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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
秘宝と王女と大鳥と
22/122

秘宝と王女と大鳥と 2-2

  *


 翌朝早く馬車は村を去り、朝露濡れる野原進んだ。

 川を越え、分かれ道を進み、グレアム城をちらと眺めてさらに進めばようやく山の裾野、街道はぐるぐるととぐろを巻くように伸びていて、勾配がきつい場所では馬を休め、山の中腹で日が暮れてはその場で火を焚いて夜を越えた。

 山を越えた先には鉄の採掘を行う集落があり、そこでは男社会ならではの荒々しくも暖かな歓迎を受けて一泊、所構わず飛び交う猥談にクレアとアリスは終始顔を赤らめ、兵士はすっかり仲間を得たように羽根を伸ばして、正行も一晩限りの騒ぎに身を委ねる。

 朝になれば、まだだれも起き出さぬ早朝、クレアがひとり昨晩の騒ぎの後片付けをしているのに目を覚まし、やがてアリスも起き出して王女さえ片づけに参加しながら、すこし遅めの出立。

 それから集落もないような山越えを繰り返し、針葉樹繁る薄寒い山道、様々に色づく落葉樹、風吹いて木から地面から明るく舞い上がるなかを進み、清流を見つけては一休み、深い渓谷では空を見上げ、山の下りには折り重なる稜線を眺めて。

 途中、山裾の民家で、ここには化け猫が出る、と脅された山は寝ずの番を交代で務め、一度は山の中腹で五、六人の山賊に囲まれることもあったが、優秀な兵士の働きによって退け、だれひとり怪我を負うことなく五人は旅を続けた。

 予定の二週間をすぎ、さらに数日、寒さも深まって山間では雪の心配もはじめようかというころ、ようやく一行は目的地、エゼラブル王国の首都、エゼラブル城を望むに至った。

 エゼラブル城は深い山間にひっそりと佇む石造りの建物で、城下町のたぐいはない。

 城の周囲にほんのちいさな門しか有さないのは、山々が天然の城塞となっているせいにちがいない、その奥は広場になっていて、左右に城の両翼が伸び、移動用の馬車や馬はすべてそこに置かれている。

 広場から正面を見れば、細長い尖塔が一本だけ、天に向かってぬっと伸び、その下には分厚い石壁、入り口や窓は極端にすくなく、外から眺めるかぎりではなかの様子はすこしも見えない。

 門を入った時点で、数人の若い女、女中と思われる格好の女たちが出迎え、


「お疲れさまでございました。馬と馬車はこちらで預からせていただきます」


 と兵士たちを労る笑顔、そのままするすると馬を引き、無人の馬車をどこかへ移動させながら、数人は残って城の奥へと案内する。

 アリスとクレアをまん中に、兵士ふたりが前に立ち、正行はしんがりを務めたが、なるほどたしかに変わった城だとひとり納得したようにうなずく。

 首都の城、王の住まいといえば、多くの場合威厳や国力誇示のために大きく派手な造りを選ぶが、ここはあくまで粛々とした雰囲気、活気がないわけではないだろうに、喧騒というものがまったくない。

 石造りの壁も、見ようによっては他を拒絶しているような気配。

 しかし女中の案内には心がこもり、道中の苦労を察して兵士を労えば、アリスには来訪の謝意を伝え、慎ましいが暖かな歓待であった。

 石造りの壁の根本、人間ひとりがようやく通れるほどのちいさな扉をくぐれば、壁の分厚さは一メートル以上、玄関らしい広間もなく、冷たい石がむき出しになった薄暗く細い廊下が左右へ伸びている。

