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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
114/122

八つの宝と風の行方 5-1

  5


 戦ははじまった。

 これが初陣となる若き兵士は、最前線から二列目に配置されていた。

 屈強な男たちの肩越しに見た、クラリスの合図。

 すかさず周囲から上がった鬨の声に、若者はぶるぶると震え、剣を持つ手もおぼつかず。

 しかし前がぐんと駆け出し、左右や後ろからも同様に地を蹴る音、それに遅れれば兵士に踏み潰されると、若者も剣を抜き払い、前方へ飛び出した。

 喉も裂けよと叫ぶうち、恐怖は自然となくなって、あらゆる呪縛から解き放たれたような身体の軽さ、そのままぐんぐんと加速し、最前線がハルシャ兵と衝突したその現場に、勢いもそのまま、彼も紛れ込んだ。

 耳元で鳴る剣戟、白刃きらりと輝いて、振り乱れるのに美しいとさえ思うが、柄を握る男たちは鬼の形相、血走った目をいっぱいに見開き、土を蹴り、相手の鎧のすき間に剣先を突き入れる。

 眼の前で朱が散った。

 がくりと倒れた味方の背から若い兵士が飛び出して、敵討ちとばかり、力任せに斬りつけるが、ぎいんと鎧が無情に響く。

 弾かれた剣を持ち直すあいだ、すでにひとり倒した敵兵が若者に跳びかかり、慣れた様子で剣を構えて鎧の肩口から身体を突き刺した。

 激痛に吠え、のたうち回る兵士には、もうだれも視線を送らない。

 新たな敵を探して立ち去ろうとする敵兵の足、彼はがしりとすがったが、軽く蹴られて振りほどかれ、悔しさに落涙する。

 血と涙に脂汗がまじり、彼の前進はしとどに濡れて、だれかが彼の腕を踏みつけ、だれかの腕が彼の頭上に落ちてくる、そこから必至に這い出すうち、自分は命が惜しいのかと自問して、彼は立ち上がった。

 さっと腰に手をやるが、剣はない、それならと、まず目についた敵に飛びかかる。

 力任せに引き倒し、腕をぐいとねじ上げれば、関節が外れるごろりとした感触、落とした剣を拾って、彼ははじめてひとを殺した。

 刺し口からどくどくと溢れ出す赤い血、それに一瞬見とれた隙に、別の敵兵に倒され、起き上がるひまもなく、ぼんやりと自分の首へ向かって振り下ろされる白刃を見る。

 ごろんと転がる生首、それをだれかが蹴り上げて、だれも気づかぬうちに土にまみれ血にまみれ。

 怒号と絶叫が同じ分だけあたりに響き、空がしくしくと泣くような。

 にらみ合う兵士に、剣の技術などあってないようなもの、一太刀でも浴びたら最後で、しかしじっと相手の出方を待つひまもないから、声を上げて飛びかかる。

 振りかぶった剣が相手の脳天を割くよりも先、ひらりと剣先ひらめいて、振り上げた両腕が肘からざくりと切り落とされた。

 そのまま地面へ転がった兵士を、相手ががつんと蹴って仰向けにさせ、逡巡もなく首を断つ。

 一方で、剣戟に勝ったはよいが、片腕を失った相手に止めを差すことができず、血に濡れた剣先をふらふらと揺らす者もあり。


「殺せ!」


 と相手が吠えるのにも怯えて、いっそだれかに後始末を頼もうかとさえ思う兵士だが、残った片腕で掴みかかられては仕方なし、地面に打ち倒し、目をぐっと閉じて、相手の首を落とした。

