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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
秘宝と王女と大鳥と
19/122

秘宝と王女と大鳥と 1-1

  1


 季節の移ろいは、なによりも自然がもっとも顕著に教えてくれる。

 青々としていた麦や稲畑、いまでは脱色して軽くなり、穂を揺らす風も肌にひやりとくるくらい。

 あれほど謳歌していた昆虫たちもどこへ行ったものやら、いまではあぜ道のそば、りんりんと鈴の音に似る鳴き声響くほかは静かなもので、夜も森閑、耳を澄ませばさらさらと穂の擦り合う音が聞こえてきて、それがまるで囁き声、仲間同士でこそこそとなにか相談するような声色。

 空もいくらか秋めいて、抜けるような晴天でも暑さが減り、どことなく切なげな青色を帯びてきた。

 太陽がすこし傾きを強めたということもあるが、薄暮に長く伸びる影もまた悲しく、遊ぶ子どもも早く日が暮れて不満顔、慰める食事もシチューやスープが多くなる。

 グレアム王国は周囲を山と森に囲まれ、秋でも森からは鳥の声騒がしく聞こえたが、周囲のすべてが平野であるノウム城では秋の色もすっかり変わり、もとのノウム国民は慣れたものながら、遷都に伴ってノウム城へ移り住んだグレアム国民はどこかためらうような表情、慣れぬ農業疲れもあるのかもしれぬ。

 一民衆がその様子なら、ノウム城に住むグレアム王家あるいはその臣下たちもまた、遷都から早二ヶ月を過ぎても、完全には馴染んでいない。

 とくに国王の身体は、もとが衰え弱っていたこともあって、ノウム城へ移ってから病急激に深まり、このところは四六時中起きているのやら寝ているのやら、低く呻き声を上げていることに気づいて揺り起こしても、目も開けずにいる。

 身体はいよいよ痩せ細り、骨格がぐいと張り出し、それをかろうじて乾いた皮が覆っているような状況。

 このままではいつ逝ってもおかしくはない、と臣下は毎日気が気ではなく、娘にして王女のアリスは父の病床のそばに自分のベッドを引っ張って、低いうなり声にもはっと目を覚ましては父の手を握り、まるで歩き去るのを呼び止めるよう、何度もお父さまと涙声で呼ばわる。

 そのような気運知らず、外の空気はいよいよ澄明を極め、来るべき冬を間近に、最後の暖かさが盛り返したある日、異邦人たる雲井正行は、大陸一の智者と名高いベンノ共々、城下町をふらふらと彷徨っていた。

 散歩と言い条、沈鬱な表情ふたりに見いだせば、病の気配濃い城内にはいたたまれないのだろうと察せられる。

 ふたりの歩く城下町、至るところに赤煉瓦が目立っていたグレアム王国とはちがって、石造りと白壁が基本の、あまり飾り気のない町並みである。

 細い路地は幾本も伸び、櫛比する家々のすき間、縫うようにあるが、城へ向けて徐々に角度がつき、城に近ければ近いだけきつい坂道となっている。

 そこでいましも子どもが四人、草をぐるりと丸めたものを転がして、追いかけながら黄色い声を上げている。

 坂の上から見下ろして、正行はぽつりと、


「あれから二ヶ月経ったとは思えないけど、やっぱりしっかり時間は経ったんだな」


 呟けば、従来彼の母国語であった言葉ではなく、このあたりの言葉である。

 唐突にこの世界へ降り立ってから、早三ヶ月余り、必要に迫られていることもあり、ベンノからの教授もあり、正行は多少発音にぎこちない部分はあるものの、日常会話程度ならこなせるようになっている。

