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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
流星落ちるはかの国に
16/122

流星落ちるはかの国に 8-1

  8


 第一王子ハンスの自害と、グレアム軍によるノウム城の占領でもって、ノウム王国対グレアム王国の戦争は終結を見た。

 歴史書にはただ、

『グレアム王国、ノウム城を占領せり。死屍累々おびただしく、生き残る住民に食料と水を分け与えん』

 とだけあるものの、現実に見るその光景、異様なまでに戦争の陰惨が表されたようなものであった。

 城門を押し開いたグレアム軍が食料を分け与えるのに、自ら受け取りにきた住民はほんのわずか、それ以外は家で息絶えるか、いままさにそうならんとする者ばかり。

 家々を回り、腐敗すらはじめている死体を一度城の外へ運び出し、弔って埋めるのにかかった日数は十日では足りず、また城内も凄惨たるもの、死体が至るところに転がり、城の奥深く、狭い会議室で胴体だけ残った王の死体を発見するに至って、グレアム王国の兵士たちは城内で起こった悲劇の一端を知ったのである。

 そうしてひとまずも命の危機がされば、次いで問題になったのは生き残った住人とグレアム王国との関係、ノウム王国の国民は、命を助けられてはいるものの、もとはといえばグレアム王国が攻め込んだせい、反感と感謝を併せ持ち、城門の前で自刃を遂げたハンス王子の話が広まれば、にわかに愛国心なるものも盛り上がる。

 渦中、もっとも重要な役割を果たすのが、なにも知らず城内に残された幼い第二王子、アルフォンヌである。

 いまはなき王家の正当な血統、それを担いでグレアム王国に反旗を翻さんとする動きが早くも見られ、それを牽制し、住民を刺激せぬように遷都を済ますのがグレアム王国にとって第一の課題なのだ。

 しかし、開城後にノウム城へ入った正行、ベンノと共に城を見て回り、尖塔の最上階、ちいさな寝室のなかで手首を切って死んでいる若い女中を見つけるに至って、ほかのどんな出来事に出くわすよりどきりとして、自分がとんでもない間違いを犯したような気分になる。

 白い清潔なシーツがかけられたベッド、その傍らに身体を横たえ、まるでなにかと寄り添うような死に顔が、恐ろしいほど潔白で美しく思えたのだ。

 その死の責任が自らにあると理解するなら、正行は妙な動悸を覚えて足下がふらつき、死体を見ても催さなかった吐き気を抑えきれなかった。

 それを弱さと断ずることができぬベンノ、老いたる静謐な目でただ正行を見守るのみ。

 一方、ロベルトは開城後すぐ単独でグレアム城へとって返し、そこに残った兵およそ五十、すべて率いて城門を開けた。


「いまだに、毎日城門を叩く音がするのです」


 と幽鬼に怯える兵士の言葉、ロベルトは半信半疑で、それよりも城内の陰惨を気にしている。

 かの作戦から一月あまり、三千もの兵士はみな死に絶え、その死体は腐敗を極めていることであろう。

 城下町すべてを包み込む腐敗臭と、蠅がたかる死体の山を想像していたロベルトは、城門を開けたとき、その向こうがあまりにすっきりとしていてなにもないので、むしろ驚きに目を瞠る。


「気を抜くなよ」


 と兵士に合図しながら、言われる前から槍や剣をしかと握って警戒を怠らぬ兵士たち、引き連れてぞろぞろと城下町へ。

 城門の周囲、赤煉瓦の路地がずらりと並ぶのに、死体のひとつも見当たらぬ。

 一歩、二歩と慎重に進み、ロベルトは細かく左右を窺い、また頭上をちらと見上げたが、死体を狙う禿鷹の姿もなく、腐敗臭もほとんどない。

 なにか起こっているのだと察せられても、道理はわからぬ、ロベルトを戦闘に兵士たちはゆるゆると進む。

 やがて、兵士がそれぞれ路地へ散り、城の前で再会するまで歩き続けるが、どこからも声は上がらず、城へ続く階段の麓、再び出会えば、どれも不思議そうに首をかしげている。

 死体のひとつもない、以前のままの、清潔な城下町なのである。

 煉瓦の路地、あるいは屋根は昨夜降った雨にまだ濡れ、昼になって晴れ出した光を浴びてきらきらと輝き、水滴ひとつひとつが貴石のよう。

 それが町全体を覆って、陰鬱かといえばそうではなく、魔法をもって光り輝かせたように美しいのである。

 ぐるりと町を振り返るロベルト、目には狐疑の色濃く。


「ともかく、城内を見て回ろう」


 と兵士を伴って階段を上がり、開け放たれた城門、くぐってなかへ入れば、びくりと立ち止まる。

 兵士たちは一斉に槍と剣を構え、背後も油断なく窺い、ぴたりと身体を寄せ合った。


「待て」


 ロベルトは手で制し、剣も抜かず城のなか、ゆっくり歩み入る。

 もとは広々として美しかった広間だが、いまはシャンデリアが床へ落ち、その破片が至るところに散らばって薄暗い。

 その壊れたシャンデリアの上、ひとりの男が、まるで主のように座っている。

 蓬髪に伸び放題の髭、目元以外はほとんどそれに隠れ、黒い瞳には薄く光が宿るが、それが存外に知性的で、ロベルトはまるで獣のような風体の男に近づいた。


「ノウム軍の兵士か」

「いかにも」


 と男は答えたが、それがいかにもぎこちない発音、男自身も驚いたように自分の喉を撫でている。


「食料も水もなく、よく生きのびたものだ」


 ロベルトが言えば、男はにたりと笑って、


「生きるだけなら、むずかしくはないのだ。仲間の肉を食らい、血を飲み、月でも出れば愉快ですらある。幾日超えても門を打つおれを幽鬼と信じただろう。間違いではない、おれはまさに幽鬼、亡霊よ――すでに人間ではないのだ」

「そうまでして生きのび、兵を引きつけたか」


 その精神力と忠義心に、ロベルトはぞっと身体を震わせた。

 男は身じろぎもせず、ちらと兵士の向こうを見やって、


「門が開いたということは、帰趨決したか」

「ノウム城は占領し、王と王子は死去、すでに遷都の準備が進んでおる」

「そうか――では、もう死んでもよいのだな、おれも」


 男が立ち上がれば、兵士たちは慌てて武器の柄を握りしめたが、


「よい、放っておけ」


 とロベルトが命じたため、兵士は男に手出しせず、男はちらとロベルトを振り返り、頭を下げて去っていった。

 ロベルトは充分にその背を見送ってから、


「ほかの死体は、あの男が城のどこかへ運んだのだろう。これで気遣いもなくなったが――果たして、あのような兵士がいる国とは。奇策なければやはり勝てる相手ではなかったか」


 とため息ひとつ、そこには安堵やら畏敬やら、様々なものが混ざって、ロベルト自身なんのためのため息が定かではない。

 その後、グレアム城から消えた男がどこへ行ったのか、知る者はだれもいない。

 ただ死体はどこにも残らず、生きているのか死んでいるのか、どちらにせよ二度と人前には現れぬであろうと、ロベルトは思うのだった。

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