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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
流星落ちるはかの国に
14/122

流星落ちるはかの国に 7-1

  7


 空は晴れ、晴天。

 青々とした丸い空、無窮の広がりを感じさせ、また地上を焼き尽くさんという太陽、ぎらぎらと輝いて照りつけるのに、このところ曇り空しか仰がなかった草花は多少元気を取り戻したよう。

 ノウム王国の本丸、城壁の外では手入れの行き届いた畑がずらりと並び、数えきれぬ畝、生い茂る植物は緑にきらきらと輝いて鮮やか。

 やわらかな土には様々な生物宿り、もぞもぞと蚯蚓が這い出せば、土竜の穴も見える。

 畦に繁る雑草の傍らにも、細い草に擬態する飛蝗、それを捕らえんと巨大なかまきりがぐいと両腕を引き、三角の頭、かすかにかしげながら、目にも止まらぬ早業。

 捕らえられた飛蝗も、見苦しく抵抗などはせぬ様子、かような運命を受け入れているごときおとなしさで捕食され、ただぐいと鎌についた突起が身体に食い込めば痛む色、ぴくんと筋肉質な足を跳ねさせる。

 草でも奥のほうはまだ朝露蒸発しきらず、きらきらと根元が輝くのを覗けば、色鮮やかな天道虫、丸い顔を水滴へ寄せて喉を潤す。

 その葉がぶると震えるかと思えば、葉の先にちょこんととんぼが載って四枚の透明な羽根、誇るようにぐいと立たせて、その複眼でなにを見るか。

 畑の彼方へ目をやれば、ここへくれば食料があると心得る賢い獣、畑の持ち主が変わったなど露知らず、いつものようにひょっこりと現れて、気づかれぬよう畑を掘り返す。

 傍らには畑へ引くための水路、さらさらと爽やかな流れのなかにはちいさな蟹や貝が住み着き、そうしたもののいずれかを狙うらしい狡猾な鳥がはるか頭上をくるくると旋回。

 清い水あり、豊沃な平野あり、多種多様な生物あり、これぞ生きとし生けるものの世界である。

 それなのに、城壁を隔てた内側、燦々と光が届くのに、いやに暗くじめじめして、およそ覇気がない。

 石畳の上には草木などなく、家々は静まり返って身じろぎもしない、まだだれも朝がきたことに気づいていないふうにさえ見える。

 朝露乾き、城壁を這うやもりも足裏の吸盤でもって動いてはぴたりと止まり、またひょろひょろ。

 静まり返る城下町の片隅、煉瓦造りのちいさな小屋のようなものにも光が射しているが、なかは薄暗く湿気て、腐敗の匂いが漂う。

 ここ数日のうち、病死や餓死した死体の保管場所である。

 食料尽きて、飢えは本格化し、若者ならまだ耐えられるが、年寄りともなればそうもいかぬ、直接の餓死者はすくないものの、生命力衰えて病深める者があとを絶たない。

 すこし前まで、腹が減ったと泣いていた赤子など、すっかり泣き声も聞こえぬが、どうなっているのかしれぬ。

 もはや一握りの食料を奪い合う気力もなく、ただ飢えてゆくこと、じっと待つしかないほどひとびとの心は枯れている。

 ハンスは、尖塔の上から、町の様子を始終見ていた。

 籠城がはじまったころ、食料潤沢に残り、それを毎日配布していたが、その量がすくないと嘆く民の姿、城へ訴えきたる憤怒の表情。

 やがて食料はさらに減り、そのくせ城には依然食料が残っているはずだと疑って殺到する民衆、それを乱暴にあしらい、ときには殴りつけて追い返す兵士たち、ぎらと尖塔をにらんだ老人の目が目蓋に焼きついている。

 せめて城の外へ出してくれと嘆願する親子に、もっともらしい顔で外は危険だと説くことも、黙っていろと殴りつけることも大差はないのだということをハンスは知って、彼らを苦しめているのは城を包囲するグレアム王国の兵士ばかりではないと理解した。