 傍らのベンノ、フードを深く被ったままこくりとうなずくが、


「しかしまだ元どおりとは言えん。いや、元どおりになどなるはずがないのだが」

「そうかな。城下町も、もとの雰囲気に比べればずいぶんよくなったほうだと思うけど」


 と目を細めれば、目蓋にありありと浮かぶのは旧ノウム国民とグレアム国民のあいだに深く刻まれた溝のこと。

 その日まで殺し合っていた者同士、今日から仲良く隣近所で暮らせというのも無理がある。

 しかしグレアム城が使用不可能になっている以上、暮らす場所はノウム城とその城下町以外になく、結局グレアム城の城下町に暮らしていた人々はすべてノウム城へ移徙しなければならなかった。

 そこで毎日のように起こったのが、いがみ合いやけんか、ときには刃傷沙汰まで、剣呑な騒ぎである。

 この狭い城下町、ふたつの国民が暮らし、互いに反感を募らせ合えば、そのように帰結するのは当然のこと、正行とベンノもそれには頭を悩ませたが、結局棲み分けなどの対策はとらず、時間が解決してくれるのを待つばかりとなった。

 ベンノ曰く、


「棲み分けをすれば、たしかに争いは減ろうが、古い国民同士が固まり合ってもよいことはない。むしろ謀反の火種となるだけ。それならば、いまは同じ国の国民なのだから、多少ぶつかり合いはあっても共に暮らすほうが有益であろう」


 それには正行も賛成で、ふたりして意見を国王へ上げれば、そのとおりに、という命令下って、町はいまも変わらず旧ノウム王国の国民とグレアム国民がともに暮らしている。

 よくなった、という正行の言葉はまさに実感だが、ベンノは物憂げに首を振れば、


「一見、たしかに争いは減ったように思うが、まだまだ、真に理解し合うわけではない。見てみよ、あの子どもも、全員グレアム城から移り住んだ子どもたち、そこにノウム城の子どもが混ざれば、まだ希望も見えてくるだろうが」

「そうか――たしかに、そうかもな。みんな、いちいち言わなくなっただけか」


 と正行もまつげをふいと下げれば、ベンノはちらとその横顔を見て、


「まあ、一歩前進したことはたしかであろう。こういうものは、慣れなのだ。口に出さぬようになったとなれば、やがて理解し合えることもあろう。いがみ合ってまともに話もできんよりははるかに良好な関係よ」


 さて、とベンノが歩き出せば、正行もそれに続く。

 厳しい坂道を、つつと小走りになるよう、緩やかな部分まで急ぐ。

 ときに左右の民家、窓辺にはこのあたりに群生している赤い花、大きな花弁が鮮やかに飾るが、見ればそれがある家とない家、ほとんど交互に分かれている。

 それはなにかと正行問えば、


「建国の日よ」


 とベンノは答える。


「建国の日?」

「ノウム王国のな。その日には、あの赤い花、ベリタスというが、あれを飾るのがしきたりになっておるのだ。そうしておらぬ家は、グレアムから移り住んだ者だろう。これもまたひとつ、文化のちがいというやつであろうな」


 ふうんとうなずく正行、やはりわかり合うには時間がかかりそうだと内心思うのか、表情も冴えぬが、草の球を追いかける子どもたち、ふたりの脇を抜けるとき、


「こんにちは、ベンノさまに正行さま」


 と明るく声をかければ、正行は一転して笑顔になって、


「怪我しないように気をつけろよ」

「うんっ」


 無邪気に坂の上へ戻り、また球を転がしては追いかけ、ということを繰り返すのは、なんともいえず微笑ましい。

 正行の笑顔には、かすかな安堵の色、ちらとベンノを見ると恥ずかしそうに頭を掻いて、


「ああいう子どもを見ると、こうなったのも間違いじゃないと思えるんだよ」


 ベンノはフードの下、口元をすこし緩めて、


「無論、間違いなどひとつもない。しかし図らずもおまえさんには重たい責任を背負わせてしもうたの。国家の行方、ひとの命、なんにしてもひとりで背負うには巨大すぎようが」

