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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
秘宝と王女と大鳥と
28/122

秘宝と王女と大鳥と 4-3

  *


「ロゼッタ」


 と正行ははたと立ち止まり、くいくいと手招きでロゼッタを呼ぶ。

 すこし先まで行っていたロゼッタは木の根をひょいと飛び越えて戻り、正行に並んで、


「どうしたの、なんかあった?」

「いや、あの木、なんか不思議だなあと思って」


 正行が指さす先、ロゼッタが目を向ければ、ああとうなずいて、


「あれね、たしかに珍しい木よ」


 幹の太い木々ばかりが密集しているなか、その木だけは幹も細く、表面は白く枝も儚げ、柳にも似るがどこかちがう。

 まだ高さも正行の腰ほど、これから成長するのだろうが、これだけ立派な木々のなかではその儚さが余計に際立つ。


「いまはまだ若い木だから大丈夫なんだけど、あれがもうすこし大きくなったらね、まわりに胞子を出すようになるの」

「胞子?」

「花粉みたいな感じかな、あの木の胞子はちょっと変わってるから」


 とロゼッタは歩きながら講義を続け、


「その胞子はね、動物が吸い込んだら強力な幻覚作用をもたらして、ひどくすればそれだけで死んじゃうこともあるくらいなの。まあ、人間くらいに大きな生き物なら、たくさん吸い込んでも死ぬことはないけど」

「はあ、幻覚か。やっぱり怖い森だなあ」


 正行がちらと振り返りながら言うと、ロゼッタも笑って、


「この森には怖いものがたくさんあるから、あたしから離れないようにね」

「へいへい――じゃあ、あの木を見かけたら近寄らないようにするのが正解なのか」

「うーん、それもちょっとちがうかな。目に見えないくらい細かい胞子だから、もうあの木が見える位置まできたら相当吸い込んじゃってるはずだもん。だからね、まだ胞子の幻覚作用がすくないうちに、これは幻覚だって気づくことが大切なの。深い幻覚に入っちゃうと外からの刺激があってもなかなか起きないから」

「ってことは、もし知らずに幻覚を見たら、死ぬまで気がつかないのか」

「ううん、胞子の作用に身体が慣れれば、幻覚も消えるけど――そうだなあ、十時間くらいは幻覚を見続けるのかな? こういう森だと、十時間意識がないのは危ないから、正行くんも気をつけてね」

「ほんと、気をつける」


 正行は実感を込めて深くうなずく、ロゼッタはそれを振り返り、くすくすと楽しそうな笑みで。

 ふたりは、ロゼッタの的確な導きもあって、ほとんど迷わずに森のなかを進んでいる。

 場所はすでに森の中央近く、しかし景色は一向に変化せず、相変わらずの木々に相変わらずの枝や蔦、ここへくるまでに一度、正行が見たこともない奇妙な獣に出くわしたものの、向こうが怪我をしていたこともあって襲われるようなことはなく、むしろロゼッタが手当をしてやるとどこからともなく木の実を持ってきて渡してくれたほど。

 外見は虎と猿を足したような、なんとも奇妙な動物だったが、ロゼッタにかかればそんな動物でも友人になれるらしい。

 正行はそれを端から見て、うらやましいような、微笑ましいような。

 ともかくそんなこともあって、一度は立ち止まってもらった木の実で腹を満たしたが、それ以降は休みなしの行軍、そろそろ日も傾いてきたらしく、森のなかは一層暗さを増している。

 昼間から薄暮のような森だったが、本格的に空が暗くなりはじめれば、たちまち影を深めてはどことなく凶暴化した雰囲気、立ちふさがる枝や葉も意味深長で、その向こうから剣呑なる獣が飛びだしてくるような気配ばかりはあるのだが、実際に構えて枝を払ってみればなんの姿も見えぬということが数えきれぬほど多い。