 案内する女中はくるりと振り返って、


「兵士の方はこちらでお休みになられてください」


 と左側を手で示し、


「アリス王女、並びにお付きの方はこちらへ」


 と右側を示して、兵士とも従者ともつかぬ正行には小首をかしげる。

 正行自身、自分がなんの役割でここに立っているのか定かではないから、どうしたものかと迷っていると、


「彼には交渉の手助けにきていただきました」


 とアリスが助け船を出す。

 女中は心得たとうなずき、正行もアリスと同じ右側へ、兵士ふたりとはそこで分かれることとなる。

 案内の女中を先頭に、アリス、クレアと続き、やはり正行はしんがりで、あたりをきょろきょろ、等間隔で松明がかかげられた廊下を行けば、一度も広々とした空間には出ず、細い廊下沿いにずらりと扉が並ぶ一帯、どうやらそこが客間となるらしい。

 端から順番に部屋を与えられ、正行は扉を開けてひょいと室内を覗く、ベッドとちいさな机、それに歓迎の心らしい大きな赤い花がひとつ飾ってあるだけの簡素で肌寒い部屋である。


「なにかございましたら、お気軽にお申し付けください」


 女中がぺこりと頭を下げ、どこかへ戻ろうとするその背中、


「よろしいかしら」


 とアリスが話しかければ、女中はくるりと振り返って静かに命令を待つ。


「きたばかりで申し訳ないのですが、到着も数日遅れておりますし、すぐアンナ女王にお会いしたいのですが」


 女中はほんの一瞬首をかしげ、考えるような仕草、しかしさほど待たせずうなずいて、


「ご案内いたします」

「正行さまも、ごいっしょに」

「おれも行くのか? なんにも考えてないぞ」


 と正行も慌ててアリスを追うのに、アリスは女中に従いながらちょっと笑って、


「いっしょにいてくださるだけで心強いですから」

「む、むう、そうか」


 照れた顔の正行、なんとなく唇を尖らせて拗ねたような顔を見せながら、アリスとふたり、再び狭い廊下を進む。

 窓がひとつもなく、周囲の様子といっても同じ石造りの壁と天井、ひたすら伸びるだけで、いま自分がどこにいるのかも定かではない。

 女中はそれでもよく理解しているよう、やがて見えてきた階段を上がって、また細い廊下をためらいなく進む。

 途中、何人かほかの女中か、城に暮らしているらしい人間と出くわしたが、そのすべてが女、老婆もいれば正行よりも若い女もいて、アリスの青っぽいドレスを見れば、全員が礼儀通りに頭を下げる。


「ここは、女のひとが多いんだな」


 とアリスが耳打ちすれば、アリスはふと正行を振り返って、


「あら、ご存じありませんでした?」

「なにを?」

「このエゼラブル城には、原則的に女性しか暮らしていないんですよ」

「は、はあ?」


 驚きに目を見開いて立ち止まれば、偶然そこが女王の待つ部屋、女中は扉を軽く叩き、


「アンナさま、グレアム王国のアリス王女がいらっしゃいました」

「そうかい。入りなさい」


 と深みのある声が響いて、扉が開く。

 どうぞ、と女中が勧めるので、アリスは背筋を伸ばして胸を張り、堂々たる王族の風格、後ろから続く正行は動揺も引かず、視線は落ち着きなくあたりを彷徨って、下っ端にしても迫力がない。

 城全体が慎ましく作られているらしい、女王が待つ部屋といっても広さはあまりなく、床には赤い絨毯、王座も平凡な肘掛け椅子で、ただそこに腰を下ろす恰幅のよい中年女性、黒い瞳がちらと来客を見れば、得も言われぬ緊張が走る。

 細い眉に切れ長の目、唇は暑く、あごの下には脂肪が余り、赤いドレスに毛皮の羽織り、丸い指先が肘掛けの先をとんとんと一定間隔で突いている。

 年は四十から四十五程度、眼を細めれば気むずかしげな皺が刻まれるが、心中まで読み解くことは叶わぬ芯の強さがあって、なるほど女王といえば女王らしい風情であった。

 このエゼラブル城、並びに王国を束ねるアンナ女王は、まずアリスをじろりと見てはちいさくうなずき、後ろから続く正行にも無遠慮な視線を浴びせかけるが、これがアリスのときよりも断然長く、また表情はどこか釈然としないよう、ようやく視線をアリスに戻したかと思えば、