「でも、仕方ないさ――どんな偶然か知らないけど、おれはここにいるんだ。いまさら逃げるわけにはいかないだろ」


 と呟く正行の顔、細められた目元には憂いが宿るも、唇をきゅっと結んで峻峭にさえ見える。

 うむとうなずくベンノ、満足げに。


「ひとの人生など、どこでどうなるかわからん。ごく当たり前に生きていたものが、突然なにかの拍子に表舞台へ上げられることもある。わしなどもそうよ」

「大陸一の大先生、あのベンノさまが?」


 正行が目を見開いて大げさに言えば、ベンノは眉をひそめていやそうな顔、


「それも、勝手にまわりが言うばかり、わしは大陸一だとも思わんし、そもそも老いぼれを捕まえて天才ということもなかろうに。その称号はおまえさんに譲ろう」

「おれだっていらねえよ、そんなの。ただの異邦人だぞ。いまの扱いだっておれにはよくわかってないんだから。自分より年上のひとに殿ってつけられたりするしな」

「なんだ、年上を敬う気持ちがあるのか? わしのことはじいさんと呼ぶくせに」

「じいさんはじいさんだろ。ベンノさま、のほうがいいのか」

「む……まあ、じいさんでよいが。たしかに老いぼれには変わりなし」


 歩きつつ、やがてふたりの足は城下町の中央へ。

 グレアム城の城下町とちがい、ここには町の中央に広場がある。

 円形の噴水さらさらと溢れ出すのに、水滴はまるで空中に踊るよう、ぷるぷると震えるのが前後左右へ揺れ動き、光を乱反射してまばゆく照らす。

 励ますような暖かさ、陽気もそれに加わって、噴水の周囲には腰を落ち着けてゆっくりと語らう姿がいくつか見える。


「いい町だなあ」


 と実感を込めれば、ベンノもうなずいて、


「いずれ、もっとよい町にせねばの」

「そっか――その責任も、こっちにあるわけだもんな。もう他人事じゃないんだ、なにもかも」


 決意新たにぐっと拳を握れば、水を差すようにこそこそと、どこからともなく囁き声。


「王の容体もよくないんだろ。なんでも、前の王さまの呪いだって聞いたけど。王子だってあんなことになったし、占領してるグレアムだって兵もすくない、こんな調子で大丈夫なのかね」

「どこかの大国が攻めてきたら、ひとたまりもないよな。そしたらまた、おれたちはどこの国かもわからないところに取り込まれるわけだ」


 広場に鬱々と満ちる囁き、正行はとっさにあたりを見回すが、ベンノがそれを制し、ふたりはあくまで顔を上げ、広場を立ち去った。


「ああいう輩には反応してはならん」


 歩きながら、ベンノが囁く。


「うつむいてもならん、にらみつけてもならん。ただ堂々と通りすぎればよい。どれだけ腹を立てても、おまえさんもすでにグレアム王国の臣下なれば、軽率な振る舞いを起こしてはならんぞ」

