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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
流星落ちるはかの国に
15/122

流星落ちるはかの国に 7-2

  *


 籠城するノウム城の様子は、高い城壁の向こう、遠巻きに囲むグレアムの軍勢までは伝わらぬ。

 上空から様子を眺めた鳥がふと野営に降り立っても、なにを語るでもなく、兵士にちょっかいを出すやら、目の前で振られる餌に飛びついてからかわれるやら。

 戦闘はなく、豊潤な土地での野営であり、毎朝収穫したばかりの野菜や動物の肉を食べ、新鮮な水で身体を洗い、日が暮れれば雲もなく星空、それらは兵士たちの心と身体を癒して、数週間のうちにどうやら気楽な様子さえ出て、冗談が飛び交っては始終笑いが起こっている。

 グレアムの兵士約二百人、怪我や病もなく、全員が健やかなる身体でもって、きたるべきときに備えている。

 一方、ぴたりと閉ざされて身じろぎもしない城門は、昼夜問わず不気味にそびえ立ち、耳を澄ましてもなかから物音が聞こえてくることはほとんどない。

 籠城しているはずの人間はすでに逃げているのではないかとすら囁かれたが、ぐるり見回しても出口はなく、何百という人間が一斉に出られようはずもない。

 なんにしても、この籠城戦、日を追うごとにグレアム軍の有利となって、いまでは降伏と開城を待つばかりとなっている。

 一方で、グレアム軍のなかにも先を憂える者はいて、その筆頭たるはベンノであった。


「あてが外れたの……まさか、これほどグレアム城に兵士が引きつけられるとは思わなんだ」


 天幕の下、机に置かれた地図を見下ろすベンノは、フードを背中へ払い、禿頭を撫でつけた。

 同じ机を囲むのが、この兵を指揮するロベルト、そして異邦人たる雲井正行のふたりである。

 まだ昼間、天幕のなかも明るいが、三人の顔は揃って晴れず、それが周囲の兵士には不審なよう、通りすがる兵士がちらとなかを覗き見ては首をかしげ、しかし邪魔するわけにはいかぬと、のろのろ立ち去る。


「二週間もせぬうちにほとんどがこちらへ移る予定だったのが、まるで見当違いとは」

「報告の間違いじゃねえのか」


 とロベルトは腕組みし、眉をひそめて、


「食料も水もねえグレアム城に閉じ込めて、もう三週間になるぜ。どんな人間でも生きのびられるわけがねえ。いまだに城内から音が聞こえるってのは本当なのかい」

「さて、わしもこの耳で聞いたわけではないが、囲む兵士が言うのだ、間違いではないのであろうが――おかげで攻め入るには戦力も足りぬ。こんなはずではなかったのだが」


 ベンノは苦り切った表情で禿頭を撫で、ロベルトもううむと深くうなる。

 その会話をぼんやり聞いている正行は、理解したものかどうか、なんとなく気が抜けたような顔をしている。

 ここへきて三週間、いい加減、簡単な会話程度なら理解できるようになった正行だが、いかんせん早口でつらつらと長い会話はよくわからぬらしい、かすかに首をかしげ、日本語で、


「このまま囲むのに、不都合でもあるのか」

「これだけの兵では囲むといっても完璧とはいかぬし、籠城とはそもそも、非道の手段よ」


 とベンノは目を伏せて、


「兵糧尽きて白旗を上げるならよいのだ。こちらもそれなりの態度を示そう。しかし、降伏もせず最後の最後まで籠城を決め込むとなれば、城のなかは阿鼻叫喚、とてもこの世のものとは思われん陰惨な光景であろう。グレアム城も、おそらくそうなっておるはず――あちらも最後まで降伏はせんかったからの。だからこそ、早々に戦力を固め、攻め込みたかったのだ。さすれば兵に被害は出ようが、市民の大多数は無事に済む」


 正行はちいさくうなずき、


「ただ勝つだけじゃだめってことか。遊びじゃないんだもんな」


 正行はぽつりと言って、息をついた。

 兵士が天幕の下、転がるように駆け込んできたのはそんなときである。


「た、隊長、ベンノさま、城門が開きました!」

「なに」


 と勢いよく立ち上がり、ロベルトは早剣を帯びて天幕を飛び出している。

 ベンノもフードを被り直してあとを追うに、正行ひとり残るわけにもいかず、ためらいがちに彷徨い出る。

 すでに外では、これまで気楽だった兵士たちの表情が変わっている。

 どれも顔を引き締め、唇をきっと閉ざして、鎧を帯びる者、すでに剣を抜いている者、そのあいだを縫ってロベルトとベンノが進んで、正行も追う。


「敵兵が出てきたか。こちらも陣をとれ!」


 とロベルトは怒鳴るが、兵士は眉根を寄せて戸惑う顔、


「それが、兵士ではないのです――おそらくノウム王国の王子、ハンス殿と思しき青年がひとりで門の前へ」

「ひとりで? 降伏の宣言でもしにきたか」


 ロベルトは顎を撫で、ずんずんと進む。

 ベンノも小首をかしげて、


「降伏にしても、よりによって王子がひとりで出てくるとは考えにくいが――はて、城内でなにかあったか」


 眼前に、厳めしい城壁。

 天まで続くかと思しき高みに果てがあって、以下はすべて強固な石造り。

 幾重にも重ねられた城壁はいかなる攻撃も通さず、敵を退け、城を守るが、それが仇となることもある。

 グレアムの軍勢はその城壁を、城門を中心にぐるりと取り囲み、野営を張っている。

 囲むといっても、常時兵士が起立して見張るのではなく、それはせいぜい数十人、大半は野営で待機しているが、いまはそれもすべて飛び出して、城門の前に集結している状況であった。