 正行の体力もそろそろ限界、夜のうちに森を進むのは不可能だろうという判断で、ふたりはどこか休めるような場所を探して森のなかを彷徨っていたが、不意にロゼッタが、


「あっ」


 と声を上げ、がさがさと草をかき分けて進みはじめた。


「なんだ、どうした」


 正行も追えば、いままで木々が密集した場所ばかり通っていたところに、ぱっと開けた空間に出る。

 そしてそこは、


「泉!」


 ロゼッタはうれしそうに駆け寄って、青く澄明な水に指を浸し、冷たく染み入るのを楽しんでいる。

 正行も開けた空間へ歩み出て、空を見れば、久しく見ていなかった曇天だが、雨はどうやら止んだよう、龍の鱗のようにもくもくと雲が折り重なっているものの、これから晴れてゆきそうな気配もある。


「よかった、きれいな水があって」


 ロゼッタはその白い手、水に浸してはすくい上げ、さらさらと指のあいだをこぼれ落ちてゆく雫を眺める。

 目をきゅっと細めてよろこぶ顔はいたずらっぽく猫のよう、正行はそんなロゼッタを後目にあたりを見回し、


「水と場所があるのはいいけど、この近くで朝を待つのはやめたほうがいいだろうな。きっとほかの動物も水を求めてこのあたりへくるはずだし、その動物が凶暴じゃない保証もない――なんだよ、その顔は?」