「別に怒っちゃいないけどさ」


 と正行は唇を尖らせて、


「だれが言ったのかわからないけど、事実にはちがいないし。おれが怒るのはお門違いだけど、ただまあ、内情を知ってるだけに悲しくはあるよ」


 呟く脳裏には、かいがいしく看護を続けるアリスや、それを支える臣下たちの姿が浮かんでいるにちがいないのである。


「それにしても、呪いか」


 見る家々の窓辺、赤い花が飾られていたり、なかったり。

 強固な石造りなれば、窓は深くちいさい造り、そこにちいさな鉢植えが置かれ、どこも一輪だけ赤い花弁が開いている。

 その潤沢を帯びた花びら一枚、なにかの拍子に落ちたものらしく、石畳にふわりと心なく。

 正行がひょいと指先で拾い上げれば、ときならぬ風、指先から花びらを奪って宙へ舞い上げ、目を細めた正行は早見失う。

 前髪がさらさらと揺れ、視線を下げれば、ひとひらなくした赤い花は力なくうつむいていた。


「壮絶な死にはそうしたうわさがつきまとうものよ」


 ベンノはフードを押さえながら言って、慰めるように、


「だれのせいでもあるまい」


 と付け加えた。

 正行、振り返りざまにいと笑って、


「自分のせいだとは思ってないよ」


 と嘯けば、ベンノも処置なしと首を振る。


「それならよいが、おまえさんはちと、ひとりで抱え込みすぎる傾向にあるのう」

「そうかな? そんなこともないと思うけど」

「たまには息抜きもしなければ、まだまだ長い人生、耐えきれぬぞ。正面から向き合おうとしてはならぬ。おまえさんが抱えたものは、個人が耐えきれるほど軽いものではない。本来であれば国家が負担しなければならぬ重み、それがこの状態でおまえさんにのし掛かっておるだけよ。気を楽にして、楽しみを見つけるがよかろう」

「ふん、まるで医者みたいだな」


 正行は腕組みし、わざと怒ったような顔を作ったが、次の瞬間には破顔して、


「ほんとに、そこまでつらいってわけじゃないから、心配いらないよ。それに毎日知らないことばっかりで、結構楽しいしな。もうすこししたら稲の収穫もはじまるんだろ。手伝ってみたいなあ。向こうでも一回だけ学校研修でやったことあるんだけどな」


 かすかに上を向く横顔、ベンノは真意を探るように見つめて、


「それもよかろうが、おまえさんの仕事はほかにもあるぞ。内政はわしとアントンでなんとかするものの、外政までは手が回らん。ほかの文官と協力し、おまえさんはそっちも考えてくれ」

「外政ね、わかってるよ。いまもほかの国に関してちょくちょく教えてもらってるし――ただ、戦争は、できればもうしたくない」


 すこし肌寒い空気のなか、きんと響く硬い声色であった。

 思わずフードを上げたベンノは、きっと前をにらむ正行の横顔、じっと見つめて、口元がほろり、


「そのとおり。戦争とはもっとも非効率な最終手段だ。外政、外交というのは、そうならぬように国同士の仲を取り持つのが主な役割よ」

「それなら、おれよりも適任がいるんじゃないのか」


 ぽりぽりと頬を掻く正行に、


「外政というのは、頭の冴えや立ち振る舞いももちろんだが、それ以上に人柄や関係性というものが大きく影響する。こればかりは若いうちから諸国を回り、様々な経験を積まねば得られぬものよ。王はその点、おまえさんに期待しておるのであろう。いまのうちから経験を積ませ、やがて一流の文官になるよう教育するつもりなのかもしれん」

「教育ねえ……苦手だなあ、勉強は」

「ん、そうなのか。たしかに言葉の覚えは遅かったが」

「大きなお世話だっつの。向こうの学校では、だいたい成績は下のほうだったよ。ま、要領はよかったからそれとなくこなしてたけどな」


 正行は石畳を蹴る足先も憂鬱そう、ベンノは困ったような顔でちいさくうなる。

 ふたりはやがて、巨大な城壁の根本、陽も差さぬじめじめした陰へ行き着く。

 ひたと城壁へ触れれば、まだ朝露残って潤い、指先がすこし濡れて、城壁の下部は薄く苔生していた。

 目を細め、城壁の上限を見上げる正行は、なにも感じぬわけではない。

 この城壁さえなければ、と思うことすくなくはなく、しかしこの城壁のために城下町が守られていることも事実である以上、その目には憎悪や切なさの文目混じって複雑にゆがむ。