 日が進んで、食料の奪い合い、怒鳴り声や泣き声が入り乱れて、まるで活気のある町が戻ってきたようにさえ思われる。

 そのころから住人の外出は極端に減り、いつ町を見下ろしてもがらんと無人、はじめは城をにらみつけていた者たちも、その気力さえなくしてうつむいている。

 いったい何人が飢えて死に、何人が生き残っているのだろう。

 ハンスは、自らも痩せた身体、窓辺に置いて、まるでそれが義務だというように昼夜問わず城下町を見下ろしている。

 民は、城にはまだ充分に食料が残っていると信じているのだろう、そんなものはとっくに失われているというのに。

 そして今朝、もはやこれまでと、ハンスは決意して振り返った。

 この期に及んでも女中のエリカはぴたりと付き従い、痩せてはいるものの、つらい顔ひとつせず、ハンスの命を待っている。


「父上に会おう」


 ハンスはこの数日で若々しさを失い、肌は乾き、髪は乱れ、目からは光が失せている。

 しかし口元に浮かべる笑みだけは以前のまま、やわく美しく、気品に満ちていた。


「エリカ、正装を頼む」

「畏まりました」


 エリカは礼をひとつ、部屋を出て。

 森閑たる城内、城下町、耳を澄ましても、かさりとも鳴らぬ。

 ただただ静かで、なるほど、それには晴天がよく似合う。

 エリカは両腕に正装を抱え、剣をぶら下げて戻ってきた。

 手助けは借りず、ハンスはひとりで身に纏って、腰に剣を下げれば、若いながら立派な兵士、目元もきりと整って。

 しかし慣れぬ正装に、照れた顔、ハンスはちらとエリカを見て、


「どうもこういうものは似合わないな」

「よくお似合いと存じますが」


 エリカは黒い目、じいとハンスを見つめて言うが、表情もないものだから、世辞だか本心だか皆目わからぬ。


「父上に、笑われなければよいが」


 ハンスは振り返り、袖を引き、服を確かめてからのそりと部屋を出た。

 尖塔の螺旋階段、ぐるぐると下り、ハンスとエリカのふたり分、足音がこつこつと。

 使用人のひとりも見かけず、さながら城全体が死んでいるよう、それも遠からず。

 赤い絨毯敷きの廊下をゆけば、ようやくひとりふたり、使用人とすれ違い、どれも痩せた顔、最後の礼儀としてハンスに頭を下げる。

 ハンスはそのいちいちに、


「ご苦労」


 と声をかけ、先を急ぐ。

 そこに、


「兄上」


 と泣き笑いのような、なんともいえぬ濡れた声、振り返れば、幼いアルフォンヌがたったひとり立っている。


「どうした、アルフォンヌ」

「兄上」


 アルフォンヌはハンスに駆け寄り、その足にしがみつきながら、どこにそんな体力を残していたのか、おんおんと声を上げて泣いた。

 服は乱れ、髪もめちゃくちゃ、ふっくらとした幼い頬には飢えの気配は見えないが、もう何日も鳥の餌ほどの食事しかとっていないはずである。


「また、腹が減ったのか」


 ハンスはアルフォンヌの頭を撫で、手櫛で自分によく似る金髪を整えてやりながら、


「昨日も今日も、ぼくの食料をあげただろう。それでもがまんできないか」

「お腹も空いたけど、ちがうの、兄上」


 言葉遣いも幼く戻り、しとどに濡れた瞳、年長の兄をじっと見つめる。

 ハンスが正装であることにも気づかず、その太ももあたりを涙で濡らしながら、アルフォンヌは鼻をすすって、


「さっき、ココが動かなくなったの。息もしてないし」

