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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
流星落ちるはかの国に
12/122

流星落ちるはかの国に 6-1

  6


 ノウム王国は、依然空模様と同様、鬱々と暗く光射さず、待てど暮らせど曇りが去る様子はない。

 家族の帰りを待つ民衆には戦況も伝えられず、すでに戦闘が開始されたものかどうかもわからぬまま、ともかく祈り待つしか術がない。

 一方で城内、大きく地図を広げた会議室で、やはりまともに戦況も伝わらぬのが苛立ちの原因、国王が机を叩いて立ち上がるたび、周囲にいる大臣以下臣下たちはびくりと身体を震わせて。


「どうなっておるのだ。すでに進軍は開始しておるはず。籠城されたにしろ、戦闘がはじまったにしろ、早馬が戻ってきてもよいはず。それもないとは、いかなることか」


 国王は野太く怒鳴るが、無論ここにいるだれもがそれを疑問に思っているのだから、答えられる声もない、ただ黙っているのも具合が悪いから、だれからともなくもぐもぐと、


「戦闘が長引いておるのかもしれませぬ。もう数刻で到着いたしましょう。戦闘が長引くということは、おそらく両軍正面衝突した証、持ち帰ってくるのは勝利以外にありますまい」


 王は肘掛け椅子にどかりと腰を下ろして、


「その言葉は昨夜から聞き飽きたぞ。まさか、ルーベン以下、戦闘を放棄して逃走したのではあるまいな」


 ぎろりと一同見回せば、自ら責められたように大臣たちはあたふたと首を振って、


「まさか、歴戦の勇たるルーベン隊長に限ってそのようなことはありますまいが」

「いや、わからぬぞ」


 王はにたりと笑うが、その笑顔には卑屈な色があり。


「あれは、たしかに優秀な兵士ではあるが、忠義というものがない。わが国のために死すべしという心なきもの、いざとなれば逃走でも寝返りでもしよう」

「それはあまりに厳しいご意見かと。ルーベン隊長は勝利をもって忠とする男なれば、必ずや勝利を持ち帰りましょうぞ」

「グレアム王国に対して、わが国は臣下の忠を欠いておる。国のためなら死すら厭わぬ気骨ある者はおらぬものか」


 王は肘掛け椅子のなか、ぐいと反り返って腕を組む。

 それで一時はおとなしくなったとみて、大臣一同胸を撫で下ろし、会議室の外、王には聞こえぬ声色でこそこそと囁くに、


「ああは言ったが、ルーベン隊長、本当に逃亡したのではあるまいな。金に汚いあの男、寝返りまでするかはわからぬが、勝利なきと見るや逃げることはあり得るのではないか」

「しかし勝利なきなどあり得ようか。数の上でも作戦上でもわが方が負けること、それどころか損害を受けることすら考えられぬ」

「ではなぜ報告が遅れておるのか」

「苦戦しておるのでは」

「それでも進軍から早三日、苦戦にあっても報告はなされよう」

「ともかく、待っておるしかないようだ」


 という結論になって、大臣たちは心労に青ざめた顔、手でひたと拭って会議室へずらずら戻る。

 それを待っていたかのように、王が再び癇癪を起こして、


「なにをしておるのだ。報告なきともやるべきことはあろう、無駄話で時間を使うでない!」


 と怒鳴り散らす。

 堪らず大臣たちはひとり残らず会議室から逃げ出して、王ひとり、ふんと鼻を鳴らして机に足を上げ、居眠りでもするように目を閉じた。

 ぐいと眉根を寄せた顔、疲労の色も濃く、だれよりも疲弊しているのは寝ずに報告を待つ王であろう、苛々と指の先で机を叩くのも致し方ないといえぬこともない。

 グレアム王国から馬なら二日、進軍をはじめたという報告はきたが、それ以降露として来ぬ。

 戦闘がはじまろうならその報告も送られようが、敵と接触しているのかもわからぬ、勝ち負け以前に自らの兵がどこでなにをしているのか定かでないとなれば、明けぬ不安も無理はない。

