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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
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八つの宝と風の行方 9

  9


 ハルシャとの戦争が終結した翌日の夕方、正行はようやくセントラム城に戻った。

 皇国軍はまだ城塞の外に残り、残党の警戒や負傷者の手当などを続けるなかで、戦場となったセントラム城周辺の戦闘がひとまず終結したことをアリスに報告するためである。

 赤絨毯が敷かれた王の間で、アリスは王座、正行はその前に跪き、戦勝と終結を宣言する。

 その場にはクラリスもおらず、ヤンも従わずで、広々とした王の間には正行とアリスのふたりばかり。

 アリスは王座のなかで身じろぎし、ロベルトとグレアム兵の訃報に表情をゆがめたが、王としてそれ以上の反応は見せなかった。


「――グレアム兵にこれだけの犠牲が出たのは、おれの失策のせいだ。責任は重たい」


 噛み締めるように正行が言うのに、アリスはゆるゆると首を振って、


「責任というなら、無事に果たしたではありませんか。皇国軍を勝利に導く、それがなによりの報いでしょう」

「ああ――そうなればいいけど」


 とぽつり言う正行に、アリスは王座から立ち上がり、足音もなくするすると近づく。


「本当にお疲れさまでした、正行さま」

「その言葉は、兵士たちにかけてやってくれ」

「では、女王としてではなく、ひとりの人間として――」


 アリスは正行の手をとり、それを額にすっと当て、目を閉じた。

 それでなにが癒えるわけでもないが、正行は、なにかすべてが許されたような、心がふと軽くなるような感覚を覚えて、ただ一言、アリスに返した。


「ありがとう、アリス」



 歴史書は冷静に語る。


「ハルシャ軍と皇国軍の大戦は数カ月に渡り大陸全土で続いたが、一度は大陸の北部へ追い詰められた皇国軍が持ち直し、ハルシャ軍は散り散りになって敗走した。これをもって大戦は終結とされ、それから百年あまり、大陸には平和が続いた」


 ――歴史書には現れぬが、そこには悲しみと歓喜があった。

 戦争終結、皇国勝利の報はよろこびとともに大陸中へ届き、とくに皇国ではまるでお祭りさわぎ、巨大な歓喜に包まれて、昼夜を問わずひとが舞い、歌が踊った。

 セントラムの城下町でも同様に歓喜の宴がはじまって、そこに正行の呼びかけで大陸へやってきていた人魚たちも加われば、この世のものとは思えぬ大宴会、これもやはり夜や朝では止めようがなく、数日間に渡って続くこととなる。

 しかしそうした喧騒のあとにやってくるのは、ハルシャという大国が瓦解した弊害で。

 そもそも粗暴で通るハルシャ兵である、指揮を失い、数十人単位の塊となって大陸中をさまよえば、当然生きるために集落を襲おうし、被害も出る、それらの集落や国がどこへ訴え出るかといえばやはり皇国で、皇国軍は戦後も長期に渡って維持され、ハルシャの残党狩りに忙しく大陸中を動きまわった。

 意外にも、野党と化すのではなく、ハルシャ軍を名乗り皇国軍に攻撃を仕掛けてくる兵士たちもかなりの数に上った。

 そして終戦から数ヶ月、残党狩りの指揮をとる正行のもとに、ロマンらしい人物の目撃情報が飛び込んできた。

 いまは使われていないはずの古城だが、その近くに住む農民によると、ハルシャ兵が数人やってきて、食料を奪ってゆくのだという。

 そのときハルシャ兵が言った言葉というのが、


「ロマンさまの食料だ、おとなしく渡せ」


 というもの。

 これだけでは不確かだが、さらに兵を使って調べさせ、どうやら古城にはロマンと数人の兵士が隠れているらしいとわかった。

 正行はただちに兵を百あまり連れ、肝心の古城に自ら出向いた。


「なにも、正行さまが直々に行かなくても」


 とつき従うヤンが言うのに、正行は馬上、わずかに揺れながら真剣な顔で、


「ロマンとは直接決着をつけなくちゃいけない気がするんだよ。今回も、ロマンならだれにも気づかれずにどこへでも隠れられるはずだ。それをわざわざ、古城なんかいることを思えば、なにか企んでいるのかもしれない」

