秘宝と王女と大鳥と 3-1
3
不気味なほど物音の多い森であった。
がさごそと草木をかき分けて進むなか、ふと気づいて動きを止めても、すぐ近くの茂みが揺れる音は止まず、シダ植物の葉がゆさゆさと上下に揺れ動けば木の上では猿が甲高い悲鳴を上げ、どさりとなにかの落ちる音に振り返れば姿も見えぬ獣のうなり声、逃げ出した先には沼があって、泥まみれになりながらようやく抜け出したかと思えば、掴んだ枝が蛇の胴体という有り様。
過剰なほど密集している木々は空を覆い隠し、かすかにすき間が見えるかと思えば巨大なる怪鳥が獲物を狙って旋回するさまを目の当たり、一息つこうと木の幹にもたれかかれば知らぬ間に数えきれぬ蟻が集り、夜ともなれば月明かりも差し込まぬ闇のなか、獰猛な獣の目だけがいくつも輝き、こちらをじっと見張っているほどで、一瞬たりとも心休まらぬ。
ゲオルク、ヨーゼフ、マルクスの三人の兵士がこの森へ入ってから、かれこれ三日は経っている。
はじめは意気揚々、悪魔の森だの呪いの森だの、そんなものは迷信に過ぎぬ、屈強な男にかかればこんなもの、と明るい顔でいたのが、一日すぎた時点ですでに死人のような顔色になり、いまではありとあらゆる感情が消え失せ、三人ともどろりと濁った目でただひたすら草木をかき分けて進むのだった。
「ゲオルク班長」
マルクスがぽつりと言えば、先行するゲオルクも覇気はなく、
「なんだ」
と一言。
「この道は、正しい道でありますか」
「正しい道に見えるか、マルクスよ」
「見えません」
「おれにもそうは見えん」
まさに密林、太く背の低い木々のすき間を、身体を傾けながら進む道が正しいとはゲオルクも信じぬが、かといって前後左右同じ景色、進むなら前へ進むしかない。
「班長、これでは森の奥へと進んでしまうのでは」
「ばかもん、おれたちは森の最深に用があるのだ」
「そうでしたっけ。迷子になって帰る途中では?」
「そう言いたくなる気持ちもわかるが、用を済ませるまで帰るわけにはいかん――おい、ヨーゼフ、生きているか」
立ち止まって振り返れば、長身痩躯のヨーゼフ、ほとんど正気ではない暗い顔でふらふらと続いている。
問題ないようだ、とゲオルクはうなずきひとつ、自ら前を見て、繁る枝を短剣で切り裂けば、ぎゃあと激しい悲鳴、どうやら獣の尻尾でも斬ったらしく、近くの茂みが恐ろしい勢いで揺れはじめる。
「に、逃げろ、くるぞ!」
と泡を食って逃げ出す背後、見たこともない獣が鋭い爪を木に食い込ませ、怒りで歪んだ顔が茂みから覗く。
地面では四足歩行だか、巧みに木登りし、上空からどさりと飛び降りて兵士三人を追いかける獣、巨大な猿のようでもあり、小柄な虎のようでもあり。
口元に牙はないが、代わりにだらだらと流れるよだれも不気味極まる。
「は、班長、なんですか、あれは」
とヨーゼフ、われに返ったような顔で。
「ちょっと居眠りしたら、なんであんな見たこともない動物に追いかけられてるんです」
「居眠りしていたのか、おまえ――とにかく、死にたくなかったら走れ」
「人間を食うんですか、あれ」
「わからん。試しにおまえ、食われてみるか」
三人とも、この森で身動きするため、鎧はすでに着ていない。
夜でも気温がほとんど下がらぬ湿度の高い森、軽装に帯剣しているのみで、神聖なる剣の鞘をがつがつと木にぶつけながら必死に逃げまわること数十分、ようやく木の幹に姿を隠してやりすごし、一息つくが、
「ここ、どこだ」
あたりを見回せば、またもや右も左もわからぬ深い森なのである。
どこから逃げ込んだのかも定かではないし、どちらがどの方角なのか、空を目印にしようとも、繁る大きな葉が邪魔をして、ほんのわずかに青空の欠片、三角に切り取られたところに目を凝らすが、角度のせいで太陽もなにも見えぬ、憎らしいばかりの爽やかな青なり。