 正行はふと、これが罠なら、と考えている、城門に注目させて、その裏で逃げ出す準備でも整えているのでは。

 しかし、これだけの籠城、もはやその体力もあるまい、よもや王子を囮にしようとは思われぬ。

 遠巻きに囲む兵士を分け入って、まずロベルトが前へ出て、続きベンノ、正行はどうしたものか迷いながらも兵士たちの最前列に加わった。

 見れば、いままでぴたりと閉じていた城門、びくともしなかったのが、ほんのわずか、大人がひとり滑り込める程度に開いている。

 時ならぬ一陣の風吹き抜け、城門の前、立つ青年の金髪がさらと揺れ、それがまばゆい光を放つよう、世にも美しく、儚く見える。


「あれが――王子か」


 正行はぽつりと独りごちる。

 ずいぶんと痩せているが、立派な姿である。

 美しい髪の下、青白い顔には儚さが目立つが、同時に気品のある顔立ちで、薄い唇を結んで、背筋を伸ばしてぐいと胸を張り、腰に剣を帯びて立てば、無条件に畏敬の念が芽生える。

 しかし並々ならぬ事情の末、城門から出てきたことは一目でわかる。

 その血にまみれた服である。

 まだ乾ききっていない様子の、深紅の染み著しく、美しい金髪の毛先にも血の塊、髪飾りのように凝固して揺れて。

 なお目を惹くのは、傍らに抱えている男の生首。

 静かに目を閉じ、脂ぎった髪が額へ張りついて、分厚い唇のまわりにはぼうぼうと髭が伸び、大きな鷲鼻、顔そのものが巨大で、胴体なくして未だ顔色も鮮やか、頬にはかすかに朱が差しているようにさえ見える。

 青年は生首をしかと抱き、ずらりと揃った兵士を見回して、前へいずるロベルトとベンノ、しっかり見つめ、


「われはノウム王国の第一王子、ハンスである。貴官がグレアム軍の司令官か」

「ロベルトと申します」


 相手の礼儀に従い、ロベルトは静かに頭を垂れた。

 ハンスはちいさくうなずき、後ろのベンノに目をやるよう、


「そなたがうわさに聞く学者、ベンノだな」

「うわさは知りませぬが、名は間違いございませぬ」

「大陸一の智者との聞こえ、わが国にも響いておる。一度、深く話してみたいものだったが、どうやらその時勢にはないようだ」


 その細い身体のどこから響くものか、朗々たるハンスの声、聞く者を圧倒し、ゆっくりと抵抗を許さぬほどやさしく心を制圧してゆく。

 生まれながらの気品がそこにあるのかもしれず、あるいは生首を持って語る壮絶によるのかもしれぬ。

 すくなくとも兵士のすべて、指先ひとつ動かせぬほど圧倒されている。


「この度の戦、策を授けたるはそなたか」


 ハンスが問えば、ベンノはゆるゆると首を振り、後ろをちらと振り返る。

 その方向をハンスの視線が追うのに、ほうと驚いた顔、それがはじめてハンスの表情に浮かんだ年相応の色であった。


「そなた、ずいぶん若いな。名前は?」


 問われているのは当然正行、その程度の言葉なら理解もできて、


「く、雲井正行」


 と答えながら、背中をとんと押されたように前へ出る。

 ハンスは、そのやわい唇、にいと釣り上げて笑って、


「見事な策であった」


 と率直に褒め称えた。

 それが器の大きさとはちがい、なにやら子どもが友人をほめるような、無邪気な声色なのである。

 と胸をつかれたような正行、呆然と立ち尽くすのに、


「やがてそなたの名前、大陸中に轟くであろう。それを見届けられぬのがちと無念ではあるが――」


 ハンスは視線をロベルトに戻し、高らかに宣言した。


「国王たる父は、かようたる姿、すでにこの世のひとではない。跡継ぎたるわれが王国を代表して、降伏を申し入れる。下の町にも城内にも、飢える人々が数えきれぬ。どうか食料と水を恵んでほしい」


 深々とハンスが頭を下げるのに、ロベルトはすこし慌てた様子、


「どうぞ、そのようなことは――食料と水はたしかに運び込みましょう。ハンス殿も、見たところ健康優れぬよう、なにか入り用あれば」

「かたじけない」


 とハンスは目を伏せ、微笑んで、首を振る。


「しかし先に民と臣下を。そして、われに施しを受ける権利はない」

「それは、いったい」

「われは父を殺し、王を殺し、国を殺した者。じき、この世を去らねばならぬ」


 言いながら、ハンスは父親の生首をちらと見下ろし、地面へ置いた。

 腰に帯びた剣、すらりと抜き去れば、血で薄汚れた剣先、ほんのすこし気にする素振り。


「これを、お使いになさい」


 とロベルトは自らの剣、抜き払ってハンスへ手渡す。


「重ね重ね、かたじけない」


 ハンスは微笑みのうちに受け取り、真新しく白銀に輝く剣先を見てうなずいた。

 父の首の傍ら、背筋を伸ばして座り、剣先を自らへ向ける。


「死をもって罪をあがなうとせん」


 産毛の生えた白い頬、きっとつり上がったかと思いきや、剣先がずぶりと腹を貫き、背中へ抜けている。

 それでも依然、ハンスの身体はほとんど揺れず、背筋を伸ばしたまま、自刃に果てたのである。


「見事」


 と思わずロベルトも呟くような、美しく貴い青年の死をもって、戦争は決着した。

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