 ロゼッタはまるで呆然、正行を仰ぎ見て、


「正行くん、なんか、賢いひとみたいだよ?」

「みたいってなんだ。どういう印象なんだよ、おれは」

「運動神経が悪くて、体力がないひと」

「ぐっ……ま、それは事実だけどな」


 あけすけな言葉に、やはりこういう異性は苦手だと正行は改めて思うが、ロゼッタのほうではそうでもないらしい、にっこりと笑って、


「ほんと、正行くんの言うとおり、このあたりで寝るのはやめたほうがいいかも。でもここへくるまでに汗もかいたし、ちょっと水浴びするくらいはいいよね?」

「まあ、それくらいは――水浴び?」


 と首をかしげる正行のとなり、ロゼッタはすでに服の裾を掴んで、ぐいと掲げる途中で。


「ま、待てって! そういうのはまわりをちゃんと見てからしろよ、まったく」


 正行は慌てて森のなかへ戻り、泉へ背を向ける。

 くすくす笑い声が聞こえてくることを思うと、ロゼッタもからかったにちがいないが、


「ちゃんと見張っててね」

「わかってるよ」


 ふたりきりで、雨も止んで、こんなときに限って周囲で物音もなく。

 森閑たる森のなかをぐいとにらみつけても、背後からするすると聞こえてくる衣擦れ、正行はぶんぶんと頭を振って邪念を追い出す。

 やがて、ぱちゃぱちゃと水音、なんとなく艶めかしげに聞こえて、正行は耳まで赤くなりながら意識を必死に泉から離す。

 薄暗い森のなかをぎょろりと焦った視線が走れば、すぐ近くの木の根元に変わったものを見つける。

 赤茶けた、木の実のようなものらしい。

 手慰みにと近づいて、指先で突いてみれば、丸い木の実がぱんと音を立てて破裂した。


「わっ――」


 と後ずさって驚けば、


「どうしたの?」


 と聞く声、正行は何気なく振り返りながら、


「いや、木の実みたいなのがあったから突いてみたんだけど、突然はれ――」


 青く静謐な泉を背景に、ぼんやりと浮かぶ白い身体の輪郭、正行は言葉を失って、ほんの一瞬視線を止める。

 白く輝くような足首に、せめて身体を隠す白い腕、ゆったりとふくらんだ胸のあたりに、解いた赤毛がさっと鮮やかに散って。


「きゃあっ――」


 ロゼッタが身をかがめるのと同時に、正行もばっと背を向けて、


「す、すまんっ。見えてないから!」

「うそ! 絶対見えたもん、いま」

「見えてないって、ほんとに!」

「う、うう……」


 益体のない議論に、果ては納得いかぬようなうなり声、正行は泉を背にどかりと座って、一瞬で目蓋に焼きついた光景を一心不乱に追い払う。

 ぎゅうと目を閉じて、何語か定かではない念仏を呟けば、背後で衣擦れ、とんと肩を叩かれて、


「もういいよ」


 と赤い顔のロゼッタが立っている。

 まだ髪は解いたまま、肩のあたりで毛先が踊っているのを見て、正行はまた思い出したらしい、もぐもぐとなにか言うのに、


「今日一日でわかったけど、正行くんは結構えっちなんだね」


 ロゼッタは赤い頬の上、じろりと後目で。


「ほ、ほんとに申し訳ない」


 正行は平謝り、悪気がないことはロゼッタもわかっているから、ふんと鼻息も荒く腰に手を当て、


「ま、今回は許す。でも次やったら、怒るからね」

「やらないって、ほんと」

「じゃあ、正行くんもちょっと汗流したら? あたし、ここで待ってるから」

「お、おれも?」


 どうしようかなあ、と首をかしげる正行、ロゼッタは調子を取り戻したようににやりとして、


「お返しに、覗いちゃうかもね」

「や、やめろよ。っていうかおれも覗いてねえよ」


 正行はなんとなく恥ずかしげに泉まで寄って、その明澄な水をちらと見たあと、周囲を気にするように服をもぞもぞ。

 しかし男がなにを照れているのかという気分にもなってきたらしく、最後には豪快に脱ぎ去り、冷たい水を浴びて一日分の汗と疲れを流した。

 それから服を着直し、ロゼッタのところまで戻れば、ロゼッタも髪をひとつにまとめ終わってそれまで通りだが、なぜか頬だけがほんのり赤い。


「どうかしたのか」


 と聞いても、


「な、なんでもないっ」


 首をぶんぶん振るばかり、なにも答えようとはしなかった。

 正行は首をかしげつつ、ともかくほかの動物がくる前に、と泉を立ち去り、再び蒸し暑い森のなか、草木をかき分けて進みはじめる。

 頭上は再びちいさい葉や大きい葉が折り重なって塞ぎ、空は見えぬが、あたりは刻一刻と暗闇に。

 足下もおぼつかぬせいで、正行は何度か木の根に引っかかって転び、ロゼッタさえ難儀する様子、ふたりは仕方なく大したすき間もない場所で夜を明かすことにして。

 周囲の葉を何枚かちぎり取って、それを腐葉土に敷いたり、朝露をしのぐために被ったり、即席の寝床ではあるが、被るものがあるとなんとなく落ち着いて、ふたりは狭い空間で寄り添うように横たわった。

 正行は木の根元に頭を置いて、すぐ頭上がたくましく伸びる幹を見上げる。

 その表面を昆虫が這い、あるいは動物が掴み、枝には鳥が止まって、さらに上の葉は風を受け、考えてみればたった一本の木が世界のすべてを象徴しているようにも思われる。

 深まる暗闇、あっという間に木の上部は見えぬようになって、すぐ眼前で揺れる葉の根元すら怪しい。

 息をひそめれば、ざあざあと葉が擦れ合う音、そこへ加わる嫋々たる鳴き声、どうやら鳥かなにかのよう。


「ねえ」


 ととなりでロゼッタが言うのも、あたりの静寂を壊さぬよう、自然と囁きになっていて。


「この木の幹に耳を当ててみて」

「木の幹に?」


 太い幹の両端に寝ているふたり、揃ってひたと幹に寄り添い、耳を当てれば、さらさらと水が流れる音。


「雨の音かな」

「ううん、この木の内側を水が移動する音だよ。すごいでしょ」


 ロゼッタは自分のことを誇るように言って、


「それにね、もうすこししたら、すごいものが見られるかも」

「なんだよ、すごいものって」

「それは見てからのお楽しみ」


 含み笑いもやさしく響いて、森のなか、長い夜が訪れる。

 ふと気づけばあたりは本格的な暗闇で、目を開けているのか閉じているのか定かではないほど、正行は半分起きているような、半分眠っているような感覚で木の根に頭を預け、ぼんやりと暗闇を眺めていた。