「企んでいるとわかっていて、行くのですか」

「もう戦いは終わらせなきゃいけないだろ。ロマンの死を発表すれば、ハルシャ兵のなかにはおとなしくなるやつもいる」


 セントラムから馬を飛ばして丸一日、くだんの古城に到着する。

 小高い丘の上にぽつんと立つ禁欲的な石造り、農家とさほど変わらぬ大きさだが、形ばかりの城壁があり、その外側に馬が二頭繋がれていた。

 正行は兵士に指示し、古城をぐるりと取り囲む、そのあいだも物音ひとつ立てない城内がかえって不気味で。

 もう冬も近づいているというのに、生暖かい、いやな風が首筋を撫で、正行は思わず手のひらで撫でた。


「突入しろ。可能なら殺さずに捕らえるんだ」


 正行の合図で兵が十数人、狭い入り口を通って城内へ。

 荒々しい足音に、なにか叫ぶ声、悲鳴や絶叫は聞こえなかった。

 正行はしばらく城の外からその様子を伺っていたが、やがて兵士がひとり、困り顔で出てくるのに、


「どうした、ロマンはいなかったのか?」

「いえ、それが、ロマンを名乗る男はいるのですが、正行さまを呼べと。話があるそうです。縛って、ここまで連れてきますか」

「――いや、おれが行こう。ヤン、ついてきてくれ」

「はいっ」


 正行は馬を降り、ヤンと兵士を引き連れて古城へ入った。

 ちいさな城壁を抜け、先へゆけば、天井がぐんと高い部屋、冷たい空気が深々と、皇国の兵が十数人、そうではない兵士が二、三人。

 薄暗い部屋の奥、がさりと動いて目を向ければ、痩せた男が立ち上がっている。


「おまえが、雲井正行か」

「――ロマンだな」


 皺の浮かんだ顔に、正行と変わらない上背、唇の端をにいと釣り上げて笑っている。

 ロマンは一歩進み出て、正行をじっと見つめた。


「会うのはこれがはじめてだが、そんな気もしないな」

「おれも、そうだ」


 と正行は腕組みで、


「あんたがどう動くか考えながら、ずっと戦ってたんだからな」

「そうだろうな――おれとおまえは、よく似ている。しかし勝ったのはおまえだったわけだ。悪いな、こんな古城までわざわざ出向かせて」

「やっぱり、わざと見つかるように動いていたのか。おれが直接くるとわかっていて」

「おれだったら、そうする。だからおまえもそうしたのだ」


 ロマンはにやりと。


「おれを呼び出して、どうするつもりだ」

「ひとつ聞きたいことがあった。おれは負けたが、おまえは勝った。勝って、なにを見た?」

「……なにも見えやしないよ」


 ため息がひとつ、部屋に漏れる。


「しかし、人間は生まれて死ぬのだ。なんのために生まれて死ぬのか。おれが生まれたことに、おれが死ぬことになんの意味があるのか。ただそれを知りたかった。おまえは、どう思う」

「さあ――意味なんてわからないけど、生まれたもんはしょうがない。いつか死んでしまうのも。だから、どうやって生きるのかを考えたい」

「ふむ、なるほど」


 満足したような、あるいは不満げなようにも見える、ロマンはこくんとうなずいて、


「では、ひとつ遊びをやろうか」

「遊び?」

「一騎打ちさ。おれとおまえで、最後の殺し合いをやるのだ」

「なんのために」

「おれのために。拒否ができぬぞ。もし拒否するなら、おれは再び立って皇国に宣戦布告する。このあたりに伏せている兵を率いて、散らばっているハルシャ兵を再編する」


 ロマンは勝ち誇ったように笑い、


「おまえならわかるだろう。おれの言葉がはったりかどうか、おまえには判断できぬことが。おれはおまえがここにくるであろうことを知っておった。それに合わせて兵を伏せておくことも不可能ではない。しかし本当に兵があるかどうかは、現時点ではわからぬ――なに、おまえが一騎打ちに応えれば、それでよいのだ」


