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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
秘宝と王女と大鳥と
24/122

秘宝と王女と大鳥と 3-2

  *


 アンナ王女への面会は、エゼラブル城へ着いてから毎日行われた。

 多いときには日に二度三度も顔を合わせ、アリスはそのたびに同盟の話を持ち出すが、アンナの返事はいつもつれなく、そのくせ面会を断ったことは一度もなく、城から立ち去れとも言わぬまま、その真意を掴みかねて、正行は同行していながら話すこともない。

 アリスの説得は熱烈で誠実なものであったが、アンナは常に肘掛け椅子で頬杖をつき、品定めするように顔を眺めるばかり、うなずくこともなければ言葉を返すこともすくなく、


「そろそろ」


 と女中に止められ、なんの収穫もなく引き下がるばかり。

 あの日は雨で、ちいさな窓にも鎧戸が閉じられ、城内は一層薄暗い。

 揺れる揺れる松明の灯り、アリスの白い頬や首筋の表面がぬらぬらと揺れ動くようで、悲しみを孕んで沈んでいるかと思いきや、薄い唇に笑みが浮かんでいるように見えることもあり、正行は黒髪が隠すちいさな背中をじっと見つめて、かける言葉を探している。

 すげなく追い返され、ふたりの足取りが軽いはずもなく、石造りの冷たい廊下をとぼとぼ、とくに正行のつま先はためらうように揺れて、とんと床を叩いたり、ぐいと前へ出ればすぐに歩幅が狭まったり。

 腕を伸ばしてもかろうじて指先が泳ぐという距離で、近づいたり離れたり、正行はやがて、


「明日こそ、わかってもらおう」


 と意味もなにもないことを呟くが、言葉とはちがう心は通じたようで、アリスは髪を揺らして振り返り、けなげに笑った。


「そうですね。きっと明日は、わかっていただけますよね」

「向こうにとっても悪い話じゃないはずなんだ。この立地だから、食料や物資には困っているはずだし」

「はい――あとはわたしたちがどれだけ誠実に説得できるかどうかです。失敗では、国には帰れませんから」


 黒目がちな瞳には強く使命の色が灯って、心に赤い薔薇を差し、アリスは毅然と廊下を進む。

 その後ろ、正行も同じ心境かといえば、どうも表情が優れぬ様子、アリスには決して見せぬが、正行もまたなぜ同盟が受け入れられないのか悩んでいるのだ。

 アリスの補佐をするために同行しているはずが、いまのところなにひとつ手助けはできていない、このままでは国に帰れぬのはアリスよりも自分のほう、と思えば、昼夜問わずあれこれ考えてはうんうんと唸っている。

 クレアも同様にふたりを心配しているが、クレアにできることといえばすこしでも日常の煩わしさを減らすこと、説得に直接関わることはできない。

 ふたりで階段を降り、すっかり慣れた帰り道、アリスの部屋の前で、


「じゃあ、また」


 と挨拶をして、正行は扉が閉まるのを見つめる。

 しかし自分の部屋に戻る気にはなれず、そのまま廊下をふらふらとさまよえば、女しか住まぬこの城で、正行はどうにも目立つよう、すれ違う女中や兵士がこそこそとなにか囁く声が聞こえてきて、どうにも集中できない。

 正行は、炎がかげろうのように揺れる廊下をさまよい、やがて建物右翼の端まで行き着き、扉を開けた。

 外はしとしとと雨。

 立ちこめた分厚い雲を見上げれば、鬱々とした心がさらに深くへと沈められるよう。

 雨量はさほどでもなく、勾配のつけられた建物の屋根からは水滴がゆっくりと流れ落ちて、気温も低い。

 濡れるのもやっかいだが、このまま暖かな城では考えもまとまらぬ、と正行、思いきって雨のなかへ飛び出せば、瞬く間に雨粒が髪を濡らし、服を濡らし、頬を濡らして、顔を拭う様子は涙を拭うにも似る。

 しっとりと濡れた髪が額に張りつけば、頭蓋の奥までしんと冷えて、正行はようやく冷静になったとちいさく息をついた。


「――どうして同盟に参加しないのか」


 ぽつりと独りごち、雨が降る広場、だれもいないなかを濡れながらぐるぐると歩きまわれば、周囲には怪しく映るが、本人としては満足らしい、ぶつぶつと低く呟き、時折はたと立ち止まってはうなずく。

 そのあいだにも降りしきる雨、すこしずつ雨足は強くなって、広場の土はぬかるみ、馬や馬車は濡れぬように移動している。

 左右を囲む稜線にも雨粒が落ち、葉を弾いて水滴落ちれば、それが土を生かすことになり、新たな川を生む、それがまた海へ流れ出すという大きな循環にあって、正行はなにか思いついたらしい。


