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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
古き日の後始末
35/122

古き日の後始末 1-2

  *


 王の寝室を出て、あてもなく城内のどこかへ向けて歩き出した正行、となりにはベンノが従って。


「セントラムを攻める、か」


 正行が呟けば、横でベンノがうなずき、


「向こうの部屋を会議室としておる。いまはだれもおらんが、覗いてみるか」


 と言ったあと、ベンノは思い出したように、


「おまえさんも旅の疲れがあろうし、また後日でも構わんが」

「いや、いまから行こう」


 正行の横顔には、若者独特の、燃えるような使命感がみなぎっている。


「みんな仕事をしてるんだ。おれも自分の仕事をやるよ。ここでは、戦争の手段を考えるのがおれの仕事だろ」

「うむ……そうか。では、ついてこい」


 ベンノの黒い裳裾がさっと大理石を掃き、正行の靴がそれを追う。

 色とりどりに飾られた小部屋たち、壁一面を黄色く塗った部屋があれば、次の部屋は一面が青、次は紅で、冬にあたる最後は白ではなく春めいた緑になっている。

 それらの四季を越え、ふたりが辿り着いたのは窓のないちいさな、ほとんど牢屋のような部屋、壁にはすでに地図が貼りつけられ、机にもより詳細なものや広域のものが折り重なっている。


「王がセントラム攻撃を言いはじめて、そろそろ二週間になるか」


 ベンノは両手を後ろに、壁に張り出された地図を見て、


「われわれもすぐに検討をはじめたが、いかんせん同盟の帰趨もわからぬし、現時点でのエゼラブルの戦力も予想でしかないからの。いまだほとんど進んでいないのが現状なのだ。まず、地形だが――」


 ベンノの、皺だらけの指がさっと地図上を走り、


「この野原にあるのがノウム城、そこからずっと北上して、ここ、大陸の北端にあるのがセントラム王国、ならびにセントラム城となっておる。途中、集落はいくつかあるが、基本的には野原か荒れた平地、ひとが住む地域はごくすくない。その詳細は別の地図があるから、それを参考にすればよかろう」


 聞く正行も口元に手を当て、真剣な顔で。


「まず注意すべきは、セントラム城より南へすこし行ったところ、徒歩で半日ほどの距離か、そこにある巨大な城塞である」


 地図上、大陸の北端にセントラム王国があるのに、その二回りほど外をぐるりと囲っているのがくだんの城塞らしい。

 城の規模は、地図ではわからぬが、それをすっぽり囲み、海まで伸びる城塞は恐ろしく巨大な建造物にちがいない。


「城塞といいながら、実体は壁のようなものだが、ともかくこれをどこかで越えなければ、セントラム城には近づくこともできん。無論、城塞のそれぞれには見張りもあろうし、総勢数百の兵も詰めておる」

「セントラム王国の、主戦力は?」

「歩兵が主だが、弓も含んで、およそ五千から六千」

「五千から六千……」


 呆然と正行が呟くのに、ベンノも悩ましげにうなずいて、


「こちらの戦力は、どれだけかき集めてもわずかに三百よ。ノウム城侵攻の際、ノウム王国の兵士を味方につけることはほとんどできず終いだったからの。ノウム城にいた兵士三百で、強固な守りを固めるセントラムの兵六千に打ち勝つ策があるか」

「三百対六千か」


 半ば自棄のように正行は笑みを浮かべて、


「普通に考えれば、蚊ほども感じないだろうな。あっという間に叩き潰されて全滅、それでおしまいだ」

「うむ、そうだの」

「せめて、兵として千か二千あればなあ」

「富国はあっても、強兵はせんというのが王の政治であったのだ。自衛以上の兵を持つこと、それ自体が他国への威圧となり、やがて軋轢に変わることは明白、平和な時代を見越しての政治であったが、この戦乱にあってはまるで逆効果」

「いまから増兵するのは?」

「時間が足りん。王もおっしゃっておったであろう、雪が降る前に決着したいと」

「でも、なんで」

「雪が降れば、行軍の足が鈍る。迎えるにはよいが、今回の戦、こちらから二週間ほどかけてセントラムまで兵を進めねばならぬ。ただでさえ数で負けておるのに、雪中の行軍で疲れきった兵ではどう戦うこともできん」

「冬のあいだに増兵を進めて、春、雪解けを待ってから進めるのは――だめか」


 言うそばから、正行は首を振っている。

 その仕草から悲しみが散るのは、王の命がそれまで保たぬと知っているせい、王自身もそれで焦っているにちがいないのだ。

 自らの天命尽きる前、なんとか国の安定をと願うのはいかにも王らしいが、それが他国を攻めるという手段を選ぶのはらしくないと、正行が疑問に思っていると、ベンノが弁解するように、


「セントラム王国とわがグレアム王国には、ちょっとした因縁があるのだ。まあ、それはノウム王国にもいえることだが――その因縁は、いまの代の王たち、すなわちグレアム、ノウム、セントラムの三人の男に関わるものなのだ。王がそれを自分の手で処理しておこうと考えるのは、無理もないこと」

