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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
秘宝と王女と大鳥と
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秘宝と王女と大鳥と 6-1

  6


 夜になり、エゼラブル城の一室、しかめっ面のアンナ王女の前で、一匹の猿がしゃくしゃくと新鮮な果物を頬ばっている。


「アレン猿ねえ――あの子らしくない機転だけど」


 肘掛けに頬杖、じっと猿の食事風景を眺めれば、猿のほうでも気になるらしい、ちらちらとアンナを見たあと、食べかけの果物をさっと身体で覆い隠した。


「だれも取りゃしないよ」


 とアンナは呆れた顔、ちいさな猿は不思議そうに首をかしげ、まん丸の目でアンナをじっと見つめたあと、白い歯をむき出して、


「お母さま、魔法隊を森へ飛ばしてください。お母さま、魔法隊を森へ飛ばしてください」


 若い女の声色で言うのだった。

 アンナはいよいよ皺を深くして、


「わかったよ、それはもういい。ゆっくり食いな。ちゃんと役目を果たしたんだ」


 ちいさな猿、きいと鳴いて、またしゃくしゃく。

 アンナはため息をつき、なにをするでもなしにその食事を眺める。

 すでに夜も深まって、晴れ渡った空には数えきれぬ星空、月も満月に近い。

 青白い光が強くあたり一帯を照らしてはいるが、上空からひとを探すにはあまりに微弱、今夜見つかる可能性は低いだろうと思いながらも、どうせベッドに入っても眠れる夜、アンナは肘掛け椅子にどかりと座り、くるはずのない報告を待つ。

 外では冬を思わせる冷たい風が吹き、梟の鳴き声がかすかに流れてくれば、星の瞬きも今日ばかりは空虚にしか映らぬ。

 この暗闇、この寒さ、アンナは不安と不機嫌を合わせたような顔で。

 はあとひとつため息つけば、外の廊下をだれかが走るような足音、普段なら一喝するところが、今日は軽く腰を浮かせ、部屋の前を通りすぎるとがっかりしたように座り直す。

 指先はすこし垂れ下がりはじめた頬を撫で、唇のあたりを行ったりきたり、だれにともなく、


「あの子はあれでいて芯が強い。並大抵のことでは折れやしないが、ときには折れたほうがよいこともある――そのあたり、あの子はわかっていないだろうねえ。その命以上に大切なものなんて、どこにもないんだから……」


 ぽつりと呟けば、こんこんと扉が叩かれて、はじかれたように立ち上がった、その足下でちいさな猿も驚いて、さっと果物に覆い被さって。


「だれだい」


 と声をかければ、向こうからほんのかすかに、


「アリスです。こんな時間に、失礼を」

「なんだい、あんたか――」


 アンナは肘掛け椅子に戻って、疲れたように言った。


「なにか用かい」


 扉がぎいと開けば、床の猿は食べかけの果物を引きずって部屋の隅へ、アリスはちらとそれに視線をやりながら、


「こんな時間に申し訳ございません。あの、新しい情報は」


 と聞くその顔、不安と疲れが入り混じって乱れているが、嘆願するように両手をきゅっと胸の前で握って身を乗り出す様子はただただ美しい。


「なにもないよ」


 アンナは素っ気なく答え、


「まあ、昼夜問わずあの森を空から眺めたところでなにも見えやしない。せめてすこし開けた空間に出てこないとね。それだけの余裕があるなら、こんな不確かな手段で助けを求めたりはしないだろう」


 ふたりの視線が向いたのを感じたらしい、猿はしゃくしゃくとやる口元をふと止めて、まん丸の目でふたりを交互に見た。


「あの森でなにがあったのか、定かじゃないが、すくなくとも獣に襲われて怪我をしたということではないらしい。あの子に限って、その心配は必要はない。あんたのところの若造は知らないがね」