「そうか……ココは、おまえを守って死んでいったんだ。その身体をベッドに寝かせて、唇を水で濡らしてあげなさい」

「ぼくが?」

「おまえ以外のだれができる?」


 苦笑いで、ハンスは言って、


「おまえは、この国の王子だろう。仕えた女中の死を看取り、弔ってやらなければ。できるね、アルフォンヌ」

「……はい、兄上」

「えらい子だ」


 と頭を撫でれば、アルフォンヌも泣きやんで、思い出したように腹が鳴る。

 アルフォンヌは自らの腹を撫でながら、


「兄上、お腹減った」

「もうすこしのがまんだ。もうすこしがまんしたら、ぼくがたっぷり食べるものを持ってくるから」

「本当?」

「本当だよ。おまえがこの国の王子であるように、ぼくもそうなんだ。それにおまえの兄なのだから、おまえを救い助けるのがぼくの使命なんだよ」


 幼きアルフォンヌに、まさか兄の目に輝く光を見抜けようはずもない。

 悲しくゆがんだ顔に、潤んだ目に、ありったけの慈しみを込めてアルフォンヌの頭を撫でても、それにアルフォンヌが気づくことはないのである。


「じゃあ、兄上、約束だからね」


 とアルフォンヌはほんのすこし怒ったような顔で言う。


「絶対、食べ物持ってきてね。ぼく、ココのところにいるから」

「ああ、大丈夫だよ。きちんとココを弔ってやりなさい」


 絨毯敷きの上を、アルフォンヌのちいさな身体が跳ねるように駆けてゆく。

 名残惜しげに、それをいつまでも見送って、壁の向こうに背が消えたなら、ハンスははらはらと涙をこぼした。


「アルフォンヌには申し訳ないことをする。しかしこれも王の息子として生まれた定めか。成長して、兄がしたことを知れば、決して許してはくれないだろうな」


 ハンスはいつまでもそうして立ちすくんでいたが、涙を拭えば、もう憂いはない。

 唇を一文字に結び、腰に帯びた剣の柄に手を添えて、たしかな足取りで廊下をゆく。

 いくつかの派手派手しい部屋、現状を見てみれば空々しいばかりの絢爛にも、ハンスは目もくれぬ。

 瞳には若き炎が戻り、めらめらと燃ゆるのが全身に活力を与えるものらしい。

 背筋をぐいと伸ばして踵を鳴らし、勇んで歩けば王の横顔、痩せた身体も目にはつかない。

 ある部屋で、大臣らしい中年の男がひとり、壁にもたれかかって死んでいた。

 ハンスは立ち止まり、最大級の敬礼でもって死を送り、


「すまぬ」


 と一言。

 さらに歩いてゆけば、いつか父たる国王に追い出されたるちいさな扉、ぴたりと閉じて、なかにいるものかどうかわからぬが、ハンスは扉の前でぴたりと踵を合わせ、腹の底から声を上げた。


「父上、いらっしゃいますか。ハンスにございます」


 返答はないが、把手を握って押し開けば、散らかり放題の室内、その奥の肘掛け椅子に王の姿がある。


「父上……」


 いくらかは痩せたようだが、いまだ気力を失わず、王は肘掛け椅子のなかで眼光炯々、入ってゆくハンスを見つめている。


「何用か」


 といつかのような問いかけ、ハンスは礼をもって答え、


「ご相談に参りました」

「相談とな」


 王は口元に薄い笑み、それがなにを意味するのかハンスはわからず、ほんのすこし戸惑ったような顔。


「言うてみい」


 と催促され、ハンスは慌てたように、


「籠城して早数週間、食料もつき、城内、下の町問わず餓死者が続出しております。なぜ降伏なされぬのです。このまま全員が死に絶えても敗北、それならば生きのびて敗北するほうがよいはずです」