「やっぱり、そうなのかな――よそ者のおれたちにはわからないけど、そういう考えがあるのかもしれないな。国民性、いや、文化か。そうやってこの国は成り立ってるんだ――それも知らないで同盟へ誘うから、いつまでも信用されないんだろうな」


 ひとつの結論をみるころには、正行はすっかり濡れ鼠、毛先から水滴が落ちれば、服の袖からも布からあぶれた水分が流れて、身体の芯もぞくりと冷える。

 本当に風邪を引いては大変、と慌てて屋内へ戻ろうとした、その瞬間であった。

 建物右翼の扉、ぎいと開けた瞬間、足下にさっと影が差し、仰ぎ見れば、


「あれ?」


 と不思議そうに見つめる視線とぶつかる。

 正行は扉の把手を握り、相手は屋根にひょいと腰掛けて見下ろして。

 黒い瞳同士、ひたとぶつかれば、その周囲だけ雨が止んだよう。

 見下ろすのは若い女である。

 長い髪は鮮やかな赤毛、それを後ろでぐいとまとめるのは白いリボンで、小動物のような丸い目が正行をじっと見下ろし、男物らしいズボンと上着、足をちいさく揺らして屋根に腰掛ける姿は少年のようでもある。


「あっ」


 と向こうが声を上げたと思えば、


「へっ……?」


 正行の身体がふわりと浮き上がり、まるで巨人につまみ上げられたよう、屋根の上にぽんと置かれて、慌てて濡れた勾配に滑らぬようしかと捕まる。

 若い女も屋根に身を伏せ、下を窺う様子、気づいていない様子だが、両者の顔はほとんど触れ合うほど近く、正行には白い頬に生えるやわらかな産毛が水滴を弾くさままで見てとれた。

