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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
121/122

八つの宝と風の行方 8-2

  *


 奇跡は起こった。

 正行率いるハルシャ軍背後の皇国軍は、グレアム兵の討ち死にを知ってすぐに準備をはじめた。

 東から上った太陽が西に沈むまで、そのわずかともいえるあいだに、必ず動きがある。

 正行はハルシャ軍の動向をいままで以上に監視し、なにか動きがあればすぐに突撃を開始すると兵に告げた。


「それは、なにか確信があって実行するのか」


 と正行に不満を持つ兵士が言うのに、ちいさな影が跳びかかり、地面に打ち倒すと同時に剣先を突きつけて、


「不満が言えるのも、この戦を生き残ったからだと理解できぬのか。それなら、いますぐその口、死をもって塞いでやってもよいが」


 と凄むのは、大陸の東で死闘を超えてきた騎馬隊の隊長、ミーチェである。

 これには直接剣を突きつけられた兵はもちろん、周囲の兵ですらごくりと唾を飲み、押し黙る。

 立ち上がったミーチェは剣を鞘へ収めながら正行をちらり、正行はうなずいて、兵士すべてに言う。


「作戦としては、おそらくこれが最後だ。もう一度だけおれに従ってくれ。頼む」


 深々と頭を下げる総大将に、兵士たちは言葉もなくもじもじと顔を見合わせるばかり。

 そうして彼らは合図を待った。

 昼がすぎ、夕方がくる。

 太陽がゆっくりと西の空へ、まるで炎に巻かれた鳥のように落ちてゆくのを眺めるうち、ハルシャ軍に動きが現れる。


「いまだ、かかれ!」


 正行は全軍に突撃を指示し、自らも馬に飛び乗った。

 これは、ハルシャ軍にとっては最悪の時機に行われた前後同時攻撃であった。

 グレアム兵の突撃後、なんとか落ち着きはじめたころの全門開放、そこから一塊になって飛び出した皇国軍に慌てて対応すれば、まるで事前に示し合わせていたかのよう、後ろからはエゼラブルの魔女たちが魔法を放ち、騎馬隊が怒涛の勢いで敵軍を割いてゆく。

 ロマンはただちにこれが前後同時攻撃だと気づいたが、兵士のほとんどは背後に正行たちが潜んでいたことすら知らず、突然降って湧いた軍と攻撃に散り散りとなって逃げはじめた。

 どれだけロマンが叫んだところでその声はわずかな範囲にしか届かず、加えてハルシャはその大軍で城塞をぐるりと囲んでいたものだから、陣形が薄く広がっている、そこを前後から一点突破の集中攻撃を受けては、援軍も間に合わない。

 門から飛び出した皇国軍と、背後を強襲した皇国軍が敵陣の中央で再会を果たす。

 互いに交わす言葉はなく、そのままくるりと方向を変えて、彼らはハルシャ軍を真っ二つに分断させた。

 クラリスは馬上で長い髪を振り乱し、


「逃げるのではない、このまま分断した敵を叩くのだ! 相手が陣形を作り終える前に叩き尽くせ!」


 皇国軍は勢いもそのまま、本格的に敵へ襲いかかる。

 いままで伝令も交わしていなかった軍がひとつとなり、はじめからそれを予定したかのように巧みに陣形を変えながらハルシャ軍を追い詰めていく様子は半ば不気味なほど。

 戦闘準備も充分ではないハルシャ兵は、それでも必死に戦ったが、エゼラブルの魔女たちが放つ魔法で隊列が乱れたところに騎馬隊が突っ込み、そのあとを歩兵が続くという息の合った攻撃には為す術もなかった。

 半分に分断されたハルシャ軍のうち、さらに半数近くは戦闘がはじまって数十分のうちに倒され、残りは隊列も組めず散り散りになって逃げ出す。

 さらに皇国軍は無事に残る半分にも迫り、その大部分を勇猛果敢な攻撃で削ったところ、待ちかねたように太陽が落ちる。

 空は紺碧、星のまたたきはいまだか弱く、星もわずかに透けて見えるほどだが、視界が失われると同時に戦いは止んだ。

 ハルシャ軍は数万の兵を失い、さらに部隊もばらばらに逃げ去って、いまやひとつの軍団とはいえぬ有り様、対して皇国軍も犠牲はすくなくなかったが、一塊の軍団を維持し、地獄からの生還を果たしたのである。