「そこが、おまえの弱いところなのだ」


 王は眦決し、


「なぜ死をもって敗北に変えんとせんのだ。降伏などしてみろ、この城もろともグレアム王国のものとなろう。わかるか、ハンスよ、彼らはわれわれを裁くであろうよ。なによりも忠に尽くし、わが国のため、われのために働き生きたものこそいちばんの重罪人となるのだ。生きて敗北するとはそのようなことを言うのだ。ただのうのうと生きのび、連中の庇護のもと暮らすのではない。グレアム城に捕らわれたという三千余りの兵士たち、あれはみなわが国のため、そしておれのために死んでいったのだ。それを、おれがどうして裏切れようか。死にとうないと降伏し、白旗を振って連中にすり寄り、おこぼれを預かって生きのびる、そんなことのために彼らは欣然として死地へ赴いたのではない。おれが、おれこそが王として生き、そして死ぬために彼らは死んでいったのだぞ。それが王ということ、それが国ということよ。ハンス、おまえにはまだわかるまい」


 苛烈に言いつのれば、その迫力、そのすさまじいばかりの形相に、ハンスは無意識のうちに後ずさっている。

 父親としてではなく、王としてハンスは目の前の男を畏れたのである。


「生きるだけなら馬にもできる。生きて死ぬのは万物共通、早々に死ぬるは気弱な若者でもできようが、苦しみ抜いて死を選ばざるは真の智者のみよ」

「――父上、そうまでお考えであれば、なぜ下々の者を逃がしてやらぬのです。彼らはなんの罪もない、われわれのために飢え死にゆくのです」

「彼らとてわが国民よ、国沈むときともに死にゆくものであろうが」

「彼らがそう望むのであれば、それもよいでしょう。しかし彼らは生きたいと吠えておるのです。赤ん坊が泣くように、ただただ生を望んで泣いておるのです。せめて彼らを城壁の外へ。ぼくのただひとつのわがままとして聞いてはくださいませぬか」


 ハンスも身を乗り出し、激しく言うが、王は動じぬ。


「ならぬ」


 と一声、にべもない。


「なぜです、父上」


 落涙せんばかりの憩いでハンスが言えば、王はじろりと後目で、


「門を開けば、外で陣取る連中が飛び込んでこよう。われわれはすでに、戦う力もない。なるほど、そうして敵に敗北すれば簡単に死ぬるだろうが、おれは王である。一時でも長く国を保たねばならぬ。国というものは、あらゆる生命を超越するものよ」

「父上、それは誤りです。国とはひとそのもの、人命以上に貴いものなどこの世界には存在しませぬ。とくに、このような瀕死の国、一刻生きながらえたところでなにをなし得るというのです。それよりも愛し慈しみ、守り抜かねばならぬ国民を生かすほうが重要にございます」

「なにを言うか、ばかもの」


 と王は怒鳴り、それを拍子に激しく咳込んで、喉が裂けて血が床へ飛ぶ。

 それをちらと見やり、顔を上げる王の口元が赤く汚れ、息子をにらみつける眼光の鋭いこと、痩せた顔と仄暗い瞳は修羅のごとく。


「お、おまえは、国を、国というものを知らぬのだ。やれ、目に見えるひとを救え、弱きを助けよと言う。しかし目には見えぬ国を守るため、目に見えるものを見殺しにせねばならぬこともある。それをおまえは知らぬ。理想だけを唱え、叶える力もないただの若造よ。夢想家には国もひとも救えぬと心得よ」


 厳しい叱咤に、ハンスはぐっと唇を噛みしめる。

 しかしその瞳に浮かぶのは反抗心ではない、ただただ純粋な、やさしい炎なのである。


「父上、どうか、お願いいたします」


 ハンスはその場に膝をつき、何人が出入りしたかもわからぬ床に額を押しつけた。


「せめて城下町の住人だけでも、外へ逃がしてやってくださいませぬか。この身、どうなっても構いませぬ」

「ふん、おまえの身など、いかほどの価値があろうか。一度ならぬと言ったこと、覆ることはない」

「父上……」

「ならぬ!」


 床へひれ伏したハンスの背中、ひくひくと蠢いている。

 声もなく、さめざめと泣くのに気づかぬ王ではなかったが、もはや両者の隔たりは大洋のごとき、言葉を尽くしても交わるものではない。

 ハンスもそれを察し、語るは無駄と理解するが、それでも最後の希望を捨てきれず、ひれ伏したまま言うのだ。


「どうかお考えを。グレアムの兵も非道ではありますまい。城門を開けずとも、城壁を伝って逃がせば、よきに計らってくれるはず。そうすれば救える命がまだいくつもあるのです」