 どこかで見たような、細く形のいい眉をひそめ、女は正行の口をぐいと塞ぐ。

 するとすぐに外から、


「どこに行ったのかしら、ロゼッタさまったら……本当に落ち着きがないんだから」


 ぶつぶつと愚痴るような女の声、ばたりと扉が閉まって、あとはしとしと降り注ぐ雨音のみ。

 正行はがばと身体を起こし、腕や腰を見るが、なにかに捕まえられたような形跡はまったくない。

 それこそ強風で巻き上げられたように、ふわりと身体が浮き上がったのだ。

 女は慌てる正行をくるくるとよく動く瞳で見つめて、口元でくすり、


「魔法だよ、魔法。びっくりした?」


 と年端もいかぬ子どものような無邪気さ。

 声もまた幼く、甲高い。


「び、びっくりもなにも、突然だったから――」


 正行は濡れた服がぴたりと張りつくのを気にしながら、改めて女の姿を見る。

 年は正行よりも何歳か若い。

 長い赤毛に男物の服、顔は間違いなく女だが、雨のなか、屋根の上でなにをしているのかといえば、まったく想像もつかぬ。

 女は女で、正行を興味津々という様子、気遣いもないぶしつけな目でじろじろと眺められては、さすがに正行も気恥ずかしい。


「な、なんなんだよ、きみは」


 とわざと怒ったように言っても、女はけろりとしたもの、


「ただの夢追い人だよ」


 とひとを食ったようなことを言う。


「夢追い――」

「わっ、やばい、伏せて!」


 女は正行の頭をぐいと押さえ込み、自らも屋根にぴたりと伏せる。

 下の広場では、女を捜しにきたらしい女中、雨のなかぐるりとあたりを見回して、ため息ひとつ城内へ戻っていく。

 ふう、と女は息をつき、ようやく屋根に押しつけていた正行の頭を解放して、


「あはは、ごめんごめん。痛かった?」


 朗らかに笑って、労るように白い指先、正行の頬をつつと撫でる。

 首をぐいと伸ばして顔も寄せれば、正行は照れたように身を引いて、


「い、痛くはないけどさ。なんか、あれ、きみのこと探してるんじゃないの?」

「まあね。でも、いいの。あんなのに捕まるほどのろまじゃないもん。このあいだは空腹に耐えきれず釣られたけどね」

「釣られたって、魚か――もしかして、きみ、ロゼッタ王女?」


 ここ数日城に滞在している正行は、おてんばな王女がいることもうわさとして知っている。

 なんでもすぐに部屋を抜け出し、どこかへ消えてしまうらしく、そのたびに部屋へ連れ戻されては母親たるアンナ女王に説教を受けているようだが、今日はまだ逃亡の途中か。

 女はじっと正行の目を見つめて、


「もしあたしがロゼッタだったら、だれかに言う?」

「いや、別に言いやしないけど」

「じゃ、いいや。そうよ、あたしはロゼッタ――あなた、グレアムからきたひとでしょ?」


 よくわかったな、と言いかけて、ここには女しかいないのだから、男ならすなわち外部の人間なのだという事実を思い出して、正行はちいさくうなずいた。


「前に、廊下でアリス王女といちゃいちゃしてるの、見かけたよ」

「い、いちゃいちゃなんか、いつしたんだよ」

「してたじゃん、いちゃいちゃ」


 と女、ロゼッタはにたりと笑い、そういう笑みは母親のアンナとよく似ている。

 正行はちょっとした反撃のつもりで、


「きみも、また逃げ出してるのか。なんでそう何回も逃げ出すんだよ。勉強がいやなのか?」

「勉強もいやだけど、理由はね、もうひとつあるの」


 ロゼッタは雨のなか、自慢げに顔を上げ、拳を握る。


「あたしね、冒険がしたいの」


 その目はきらきらと輝いて、正行は一笑に付すことができぬまま、ぼんやりと横顔を見つめた。

 ロゼッタはくるりと振り返り、正行を見て、


「ばかだなって思ったでしょ?」

「む……なかなか鋭いな」

「ふん。みんな、そう思うんだもん。知ってるよ」


 腕組みに唇を尖らせ、不満げなロゼッタ、そうするといよいよ表情が幼い。

 正行はその真剣さにすこし笑って、


「ま、冒険もいいんじゃないのか。ただ、あんまり心配はかけるなよ。冒険するんだったら、ちゃんと許可をもらってからやればいい」

「許可なんかもらったら、冒険じゃないじゃん。あのね、こっそり抜け出してはじめるから、冒険なの。親が許してくれることなんて冒険でもなんでもない、ただのお使いなんだから」


 そんなこともわからないのか、とロゼッタは後目、正行は妙に納得した顔で、


「たしかに、そりゃそうだ。じゃあ、今日もこれから冒険に行くのか」

「そうよ、今日は記念すべき日なの」


 ロゼッタは胸を張りながら、ほんのすこしだけ不安げな顔、指先が屋根の上をもじもじと這って、まつげに落ちた水滴を拭えば、釣り気味だった目元がふにゃりと落ちる。


「いままで一回も脱走が成功したことないから、今日ははじめて冒険に旅立つ日なのよ。今日こそ、やってやるんだから」


 自ら励ますようにぐっと拳を握る姿は、端から見ていればどうにも危なっかしい。


「まあ、怪我しないように気をつけてな」


 と正行はあくまで他人事、それよりも濡れた服が気持ち悪く、早く着替えたいという顔。

 ロゼッタはそれをちらと見て、なにを思ったか、にいと口元を釣り上げる。


「ねえ、あなたね、冒険に興味ない?」

「はあ?」

「冒険よ、冒険。いろんなものをこの目で見て、いろんな生き物に出会って、悪いやつと戦ったり、仲間ができたり――そういう冒険」


 言いきってから、さすがに恥ずかしくなったらしい、ロゼッタはぽっと頬を赤らめて視線を逸らし、


「こ、子どもっぽいって思ってるなら、勝手にそう思ってなさいよ」


 と刺々しく付け加える。

 正行はちょっと首をかしげて、


「おれも昔は思ってたなあ、冒険したいって――でも、そっか、たぶん成長する途中でもう冒険するところなんかないって知っちゃったのかな」

「冒険するところがない?」


 信じられないという顔のロゼッタ、腕を広げて、城から見渡せる山々を、谷底を流れる川を、雲立ちこめる空さえ見回して。


「世界はこんなに広いのに?」


 どきりとするような、大人びた表情なのである。

 正行は雨粒で視界が滲むまで、呆然とロゼッタの顔を見上げていた。

 そこへ、この雨のなか、灰色にくすんだ鳥が一羽やってきて、その大きな羽根をゆっくりと揺らしながら滑空し、ロゼッタの肩にひょいと乗った。

 ロゼッタは雨に濡れた羽根を指で拭いてやり、身体をすり寄せてくるのにくすぐったそうな顔、


「ほら、もう帰りな」


 と首筋を撫でれば、灰色の鳥はふわりと飛び立つ。

 その周囲、鳥のはばたくまわりだけ雨粒が落ちず、球状の空気に包まれるように飛び去っていくのを正行が見れば、ロゼッタはちょっと照れたように早口で、


「ああやって守ってあげられるのは、目に見えるところだけ。その向こうは自分で飛んでいかないとね」

「あれも、魔法か」

「あなたをここへ引っ張り上げたのと同じ。風って一言でいっても、使い方はいろいろでしょ」


 ロゼッタは濡れた頬をぐいと拭い、改めて正行を見た。


「ね、いっしょに冒険しない?」


 その差し出された手を拒むのがむずかしいほど、魅力的な少女であった。


「――すこしだけなら」


 正行は雨に濡れた手を握ったはずだが、情熱のこもった手はじわりと熱かった。

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