 一日通してよく歩いた足はじんじんと熱く、そのくせ身体はぐったりと重たい。

 意識はといえば妙に冴えていて、この奇妙な森をほんのすこし好きになりはじめていることを自覚する。

 もちろんそれはロゼッタのおかげにちがいなく、無邪気でどこかつかみどころのない性格はどことなく妹と似ている、と正行が暗闇のなかでちいさく笑えば、


「正行くん、見て」


 とロゼッタの囁き声、ロゼッタの手が正行の腕を掴む。

 正行はすこし頭を上げ、暗闇のなか、ぐるりと見回した。

 はじめは依然変わらぬ漆黒の闇に思われたが、ふとその視界の端に淡い光、ほんのりと青い蛍のようなものが宙をふわふわと舞っている。

 光の大きさは蛍と大差ないが、点滅はなく、また風に舞い踊るような、滑らかで楽しげな光の軌道であった。

 あたりが強い暗闇のせいか、そのやわらかな光が動けば空中に光の筋がすっと尾を引き、余韻を残してゆっくり消えゆく。

 正行の瞳に青い光が映り込めば、すぐとなりで眠るロゼッタの瞳にも同様の光、ふたりの顔がぼんやり照らされる。

 まずはひとつの光だけが舞い、漂っていたのが、気づけばどこからか別の光がやってきて、ふたつが巧みに踊るよう、つかず離れずに動きまわって、光の舞踏である。

 片方がくいと曲がればもう片方も従い、上昇すれば方や下降して、離れたかと思えばぴたりと寄り添う。

 それが三つの光になり、四つになり、気づけば、ふたりの目の前は星のように無数の光で満たされている。

 数えきれぬ光点が飛び交い、ひとつでは儚いが、集まれば紺碧なる空も照らせよう、あたりは冷たく澄みきった青い光で満たされて、正行とロゼッタはその光のなか、ゆっくりと顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。

 それからまた光の饗宴に見入るふたり、果たしていつしか手が重なり合っていることに気づいているだろうか。

 視界いっぱいの光たち、そのうちのいくつかがふたりの間近までふわふわと漂い、正行の頬を撫で、ロゼッタの鼻先にちょこんと止まる。

 正行は光の正体を確かめようとゆっくり腕を上げたが、光たちはするりと逃れ、またすこし離れたあたりをふわふわと飛ぶばかり、臆病でありながら、好奇心は旺盛に思われた。

 しかし風が一陣、どこからともなく吹き込めば、光はすべてそれに翻弄されて風下へ、激流に飲まれて流れ去ってしまうのを名残惜しげに見守って、ロゼッタがちいさく息をつけば、またあたりは鼻先も見えぬ暗闇で。


「どうだった?」


 と聞くまでもなく、


「きれいだった」


 正行は感じ入った様子で呟いた。

 ロゼッタもうれしそうにうなずく気配、


「あれだけたくさん見られたのは運がよかったね。ひとつかふたつ見られればいいくらいと思ってたけど」

「なんだったんだ、あれ。虫かとも思ったけど、羽ばたいてる感じでもなかったし」


 と正行は光が触れていった頬を撫でている。


「あれはね、あたしの国では妖精って呼ばれてるの」

「妖精?」

「そういう名前の植物。あれの正体はほんのちいさな綿毛でね、その先端が光るようになってるのよ。本当に軽い綿毛だから、風が吹くだけで飛んでいっちゃう。それも、月明かりもないここだからあんなにはっきり光って見えるんだよ」

「綿毛か、なるほど。だから腕を上げたら、その風で飛んで逃げちゃうんだな」

「この森も、怖いばっかりじゃないでしょ?」


 笑うようにロゼッタが言えば、正行はなんとなく認めたくはないという様子で、


「まあ、そういうことだな」


 と言った。


「じゃあ、見たいものも見られたし、明日も移動しなきゃいけないから、寝よっか」

「ああ――どっちかが起きて見張らなくても大丈夫かな」

「これだけ暗いところではほかの動物も見えてないから、大丈夫だよ。梟だってこれだけまっ暗だとなにも見えないはずだもん」

「そういやそうか――じゃ、安心して寝るかな」


 正行は手を後頭部にあてがおうとして、はじめてロゼッタのやわらかな指がやんわりと載っていることに気づいた。

 どきりとして手を退けたものかどうか迷ったものの、ロゼッタのほうはあくまで動かさぬふう、それならと正行も手は下ろしたまま目蓋を閉じた。

 目前の暗闇にも似た目蓋の裏で、しばらく青い光が舞い踊り、それを目線で追いかけているうち、正行の意識は夢のなかへと落ちてゆく。

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