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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
119/122

八つの宝と風の行方 7-2

  *


 徐々に北上するハルシャ軍を追いかける数週間は、正行にとって紅蓮の炎で身を焼かれ続けるような苦痛を伴う時間であった。

 いかに進軍速度が早いとはいえ、歩兵で、かつ敵の抵抗を受けながら、それに馬で追いかける正行たちが追いつけぬはずはないが、前方にハルシャの大群を捕らえても、たった百あまりの兵士しか持たぬ正行では、どうすることもできなかった。

 ハルシャ兵が徐々に北上するということは、それだけ皇国の兵が倒されていくということ、それを間近で見つめながら、どうすることもできぬ苦痛は自分の身に対する拷問にも似る。

 やがて正行は、東から抜けてきた騎馬隊数千と、西から抜けてきたエゼラブルの魔法隊とも合流したが、それでも兵は一万に達しない。

 正行は、いっそ返り討ちに遭うとわかっていても突撃を敢行すべきかと、何度も考えた。

 しかしその度、アリスの顔がちらついて、それが臆病か冷静か自分でもわからぬまま、皇国軍が北へ北へと追いやられるのを見ているしかなかった。

 兵からは当然、いますぐに突撃すべきだという意見も出る。

 仲間がやられていくのをじっと見ているだけで、いったいいつ動くというのか、動けずにいるのは臆しているせいではないのかと直接詰め寄られても、正行には反論する言葉もなかった。

 ただうなだれ、兵士たちの不満を一身に受けて、それでも退くことも無謀な突撃も許さず、正行は兵を抑え続けた。

 ハルシャ軍はそのあいだも着々と進行を続け、ついに大陸北端、セントラムの城塞の内側まで皇国を追い詰める。

 そうなってしまっては反撃もむずかしく、ハルシャ軍は城塞を取り囲むのに必要なだけの兵を保持したまま、だれが見ても皇国軍に勝ちはない。

 正行の一行も、ハルシャ軍の後ろ、彼らに気づかれぬ距離でついていきながら、そのさまを目の当たりにしていた。

 皇国軍は城塞へ入って数日、ハルシャは完全に包囲を完了させ、正行のもとには兵士が十数人詰めかけて、口々に非難をはじめた。


「あなたの判断は遅すぎたのだ。こうなってしまっては、前方の皇国軍と呼応して背後を強襲することもできない。われわれは助けられた仲間をみすみす見殺しにして、滅びゆくのを見つめなければならなくなったのだ」

「そもそも、正面を預けて背後へ回るという計画に無理があったのではないか。あなたは、ただ自分が危険から逃れたいだけでそうしたのではないのか」


 兵士が目をぎょろつかせ、叫ぶあいだ、正行はなにも言わず、ただうつむいて動かなかった。

 あまりに手応えがないのに、兵士たちもふんと鼻を鳴らし、どかどかと足音も荒らかに去ってゆけば、正行は天幕のなか、ふうと息をつく。

 そこに、エゼラブルの王女ロゼッタがひょいと顔を覗かるのも、いかにも心配そうに眉根を寄せて。


「正行くん――さっき、兵士のひとたちが出てきたけど、どうかしたの?」

「いや、なんでもないよ」


 と笑うのにも、ロゼッタは表情を変えず、おずおずと天幕へ入ってくる。


「アンナさんたちは?」

「まだ疲れてるみたいけど、普通に生活はできるくらいまで回復したみたい」

「そうか、よかった」

「うん――でも、まだ動かないんだよね」

「おれもそろそろ自分が臆病なのかどうなのか、わからなくなってきたよ。ただやりたくないから先延ばしにしてるだけじゃないのかって。まあ実際、策ってほど大したもんはなにもないんだ」

「でも、考えてることはあるんでしょ?」


 ロゼッタは正行のとなりに立ち、横顔をぼんやりと見つめる。


「だから、兵士のひとたちになにを言われても黙ってるんだよね」

「それは兵士たちが正論だからだよ。でもこうして不満をどこかへぶつけられれば、まだ一日二日は耐えられる。ただ、おれの指揮では、どうもだめだな。もう兵士にも信頼されてないし、信頼できない指揮官の命令を渋々聞いても迅速な行動はとれない。いざというときは別のだれかに任せるしかない」