 ロマンは危ういところで皇国軍の攻撃を躱し、手勢を二百ほど連れてセントラムの南東にある古城に逃げ落ちていた。

 追っ手を気にして夜通し馬を飛ばし続け、すでに夜明け間近、ロマンは疲れきったような表情で古城の一室へ入り、部下に言った。


「わが軍はどれほど残っているか」

「はっ――おそらく、十万前後は残っているかと思われます。いかんせん散り散りになっておりまして、すぐに集合することはむずかしいかと存じますが、呼びかけを行えば必ず。ただちに集合場所を周囲の集落や伝令に伝えますか」

「いや――やめておけ。やるだけ無駄であろう」


 ロマンはちいさな木製の椅子にぐったりと腰を下ろし、息をついた。


「わが兵は、決しておれへの忠誠心や義務感で戦っていたのではない、自らの欲望を満足させるためだけに戦っておったのだ。いま、おそらく兵は死を実感し、闇を彷徨っておる。そのなかで月明かり、星明りに見えるものは欲望ではなく恐怖であり、失ったものへの憧憬であろう。濃艶な幻想はすでに消え去ったのだ――兵を呼んだところで、応える声はひとつもありはしない」

「しかし、ロマンさま――」

「おれの負けだ。おれははじめて負けたよ」


 それがなにか、安堵したような声色なのが、兵士を不審がらせる。

 ロマンは暗闇のなか、ちらと兵士に目をやって、


「おまえも、好きな場所へゆくがよい。ハルシャはすでになくなった」

「す、好きな場所とは」

「家に帰るなり、どこかよい町を見つけて住むなり、好きなようにやればよいのだ」

「ロマンさまは、いかがなさるのです」

「おれはここにいる。どうやらここがおれのいるべき場所のようだ」


 兵士はそれでもしばらくためらうような気配、やがてロマンに敬礼をひとつして、部屋を出ていった。

 古く禁欲的な古城の一室に、ロマンはひとりきり、あたりにはなにもなく、静寂だけが寄り添うのに、ロマンはちいさく息をついで、目を閉じた。



 絶望から勝利という輝かしい頂にたどり着いた皇国軍は、夜がきても決して声を絶やすことなくよろこび、騒ぎ、まだあたりに大勢の敵兵がいることをすっかり忘れたような大宴会、堅物の老兵さえそれもやむなしと目をつぶるような雰囲気。

 兵士たちはみな生をよろこび、再会に祝杯し、古い民謡の大合唱で死者を送る。

 勝利を聞きつけたセントラム城からは続々と食料と酒が送られ、絶やされることのない松明の明かり、もとはといえば国も育ちもちがう兵士たちだが、そのような意識はまったくなくなり、ただ仲間という関係でのみ彼らは繋がれていた。

 ただ、そのようによろこべる人間ばかりではない。

 雲井正行は松明の明かり届かぬ暗がりで、ひとりごろりと寝転がって空を見上げていた。

 ヤンはその姿を確認しつつ、かける言葉もないことに眉をひそめ、ただいつまでも薄闇に立ちすくんでいる。

 そこへ、かさりとわずかな足音、ヤンが振り返れば、銀髪を優雅に流したクラリスで。


「そなたはたしか、正行の」


 とクラリスが目を細めるのに、ヤンは頭を下げ、


「ヤンと申します」

「うむ――正行は、そこに?」

「はい。でも、いまは――ひとりにさせてあげてほしいんです」

「ロベルトのことを聞いたか」

「ほかの兵から。ロベルトさまと正行さまは、同僚を超えて親友でしたから」

「そうか」


 クラリスはぽつりと呟いたきり、立ち去るのかと思いきや無造作に正行へ近づいて、


「あ、あの!」


 とヤンが制止するのも構わず正行のとなりにごろんと寝転がった。

 皇族の尊い銀髪を大地に寝かせ、クラリスはまっすぐ天を見上げる。

 晴れ渡った空には満天の星々、大気が揺れてまたたくのが、まるで泣いているようで。


「こんな夜でも、朝はくるのだ」


 クラリスは言った。


「朝まで泣いていては、兵士に笑われるぞ」

「わかっています――明日になれば、また仕事ができる。これでなにもかも終わったわけじゃないんだ」


 喉に引っかかるような、かすれた声。


「ハルシャの残党はまだ多い。ロマンも討ち取ってはいない。もしロマンが兵を再編したら、やっかいなことになる」

「そうだ。当分は、そなたに兵の指揮をとってもらわねば困る」

「わかっています。でも、今夜だけは――おれは、今日泣いておかないと壊れてしまう気がするんです」

「うむ……夜が明けるまでは、好きに泣くがよい。私も、それまでここにいよう。ひとりで泣くよりは、すがる木の一本でもあったほうがよい」


 暗闇でうなずいた正行は、堰きあえぬままに落涙し、滲んだ星空をいつまでも見つめていた。

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