 老いてなお矍鑠、そして聡明なるベンノは、目聡く正行の葛藤を知り、


「ゆがむなよ」


 と一言、厳しく言った。

 正行は驚いたように振り返ったあと、仔細心得たものと見え、こくりとうなずいた。


「しかしあまり根を詰めるのもいかんの」


 とベンノは思案顔、あごをゆっくりと撫でて、


「城もいまは王の病深まり、いまだ内政安定せず落ち着かぬだろうから、どうだ、ひとつ旅にでも出てみては?」

「この時期に、旅?」


 露骨に顔をしかめる正行、ベンノの顔をしげしげ眺め、


「呆けたのか、じいさん」

「だれが呆けかっ」

「内政も安定してないし、まわりの状況も揺れ動いてるのに、のんきに旅なんか行けるわけないだろ。まだアルフォンヌ王子のことも決まってないし」

「む――まあ、それはそうだが」


 とベンノも深刻な顔、ふたりは揃ってため息をつく。

 城下町の治安がひと段落した目下、文官武官ともに頭を悩ませているのが、旧ノウム王国の王家で唯一戦争を生きのびた幼い王子、アルフォンヌのことである。

 グレアム王国に敗れたことで、ノウム王国はすでに亡国、アルフォンヌの身分も王子ではなくなっているが、かといっていまさら野に返れというわけにもいかず、城下町に置いておくわけにもいかぬせい、未だ城の一室で生活している。

 とくにアルフォンヌ自身、城を退くつもりが一切ない。

 侵略者たるグレアム王国に対し、


「おまえたちは人殺しだ。ぼくはノウム王国の王子なんだ。ぼくの国から出ていけ、出ていけ!」


 と怒り、興奮してはわっと涙している日々なのである。

 アルフォンヌにしてみれば、父と兄を殺した仇、幼き心を考えれば、グレアムの人々を嫌うのも詮方なきこと。

 ベンノは腕組みに、眉間に深く皺を寄せ、すこし声をひそめて、


「それだけならまだしも、城内にも少数旧ノウム王国の臣下残り、アルフォンヌ王子を担いで再興を標榜しておる。まだ陰なる動きなれど、捨て置けん。城へ残しておくと新たな内紛の火種になりかねんが、かといって余所へ放り出すにも気を遣う。臣下共々目の届かぬ遠方へやれば、やはりそこで謀反生まれようし、近しい場所では城下町の雰囲気にも影響する」


 正行もうなずいて、


「できればアルフォンヌ王子にはおれたちと仲良くしてほしいんだけど、それは無理なんだろうな――それだけのことをやってきたわけだし」

「うむ、そうだの」


 とさすがにベンノも悔いる顔、


「向こうから仕掛けてきた戦とはいえ、こうなってみるといよいよ開戦が惜しまれる。双方ともあまりに犠牲と遺恨を残す終結であった。わが方としては、本来ならば戦死するところ、救われた気持ちに変わりはないが、この先も生きるとなれば考えなければならぬことは多いのう」

「きっとあれは、理想的な選択じゃなかったんだろうな」


 正行は、ともすれば視線落として塞ぎがちになるが、それを堪える精神力も身につけて、いまはただ城壁を、その石積のすき間に生した苔をにらんで耐えている。


「この先は、もうあんな失敗はしたくない。おれは頭も悪いし、なんの才能もないけど、そのための努力はやるしかないんだ。おれが失敗すれば、ひとが何人も死ぬかもしれないんだから」

「むう、それが思い詰めるというのだが」


 とベンノはため息、


「やはり、おまえさんはもうすこし気楽になったほうがよい。内政は任せて、しばらく旅に出るがよかろう」

「だから、いま大変な時期なんだから、おれも協力するって」


 正行は言いつのったあと、すこし不安顔で、


「そりゃ、邪魔だからどっか行ってろっていうなら、そうするけどさ」

「そういうわけではない」


 ベンノはひらひらと手を振って、


「実はの、おまえさんにひとつ仕事があるのだ。外政にも関係すること、それに伴ってしばらくこの国を離れてはどうかと思っての」

「外政にも関係する仕事?」


 首をかしげる正行、ベンノはうむとうなずいて。


「さきに広場で聞いたであろう。あれは的を射た意見なのだ。グレアム王国は兵力に対して国が巨大になりすぎておる。どこぞの国が攻め入れば、村のひとつふたつ落とすのはわけないこと、それで本丸まで攻め込まれるかといえば話は変わるが、急ぎ国境線を守れる程度の兵力を手に入れなければならぬのも事実よ。幸い、グレアム王国は鉄鉱があるゆえ資金は潤沢だが、しかし急ごしらえの兵では忠も義もわからん。そんな兵士を数だけ入れても戦力としては数えられん」