「いざというとき?」

「最後の攻撃に出るときさ」

「じゃあ、やっぱり、このままじゃ終わらないんだね」


 とロゼッタは表情を明るくして、


「わたし、正行くんのためにがんばるからね」

「ああ、エゼラブルの魔法隊と騎馬隊には、とくにがんばってもらわなきゃな」

「戦いはいつになるの?」

「さあ――それがわかったら兵士にも伝えられるんだけどな」


 正行は頭を掻きながら、


「この状況をひっくり返すには、ふたつの条件が必要なんだ。ひとつは、敵兵が勝利を確信して、警戒を解いていること。もうひとつは城塞のなかにいる味方が高い士気でもって城塞の外へ飛び出すこと」

「城塞の外へ? じゃあ、正行くんはそれを待ってるの」

「そういうこと。ただ――ここへ逃げ込むまでに大きな犠牲を払って、きっと兵士の士気は下がっているはずだ。城塞の外へ飛び出して一戦やろうって状況には、なかなかならないだろうな。体力とちがって、こればっかりは時間で回復するようなもんでもない。なにかきっかけがないかぎりはむずかしいか」


 と正行が目を伏せれば、ロゼッタも悲しげ、しゅんと肩を落としてうなだれるのに、ふと気づいて、


「正行くん、それ、なあに?」

「ん、これか」


 正行は腰につけていた鉄の塊を取り上げ、


「新しい武器だよ。銃っていうんだ。見たことないだろ?」

「それ、どうやって使うの?」

「別にむずかしくはないよ。火薬と弾を詰めて、この引き金を引くだけだ。そうすると火薬が炸裂して、爆風で鉛玉が先端から飛び出す。本当はもっとでかいもんなんだけど、特別に一丁だけ、簡単に持ち運べるように銃身を短く改造してあるんだ。その分、命中率はぐんと下がるけど」

「へえ――」

「いざとなれば、これに頼るしかない」


 正行の白い指が黒金を撫で、


「至近距離から狙えば外れることはないだろうから、最悪、きっかけ作りにはこれを使うしかないんだよな」


 とうつむいてひとりごちる正行に、ロゼッタはわずかに首をかしげるが、その真意までは理解しきれない。

 まさか、単身ハルシャ軍に乗り込んで、その銃でもってロマンを暗殺し、それを狼煙に攻め込む計画を立てているとは。


「ともかく、いまは待つしかないんだ」


 と正行、銃を腰へぶら下げながら言う。


「奇跡が起こって、兵士の折れた心が立ち直るのを、ここで待つしかないんだよ」



 城塞の内側へ逃げ込んだ兵士にもはや戦意がないことは、ぐるりと顔を見回せばわかる。

 城塞とセントラム城のあいだに広がる野原は、まるで空谷、それで十万近くの人間がいるというのだから、奇妙なほどの静けさであった。

 食料はあり、武器もある、両腕と両足が揃い、頭もあるが、ただ心だけがない。

 クラリスは言葉でもって必死に彼らを奮い立たせ、このまま閉じ込もっているのではなく、城塞の外へ出て戦おうと叫んだが、それに応える声はなし、空しく響くのも致し方なしと、クラリス自身気づいている。

 もはや、言葉などなんの意味も持たぬ、そよ風のようなもの、無残に打ち捨てられた鎧を動かすにはやさしすぎる。

 言葉が空虚なら、行動で示すほかないが、いったいどのような行動をもってすれば彼らは再び立ち上がるのか。

 青白い顔をして、目はどんよりと淀み、背を折り曲げ、うつむいて、足取りもおぼつかぬ彼らの身体に生気を取り戻すには、どうすればよいのか。

 クラリスは、決して人目のある場所では表情を変えなかったが、夜天幕でひとりになると、力足らずの悔しさに唇を噛んだ。

 そこに、訪ねる影がある。


「クラリスさま」


 と野太い声が天幕の外で言うのに、クラリスはくるりと表情を変えて、


「どうした」

「すこしお時間、よろしいでしょうか。グレアム王国の兵を指揮しております、ロベルトと申しまする」」

「ふむ――よい、入ってこい」

「失礼」


 と大きな天幕だが、それも狭苦しそうにのっそりと入ってきた男、身の丈はクラリスよりも頭ふたつみっつ高く、腕には筋肉がいびつに乗り、すこしがに股の、いかにも軍人らしい顔つき。

