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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
120/122

八つの宝と風の行方 8-1

  8


 明朝、城塞の門近くになにやら武装した男がずらりと並ぶのを見て、鎧も脱いですっかり戦意を失った兵士たちは、なんだなんだと遠巻きに集まっていた。


「どこの軍だ? あの国旗は」

「グレアムの兵らしいぜ」

「武装してどうするつもりだ?」

「さあ、演習ってわけでもなさそうだが。まさか、外へ出るつもりか」

「たったあれっぽっちの兵で? 外には二十万もいるんだぜ。気でも狂ったか」

「気も狂うさ、こんな状況じゃ」


 低く囁かれる声は卑屈なすすり泣きのよう、それが、がらがらと景気のよい音にかき消される。


「お、おい、門が開いたぞ!」

「本当にあいつら、外に出るつもりなんだ。自殺するつもりかよ、率いているのはだれだ?」


 兵士たちのざわめきのなか、三千の兵の先頭に立つロベルトは、堂々と胸を張り、馬上から直進を指示した。

 三千の兵はおうと強く応え、一糸乱れぬ進軍、開かれた門の外へと飛び出してゆく。

 兵士たちのなかには、このまま門が開かれれば敵が入り込むと罵る者もあったが、三千の兵が出ていったのち門が閉じられるとほっとしたように息をつき、それから口元をゆがめて、


「気の狂った指揮官に率いられる兵ほど気の毒なものはない」


 と呟いた。

 ほかの兵士は、野次馬根性もあらわに、


「城塞の上から、やつらの様子を見てみよう」


 と城塞内部を通り、高い城塞の上へ登って、外側を見下ろした。

 それがちょうど、門を出た三千の兵が、四方をぐるりと敵に囲まれ、攻撃を受けようとしているところで。


「ああ、ありゃだめだ。やっぱり、あれっぽっちの兵じゃどうしようもないんだ」


 だれかが感傷的に言う後ろ、こつんと強い足音に振り返れば、クラリスが銀髪を大きくなびかせ、怒りの形相で立っている。


「く、クラリスさま。いま、兵が外に」

「知っている。おまえたちは、彼らが出ていくのを間近で見ていて、なにも思わなかったのか?」

「はっ――な、なにもとは?」

「――よい。ともかく、彼らの戦いを見ておけ。ほかの兵もだ」


 とクラリスは城塞の内側に向かって叫び、


「彼らの生き様をその目に焼き付けておけ」



 門を出た直後は、城塞を囲んでいたハルシャ兵も面食らったように慌てていたが、さすがにすぐわれに返り、わずかに出てきた皇国の兵をぐるりと取り囲む。

 槍の先端を向け、あるいは剣を抜き払い、用心深く取り囲むのに、ロベルトはにやりと笑い、味方を振り返る。


「さて、ここが晴れ舞台だ。しかしきれいに死んでやる必要はねえ。息絶えるその瞬間まで、存分に暴れてやろうじゃねえか。自分が殺した人数をしっかり覚えとけよ、あの世で賭けをやるからな」


 兵士たちはわずかに笑うが、そこに死への恐怖はなく、むしろ清々しいまでの明るさが見える。

 ロベルトは剣を抜き払った。

 すっと剣先を向けた空は、祝福の青空。

 ロベルトはぐいと仰向いて、肺いっぱいに息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


「かかれ!」


 一声で兵士は四方の散り、ぐるりと囲む敵に躍りかかった。

 またたく間にはじまる戦、きいんと剣が鳴り、地面が踏み鳴らされ、魂が踊る。

 ロベルトは馬の腹をどんと蹴り、その太い頭で何人かなぎ倒しながら敵兵のあいだを走り回った。

 剣をぶんぶんと振り回せば、わざわざ狙いをつける必要もない、いくらでもいる敵のだれか、あるいはどこかには当たって、血しぶきと土煙。

 歩兵たちははじめから捨て身、攻撃が失敗したらなどとは考えず、がむしゃらに敵のなかへ突っ込み、剣を振るった。

 ハルシャ兵はその猛攻に恐れおののき、半ば逃げ出す兵士までみえるほど、しかし多勢に無勢が変わるわけでもなく、すぐさま皇国軍、グレアム兵は四方を取り囲まれ、一方の敵を倒しているあいだに背中を斬りつけられ、あるいは腕を落とされ、腹を貫かれ、それでもぐるりと振り返り、自らを傷つけたものを一太刀で仕留める。