 散々検討が重ねられ、地図はもはや印だらけ、見ても地形すらわからぬ有り様。

 王は不意にぐいと頭を起こし、寒さに震えたものか腕を抱いて、改めて自らの城からグレアム城までのあいだを指でなぞった。

 その中間より向こう、グレアム城まで歩行でも数時間というところまで兵が迫っていることはわかっている、しかしその先どちらの方向へ行ったものか。

 ううむとうなる王の顔に、さらに深く皺が刻まれ、やがて疲れ果てたように肘掛け椅子へどかりと座って身じろぎひとつしない。

 目を薄く開けて、眠っているわけではないようだが、意識があるのかもわからず、ただ視界の端、ちらと金色の影が横切るのを見て、顔を上げた。


「ハンスか」


 その声で、会議室の入り口あたりで戸惑っていたハンス、勇気を出して室内へ入れば、入り口にちらりと女中の影、さすがになかには入らず、さっと陰に消える。

 王は年若い息子の顔をちらりと見て、苦労の感じられぬ溌剌した頬や目、亡き母親譲りの金髪が輝くのに、忌々しげに顔をしかめた。


「どうした、何用か」


 それでも父親らしく問えば、ハンスは地図の広げられた机の端、それが頼りとばかりにきゅっと握って、


「父上、戦況のご報告はあったのでしょうか」


 俯き加減の、他人の顔色を窺うような目つき、右顧左眄が見え隠れするのにも王は苛立って、乱暴に手を振る。


「未だない。あったとて、おまえには関係のないこと。部屋に戻っておとなしくしていろ。やることもないというなら、アルフォンヌの面倒でも見てやれ」

「しかし、父上」


 と頑固にも退かぬよう、ハンスは机に身を乗り出して、


「いまに至って報告がないというのは、なにかあったということではございませぬか。籠城戦なりなんなり、せめて戦闘が開始されたのであればその報告が出るはず。よもや奇襲を受けたのではございませぬでしょうが、報告も出せぬ事態に陥っていることはたしか、なにかこちらから対策を取らねばならぬのでは」

「わかっておる、そんなことは」


 肘掛けをぐいと掴んで、王は立ち上がる。

 そうすると太ってはいるが大きな身体、息子などそこにすっぽりと隠れるほどで、ハンスは気圧されたように後ずさった。


「おまえの浅知恵など、とっくに検討も済んでおるのだ。それを、いかにも自らの手柄のように言いつのり、邪魔をする」

「父上、しかし……」


 切なげに顔を歪めれば、目に涙がじわりと浮かんで、


「ぼくも、この国の行方に責任を持つものでございます。どうか参加をお許しください」

「おまえはまだ幼いと、何度も言っておろうに」


 王が眦を決するのに、ハンスも一度は引き下がる素振りを見せたが、またきっと父の顔を見返して、


「では、父上、もしわが軍になにか起こり、それによってグレアムの兵を殲滅するのに失敗、わが国にも被害及ぶとなったとき、いかがなさるおつもりなのですか。それだけ、お聞かせください」

「残存する兵力でも充分に戦える。グレアムの軍勢はすべて揃えたところで三百。こちらは二百の残存があるのに、向こうも無傷ではあるまいし、ましてや三千を超える本隊が壊滅しようとは思われぬ。それも加えれば、多くて三百の兵に遅れをとるなど」

「しかし、それは失敗のなかにも希望のある見方でございましょう」


 ハンスが必死に言いつのるのに、形相は激しく目を潤ませて、まるで自らの命を賭すよう。


「もしわが兵三千が全滅し、なおかつグレアムの兵三百すべて無事に残りわが国へ攻め入った場合――」

「おまえは、どうしてもわが国を滅ぼしたいようだな」

「父上、ぼくは――」

「黙れ!」


 と一喝、震え上がるハンスに、王は机をぐるりと迂回し、怒りに紅潮した顔を歪ませて詰め寄る。


「子どものおまえが口を出すことではない。これは遊びではないのだぞ」


 ハンスの肩をぎゅうと握って、王は息子を会議室の外へ放り出す。


「わが息子でなければ妄言の罪をとらせるところ、ことが済むまで部屋から出ず、草花でも愛でておれ!」


 激しい勢いでもって扉が閉まれば、ハンスは自らの肩を押さえて泣き笑いのような顔、控えるエリカをちらと見て、


「だめだったよ。父上はぼくの言葉など聞いてはくれぬようだ」


 そのけなげさにエリカも頭を下げれば、ハンスは目元をぐいと拭って表情を改め、


「しかし、ぼくの心配性が過ぎるのかもしれない。事実、三千の兵に三百の兵が勝つことはほとんど不可能だ。報告が遅れているのは単なる手違いかもしれぬ。雨も降ったことだし、地面もぬかるんでいよう、それに馬が足をとられたなら、この程度の遅れは考えられる。父上のおっしゃるとおり、ぼくのような子どもが心配することじゃない。部屋へ戻ろう」