 クラリスが思わずほうと唸ったのは、その体躯もあるが、なによりも表情、この状況にあって精悍さを失わず、むしろ明るささえ感じさせるのに驚いたせいで。

 ロベルトにもたしかに疲労の色はあり、ひげも伸び放題、しかし戦う意志をなくした兵士たちとは明らかにちがう。


「はじめてお目にかかります、クラリスさま」


 とロベルトが慇懃に頭を下げるのに、クラリスはすこし笑って、


「そなたははじめてかもしれぬが、私はそなたのことを知っておるぞ」

「ほう。どうして私のような者のことを?」

「グレアム王国といえば、正行の部下であろう。優秀な男がおると、よく言っておった。その名がロベルトなれば、そなたのことであろう」

「ふむ」


 ロベルトはうれしそうに笑い、


「正行殿が、そうおっしゃっておられましたか。まあ、部下というより、友人ですがね」

「――して、何用か」

「今後の作戦について、恐れながら進言を」


 さすがに真剣な顔で。


「降伏の薦めなら、聞き飽きたが」


 とクラリスが先手を打つのに、ロベルトは首を振り振り、


「降伏など、とんでもない。なぜいま降伏なさるか。どうにかこうにかここまで耐え忍び、いまこそ反撃の狼煙を上げるときだというのに」

「では、そなたは反撃せよと? そなたも兵も顔くらい見ておろう。さすればとても反撃など口にはできぬであろうが」

「たしかに、兵の士気は最低といえまする。反撃どころか、生きていく気力すらなくしたようだ。事実、死んだほうがよいとでも思っておるのかもしれませぬが、私はいまこそ反撃すべきと考えます」

「なぜそう思う?」

「城塞を取り囲むハルシャ軍も、おそらくこちらが満身創痍であることを知り、気を抜いておるはずです。必ず、そこに隙がある」

「その隙を突く干戈も、もはやないが」

「いや、あります。城塞の内側にはまだ数万の兵、そして外側には、正行殿が」

「ふむ――そなたは、正行を信じるか」

「信じるもなにも」


 とロベルトは肩をすくめ、


「いったいどこに疑う余地があるというのです? なるほど、今回の戦、当初の予定どおりには進んでおりませぬ。人間だれでも失敗はする、とは言いながら、その一回が致命的であればどうしようもない。しかしこの失敗は決して致命的なものではなく、必ず正行殿はこの状況下で勝利する方法を考え出すでしょう」

「どのように勝利すると?」

「さて、それは正行殿に聞いてみなければわかりませぬが、いま正行殿は作戦を実行しようにも手勢がない。おそらく東西の軍は正行殿と合流できておりましょうが、それにしても一万に足りるかどうか。ハルシャはまだ二十万近くを残しておりますから、さすがにこれでは衆寡敵せず、勝ち目はまるでない。だからこそ、城塞のなかに引っ込んだ数万の兵を外へ出す必要がある。このまま引っ込んでおってはやがて兵糧が尽き、死に場所さえ失うことは明白でございますれば」

「正行と合流できさえすれば、勝機はあるというのだな」

「勝機、ではございません。勝利です」

「おもしろい。しかし、現時点で兵を動かすことは不可能だということもわかるであろう。死相の浮かんだ兵を連れ、行き先は地獄か天上か。なんにせよ、生きた兵を使わなければ、戦はできぬ」

「そのことでひとつ提案がございます。兵の心を鼓舞するには、言葉だけではもう足りぬ。行動で示さねばなりませぬ。その行動を、お許しいただきたい」

「どうするというのだ」

「城塞の門を一時的に開けていただきたいのです。さすれば、われわれグレアムの兵三千が外へ飛び出し、ひと暴れしてやりましょう。門はわれわれが出たあとにまた閉じればよい」

「門を閉じるだと?」


 クラリスは相手の正気を疑うように目を見開き、


「それでは、そなたらが退くことも不可能となるのだぞ」

「退くつもりもないのですから、なんということはない。われわれがきっかけを作ります。その後は、あなたさまの器量で兵をまとめればよい」

「死ぬつもりか」

「活かすつもりで」


 ロベルトもクラリスも視線を逸らそうとはしなかったが、やがてクラリスはふと笑みを浮かべ、


「正行のまわりには、とくにすぐれた人間が集まっておるな」

「恐れながら、あなたさまもそのひとりかと」


 とロベルトが言うのに、ちがいないとクラリスも笑う。


「作戦開始はいつがよいか」

「明朝がよろしいかと。すでに準備はできております」

「では、そのように。そなたらの名と活躍は、必ず私が正行の耳へ届けよう」

「身に余る光栄でございます」


 ロベルトは静かに頭を下げ、天幕を出て、ちらと頭上を見上げた。

 生涯最後に見上げる夜空は、灰色の雲が立ち込めて、星のひとつも見えなかった。


「おれのようなひねくれ者には悪くねえ」


 にやりと笑うロベルトは、足取りも軽く、自軍へ戻る。

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