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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
流星落ちるはかの国に
17/122

流星落ちるはかの国に 8-2

  *


 グレアム城の処理も終わり、いよいよノウム城へ遷都というころ、グレアム国王の病はやはり回復せず、一日に数時間起き上がっているほかは一歩たりとも歩けぬような状況、それに伴ってノウム城への入城も輿で行う予定であったが、それを国王は頑として認めず、


「馬に乗り、堂々と入城せずしてどうする。姿も見せぬ王を信じる民もおらぬであろうに」


 と自らむち打つような言葉、それにはだれひとり逆らえず、せめてもとして、城門の前までは輿で移動するという折衷策と相成った。

 晴天の日を選び、もとの城下町に暮らしていた国民をずらりと引き連れ一同がゆく。

 すでに兵士や大臣は城へ入り、残りは避難していた王や民ばかりなのである。


「お父さま、お身体は」


 とアリスも輿に乗り込んで、横たわる父の手をぎゅうと握る。

 国王は目蓋もほとんど上げずうなずいて、


「問題ない。まだ死ねん」


 と繰り返すが、病深まるはだれの目にも明らか、幾ばくもない命を目の当たりにし、臣下のだれもが落涙を禁じ得ない。

 輿のなかの様子も知らず、あとに続く民衆は新しい町への期待と不安でざわめき止まず、まるで祭り囃子、のどかな野原をひた進む。

 その行列のゆくところ、動物は驚いて道を譲り、昆虫はその大きな目で人間の営みを見つめ、空は無窮のやさしさと慈しみで包み込む。

 青々と茂る草木、あぜ道を輿が進み、ぽつりぽつりとある農家からは何事かと驚きの顔が覗く、それを堂々と横切って、進む進む。

 やがて前方、のそりと身を屈ませたようなノウム城が見えてくれば、輿のなかで王が身体を起こす。


「もうすこし、まだ遠うございますから」


 とアリスが言うのも、国王は振り払って、


「ここでよい。輿を降ろせ」


 と命じる。

 王の命令とあらば従わぬわけにはいくまい、担ぎ手は轅を降ろし、輿から王の痩せた足、ぬっと出でてすくと立つ。

 天の眩しさ、病の目には眩しいらしく、ふらりと倒れかかるのを、輿のうちからアリスが支えて、


「お父さま、やはりもうすこし輿に乗られては」

「いや、ただの立ちくらみだ。走るというならまだしも、馬に乗るだけ、大儀はない」


 しかし輿にすがって立つのがやっとという態、慌てて馬が用意され、臣下が何人も集まってなんとか馬上に押し上げると、王はすっと背筋を伸ばして前をにらんだ。

 若いころから乗馬が得意で鳴らした国王である、さすがに馬の背では気迫も増して、落ちくぼんだ眼窩がむしろ凄みを見せる。

 茶色い毛に稜々たる筋骨、馬はたくましく王を支え、軽く首を上下させてたてがみを振れば、鼻息も荒く歩き出す。

 馬蹄が土塊を蹴り上げ、思い切り駆け出したいというように身体を揺らせば、慌てる臣下を後目に王はやさしく馬の顔を撫でて、


「ゆっくりでよいのだ。焦らずとも、歩けば辿り着く」


 と諭すように言った。

 まさか馬の耳に人間の言葉が聞こえるわけではなかろうが、事実それで馬はしゅんと萎え、足並みも穏やかになる。

 そうして王は馬に乗り、ノウム城の城門をくぐり、歓迎と憎悪の狭間、城下町の住人が取り囲むなかを、ぐいと胸を張り、堂々たる姿を晒して進んだのである。

 民衆のなか、王をにらむ者あれば、王はそちらに視線を注いで無言のうちに納得させ、喝采浴びせる者あれば薄く微笑むのに魅了する。

 その横顔、堂々とした背中からは病の気配など微塵も感じられぬ。

 無為にして化す、王に続くアリスはまざまざと見せつけられ、改めて父の偉大さと王というものの気高きを思い知らされるのである。

 馬が尻尾を左右へ振り、威風堂々進み、やがて城の前、王は民衆の目がなくなれば、まるで崩れ落ちるように馬から下りる。


「お父さま!」


 臣下が身体を支え、アリスも後ろから心配げな顔、涙を目いっぱいに溜めるのをちらと見て、王は苦しげに、


「おまえは次の王だ、アリス。易く泣いてはいかん。女とはいえ、気高くなければ」

「はい、はい、お父さま――」


 とうなずけば、その清廉な頬、はらはらと涙が伝って落ちる。

 王はそれを見てどう思ったか、咳込んで表情は見えぬ。


「どうか、城のなかへ」


 と臣下が背中を支えて城へ入るのに、出迎える予定が遅れたらしい、奥から慌ててベンノと正行が出てくるのに、王は顔を上げて微笑み、


「久しいな、ベンノ。またすこし禿げたか」

「そ、そうでござりますかな」


 ベンノはフードをとって禿頭を撫でたあと、はたと気づいて、


