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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
116/122

八つの宝と風の行方 6-1

  6


 大陸東西での攻防はどちらも皇国有利と、伝令によって両軍に伝えられた。

 皇国は無論よろこびに湧き、ハルシャは屈辱に沈むが、むしろ皇国正面で繰り返される白兵戦では、常に皇国が多くの犠牲を出している現状であった。

 それというのも当然で、ハルシャは左右への展開を控えめに抑えた分、中央に厚く兵を残し、数の利でもって押しに押しているので。

 皇国側も、これに対する作戦としては、とにかく耐え忍ぶしかない。

 地形が特殊なわけでもなく、すでに布陣が済んでいる関係上、正面の敵をひたすらに防ぐしか方法がないのだ。

 数で負けているのだから、奇襲でもない白兵戦で差が出るのは当然のこと、皇国でもそれをわかっていながら、左右へ広げている兵を引いて正面に集めることもできず、これ以上に援軍を投入することも不可能である以上、じりじり削り取られていくのを理解しながら、その場に留まり続ける。

 クラリスは、一日の終わりにもたらされる不利の報告にも、決して表情を曇らせはしなかった。

 日に日に怪我人が増え、犠牲者を乗せてゆく馬車も増えて、その車輪がごろごろと鳴り、地面に轍を作ることにさえ恐怖が広がるような軍のなかにあって、クラリスはまさに光なのだ。

 兵士たちは文字どおりクラリスの明るい表情に励まされ、決して負けることはないという力強い言葉に背中を押されて、毎日戦場へ出てゆく。

 傷つき、倒れ、あるいは無事に戻っても心身ともに疲れきって、なんでもいいから縋りたいと思うところに、クラリスの声があり、姿がある。

 クラリスは一度など自ら馬に乗って戦場に飛び出し、敵の首ひとつ取って帰ったが、それもまた兵士たちの力となり、皇国軍は数を減らしながらも、また一歩も後ろには下がっていなかった。

 それがハルシャにとって予想外かといえば、実のところそうでもないようで。

 ロマンは頻繁にもたらされる報告を受け、皇国軍の力強い抗戦にも、ちいさくうなずいたきり、眉根を寄せているのは、別に心配事があるふう。


「――皇国の動きが冴えぬな」


 ロマンがぽつりと言ったのに、近くにいた兵が驚いて、


「むしろ、予想以上の抵抗を見せているのではないのですか?」

「この程度の抵抗は、死ぬ気になればできるものだ。それは決して予想以上ではない。しかし、左右へ展開した兵にしても、東西でわが軍を押さえ込んでいる連中にしても、それ以降に目立った動きがない」


 ロマンは床几から立ち上がり、天幕のなかをぐるぐると歩きまわる。


「東西のどちらも不利と報告がきているが、全滅はしていない――それが不可能なのか、それとも、皇国の連中が全滅させぬように手を抜いているのか。正面の連中も、ばかのひとつ覚えのように防御ばかり、なんの動きも起こさず、このままわずかずつ兵を削られて、気づけば身動きひとつできぬという愚を犯すつもりか」


 色艶の悪い唇は痙攣のように震え、だれにも聞こえぬ独り言、ただ天幕には呪詛のような底知れぬ声だけが反響している。


「皇女クラリスは、一度は戦場に出てきて無茶をやっている。皇国軍の兵はあれを柱に戦っておるのだろうが、しかしそれにしても――雲井正行の影が見えぬ」

「雲井正行、敵の参謀ですな」

「大将よ。クラリスはただの顔、本当の脳は雲井正行なのだ。戦闘開始直後に左右へ展開させたところなど、いかにもやつらしいが、それ以後やつの気配がない。まさか、この戦場を離れたか」