「因縁って、なんだ?」

「そうだの、おまえさんには話しておくべきか――」


 ベンノはちらと正行を振り返り、改めてその人間を品定めするようにゆっくりと眺めて、やがてうなずきひとつ。


「この世界の歴史も、おまえさんにはちょくちょく教えておるが、近代はまだだったの。かつて――といっても、さほど前ではない、たかださ三十年ほど前のこと。大陸北部、すなわちこのあたりには、クロイツェルという巨大な国があった。大陸の北端に港を有し、鉄を産出する山、食物を収穫するのに適した広い野原を持つ大国で、十数代にわたって栄えたが、クロイツェル最後の王はひどい暴君での。自分の気に食わぬものはすぐ死罪、それも親族もろとも連座させ、巷間のうわさひとつでも首が飛ぶほどであった。当然、国中は震え上がって、若い女は後宮へ召され、それを拒否することもできぬ。そんなうわさは大陸を南下して他国にも渡ったが、クロイツェルほど巨大な国に面と向かって異を唱えるものもおらん。しかしこのままではクロイツェルは滅びの道を辿ると立ち上がったのが、当時クロイツェルで兵士をやっておった三人の若者よ。それぞれ、グレアム、ノウム、セントラムという青年であった――あのころは、まだ全員が若く精悍であったな」


 ベンノは昔を馴染む目つきで、口元をすこし緩める。


「三人は手持ちの兵を率いて当時のクロイツェル王国を滅ぼしたのだ。恐怖政治から解放された国民は彼らを英雄と呼んだが、しかしそのあと、作戦上最初にクロイツェル城へ入ったセントラムが兵をそのままに居座ってな、グレアムとノウムはそれぞれ当時のクロイツェル城、いまのセントラム城だが、ここを追い出されるような形になった。その後、グレアムは鉱山近くにあった古い山城に身を寄せ、グレアム王国を名乗り、ノウムは広い野原をとって自らの王国を立国したのだ」

「それじゃあ、グレアムにノウム、それにセントラムは、もともと同じ国だったのか。それも、いっしょに戦った仲間同士で」

「三十年ほど前のことだ。もう覚えておらん人間のほうが多い」


 ベンノはかすかにそれを悲しむような顔色で、さっとローブの裾を払って、


「もとはなんであれ、立国したなら自らの国を最重要に考えるのが当然、ノウムは昔から好戦的で剣呑だったが、一方でセントラムは臆病な性格での。まさか三人のうちでセントラムが真っ先に裏切るとは思っておらなんだが、ともかく。いまやセントラムは外部からの傭兵も含め、五千から六千もの兵を持つ強国になっておる。これが背後に控えておっては、ただでさえ国土に対して兵のすくないわが国は、あっという間に侵犯を受けるであろう。いまはまだ、王の威光が国を守っておるが、王なきとあってはセントラムもなんら気兼ねなくわが国土に攻め込んでくる。その前に片をつけねばならぬことはたしかなのだ。なにも、王のわがままで戦争へ突入するのではない」

「いや、それはわかってるんだけどさ」


 ばつが悪そうに正行は頬を掻き、


「それじゃあ、なんとしてもこっちは三百の兵で六千の兵を打ち破らなきゃいけないってことか」

「そのための同盟でもあったのだ。これでエゼラブルの戦力もわが戦力として数えられる――同盟は、それほど強固なものなのであろうな?」


 厳しいベンノの視線に、正行ははっきりとうなずいて、


「それは間違いないと思う。こっちの戦力は、歩兵が三百と、エゼラブルの魔法隊がだいたい千とすこし。あと、エゼラブルのとなりにあるオブゼンタルって国の協力も同盟の規約に入ってるから、そこの兵が四百くらいだ」

「むう、ではオブゼンタルからはただちに兵を送ってもらわねば、作戦開始までに間に合わんな。しかし早馬を飛ばしてもエゼラブルまで一週間近く、そこから兵でくるとして、間に合うかの」

「それはおれに考えがあるから、なんとかなると思う。それよりも、全部足しても二千には届かない兵で、どうやってセントラムを崩すかだ。これはしっかり考えなきゃ成功しないぞ――とにかく、すぐにエゼラブルへ連絡を送ろう。向こうにも準備があるだろうから」

「うむ、そうだの」


 とうなずくベンノ、真剣な面持ちで机上の地図に見入る正行の横顔を見て、ぽつりと、


「おまえさんも、すっかりこの国の人間となったか」

「ん、なんか言ったか?」


 顔を上げた正行には首を振って、


「兵に伝令を頼もう。それから、アントンとロベルトを呼んで、作戦会議をはじめるか。おまえさんはその前に一眠りしたほうがよいだろうが」

「大丈夫だって。旅っていっても、帰りは別になにもなかったんだ。寝て起きて動いて、普段と変わらない生活だったから、疲れてないよ」

「ふむ、ならよいが。あまり無理をするでないぞ。おまえさんに倒れられて困るのはわしらだからの」

「ああ、わかってるよ」


 正行ははにかむような笑みで、


「今回、エゼラブルでいろいろあってさ、そのへんはアリスに懇々と説教されたから」

「ほう」


 ベンノの目がきらり、子どものようないたずらっぽい輝きで。


「さては、おまえさん、向こうで浮気でもしたか」

「はあ? なんでそんな話になるんだよ」

「いやなに、アリスさまが怒るというなら相当なこと、大方そんなものであろうと思っての」

「アリスとなにがあったわけでもないのに、浮気もなにもないと思うけどな。どっちみち、ちがうよ。そのことも追々話すけど」

「む、楽しみにしておるよ」


 ベンノはにやりとして、その一瞬だけ智者らしからぬ年端もいかぬ子どものような顔だったのが、地図にちらと目をやれば、その老いた横顔、間違いなく大陸に名を轟かせる大学者ベンノなのである。

 今度は正行がその横顔に感心したふう、ちいさくうなずき、自らも机に両手を置いて、指先で地図の端をいじりながら、


「おれもない頭をこねくり回して、なにか策を考えないとな」

「だれの頭に、なにがないと?」

「気のせいだよ」


 狭い会議室に、ベンノの不審げなうなり声だけが響いた。

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