「どうぞ、こちらに床を用意しております。無理をなさることもあるまいに」

「この程度、無理ではない。おまえもよく指揮をとり、この度の戦、勝利へ導いてくれたものよ」

「いえ、わしはなにも――それよりも、正行殿の手柄でありましょう」


 王はこくりとうなずき、正行に目をやれば、さっそく苦手意識が生まれたものらしい、正行はびくりと身体を震わせてしゃちほこばる。


「そう硬くならずともよい」


 と王が笑えば、正行も泣き笑いようにぎこちなく顔を引きつらせる。


「そなたも、よくやってくれた。戦ははじめてか」


 その程度なら正行も理解できるというもの、こくりとうなずいて、片言の返答、


「はじめてでした」

「ならば、つらいことも数多かろう――戦など、突き詰めれば無情よ。そこで生き抜くには並の精神力では足りぬ」


 王に見つめられれば、言葉は通じぬところあれど、意思ははっきりと伝わってくる。

 その視線が正行の身体をつつと移動し、


「見たところ、そなたには戦争の才があるようだ。この戦い、気丈に見守ったのがその証。できればその才、わが国のために使ってはくれぬか。まだこの先にはいくつも戦があろうが、おれはどうやらそのすべてを見守るには命が足りぬ――そなたのような才のある若者がわが国の力となるなら、安心して天命を全うできるというものよ。どうだ、わが国を助けてはくれぬか」


 ここ数ヶ月のうち、若々しさを失って皺も深くなった王の顔、目の奥できらと光る強固な意志だけは病でも殺せぬとみえる。

 ベンノは正行の横顔をじっと見つめ、その目には案ずる色がちらり。

 王の後ろで、アリスも深く静謐な泉のごとき瞳、すがるように正行を見ていた。

 正行はごくりと唾を飲み、服の袖をぎゅうと掴んで、乾いた唇を動かすに、


「おれでよければ」


 王はほっと息をつき、急に苦しげな顔、慌てて臣下が背を押し、用意してある床へ急ぐ。

 ベンノはすかさず従って、アリスも広間を横切って続くが、その視線、ほんの一瞬名残惜しげに、正行に絡みつくよう。

 後ろ髪引かれるような白い横顔が城の奥へ消えても、正行はその場に立ちすくみ、身動きひとつできぬまま――しかし運命は決したのである。

 雲井正行は、この国の一員として生きていくことを選んだのだ。


  *


 大陸の南端、もとは魚魚以外に目立った特徴もなかったハルシャという国に、いまは皇帝を自称する男が巣くっている。

 黒い髪を短く切り揃え、中肉中背、あまり覇気のない目つきだが、口元にはいつも薄い笑みを浮かべ、まるで見る者すべてを嘲笑するよう。

 年のころは二十歳前後か、存外に若い顔も見せれば、中年を過ぎた男のようにも見える。

 奇妙な男である。

 特別に作らせた玉座につき、じいと臣下を見下ろす目つきも陰鬱で、口元にはやはり正体不明の笑みがちらり。


「――で、その情報は確かなのだな」


 跪く臣下、こくりとうなずき男を仰ぎ見て、


「帰趨はグレアム王国へ。兵を欠くこと百に満たぬと」

「それは愉快、愉快」


 と嘯けば、広い王の間、しいんと静寂。


「立役者は」


 皇帝の問いに、臣下が答える。


「やはり智に聞こえる学者、ベンノかと」

「しかし、あれはもう年寄り、耄碌して使い物にはならぬ。おそらく、そうではない若い才能があるのだ。さて、だれであろうな、どんなやつか――でかい男か、小男か、卑屈か、丹心なき者か、愚者か聖者か」


 ぶつぶつと呟く口元がつり上がるのに、臣下は怯えたような顔つきで、


「うわさにござりますが――」

「おう、なんだ」

「グレアム王国に、異邦人ありと。異世界から落ちてきた若者がおるそうなので」

「そいつだ!」


 皇帝は子どものように丸い手、ぱちんと打ち鳴らす。


「そいつがやったのだ、そいつにちがいない――そうか、そうか。おい、そいつの名はなんという」


 肘掛けをぎゅっと掴み、玉座から身を乗り出すのに、


「名はたしか、雲井正行――」

「雲井、正行か」


 にい、と笑みが巨大化して、男の顔全体を覆い、それがまるで爬虫類が笑ったような不気味さなのである。


「心得た。その名、今後何度聞くことになるか、楽しみよ」


 皇帝は玉座にもたれ、軽く手を振る、それが報告はよいから下がれという合図。

 臣下が慌てて立ち去るを見もせず、皇帝は目を閉じ、かすかに天を仰いだ。

 薄く開いた唇から、唄うような声。


「雲井正行、よい名ではないか――おれの相手をするのに、そこらの天才ではちと足りぬ。やはり異邦人というくらいでなければな」


 皇帝なる男、夢見る顔つきは無邪気そのもので、豈図らんや、それが大陸中に広がる戦渦のもとであろうとは。


   了

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