「逃げた、ということですか」

「ふん、そんな男ならおれもはじめから勘定にはいれん。無論、死んだわけでもなかろう。なにか別に理由があって戦場を離れておるのだとすれば――」


 ロマンは机に戻り、地図を見下ろして、詳細に書き込まれた草原や山々、稜線や丘に思考が走るのを指で追って、


「正面は安泰と見て東西どちらかへ直接指示に向かったか。事実、東西どちらもわが軍のほうが数で上回るが、突破ができていない――しかし東の騎馬民族が皇国に下ったといううわさもある。連中が皇国軍を率いて動いているとすれば、草原はやつらの庭、戦いが不利になるのも致し方ない。西も同様に、魔法隊という名こそ同じだが、魔法使いをより集めた即席の魔法隊と、英雄時代から独自の魔法血統を残すエゼラブルではまるで別物、歯が立たぬのも無理はない。この東西は、どちらもはじめから突破ができるとは思っておらん。エゼラブルにしても伝説の騎馬民族にしても、正面に出てこられてはやっかいなものを東西へ惹きつけておくための布石、それくらいは雲井正行も承知し、だからこそ正面の攻防がいちばん重要になってくるはず――やはりこの時期に戦場を離れるのは、ありふれた理由ではないのだ」


 ロマンの頭蓋のなかでは脳みそが激しく蠢き、合理的な結論を導き出す。


「雲井正行はどこかに別の目的を持っている――東西でないとすれば、北か」


 指をすすと北へやれば、皇国からしばらくは荒れた土地、そこから草原になり、やがては北の果て、グレアム王国の首都であるセントラム城へ行き着く。

 その向こうは、無限に広がる海である。

 ロマンの脳裏にきらとひらめくものがあり、指先が海に止まって、じっと考え込む。


「おい」


 と兵士を呼びつけ、


「おまえ、人魚のうわさを聞いたことがあるか」

「は、人魚でございますか」


 兵士はすこし考えるふう、やがて手を打って、


「どこの町でございましたか、人魚をその目で見たという商人がおりましたな」

「そいつだ」


 とロマンは兵士に向き直り、


「そいつはいったい、どこで人魚を見たと言っていた?」

「た、たしか、大陸の北の、どの国と申しておりましたか」


 兵士はロマンに睨みつけられ、恐ろしいやらなんやら、


「セントラム城ではないか。巨大な港のある、北の果ての城だ」

「ああ、そうです、そんな名前の城で。しかし、商人は舌で飯を食っているようなものですからな。伝説でもあるまいし、人魚が大陸にいるはずはありません。もしいるとしても、海の果てのどこかでしょうな」

「しかしその商人は、自分の目で見たといったのだろう。大抵の人間が、人魚などいるはずがない、うそをつくなと罵るのをわかっていて。商人はたしかに舌先で飯を食う下衆な連中だが、それゆえに信頼なくしてはその日の飯にもありつけん」

「はあ――では、その商人は本当に人魚を見たのだと。しかし、それがいかがなされました」

「人魚だ。人魚というからには、泳ぎも得意なのであろうな」

「伝説では、さよう、どんな魚よりも速く動き、どんな船よりも遠くへ出ても方角を見失わぬとか」

「ふむ――もしそうだとしたら、雲井正行め、やはりおもしろい手を使うな」


 ロマンはにやりと笑い、地図に一瞬視線を落として、


「しかし、やはり情報には気を使ったほうがよいぞ、雲井正行よ――ひとの口に戸は立てられぬが、ひとの口から出る前に首を切り落としてしまうという方法もある。もしどこぞの商人が人魚について言いふらしていなければ、あるいは成功したかもしれんが、もはやその望みもない」


 ロマンは天幕を出る。

 そこはすこし小高い丘で、ちょうど皇国軍との最前線が見える位置、いまは小競り合いも止んで、ある一定の距離で向い合って並んでいた。


「いますぐ、全軍に伝えよ。明朝、夜明けとともにすべての戦線で総攻撃を開始する。相手を完全に突破する必要はない、じりじりと奥へ押しやるのだ。いつまでも同じ戦線を維持しておる連中に、一泡吹かせてやる」

「では、すべての兵に前進を指示します」

「絶対に退くな。なにがあっても前進し続けろ。その先には様々な村があり、国がある。いつものように、略奪も暴力も好きなようにするがよい。しかし一歩でも後退したものは、すべて斬首する。後退はいかん、とにかく前進だ」

「はっ」


 伝令兵が慌てて丘を駆け下りる。

 丘の上で笑うロマンの、背中からふわりと風が吹いて、ふと振り返った風の麓、ロマンは眉をひそめ、だれにも聞こえぬ声で呟いた。


「追い風か、それとも背後から迫りくる暴風か――」

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