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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
秘宝と王女と大鳥と
27/122

秘宝と王女と大鳥と 4-2

  *


 悪魔の森とはよく言ったもの、悪魔の姿は一向に見えぬが、その指先だけははっきり感じて、惑うもここまでゆけば大したものと自ら感心したくなるようなゲオルクである。

 森へ入って、果たして何日目か。

 いかんせん森のなかは常に薄暗く、昼間でも夜のように暗い場所もあるから、いつ陽が昇っていつ沈んだのかも定かではない。

 ただ、いつの間にか雨が降り出したらしい。

 頭上を覆う憎たらしい葉の先から、ぽつりぽつりと水滴が落ちてくる。

 それは貴重な水だから、しっかり保存しておくが、それにしても、とゲオルクは部下ふたりを振り返った。

 枝を折り、蔦を裂いて作った、ようやく身体を休められるちいさな空間である。

 どこへいっても鼻につく土や草の匂いはいかんともしがたいが、すくなくとも幹に寄りかかって眠るよりはいくらかまともな寝床を草でしつらえ、この森のなか、すっかり野生化した人間の巣と化している。

 マルクスは、まだこの状況に納得がいかぬよう、小声でぶちぶちと呟きながら葉の位置を確かめたり、這い寄ってくる蟻を払ったり、そのとなりではヨーゼフがいかにも気持ちよさそうな顔でぐうぐうと寝息を立て、頬を蟻が這うのも気にせぬよう。

 ゲオルクは森へ入る前からすこし痩せた頬を撫で、ひげが伸びてざらざらと指に触れるのを確かめながら、自らの寝床に戻る。


「班長」


 とマルクスが泣き顔で言うのを、ゲオルクはさっと手で制して、


「みなまで言うな。何度言ってもだめなものはだめ、秘宝を見つけ出すまで森から抜け出すことは許さん」

「そんな。このままじゃぼくたち、死んじまいますよ」

「たとえ死んでも、だ。それに、どうやって森から出る? もうどっちがどっちだかさっぱりわからんぞ」


 森へ入って十日あまり、さすがにこの森で生きる生物たちにも慣れ、はじめのころのように追いかけ回されては道を失うということもなくなったが、慣れるまでにあまりに動きすぎて、もはや自分たちが森のどこにいるのか検討さえつかぬ三人であった。

 ゲオルクは大きな葉を敷いた地面に寝転び、さらに何枚かの葉を細い蔦で繋ぎ合わせた布団を被って、ごろんと寝返りを打つ。

 すると後ろからほんのちいさな声で、


「班長の無能」


 との怨ずる呟きが耳朶を打ったが、ゲオルクは聞こえぬふり、この寛大も班長の務めであると鼻を鳴らす。

 しかし、一度は無視しても、


「班長の無能。班長の無能」


 二度三度こそこそと囁かれては、さすがにかちんときたらしい、ゲオルクはばっと葉の布団をはね除けてマルクスを見れば、マルクスもちょうど横になったところ、驚いた顔でゲオルクを見上げる。


「一度は許すが、上官への悪態は重大な服務規程違反だぞ、マルクス」

「ぼ、ぼくは一回しか言ってませんよ」

「うそをつけ、何度も聞こえてきたぞ」


 という矢先、


「班長の無能、班長の無能」


 それが明らかにマルクスの声で。

 おまけにくすくすと笑うような声まで混じっては、ゲオルクはかっとして、


「ええいこそこそと鬱陶しい。言いたいことがあるならはっきり言ってはどうだ、マルクス」

「ぼ、ぼくじゃありませんって!」


 両手と首をぶんぶん振って否定するが、聞き間違えようのないマルクスの声がなおも、


「班長の無能、班長の無能」


 と繰り返すから、ゲオルクはこの森へ入ってからの苦難に気が立っていることもあり、頭に血を上らせてマルクスに飛びかかった。


「観念しろ、マルクスめ」

「は、班長、ぼくじゃないんですって!」

「せめてごまかすならもっとうまくごまかせ! どう聞いてもおまえの声だろうが」


 怒鳴ってマルクスに飛びかかるのはよいものの、体格では明らかにマルクスのほうが立派、マルクスはその丸太のような太い腕でゲオルクを押さえ込み、ゲオルクはばたばたと暴れるが、まるで父親に叱られてだだをこねる子どものようですらあって。