「ご納得されたのですか」


 エリカが問えば、ハンスは首をゆるゆると振り、


「納得するもなにも、ぼくと父ではなにもかもがちがう。ぼくが間違っていて、父が合っているに決まっている。父が間違いを犯すはずはないんだ。父の言うとおりにしておけば、間違いはないんだよ」


 言うくせに、立ち去る背中は悄然として覇気がなく、うつむけば堪えていた涙がぽつりぽつりと流れ落ちる。

 このときばかり、女中たるエリカがハンスの先に立ち、行き交うひとびとの視線からハンスを守った。

 相手がふと気づいた顔をしても、エリカの決然たる態度を見れば二の句も継げず、すごすごと立ち去るほかないのだった。

 一方、ひとりになった王は、いまだ苛立ちが抜けぬよう、手当たり次第に書類を丸めては投げ捨て、踏みつけ、それでも気が済まぬとばかりに裂いて散らす。

 苛立ちの原因は自らもわかっている、ハンスの言うことにも一理あり、なにか対策を講じねばならぬと自らでも思うところなのだが、それを幼いと思っていた息子に突かれたことが気に食わぬ。

 赤らんだ顔に怒気を浮かべ、乱暴に肘掛け椅子へ座れ、ようやくゆっくりと冷静が戻ってきて、地図をちらと見る目も正確な判断力を取り戻している。


「仮に敵兵がすべて生き残り、わが兵三千潰えて、この城へ迫るとき……」


 分厚い唇に指をぐいと押し当て、ぶつぶつと独りごちながら地図の上を視線が彷徨う。

 その思考が完成せぬうちである。

 廊下で、どたどたと駆けてくる音、邪魔をされて苛立った王はばっと顔を上げたが、そこに扉が開いて駆け込む兵士はそれにすら気づかぬほど取り乱している。


「どうした、なにがあったのだ」


 と王が言えば、兵士は敬礼も忘れ机にすがりついて、


「お、王さま、国王さま、敵兵が、敵兵が攻めて参りました」

「なに」


 さっと色を失って、王も会議室を飛び出す。

 細い廊下を太った身体が慌てて、臣下たちは驚いて道を譲る。

 石造りの階段、王たる者の豪奢な衣装がひらめき、裾がばたばたと跳ねて城正面に向いた露壇にいずる。

 まろぶように手すりへすがれば、高い城壁の向こうが一望できて、王は曇天の下、果てしなく広がる大地に目を細めた。

 生温い南風、びゅうと吹き抜け、脂ぎった髪が揺れるのに、気にする余裕もない。


「あれか、あれが敵の軍勢か」


 大地の彼方、まだ遠いが、しかし肉眼で見える距離、黒い染みのようなものがもぞもぞと蠢いている。

 それが疑いなくグレアム王国の兵隊なのである。

 王を追って露壇へ出てきた兵士、いまさらのように王の背中へ敬礼して、


「その数、約三百と」

「なに、三百? まるで減っておらぬではなにか。わが軍隊はどうしたのだ、いったいどこでなにをしておる」

「それが、先ほど帰還した魔法隊の者によれば、敵の奇策にかかり、三千余りほとんどすべての兵がグレアム城に捕らえられたと」


 青ざめた顔に、王は怒気もなく、兵士の顔と彼方に見える敵兵の影を交互に見やった。

 落ち着きなく彷徨う目つきは、兵士がはっとするほど臆病で、厚い唇がぶるぶると震えるさまは滑稽ですらある。

 しかし予想だにしない事態が、やがてふつふつと怒りに変わったようで、青い顔が赤らみ、ぐっと握られた拳が打ち震えるのに、兵士は一歩二歩と後ずさった。


「いますぐ、城門を閉めい」


 王は力強く命じる。


「あらゆる城門を閉め、籠城の用意を調えるのだ。城の食料を調べ、また城下町に兵を送って家々の食料も調べろ。それをすべて城の食料庫へ入れ、必要な分だけ民衆へ与えるのだ。残存の兵には武器を持たせ、逆らうものは捕らえてかまわん、牢獄でもなんでも入れておけ。敵には決して屈するな!」