「後ろの若造は、なんのためにいるんだい」


 とあけすけに言い放つ。

 それで気圧されたのは正行ばかり、アリスは平然たる面持ちで、


「彼はわが国の重臣です。交渉の手助けのため、いっしょにきていただきました」


 ふん、とアンナは鼻を鳴らし、また正行をじろり、しかし今度は正行もアリスの体裁を守らなければならぬせいか、ぐいとあごを引いて立ち、アンナの視線にも負けずきっと見返す。

 アンナはすっと目を細めたが、それがなにを意味するのか、視線はまたアリスへ向いて。


「王の容体はどうだい」

「おかげさまで、なんとか――決して安心できる状況ではございませんが」

「だろうね。多少の不調なら、それをおしてでもここへくるはずだ。歩くこともままならぬといううわさ、どうやら本当らしいね。それに、若い娘があとを継ぐといううわさも」


 アリスはゆっくり首を振り、


「まだ先のことです。わたしには学ばなければならぬことが多くあります。父の代わりなど、とても」

「しかしそうも言っていられない。まあ、実力不足は、たしかにそうだろうさ」


 と無遠慮なアンナに、正行がすこし眉をひそめれば、そのわずかな動きさえ気づかれて、


「なんだい、主人をばかにされて怒ったのか?」


 分厚い唇に、にやりと笑み、それがことさら陰湿でいやらしく見えるのである。

 アンナは波打つ黒髪をさらりとかき上げ、頬杖をついて正行を見れば、いたぶるような視線。

 正行はやはりその態度も気に食わず、最低限の礼儀だけは保ちながら、


「愉快じゃないよ、そりゃ」


 とちいさく呟けば、アンナはまたもやにやり、アリスを見て、


「主人も隙だらけなら、臣下も隙だらけ、グレアム王国の将来も不安だね」


 ぴりりとした空気のなか、アンナだけが自在に振る舞い、正行は悔しいやらなんやら、ぐっと唇を噛んだ。

 アリスも同じような心境だろうと思いきや、アリスはむしろ笑みさえ浮かべ、


「その不安な将来のため、この城を尋ねたのです。どうかお察しください」

「王の代わりと言いながら、きたのは小娘と小僧がひとりずつ、グレアム王国がどれほどの大国か知らないが、このエゼラブル王国を舐めているんじゃないか」


 ぐいとアンナは身を乗り出して、眉をきゅっと釣り上げる。

 アリスは深々と頭を下げれば、


「父はご承知のとおり病が深く、城内を歩きまわることもできません。重臣の方々はみな内政の安定に奔走しておられます。許されるかぎりでもっとも位の高いものがわたしなのだとご理解ください」

「しかし、開口一番に交渉と切り出すような小娘のこと、信用するのはむずかしい」


 いくらか溜飲は下げた様子のアンナ、しかし不快そうな顔はそのままに。


「グレアム王国が持ちかけてくる話など、どうせ同盟だろう。それも戦時における同盟、すなわち兵の貸し借りの条約だ。たしかに国土や人口ならグレアム王国のほうが大きかろうが、戦闘力というならその非ではない。対等な同盟に、対等な交渉? とてもこちらとしては受け入れられないね」

「戦闘力では、たしかにエゼラブル王国には到底敵いません」


 とアリスは静かに言うが、その目には強い口調にもめげぬ強い意志が宿り、きらと容易ならぬ光が灯る。


「国民すべてが魔法使い――純血なる魔女の血統に敵うものなど、この大陸にはありません。しかしこちらからも提供できるものはあるはずです。食料や、その他の物資、あるいは交易における優遇などの処置も――」