 頚椎を切断する感触に、刃がぎいんと震え、兵士はぞくぞくと悪寒を感ずるが、ひとつひとつの死にそれほど感傷しているひまはない。

 すぐ目前に新たな敵、ぶんと振りかぶった剣から逃げなければ、命はないのである。

 上空から見れば、そのような戦も、人間の群れがぶつかったり離れたり、奇妙な演技をしているようにすら見える。

 さらに、直接ぶつかり合う後方では、一塊になっていた兵士たちが左右へ広がり、それは両軍ともにまったく同じ動きで、陣は薄く、代わりに戦線は横へ横へと広がっていく。

 そのなかでひとつの戦いを終えた中央では、どちらかともなく兵士が引き、血にまみれてにらみ合いながら、徐々に距離をとっていった。

 この大戦の初戦は、双方ともに被害は百あまりの小規模なものとなった。

 しかしこの戦いをもって、先数ヶ月にも及ぶ戦いが幕を開けたのである。



 前線での戦闘が収まると、その怪我人が続々と運ばれてくる後方がまるで前線のような騒がしさになる。

 包帯だの止血だのというならまだよいほうで、果ては助かる助からぬまで声が飛び交う。

 荷台には血を吸って赤黒く変色した包帯や布が投げ捨てられ、怪我人は天幕のなかに収まりきらず列を作った。

 正行は、怪我人の様子を見るようにゆっくりとその列を眺める。

 五体満足でいられるほうが、この場所ではすくない。

 腕がなく、あるいは足に傷を負い、首筋を押さえる手の下から止めどなく血が溢れ出している兵士もいる。

 うめき声とすすり泣き、ぽたりぽたりと血の滴る音が聞こえるような錯覚さえ。

 正行はそこを抜け、クラリスの待つ天幕に入った。

 クラリスはすでに馬を降り、床几に座っているが、跪く正行にうなずいて、


「結果は」

「悪くはありません」


 と正行も答えるしかない。


「左右への展開も迅速に行われ、敵に包囲されるという最悪の結果はなんとか避けられそうです」

「ふむ、では今後の展開は?」

「正面を向いて闘いつつ、どちらが相手の後ろに回り込めるかという勝負になります。向こうは、数で勝っているのですから、無理に後ろをとる必要もありませんが、こちらはなんとしても敵の背後をとりたい。それを相手もわかっているはずだから、今後の主戦場は大陸の東西になるでしょう。そのあいだも正面の陣は決して緩められません。限られた戦力で、大陸の東西を守護し、あるいは敵陣を打ち破って深くまで入り込まねば」

「その東西へは、どの部隊をやるつもりでおるのか」

「東の草原地帯は、地面の起伏もすくなく兵の機動力がなによりも重要になります。そのために騎馬隊を中心に、一万ほどを。西はニナトールの領域で、あのあたりは森がすべて焼けてしまったとはいえ山々の折り重なる地形、歩兵でも進むのは困難となれば、空が飛べる魔法隊が有効です」

「抜かりないのだな」


 とクラリスが念を押すのに、正行はこくりとうなずいて、


「必ず、われわれは勝利します」

「では、そなたがよいと思うように」


 クラリスは正行に全権を預け、代わりにすべての責任を自分に背負い込む、その細い身体のどこにそれほどの力が潜むのか正行には皆目わからぬが。

 正行はクラリスの天幕を出て、ふと曇り空、見上げてぽつりと、


「あとはおれとロマンの頭脳戦か」



 ハルシャにはもともと、作戦会議と呼べるようなものはない。

 なぜといって、作戦はすべてロマンひとりが考えるものであり、兵はそれを実行する駒にすぎない。

 どれほど上級の兵になっても、よほどのことがないかぎり自分で作戦を考えることはなく、ロマンから与えられた命令を忠実にこなす、それこそがハルシャ上級兵唯一の働きなのである。

 一方で、ロマンのもとには時折、若い兵が何人か呼びされる。

 ロマンは彼らに作戦を語り、ときにはいくつかの質問を受けることで自らの思考を発展させ、整え、洗練させてゆく。


「こうして戦がはじまってしまえば、あとは手順の確認にも似る作業だ」


 巨大な机をひとつ、そこに地図を広げ、ロマンが一方に、もう一方には若い兵が二、三人。


「相手が正体不明の軍団というなら話は別だが、今回に限ってはそうではない。はじめから相手の戦力もおおよそで判明しているし、敵将の能力もだいたいはわかる。実際、こういった戦ははじまったときにはもう決着がついているものだ。兵はただその手順を推し進めてゆくだけに過ぎぬ」

「では、ロマンさま、すでにわが方の勝利は決しているということなのですね」


 と兵のひとりが阿諛追従するのに、ほかの兵士は苦々しい顔、ロマンはそれをちらと見て笑い、


「わが方の勝利が決しているかどうかはわからぬ。たとえば、いまわが軍は正面に兵を残しながら左右へ展開しているが、皇国軍もまたまったく同じように左右への展開をはじめている。これはつまり、こちらと向こう、有効だと判断した手が同じということだ。すばやく左右へ展開することで相手の後ろをとることができるが、どうやらこのまま兵を左右へ展開させるだけではむずかしい。となれば、次に、大陸の東西に残しておいた兵を動かす」


 ロマンは地図の上で指を踊らせ、


「機動力に重きをおいたこの兵がすばやく大陸の左右を制圧することで、敵を正面と左右から攻撃することが可能となる。これが成れば、わが方の勝利は確実になるであろう。しかし最善の手だからこそ、相手もまたその手を読むことができる。互いに相手が最善の選択をするであろうことがわかっているかぎり、実際に兵を使うのは無駄ですらあるのだ。東西に残しておいた兵は、おそらく皇国軍によって防がれるであろう。そこを突破できるかどうかは兵の力にかかっておる。もし突破できればわが方の勝ち、反対に突破を許せばわが方の負けという具合に」


 負けというその一言に、若い兵たちはわずかに身を引く。


「そうしてすこしずつ勝敗が決してゆくのだ」


 ロマンは兵士たちの顔をじろりと見て、唐突に興味をなくしたよう、椅子の背もたれに身体を預け、目を伏せる。


「もうよい。隊列に戻れ」

「はっ――」


 若い兵士は敬礼を残し、ロマンの天幕を去るが、入れ替わりに入ってきた兵士に、ロマンはわずかに指先を振って、


「あの兵士たちの首を切れ――いつものようにな。頭のなかで作戦を詰めるにはこうして話すのがもっとも有効だが、おれの軍におれの作戦を知るものは必要ない」

「はっ」


 すぐに兵士が出ていって、天幕の外でばたんばたんと乱闘、やがて鳥の首を締め上げたような悲鳴が聞こえるのにも、ロマンはまるで知らぬ顔。

 ただ目を閉じ、うなだれて、起点を得た思考を進めていく。

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