「ええい、離せ、離さんかっ」


 とゲオルクはじたばた、マルクスも困った顔で。

 すると明らかに樹上からくすくすと笑声響き、おやとふたりが動きを止めて見上げれば、近い枝にちいさな猿が二匹、白い歯をむき出しにして威嚇しているのか笑っているのか。

 その口がもぞもぞと動けば、


「班長の無能、班長の無能」


 とマルクスの声で言うのである。

 ゲオルクはぱっと飛び起き、剣を抜き払うと、


「おまえたちの仕業か、こいつ、こいつ」


 と宙に向かって剣を振り回すものの、二匹の猿はするすると幹を上ってさらに高い枝へ逃げ、枝から枝へ飛び移りながら、


「班長は無能、班長は無能」


 と叫び、甲高い声で鳴くのだった。

 ゲオルクは剣の柄を握りしめ、ぐぬぬと唇を噛んで怒りに打ち震え、


「あの猿どもめ、今度見かけたら焼いて食ってくれるわ」

「班長、猿どもとは、あまりにひどい言いぐさ」

「猿に猿といってなにが悪い? ああくそう、腹が立つ。おい、ヨーゼフ、いつまで寝ているんだ、起きろ」


 森のなかで長身痩躯を横たえるヨーゼフは、頬をぺしぺしと叩かれ薄く目を開けて、


「ああ、班長、おはようございます」


 と言いながら再び目蓋を閉じている。


「こら、寝るな、起きろ。寝たら死ぬぞ」

「寝なくても死にます、おれの場合は」

「む、まあ、そうかもしれんが、とにかくいまは起きろ」


 ヨーゼフは渋々目をこすり、身体を起こして、大きなあくびをひとつ、いまさらゲオルクが剣を抜いていることに気づき、


「どうしたんですか、班長。またなんか化け物でも?」

「いや、猿だ。あの猿ども」

「班長、いくら敵とはいえ、猿どもとはひどいお言葉」

「だから、ほんとに猿なのだ。猿ども以外に呼び方もあるまいに。まあ、そのことはもういい。とにかく探索へ出るぞ。なんとしてでも森の奥へ入って、秘宝を見つけ出すのだ。そうすればこんな森、さっさとおさらばできるというもの」


 怒りで奮起しているゲオルクに、ヨーゼフはなんとなく面倒そうな顔色、しかし逆らうわけにはいかぬから、渋々立ち上がる。

 ゲオルクは拠点となるこの広間の片隅、ひときわ太く立派な木の幹に、これもまた太く丈夫な蔦をぐるりと結びつけ、その一端をしかと握った、そうしておけば、最低でもこの場所へは戻ってこられるという寸法。


「よし、行くぞ!」


 とゲオルクは剣を掲げ、先頭を行く。

 ヨーゼフはあくびを噛み殺し、マルクスはしゅんとしょげた顔、ともかくあとに続いて、探索をはじめた。

 住処の周囲は、すでに探索が済んでいるということもあり、あまり緊張がない。

 周囲の木には探索済みを意味するちいさな切り傷が彫られ、それが背の低いゲオルクに合わせた高さにあるものだから、長身のヨーゼフとマルクスは身をかがめなければ探せないのだが、さすがにその不満はぐっと飲み込んでいる。

 ゲオルクは短剣でもって枝や蔦を斬り倒しながら進み、時折頭上を見上げて方角を確認するような素振りを見せるが、空も見えぬ状況で正確な方角がわかるはずもない。

 ただ部下にみっともない顔は見せられぬと、まるで思い通り進んでいるような顔、あごをぐいと上げて胸を張り、森のなかをゆく。

 途中、探索したことのない範囲、まるで洞窟のなかのように陽がまったく差し込まぬ一帯があって、それを迂回するように進めば、もう方角はわからぬ、ただ住処からずっと伸びているはずの蔦が帰り道を教えてくれるのみ。

 しかしそれが功を奏したのか、しばらく行くと、木の密集がすこしずつ減って、枝も蔦もすくなく、剣で払わずとも歩けるような一帯に辿り着いた。

 幾日も森のなかを彷徨い歩き、いまだかつて出くわしたことのない展開である。


「もしや、森の奥へ辿り着いたのでは」


 ゲオルクは逸る心を抑え、ただ表情まではごまかせぬよう、目をきらきらと輝かせて歩きやすくなった森を進む。

 周囲は灌木から喬木と代わり、土も腐葉土ではなく乾いた地面、高い位置にある葉の陰からこぼれてくる日差しも充分で、雨粒がぽつぽつと髪を濡らした。

 木々の薄いほうへ、導かれるように三人が歩いてゆけば、現れるは光り輝く一本の巨木。

 なぜ森の外からは見えぬのか、巨木の頭は雲よりもはるか上空へ突き抜け、笠を被ったように整った枝振り、葉は青々と繁るが、その周囲にはきらきらとまばゆい光が散り、さながら星が降り注ぐよう、幹は堂々たる太さで。