「みんな、同じことばかりだ」


 アンナは失望した顔で、興味も失ったように軽く手を振った。


「わが国の仕組みを理解していない。そんな相手とは話しても無駄だよ。部屋へ戻りなさい」

「しかし、アンナ女王――」

「なんなら、力尽くでこの国から追い出してもいいんだよ」


 ぎらとアンナの目が輝けば、その剣呑に気圧されたよう、アリスも言葉をなくして黙り込む。

 そこへ、


「アンナさま」


 と扉が開いて、どうやら兵士らしい長身の女が顔を出し、正行とアリスに驚いたようだったが、


「なにかあったのかい」


 とアンナが催促して、ようやく頭を下げ、


「それが、また王女さまの姿が見えず、現在城中を探しているところですが、もしかしたら例の森へ行かれたのかも」

「またあの子か。跳ねっ返りも、そろそろ落ち着いてほしいもんだね」


 アンナは深々とため息、そこには母親らしい心配も浮かび、正行はようやく目の前にいる相手が人間らしい感情を持っていることを発見したのだった。


「どうせ森へは行っていない、城のどこかに隠れているだろうから、探して部屋に閉じ込めておきなさい。あとでわたしが説教しておくから」

「ですが、わたしたちではロゼッタさまを捕まえることも……」

「そこらへんに餌でも置いとけば、腹が減って出てくるさ。あの子はそういう子だから」

「は、はあ」


 と兵士はためらいがちにうなずいて、部屋を出ていった。

 すると一瞬逸れた視線がまだアリスへ戻り、


「いつまでそこにいるつもりだい。粘っても、いい結果は得られないよ」


 と説教のように言われては、それ以上突っ立っているわけにもいかず、アリスはぎこちなく頭を下げ、正行共々部屋を出た。

 女中の案内も断り、細い廊下をとぼとぼと帰る道すがら、アリスの背中に、正行はかける言葉も見つからぬよう。

 滑らかに加工されてもいない、無骨な石積の壁、そのおうとつの目立つ表面に松明の陰影がちらり、アリスは唐突に振り返って、


「こんなことで落ち込んでちゃいけませんよね。国の代表なんだから、もっとしっかりしないと」


 ぐっと拳を握って正行に宣言するその目元もかすかに濡れて。

 青いワンピースの裾にわだかまる落胆の気配、それさえ許さぬというようにアリスは裾を払って、白い頬をかすかに赤らめて、正行を見上げる。


「正行さまも、わたしがみっともなかったり、間違ったことをしたら叱ってくださいね。甘やかされてもよくはなりませんから」


 深い決意がそこにはあるのだろうが、しかつめらしいアリスの表情を見ているうち、正行はかすかに口元を緩めて、


「わかったよ、そうする」

「約束ですからね――笑ってないで、ちゃんと約束してくださいね」

「わかってるって」


 と最後まで笑みを消さぬ正行に、アリスは納得したような、していないような。

 廊下を戻るふたりには、もうそれぞれに暗い色はなく、ただ互いに思うところがありながら、後日への課題としてしっかり心に刻むのだった。

 そんなふたりの背後、狭い廊下の左右を見回しながらこそこそと進むひとつの影がふと立ち止まって、階段へ消えてゆく背中をじっと見つめれば、


「グレアム王国の王女と、あの男はだれかな――」


 ぽつりと呟いた矢先、


「王女さま、ロゼッタさま! 部屋へお戻りくださいっ」

「やば、見つかった――」


 どたばたと女中たちが追いかけるのに先んじて、長い手足で風のようにひらりと駆ければ、角を曲がったころには姿も消えている。

 女中たち、息も荒らかにきょろきょろとあたりを見回して、


「もう、本当に逃げ足が速いんだから――あなたはそっち、わたしはこっちを」


 と散開すれば、廊下のどこからともなく若い女が現れて、ふうと一息、


「なんとかしてここから抜け出さないと――一回くらい、夢見たっていいよね」


 だれにともなく呟いて、またふらりと姿を消せば、だれもいない廊下を松明の明かりが照らすのみ、陰影揺れて悲しげに、行き交う女中の疲れたような横顔をほんのりと温めている。

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