三人の兵士は肩を寄せ合い、草の匂いが立ちこめる狭い空間、しばらく呼吸を整えれば、
「奥へ行こう」
班長らしくゲオルクが立ち上がる。
マルクスはいかつい顔に情けない表情を浮かべて、
「まだ奥へ行くんですか、班長。帰りましょうよう」
「帰るにも、ひとまず奥へ行くほうが早い。それともマルクス、おまえはどちらへ行けば森の外へ出るか、わかるのか?」
涙を堪えるようにぐっと押し黙るマルクスの横、ゆったりと木の幹に持たれて目を閉じているヨーゼフにつかつかと近寄り、ゲオルクは頭をぱちんとはたいて、
「おまえ、大物だな」
ヨーゼフは寝ぼけ眼をこすりながら、
「寝られるときに寝ておけ、というのが家訓でして」
「いまは寝られるときでもなかろうが。まったく、このわけのわからん森に、わけのわからん部下ふたり、おれはとことん不幸だ。いまだかつてこれほど苦労した兵士もおらんだろうなあ。それでいて世に名も残らんのだから、やりきれん」
ぶつぶつと呟く愚痴も止まず、短剣で立ちはだかる枝を払いのけながら進めば、そのあとをヨーゼフとマルクスものろのろと追う。
三日間のうち、何度同じことを繰り返したか、三人もすでに記憶はないが、名前もないような化け物に追いかけられては逃げ出し、なんとか逃げ切っては愚痴を言い、またしばらくは順調に進んで次の化け物との遭遇を待つ。
「おまえたち、まわりをよく見ておけよ」
とゲオルク、がさがさと茂みを進みながら、
「そろそろ飯にするからな。食えそうなやつがいたら、とりあえず捕まえておけ。味はこの際気にするな。鼠でも丸焼きにすりゃ食える」
「班長、そんな非道なことを」
マルクスは悲鳴めいた声を上げて。
「おれたちを食おうとする化け物が大量にいる森だぞ。弱肉強食、自然の摂理だ」
「班長、班長」
「なんだ、マルクス」
と振り返れば、マルクスは日に焼けた顔をまじめに強ばらせて、
「自分は、そこらへんでけなげに生きている小動物を食べるくらいなら餓死を選びます」
「おまえなあ」
ゲオルクはあきれ顔、深々とため息をついて、うなだれる。
「おまえが動物好きなのは知ってるさ。なにもいじわるで言ってるわけじゃない。いいか、おれたちにはもう手持ちの食料がないんだ」
「保存食だけで一週間分は持ってきたはずなのに」
「しょうがないだろ、逃げるためにあんな大荷物は捨てるしかなかった。でなきゃいまごろおれたちは見たこともない化け物の胃のなかだ。そもそもな、おまえ、動物はだめで植物はいいというのがおかしい。もっと広く見てみろ、植物も生きているといえば生きているもんだろうが。それを無残に殺すのはよくて、動物はだめというのはあまりに狭量、博愛が聞いて呆れるわ」
ゲオルクは痩せた顔をぐいと突き出して詰め寄るが、いかんせん身長差がありすぎて、子どもが楯突いているようにしか見えぬ、ゲオルクもそれを自覚して、
「もうちょっと下がれ、マルクス」
「なぜです、班長」
「なぜもなにもない。班長命令だ。もう二歩下がれ」
「はあ」
とマルクスが距離を取れば、ようやく溜飲を下げてふんと鼻息荒く踵を返して、
「おまえは餓死を選ぶとしても、おれたちは生きのびなければならぬ。理解しろ、マルクス。班長命令だ」
「しかし……」
まだ納得していない顔のマルクス、労るようにするすると木の幹を撫でれば、そこに手のひらほどの大きさの飛蝗がしがみついていて、ぴょんと飛んだ拍子にマルクスの巨体も大きく跳ねる。
「わ、わわっ」
「うるさいぞ、マルクス」
「だって、班長、飛蝗が」
「飛蝗も生き物だろうが。慈しんでやれ」