「信用できる兵士を捜すってことか」

「それではあまりに時間がかかりすぎる。もっとも手っ取り早いのは、同盟国を作ること」

「同盟国?」


 ベンノはローブの裾をさっと払い、禿頭をきらと輝かせながらこくんとうなずく、その仕草で正行が眩しい仕草をしたことにも気づかず。


「同盟国の兵というのは、自らの国の兵同様とは扱えんが、すくなくとも同盟国自身には忠誠を誓っておる。そして同盟国同士で助け合うなら、それはひとつの巨大な国家といってもよい。矮小なる生物が身を守るには、数で群れるしかないのだ。そのために、まずは有力な隣国と同盟を結ぶ。その役目をおまえさんに託したいのだ」

「お、おれに?」


 正行は目を見開き、ぶんぶんと首を振った。


「無理だって、そんなの。この国以外に行ったことないのに、さっそく交渉なんかできるわけない」

「まあ、そう慌てるな」


 とベンノ、手でさっと制して、


「なにもおまえさんに交渉しろというわけではないのだ。ともに交渉へ赴く者に付き従い、まあ、気楽な旅のつもりでおればよい。行ってもらいたい国はすこし変わった風土の国だからの、いろいろと見聞も広まろうし、しばし内政から離れてゆっくりするのもよかろう」


 正行は、それでもしばらくまじめに考え込むような仕草、ここで自分が無責任に国を離れるのは、と思うらしいが、やがて顔を上げて、


「じゃあ、そうしようかな。その変わった国ってのも見てみたいし」

「うむ、それがよい」


 ベンノも満足げ、まるで祖父のような顔でうなずいて。


「ところで」


 とふたりは城へ向かって城下町を戻りながら、


「交渉へ赴く者って、だれなんだ。アントンさんかだれか?」

「いや」


 ベンノは首を振り振り、


「あれは有能な文官だが、人付き合いには向かん。同格の国へ同盟を持ちかけるのだ、本来であれば最終的に出向くのは王となるが、しかしあの様子では城下町の視察さえできん。代わりにとなれば、ひとりしかおるまい」

「んー、だれだろうな」


 いまだ気づかぬ顔の正行、いくつか浮かぶ顔はあるものの、


「ロベルトさんとか?」

「あれは武官、交渉には不向きであろうが」

「そっか。じゃあ、だれかな――」

「本当にわからぬか?」


 ベンノはちらと正行を見て、その口元、いたずらっぽい笑みがちらりと。


「王の変わりとなれば、王女しかおるまいに」

「お、王女?」


 正行はぴたりと立ち止まり、茫然自失。

 頭上ではゆったりと白い雲、北へ流れながら温かい風が流れ込み、窓辺に飾られたベリタスの花もふりふりと揺れる。

 ほほほ、と笑いながら歩いてゆくベンノ、正行も慌てて追いつき、


「アリスも行くのは、いっしょに」

「なにを。いっしょに行くのはおまえさんのほう、交渉役は王女さまよ。王と同格にあって、交渉にも適する人柄、加えて明晰なる頭脳をお持ちとあれば、これ以上の適役はあるまい」

「言われてみれば、たしかにな」


 と宙にアリスを思い浮かべる正行のとなり、ベンノは厳しくなってゆく坂道に呼吸を荒らげながら、


「それに、アリスさまもこのところ憔悴が目立つ。常に王の傍らにあってかいがいしく診ておられるからの。父親に対する愛情もあろうが、それ以上にアリスさまの性格がああさせるのであろう。このまま城におっては、アリスさまのほうが先に倒れかねん。今回の交渉は、しばらく仕事でもって城を離れ、アリスさまにも療養していただく意味もある」