 ある者は腹に突き刺さった剣を自ら引き抜き、血がどくどくと流れ出すのににいと笑い、ハルシャ兵を震え上がらせる。

 そのまま血まみれの剣で相手の首をごろんと刈り取り、一歩進むが、そこで膝が崩れた。

 すかさず取り囲むハルシャ兵、剣を振りかぶり、一斉に振り下ろす。

 ひとりの命が散る間に、敵が何人倒れたか。

 馬に乗ったロベルトは風のように敵のあいだをすり抜け、部下たちの活躍を見て、満足げに笑う。

 しかしついにハルシャ兵の剣が馬の足を捉え、高く悲鳴を上げながら馬が倒れると、ロベルトは巨躯を思わせぬ軽やかな跳躍、敵のなかに降り立ち、すらりと長い剣をぶんと振る。

 一撃のもとにひとりの首を落とし、もうひとりの肩に深く切り込んで、ロベルトの奮闘がはじまった。

 前後左右、すべて敵である。


「なるほど、こいつはおもしろい」


 とにかく斬り、立ち止まらぬこと。

 ロベルトは切り倒した相手を見ようともせず、その身体をどんと蹴って押し倒し、遠慮なく踏みつけて先へゆく。

 驚愕に見開かれた眼、引きつった口元、青白い顔、逃げようと及び腰になった一瞬で、すでに斬られている。

 巨大な剣を力任せに振り回す戦法は、ただ斬り倒すだけではなく、相手の身体を木の葉のように弾き飛ばした。

 飛び散る血しぶき、舞う舞う身体、どっと雨が降り注ぐかと思えば返り血で、舌なめずりに鉄の味。

 五人斬り、十人斬った。

 銀に輝く鎧には血の水滴が幾筋も、ひげから髪からぽつぽつと滴り落ちるのもまた返り血。

 目に入ったのをぐいと拭った瞬間、背中がさっと熱くなり、振り返りざまにまたひとり。

 傷が浅いのか深いのかも定かではないが、まだ動けることだけはたしかで、それならと一歩踏み出したところ、背中から二本三本と剣が生える。

 振り返ったロベルトの、まるで笑ったように歪んだ顔に、兵士はびくりと震えて柄から手を離した。


「もらうぜ」


 と一言、ロベルトは身体に突き刺さった剣を引き抜き、くるりと回して血を払ったあと、両手に持ってさらに駆ける。

 血を流すなら最後の一滴まで、命を果たすなら最後の一瞬まで。

 ロベルトはさらに十人、二十人と斬りつけ、失血にふらりと頭が揺れたところ、白刃が走って、太い右腕がごろんと落ちた。


「ご苦労さん」


 自らの腕をねぎらい、残った左腕、相棒の分までと振り回し、背後から押し倒され、うつぶせで地面に転がった。

 ロベルトが最後に見たのは、踏み荒らされて硬くなった大地だったが、斬首にごろんと転がった首は、最後に天を向いて止まった。

 セントラム城塞から出たわずか三千のグレアム兵は、敵兵一万と道連れにすべて見事に生き抜いた。



 城塞の上から見ている兵士たちには言葉もない。

 茶化す気持ちもすでに消え、ただ虚無にも似た空白が心にできていた。

 三千の兵が作った一瞬の空白、クラリスはそれを利用する。


「彼らは見事に散ったぞ。諸君らはどうだ」


 クラリスが強い眼差しで見回すのに、兵士たちはだれも応えない。


「このまま臆病に閉じこもるか? 彼らはわずか三千で、あれだけの敵をなぎ倒した。それに比べて諸君らはいったいどれだけの大軍か。彼らの何倍の腕を持ち、何倍の心を持つか。それらはこの城塞の内側にいるかぎり、必要のないものだ。しかし諸君らにはそれらが与えられているのだ」


 クラリスは兵士たちに背を向ける。


「今夜、日暮れ前にすべての門を開く。彼らが作った動揺が収まる前に総攻撃をかけるのだ。いまなお死が怖いものはセントラム城へ向かうがよい。そうでないものは私に従え。必ず、勝利を見せてやる」


 立ち去るクラリスに、兵士たちは互いに顔を見合わせて、ごくりと唾を飲んだ。

 握った拳に込められた力を、彼らは生涯忘れ得ぬ。

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