「はっ、ただちに」


 兵士はさっと露壇を出て、そのまま下知を伝えてにわかに城が動き出す。

 文官は会議室へ殺到し、今後の対策を話し合うのに、武官は兵を動員して城門の封鎖を実行する。

 次いで城下町へ兵を送り、食料の調査を実行させるが、これが一筋縄ではいかぬ。

 残存の兵士が家々を尋ねるのに、拒まれはしないが、迎えられるわけでもなし、加えてあるだけの食料を城へ運ぶと言い出しては、


「われわれに飢え死にしろということか」


 と怒り出し、てこでも食料を渡さぬ住民が数多い。

 これが働き盛りの若い男でもいれば話はちがうが、城下町に残されているのは女子どもに年寄りのみ、兵士は、


「王の命令だ!」


 と一声かければ何事も許されると存ずるがごとき横暴、すがる老人をはね除け、泣きわめく子どもには怒鳴り、家捜しまでして食料をすべて奪ってゆく。

 それでもなお抵抗する住民は、狭い路地をふたり、三人がかりで牢へ連れてゆかれ、冷たく湿った鉄格子の向こう、放り込まれて省みられることもない。

 そうして集められた食料は、城の食料庫にもともとあったものと加えられてうずたかく積まれたが、城の人間と城下町の住人をすべて養うにはあまりに心許ない量である。

 強固な城門がぴたりと閉ざされれば、外から打ち破ること容易ではないが、また籠城するなかでも兵士たちがにわかに武器を帯び、目を剣呑にぎらつかせて城下町を見張るがごとく、数刻にして住民は自由に出歩くことも叶わず、食料もない家のなかでじっと嵐が去るのを待つしかないのだ。

 そうした住人にも敵兵の接近が伝えられたが、しっかりと敵兵を見るのは兵士のみ、確実に近づいてくる軍勢は、数こそ大したこともないが、異様な力強さを帯びている。

 とくに思わぬ奇策で三千もの大軍が全滅したといううわさ、すぐに伝播して兵士どころか城下町の隅々まで知るところであるから、近寄ってくる軍勢にも容易に手出しできぬ一種の威圧感のようなものが漂っていた。

 最初に報告を上げた兵士がそれに恐れたものか、はっきり目視できる距離まで近づけば、グレアムの軍勢三百には足りず、二百余りというところ、それならば正面から迎え撃っても勝敗定かではなかったのだが、一度籠城を決め込んで城門を閉ざした手前、今一度開いてその前に兵を展開させるひまもない。

 ノウム軍はたったひとりも残さず籠城の体勢、そこへグレアム軍が詰め寄って、ぐるりと周囲を取り囲めば、直接刃を交えることはなくとも最後の戦闘がはじまるのだ。

 その様子を尖塔から見下ろし、


「やはり、こうなったか」


 と嘆息するのは、王子たるハンス、尖塔からはいきり立つ兵士から惑う民衆まで見下ろせる。

 後ろに控えるエリカの表情はいつもと変わらぬが、ハンスは目を伏せ、多少青ざめて、風に当たれば身体をぶるりと震わせている。


「父上は、どうなさるおつもりだろう。籠城戦のなかで勝ち目を見いだすのだろうか。兵糧は限られ、あちらには無限の大地、とても敵うものではないが」


 呟く声もかすかで、すぐ背後のエリカでさえほとんど聞こえぬ。

 それが、言の内容を変えれば、


「それにしても、グレアム軍の奇策とはなんだったのだろう。自らの十倍もの兵を打ち破り、この城まで到達するとは。うわさに聞こえるベンノという学者の発案かもしれないが、おそらくは想像もつかぬ深い知謀があったのだろう」


 とまるで相手を褒め称えるよう、その声は朗らかにさえ響くのである。

 しかし一転、自己を省みて、


「ぼくにその知謀のいくばくかでも備わっていれば、このようなことにはならずに済んだのだろうか」


 猛省する声も沈んで、ふと振り返る。

 エリカはあくまで女中然とした顔、表情もとくになく、ハンスの命があるまで動こうともしない。

 このエリカにだけは素顔を見せ、また王子ではなく王として振る舞えるハンスなのである。


「これから食料の節約で満足には食えぬ日々が続くだろうが、がまんしておくれ、エリカ」

「ハンスさまのご命令であれば」


 とエリカは頭を下げ、主人を尊敬するかしないのか、やはり定かではない。


「アルフォンヌの様子でも見てみようか」


 ハンスが歩き出せば、エリカはその二歩後ろ、ぴたりと付き従う。


「アルフォンヌにはまだ事情も説明されていないだろうが、まあ、そのほうがよいのだろうな。まだ幼く、血なまぐさいことを知る年ではない」


 部屋を出る途中、ハンスはちらと後ろを振り返ってエリカを窺い、それがいつもどおりの表情でいつもどおりの位置、自分に付き従うのを確認すると、安堵したようにやわく笑って、前を向いた。

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