「だめです、昆虫は……子どものときに襲われて以来、苦手なんですよ」
マルクスがぞくぞくと身体を震わせれば、まるで容貌魁偉に似合わぬ仕草、となりではヨーゼフが早目を閉じて眠りながら歩いている。
ゲオルクはふたりの部下をちらと振り返り、押さえきれぬため息ひとつ。
「なにゆえ、おれはこんな連中を引き連れておるのだ……? ええい、考えても仕方ないわ。とにかく無事帰還して王に直訴するしかあるまい」
さっと短剣を振るえば、枝がばさりと落ちてどこかに捕まっていたらしい昆虫がばっと飛び立つ、そのいちいちに悲鳴を上げるマルクスは半ば無視し、蔦巻く木々のすき間を縫ってゲオルクは進んだ。
幸い、獣の気配はいまのところ感じられぬ。
そもそも、あまりに森が深すぎるせいか、この森に巨大な獣は存在していないらしい。
せいぜい大人の胴体程度の大きさ、それが器用に枝の上や木のすき間を抜けてくるのもなかなかに怖いが、一口でぱくりといかれるような化け物がいない分、多少気は楽である。
枝から枝へ、ぶらりと垂れ下がる蔦を切断して、木の幹に通過を意味する印を残し、足下に毒を持つような蛇でもいやしないかと気をつけながら進むこと数十分、がさごそと背後からふたりが続く気配があるのに、またもやマルクスの情けない声。
「班長、班長」
「今度はどうした」
「この森の奥に、本当に秘宝があるんですか。王さまの気のせいとか」
「気のせいということもあるまいが」
とゲオルクもいくらか心配する顔で額に浮かぶ汗を拭い、目を細めて頭上を見上げるも、押さえつけるような葉の折り重なり、空の欠片も見えぬ。
「伝説では、この森の奥にあるということになっている」
「その伝説、あてになるんですか。もし森の奥になにもなかったら、ぼくたち、すっかり無駄足になりますよ」
「王の命令とあれば仕方あるまい。しかし、おれはどうもこの森はくさいとにらんでいる」
「そういえば、身体を洗えるほどの水もありませんからね」
「その匂いではない。怪しい、ということだ、まったく。考えてもみろ、この木々の密集に、あの見たこともない生物、いかにも怪しげではないか。こんな森の最深部なら、秘宝のひとつやふたつあってもおかしくはない――エゼラブル王国の秘密を握るものだ、なんとしても見つけ出したいものよ」
そうだ、とゲオルクは自らの言葉に励まされたよう、短剣を振るう腕にも力がこもる。
これは国家の行く末を左右する重要な探検なのだ、部下の不出来や多少のひもじさ、襲いくる不思議生物などには負けてはおれぬ。
「エゼラブル王国の秘宝って、どんなものなんですかね」
マルクスは疲れた身体をごまかすように、呼吸のせいで途切れ途切れ、野太い声で言う。
「さあな。魔法に関係するものという伝説だが、果たして剣か玉か、そういうたぐいのものだとは思うが。まあ、見ればわかるだろう。秘宝というくらいだ、見るからに秘宝らしいにちがいない。さ、気を引き締めていくぞ、われらにはオブゼンタル王国がついているのだ!」
短剣をさっと掲げ、ぐいと一歩踏み出した直後、その足裏に、ぐにゃりといやな感触。
はっと見下ろせば、太い幹と幹のすき間、身を横たえる、燃えるように赤い毛を持つ獣が一体。
そろりと足を引き、何食わぬ顔で通りすぎようとするゲオルクだが、獣はじろりとにらんで逃さず、あたりを葉をびりりと揺らすような咆吼ひとつ、機敏に駆け出す。
「に、逃げろ、化け物がきたぞ!」
「班長、もっと前をよく見て歩いてくださいっ」
必死の形相で逃げ出すふたりに、眠っていても状況を理解しているらしいヨーゼフ、ぐうぐうと寝息を立てながら森のなかを逃げまわる。
まさかそれが、森の入り口からほんの数十メートル地点だとは知るよしもなく。