 アリスもそれが心配だという顔、しかし巧みにそれを隠すだけの如才なさはあって、


「どうか、ふたりとも無事に戻ってくれることを」


 と祈るように目を閉じれば、廊下のほうがにわかに騒がしい。

 いくつかの足音が近づいて、またそのまま通りすぎていくかと思いきや、扉が慌てたように叩かれて、


「アンナさま、いま第一陣が戻って参りました」

「見つかったかい」


 扉が開き、報告にきた女兵士はアリスの白い寝間着をちらと見て、


「かまいやしないよ、報告しな」


 とアンナが言うのにうなずいて。


「ロゼッタ王女、ならびに同行していると思われる正行殿の発見には至りませんでしたが、森の奥に、見たこともない巨大な植物が生えているという報告です」

「見たこともない巨大な植物?」


 さすがにアンナも首をかしげて、アリスも意味が飲み込めぬ顔、


「天を穿つような、とてつもなく巨大な植物らしいのです。それが森の奥、ちょうど例の祭壇があるあたりに」

「ああ――それなら、秘宝というやつがどうにかなったんだろう」


 アンナは嘆息し、


「あの仕組みはわたしにもわからないが、奇妙な水晶であることは間違いない。あえて近寄らないようにしていたのに、ロゼッタはあそこまで辿り着いたんだね」


 呆れたように言うなか、ほんのすこし娘を誇るような声色も混ざって、なんとも言えぬ複雑な母親の姿なのである。


「捜索は依然続けておりますが」


 と女兵士はほんのすこし眉をひそめ、


「なにしろ、夜のうちに森を捜索することは困難を極めます。いっそ空ではなく、森へ入って捜索をしたほうが有効かもしれません」

「朝を待って、空と地の両方からに切り替えよう。それでなんとか、見つかればいいが」

「あの、空から捜索でも見つかる可能性はあると思います」


 嘴を挟んだアリスは、アンナと女兵士のふたりににらむような視線を向けられても退かず、ふわりと広がった寝間着の裾を握りしめて堪え、


「ロゼッタさまには、正行さまがついています。ふたりは空からの捜索が行われることを理解しているはずですから、必ず空から見える位置、あるいはそれなりの目印を作って待っているはずです」

「しかし、この暗闇では」

「どうか、お願いいたします。空からの捜索を続けてください」


 とアリスは深々頭を下げ、女兵士は驚いたように目を見開いた。

 アンナは肘掛け椅子のなか、ちらとその様子を見やって、


「一国の王女が、他国の臣下に頭を下げるものじゃないよ」

「では、わたしは王女でなくても構いません」


 アリスはきっと顔を上げて、強くアンナを見た。


「大切な友人のために、お願いしているのですから」

「ふん」


 と鼻白んだ顔のアンナは、つと視線を逸らして、


「空からの捜索も続けさせる。それで成果が上がらない場合は地上から探すしかない。夜を徹して、空からの捜索を」


 女兵士は頭を下げ、訓練された仕草で踵を返したところ、扉の把手に手を伸ばすと向こうからひとりでに開いて、別の兵士が転がるように飛び込んでくる。


「アンナさま、ロゼッタさまを発見、城へお連れしました」

「なに、見つかったかい」


 アンナはがたんと椅子を鳴らして立ち上がり、ドレスの裾をはためかせて部屋を飛び出す。

 慌ててアリスもそれを追いかけて、燭台の炎が照らす横顔、一国の女王と王女ではなく、娘を案ずる母親と潔白なる乙女で。

 ほかに兵士も引き連れて、ぞろぞろと狭い城のなか、硬い石の床に踵を鳴らせば踊るような律動で、アンナのはためく赤い裳裾は熱烈な炎のよう、対して後ろから続くアリスは駆け足と早足のあいだほど、たたらを踏むようになんとか離されないようにと務める様子。

 城の正面、ちいさな木造の扉をどんと開けて広場へ出る。

 禁欲的なエゼラブル城にあっても、今日ばかりは広場に高々と松明が掲げられ、三十人あまりの兵士たち、どれも若い女だが、ぞろぞろとうごめき、いまもまた風に乗ったようにふわりと降り立つ者もある。