「くどいぞ、ハンス。そのようにして逃げ、敵国にすがる民衆など、わが国の国民でもないわ。救ってやる価値もない」

「父上、それが本心でございますか。父上、父上」


 ハンスは床をずるずると這い、王の足下にすがりついた。

 王はどうしたものか、びくりと身体を震わせ、恐怖にわなないて、足を振る。


「ええい、離れろ、寄るな!」


 そのつま先がハンスの頬を蹴飛ばし、どうと後ろへ倒れたハンスは、頬に痛みによってもはや説得は不可能と知らされた。

 ハンスはぬっと立ち上がり、王の前に立った。

 びくりと震えひとつ、王は呆けたようにハンスを見上げ、その腰に帯びた剣、いまさらのように気づいて、口元をひくと引きつらせる。


「ハンス――息子よ。その剣は、なんの真似だ?」

「ご理解いただけぬのですか、父上。ぼくは、常にあなたを父上と、国王ではなく父上とお呼びしてきました」

「知っておる、それがどうしたのだ」

「息子として、王子として、未熟にもご迷惑をおかけいたしました」


 ハンスは丁寧に頭を下げ、狭い室内、柄に手をかけ、すらりと抜き払った。

 白刃きらと輝いて、その磨き抜かれた表面、片面にはハンスの白い顔を、片面には引きつった王の顔を映す。

 青く鬱血したハンスの頬は、恐ろしく冷たく、目元も感情を映さぬように沈んでいる。

 はたと王はハンスの心に気づき、一瞬、その手がふらふら、宙をさまよって助けを求めるよう、やがて肘掛けに落ち着いて、それをぎゅうと握りしめ。

 顎を引き、目を閉じて唇をぴたりと揃えれば、威厳に満ちた王の顔。


「し損じるなよ」


 と一言で、覚悟を決めたよう。

 ハンスはそれで、むしろ心が揺れた色、ぴくりともしなかった剣先が彷徨って、握る手がかたかたと震えを来す。

 しかし、呼吸ひとつ、心を静かに保てば、親子の顔はよく似ている。


「いままでご寛恕いただいていた王子の役目、いま果たしたいと存じます」

「うむ」


 父は息子の刃、すでに受け入れ、心も安らか。

 息子は慣れぬ剣を振りかぶり、一撃のもと、父の首を両断せしめた。

 勢いに任せて首が机の下へごろごろ、肘掛け椅子に残った胴体がびくりと震え、血潮が噴き出す。

 ときに、外は晴天、静寂そのものである。

 細々と生きる人間を見下ろす鳥も、どこかの花畑から舞ってきたらしい大きな花弁をつけた赤も鮮やかな花も、この壮絶なるひとつの死を知らぬとみえる、軽やかに舞い踊るさまはこの世に翳りありとは信じられぬ朗らかさ。

 空中で離脱した花弁ひとひら、ノウム城の尖塔を掠めるように舞い降りて、城壁の片隅に引っかかる。

 それが再び風で舞い上がれば、今度こそどこにも落ちることなく宙を踊り、風に舞って、天高くへ消えてゆく。

 ハンスは狭い室内、見えはしないはずが、じっと空を見上げて立ちすくんでいたが、やがて剣を払い、血を拭って、鞘へ収める。

 会議室から歩み出れば、そこで待つのはエリカひとり、血まみれのハンスを見ていながらいつもと変わらず頭を下げるのに、


「ぼくは間違いを犯したのだろうか」


 と問えば、エリカは目を伏せたまま、


「ご立派でございました」


 と返答し、珍しく言葉を継いで、


「わたくしも最後までご一緒いたします」

「そうか――」


 薄い笑みに、満足がちらりと覗く。

 ハンスはさっと服の裾を払って、


「では、行こうか。王子としての、最後の仕事が残っている」

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