 ゲオルクとヨーゼフが息を呑んで見上げるなか、素直にマルクスだけは口をあんぐりと開け、


「はああ……」


 とため息ともつかぬ吐息。

 巨木の周囲にはほかの細々した樹木は近寄れず、ただ背の低い草が覆うばかり、開けたその空間に、三人は無意識のうちに踏み出している。


「なんだ、これは――すごいな」


 ゲオルクはぐいと首を逸らして頭上を見て、


「こんなに巨大な木は見たことがない――雲の上まで伸びているのか」


 近づけば、いよいよその巨大さが身に沁みる。

 幹は彼ら三人が手を繋いでも一瞬できず、首を精いっぱい仰向けても木の天辺が見えぬ。

 雨降らす曇天さえ貫いて伸びる巨木は雄々しいと同時にやさしくもあり、きらきらと輝いて降り注ぐ光に手をかざせば、手のひらにもひょいと乗って、息を吹きかければ飛んでいってしまう。

 舞い落ちる雨粒のなか、ゆっくりと雷が伝うようでもあり、蛍が瞬いているようでもあり、巨木の周囲は見る者を圧倒する迫力と美しさ、三人もご多分洩れずときを忘れて仰ぎ見ている。

 ゲオルクも、先ほどまでの怒りがうそのよう、清廉な気持ちで巨木を見上げていたが、背後でどさりと音がして振り返ると、マルクスが仰向けに倒れてなにやらもがいている。


「どうした、マルクス。大丈夫か」


 駆け寄って抱き起こしても、マルクスの目は依然じっと木を見つけたまま、覗き込むゲオルクは見えぬよう。

 手はなにかを探るように動いて、足もまるで歩こうとしているようだが、仰向けに倒れたままでは歩けるはずもなく、もぞもぞと宙を動いている。

 なにかおかしい、とゲオルクははっと顔を上げれば、そこに女がひとり。

 白いワンピースにすらりと長い手足、長い金髪はたおやかに波打ち、一房一房が煌めくように美しい。

 顔立ちは無論のこと、目を瞠るような美しさで、高い鼻筋に慈しみのこもった目元、唇など可憐に花咲くようで、それが緩やかに微笑み、ゲオルクに手招きしているのだ。

 ゲオルクは誘われるまま、ふらりと立ち上がれば、あたりは一面の花畑、青や赤、黄色や白がちりばめられた地上に、春独特のやわらかく暖かな風が吹き抜け、花びらが舞い上がる。

 女はワンピースの裾と髪の毛を押さえ、ちょっと照れた顔、ゲオルクにふいと背を向ける。


「待ってくれ、おれも行くよ」


 とゲオルクは薄く微笑み、女のあとを追う。

 ひらりとはためく裳裾を捕らえれば、女はゲオルクの腕のなか、きゅっと手を掴んで微笑み、口づけをねだるように目を閉じた。


「まいったな――」


 ゲオルクは頭を掻きながら、あたりをきょろきょろ、どうせ無人の花畑。

 首を傾け、女の可憐な唇を奪うためにつんと唇を突き出せば、


「班長、班長。なにやってるんです?」


 ヨーゼフは地面に寝転がり、ひとりなにかを抱きしめるような体勢、ぐいと唇を突き出してにたにたと笑うゲオルクを見下ろし、ちいさく息をついた。

 その向こうではマルクスも喜色満面で、口をもごもご、なにを言っているのかと近づいてみれば、


「こら、こら、そんなにいっぺんに飛びかかっちゃ危ないよ。ひとりずつ、ちゃんと並びなさい。はい、よくできたね、ちゃんと餌をあげるからね――」


 こちらはこちらで幸せそうな夢を見ているらしいのである。

 突然ふたりして倒れたかと思えば、この有り様、どうなっているのかと腕組みするヨーゼフの前に、扉がひとつ現れた。

 なんの変哲もない木製の扉、蔦模様のような意匠があって、指先で軽く押せば簡単に開く。

 なかを覗けば、はじめは暗闇、一歩踏み込んで改めて見回せば、そこは果ての見えぬ広大な部屋のなか、無数のベッドがずらりと並んでいる。


「こ、これは――」


 ヨーゼフはごくりと唾を飲み、近くにあったベッドのひとつ、指で押してみれば、ほどよい弾力にやわらかなシーツ、まるでヨーゼフを誘うように横たわっている。

 そのまま飛び込みたくなるのをぐっと自制し、ヨーゼフはとなりのベッドに触れてみれば、こちらもよい弾力だが、前のものに比べるといくらか硬め、なるほど、この数えきれぬベッドはどれもすこしずつ仕様がちがうらしいのだ。


「つまりは、こういうことか」


 ヨーゼフは自称参謀たる頭で考えるに、


「ひとつずつ眠って、使い心地を確かめてもよいということだな」


 うむとひとつうなずけば、ヨーゼフは口元に浮かぶ笑みを隠せぬ様子。


「では、遠慮なく」


 ともっとも近くにあるベッドに飛び込むや否や、ものの数秒、すやすやと寝息を立てはじめる。

 ――光降り注ぐ巨木の下、三人の兵士はぐったりと横たわり、共通するのはその寝顔、心底から幸せそうに、どれも喜色満面。

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