「はあ、なるほど」


 正行は感じ入ったように何度もうなずき、それからベンノの横顔をじっと見つめた。

 ベンノが気持ち悪そうに振り返って、


「なんだ」


 といえば、正行はしげしげ、


「いや、ほんとにすごいひとなんだなと思ってさ」

「なにを、いまさら」

「おれは内政ばっかり考えて、ほかはなんにも目につかなかったから――たしかに、アリスは休ませたほうがいいな。かといって、休めって言ったって聞く性格じゃないだろうしなあ」


 虫も殺せぬ顔をして、存外に頑固なのがアリスという人間である。

 狷介とはすこしちがえど、それに似た毛色あり、自身に怠けを許さぬ性格らしく、いまも臣下が代わる代わる休養を勧めているが、うなずくばかりで一向に休もうとはしていない。

 ベンノはちらと正行を盗み見て、


「おまえさんも、同じような性格だがの」


 と呟きは、正行には聞こえず、


「そういうことなら、おれも協力するよ。アリスといっしょにとなりの国まで行けばいいんだな」

「うむ――ほかに王女の身の回りの世話がひとり、付き添いの兵士がふたりに、計五人での旅になろう。隣国まではわが領地、向こうとて荒れた国ではないから、道中危険はないと思うが、くれぐれも王女に危険のないようにな」

「わかってるって。まあ、おれは剣も使えないから、いざというときの盾くらいにしかならないけど」


 からからと笑う正行に、


「おまえさんも今後の貴重な戦力なれば、盾になられては困るがの」


 とベンノは年長者らしく釘を刺す。


「わしのような老いぼれならともかく」

「冴えた頭を持つ老いぼれか」


 正行はにたりと笑って、坂道に苦戦するベンノの背中、片手で押しながら城へ戻る。

 そうすれば、子どもたちも球追いに飽きた様子、なにかおもしろいことをしているらしいと、挙ってベンノの後押しをはじめる。


「こ、こら、おまえたち、かように押しては足が忙しいわ」


 ベンノは厳しい坂道、転ばぬように駆け上がってゆけば、子どもの明るい笑い声城下町に満ちて、なにやらそれがよい影響を与えるような気がして、正行はひとりで笑みをこぼすのだった。


「正行さまも、いっしょにしよう」


 と誘われれば、


「ん、おれもか。よし、じゃあやるか!」

「おい、待て、おまえ」


 珍しくベンノが慌てるところ、ぐいと背中を押せば、その速度に合うよう足を動かさねばならず、ローブの下で必死に細い足が地を駆ける。


「お、おまえたち、や、やめんかっ。わしが死んだらおまえたちのせいぞ」

「じいさんはまだまだこの国に必要なんだから、このくらいで死なないように鍛えてもらわないとな。みんなそう思ってやってるんだよな?」

「なー」


 と明るい子どもの声、ベンノぐぬぬと唇噛むひまもなければ、城の前まで一気に駆け上がって、ぜいぜいと息をつく。

 脱げたフードの下、禿頭にも汗が光り、それでも子どもは元気が有り余っているように坂を駆け下りてゆく。

 ベンノは正行をちらと見て、


「おまえさんも、思いのほかに子どもだの」

「あれ、知らなかったか?」


 と正行は心に陽が差して朗らか、老いたる心体には眩しいと見えて、ベンノは目を細める。


「まったく、明日は筋肉痛になろう」

「たまにはそれもいいだろ。じいさんもちょっとは休まないと、余計に禿げ……いや、寿命が縮むぜ」

「いまなにか言いかけたの、おまえさん」

「気のせい、気のせい。風がどっかから声を運んできたのかな。さ、城に戻って、旅の準備をしないと」


 坂を駆け上がっても呼吸ひとつ上がらぬ正行、やはり若い、とベンノは見やって、自分はとぼとぼ、酷使した足をかばうような歩き方であった。

 そんな様子を、城の窓、じろりと見ている影がある。


「なんともまあ、のんきなものよ」


 内政に携わる文官では最高位に位置する大臣、アントンは、ちらと後ろの女中を振り返り、ふんと鼻を鳴らした。


「あのような日和見の老人が牛耳っておるようでは、この国の行く末にも不安が絶えぬ。ロベルト殿もベンノさまも、無能ではないが、いささか理想主義が過ぎるようである。ときにはそれもよかろうが、この戦乱、理想主義がどこまでまかり通ろう。現実とは無情なりと知れば、また新たな策も生まれように――せめて国王さまが快復なされば、国も持ち直すのだろうが」


