してはロベルトに一任して、そのあいだの内政はやはりアントンさんとベンノのじいさんに。おれはロベルトについて戦場へ出る」
「おまえさんも戦うのかい」
ロベルトが意外そうに言うのを、正行は薄く笑って、
「自分の力不足は自分がいちばん知ってるよ。戦うと言ったって足手まといだろうから、直接先頭に参加することはないけど、その場その場で細かい指示が必要だろうから、いっしょに行くよ。これについても異論があれば」
と待っても意見がなく、ベンノが一言、
「では各々、国を思う自己判断でよいと考えるほうへ動くように」
それでぱっと全員が動いて、ベンノもアントンと連れ立って相談しながら会議室を出てゆけば、正行がひとりだけ取り残されたような形、机に身を乗り出したまま硬直していたのが、ふとだれの影もないことに気づくと、ようやく安堵したように息をついた。
いまさらのように額は汗がにじみ、知らず握りしめていた地図の端もじっとりと濡れている。
手を放しても皺が取れず、苦笑いで正行は細々としたことが書き込まれた地図を見つめるが、それがまるで幼子の成長を見るような目つきで。
その地図の上、ここ数日で数えきれぬほど作戦が書き込まれては消され、いまやほとんど地形も読み取れぬほどだが、最良と信ずる作戦にどこか穴がないかと不安な気持ちには変わりない。
これは遊びではないのだ。
失敗してしまった、では済まされぬ。
正行はふうと息をつき、ゆっくりと頭を抱えた。
「なんの因果かな――半年前まで、ただの高校生だったのになあ。おれよりも頭のいいやつなんて山ほどいるし、おれよりいい作戦を考えつくやつも山ほどいるだろうに、なんでおれだけがこんなことになってるんだ」
最近ではすっかり使わなくなった日本語で呟けば、なんとなく発音がぎこちなく、正行自身驚いた顔、そのあとでひとり低く笑って。
いまや正行は、この国では弱音のひとつも吐けぬようになっているのである。
その責任がずっしりと疲れた身体にのし掛かって、正行はほんの一瞬生気のない顔つきでぼんやりとしたが、すぐにわれに返ると頭を振って、
「こんなことしてる場合じゃないんだ。おれも兵士と会って作戦の説明をしないと。あと追いついてきてくれるエゼラブルへの説明もしなきゃいけないし、そのための資料もいまから作らないと間に合わないな――時間が足りないな、くそ」
ちいさく毒づいて会議室を飛び出す正行、それを外の狭い廊下で、ロベルトの後ろに付き従っていた若い兵士が待ち受けていた。
「あ、あの!」
とまだ頬がぽっと赤いような若者、正行の前ではしゃちほこばって、
「じ、自分はヤンと申します。あの、ま、正行さまと一度お会いしてお言葉を交わしたいと思いまして」
「おれと?」
正行は不思議そうな顔、若い兵士ヤンの、まだ幼い面影を見て、
「別にいいけど、作戦のことでなにか思いついたのか?」
「い、いえ、そうではありません。その、自分は、正行さまを尊敬しておりますっ」
「おれを尊敬だって?」
今度こそわけがわからぬという表情で、ともかく廊下を歩き出せば、ヤンもその後ろを駆け足で追いすがって、
「先ほど、正行さまの発案された作戦を窺い、やはりこのひとの才能は本物なのだと感じました。ぼく、いや、自分は、将来正行さまのような参謀になりたいのです」
「へえ、そうなのか」
正行はいたずらっぽい笑みでちらと振り返り、
「ロベルトのしごきがきつかったのかな?」
ヤンはさっと顔を赤らめ、
「ち、ちがいますっ。そういうことではなくて――その、自分は身体が弱いので、ロベルトさまも、自分は兵士には向かないだろうと」
「それなら、じいさん――ベンノと話せばいいよ。おれより、あのじいさんと話すほうがよっぽど勉強になるぜ。見習うならじいさんを見習うといい」
「で、ですが!」
とヤンは立ち止まり、去っていく正行の背中になにか叫びかけたが、その開いた桜色の唇はなにも紡がず、やがて力なく閉じて、顔も俯き、足下にぽつりと、
「それでも、正行さまがよいのです」
廊下を急ぐ正行は、それにはまるで気づかず、ふと振り返るとヤンの姿が消えているので、部隊に戻ったのだろうという程度に考えて、準備のために迷路のような城中を駆け回るのだった。