 ちらと味方の兵士を見る正行に、ロマンは両腕を広げて、


「なに、心配するな。おれも剣の扱いなどまるでだめだ。ただ、運命を知りたい」

「――わかった、やろう」

「正行さま!」


 とヤンがすがるのに、正行は薄い笑みを浮かべ、腰に下げていた銃を渡した。


「剣をくれ。ロマンにも一本渡してやれ」


 兵士はためらいながらも剣を抜き、正行とロマンに一本ずつ、正行はずしりと重たいそれを両手で持ち、感触をたしかめるように軽く降る。

 ロマンも柄を両手で持つが、剣先をだらりと垂らし、それが石畳の床に擦れ、がりがりと音を立てた。

 室内で、兵士は壁際により、ふたりは向かい合う。


「合図は?」

「年少のおまえから攻撃するがよい。それを合図としよう」

「そうか――じゃあ、行くぞ」


 と正行、ぶんと剣を振り上げ、ロマンに飛びかかった。

 きいんと剣が鳴り、弾かれたところをロマンも一閃、互いに鋭さのない攻撃で、躱すことに苦労もない。

 すこし距離をとって息をつく正行、ロベルトとの練習を思い出し、できるだけ腕の力を抜いて構える。

 ロマンがぐっと距離を詰めれば、凪いだ剣先をするりとくぐり、正行が懐に飛び込んだ。


「むっ――」


 鋭い剣先が腹に迫るのを、でたらめに身体を倒して躱せば、今度は正行が勢い余って壁際まで寄った、そこをロマンがすかさず追い詰める。

 背中に冷たい石の壁、振り返りざま振るった剣でかろうじて攻撃をふせぎ、つばぜり合いににらみ合う。

 すこし腰をかがめて体勢が悪い正行に、振り下ろす力も込められるロマン、正行は歯を食いしばり、ロマンは不思議に静かな目をしていた。

 下から堪える腕の力も限界というころ、正行の剣が徐々に押し負け、下がっていくのに、ぱあんと室内に破裂音が響いた。

 立ち込める火薬の匂い、周囲の兵士たちが振り返る先にヤンが立っていて、震える手が銃を取り落とした。


「ひ、卑怯でもなんでも、いまそのひとを失うわけにはいかないんだ」


 ロマンの膝ががくりと落ちるところ、正行は立ち上がり、呟いた。


「悪いな」

「いや――」


 ロマンは正行を見上げ、にやりと笑った。

 薄暗い室内にひらめく白刃、肉を斬り骨を断つ感触が、正行にとっての戦いの終わりであった。

 正行は顔に散った返り血を拭い、剣を兵士に返して、ロマンの死体を皇国へ運ぶよう指示する。

 それから古城の外へ出るのに、ヤンが追って、


「も、申し訳ありませんでした。一騎打ちで、あんなふうに――」

「いや、助かったよ。これでよかったんだろう――結局おれは、生かされてるから、生きられるんだ」


 正行は丘の上からあたりを見回した。

 どこまでも広い草原で、兵が潜んでいる気配はない、やはりロマンの言葉は偽りであったにちがいない。

 ロマンはなにか得たのだろうか、死の寸前に。

 正行は、はじめてひとを殺した両手を見下ろし、それからふと視線を空へ向けた。

 大地を吹き抜ける風に、大きな雲がゆっくりと流れ、その下を、長い尾を持つ青い鳥が優雅に舞っている。

 はじめは一羽だったのが、どこからかふわりともう一羽、寄り添うように風をはらみ、どこへ向かうつもりか、ほとんど羽ばたきもせず飛んでゆく。

 正行はいつまでも鳥の軌跡を追っていたが、最後には、ただ風だけが残った。


   了

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