 それと入れ替わり、新たに黒い裳裾をなびかせて飛び立つのは、王女発見の報を伝えるためか。

 若い兵士が入り乱れる広場のなかで、男物の服を着たふたりはすぐに見つかる。


「ロゼッタ!」


 とアンナが怒ったように叫べば、地面にぺたりと座り込んでいたロゼッタ王女、びくりと肩を震わせて、きゅっとつり上がった目が恐る恐る振り返る。

 その白い頬は、土かなにかで薄汚れているが、どうやら怪我はないらしい。


「お、お母さま。ただいま戻りました」


 ロゼッタはぎこちなく言って、アンナははあとため息、すぐに怒鳴られると思っていたらしいロゼッタは拍子抜けで。


「怪我もなく、よく戻ったね、ロゼッタ」


 と心から心配するような声には、怒鳴られるよりむしろ心痛めるらしく、口元をゆがめて泣き出そうな顔、しかし涙がこぼれる前に、


「ところで、あんたのわがままでこれだけの大騒ぎになってるってことはわかってるんだろうね?」


 じろりとにらみつけられて、涙も引っ込んだらしい、ロゼッタはびくりと震えて、その手が無意識のうちにとなりの男、雲井正行の腕に伸び、服の裾をきゅっと握る。

 アンナはそれでようやく正行の存在に気づいた様子、腰に手を当て、ちらと見て、


「うちのロゼッタが世話になったね」

「い、いや、世話というか、おれがついていながらこんなことになって申し訳ないというか」


 正行もやはり同様、薄汚れているが、健康には支障ない模様、ぽりぽりと頭を掻く。

 そのとき、アンナの後ろからさっと白い影が飛び出して、正行に近づいた。

 正行が顔を上げる間もなく、ぱちんと破裂音、アリスの白い手が正行の頬をしたたかに打ったのである。

 呆然と頬に手をやる正行に、アリスは立ったまま、はらはらと落涙して、頬を伝った涙の雫が正行の手にぽとり、


「心配、させないでください」


 とアリスは爆発する感情を押し殺したような声で言って。

 正行は、口元に薄い笑みを浮かべて、


「ごめん。悪かったよ」


 と謝る傍ら、ロゼッタはなんとなく立ち入れぬ雰囲気を感じるらしく、ぼんやりとふたりを見ていたが、アンナは若いふたりに付き合ってなどいられぬという顔、ロゼッタの腕をぐいと引いて、


「いったいなにがあったんだい」

「それがね、お母さま」


 ロゼッタはアンナに向き直って、まるで子どものような無垢な瞳、きらきらと輝かせながら、持っていた透明な水晶をぐいと突き出した。


「見て、これ。秘宝!」

「わざわざ持ってきたのかい」


 とアンナの反応がいまいち悪いことにロゼッタは不満げで、


「本物の秘宝だよ。ちゃんと伝説のとおりにあったの。すごいでしょ?」

「まあ、本当にあるから伝説なんだがね。それを探しに、わざわざ森へ行ったのかい」

「ううん、ほんとはちがうんだけど――あ、そうだ。森のなかでね、たぶんオブゼンタル王国の兵士だと思うんだけど、なんか怪しい三人組に捕まっちゃって。それで助けてもらおうと思ってあのお猿さんに頼んだんだけど、ちゃんと伝わった?」

「猿はちゃんときたよ。そうかい、オブゼンタル王国の兵士が……」


 アンナはふと視線を下げて考え込むような仕草、ロゼッタはその前で残念そうに水晶を弄んで、


「せっかく秘宝は見つかったのに、大鳥には出会えなかったなあ。でも、秘宝があったんだし、大鳥も絶対にいるはずだもんね」


 ぐっと拳を握り、またよからぬことを考えているふう、アンナは顔を上げて、


「大鳥なんか探してたのかい、あんた」

「うん。そのために森を冒険したの。でも会えなくて」


 と肩を落としてしょげるロゼッタに、アンナはからからと笑って、


「あんた、妙なところでばかだねえ。伝説の大鳥が本当にいると思ってるのかい?」

「い、いるよ、きっと。だって秘宝もあったんだもん!」

「秘宝と大鳥とはまた別さ。伝説の大鳥ってのはね、本物の鳥のことじゃないんだよ」

「え、本物の鳥じゃないって、どういうこと?」

「大きくて、強くて、優しくて、気高くて――大鳥と出会えば幸せに暮らせるってのはね、この地方に伝わる比喩さ」

「比喩?」

「つまり――」


 アンナは冗談めかすように片目を閉じて、


「そういう男を捕まえれば、その先の人生を幸せに生きられるって話なんだよ」

「お、男ぉ?」

「あっさり言っちまうと具合が悪いから、鳥と言ってるだけなのさ。大人になれば自然と気づくもんだけどね」

「そ、そんなあ……」


 がっかり、と肩を落とすロゼッタだが、アンナは傍らに正行を流し目で、


「まあ、その方面でも収穫はあったんじゃないか」


 しかしロゼッタはまったく気づかぬ顔、


「うう、ほんとにおっきい鳥がいるんだと思ってたのになあ……」

「あんたにはもうすこし先の話かねえ」


 ため息をつくアンナだが、ともかく、王女とその付き添いは冒険を終えて無事に家へと帰ってきたのである。

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