 窓の外、城下町を見下ろす視線は厳しくとも、言葉の端々にはグレアム王国というものに対する愛情が乗る。

 アントンという男、現実主義の権化のような痩せぎすで、闊達ではないが、宙なき臣下ではない。

 そしてまた城の別室、ほとんど幽閉されているに等しいアルフォンヌは、城下町の様子を見ることもなく、窓もない部屋、調度品ばかりがきらびやかに輝くが、表情までは明るくならず、涙に濡れた目を赤く腫らし、ベッドの上でうずくまっている。

 そこへかつての臣下が寄るに、


「アルフォンヌ王子」


 とかつての呼称でもって、


「いましばらくの辛抱にござります。やがて彼ら、王子をどこぞの辺境へ、領地を与えるという名目で解き放つでしょう。そのときを待つのです。彼らの目の届かぬ場所なればかつての国民も集まり易い、われわれの動きも自由になりまする。それまで、おつらいでしょうが、どうかご辛抱を」

「わかっておる」


 とアルフォンヌは父や兄の言葉をまねて。


「ぼくは、この国の王子なんだ。ぼくがいるかぎり、ノウム王国は滅亡していない。必ず、必ず、人殺しどもをこの城から追い出し、叩き潰してやる」


 城下町で明るく笑う子どもと変わらぬ年ごろ、その目にめらめらと昏い炎が宿るのに、頬は一層青白く輝くようで、幼さよりも一種の凄みが目立つ顔になっている。

 臣下は幼き王子に深々と頭を下げ、立ち去ろうとするのに、


「待て」


 とアルフォンヌが呼び止める、その寂しげに揺れる瞳だけは年相応の幼さを孕み、指先はまるですがるよう、シーツをきゅっと掴んで離さぬ。


「いま、ノウム王国には何人の国民がおるのだ」

「かつての国民が数百、いまだに忠誠を誓う臣下でいえば、二、三十というところ」

「そうか――おまえたちは、ぼくを裏切らないだろうな。なにがあっても、ぼくのことをひとりにしないだろうな」


 言ううちから見る見る涙が溢れ、ぷっくりと膨れた頬を伝うやるせなさ。

 臣下は今一度頭を下げて、


「お約束いたします」


 といえば、アルフォンヌはうなずきながら涙を拭いて、震える喉で精いっぱい大人ぶって。


「ノウム王国再建の暁には、おまえにも好きなだけ褒美をとらせる。なんとしても、ノウム王国をもう一度以前のように戻すのだ。今日に誓おう。建国に誓おう。必ずや立派な国に戻してみせる」

「われらの力などたかが知れておりまするが、アルフォンヌ王子さえいらっしゃれば、むずかしい事業でもございますまい。必ずやり遂げられましょう。しかし、いまは辛抱のときでござります」

「うむ、わかっておる」

「彼らに服従したと思わせ、油断させるのです。さすれば遠方へ離れたとき、監視もすくなく済みましょう」


 アルフォンヌはこくりとうなずいて、臣下が去るその背中、扉が閉まるまで見つめて、それからたったひとり、枕にどうと倒れ込んだ。


「兄上、父上……」


 幼き呼び声を聞くものもおらず、部屋はいつまでも静まり返り、時折耳を澄ませば、しくしくとすすり泣く声が聞こえるばかり。

 それがグレアム王国の人間にも伝われば対応も変わろうが、身の回りの世話人すらグレアム王国の人間を寄せつけぬアルフォンヌは、わずかな臣下以外にはなにも持たぬのである。

 無垢なはずの幼き心、負った傷は深く爛れ、じくじくと痛んでいつまでも止まぬ。

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