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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
113/122

八つの宝と風の行方 4-2

  *


 ハルシャ軍が皇国正面に布陣するか、あるいは大陸の左右へ流れるか、それが皇国軍にとっていちばんの関心事だったが、ハルシャがどうやら正面からくるらしいと斥候から報告が上がるや否や、二十万にまで膨らんだ皇国軍もまた皇国正面に集結した。

 なかには、正規の兵士のほか、金で雇われた傭兵、普段は農具を持っている地方の若者まで含まれ、従軍する世話人もまた数万を数えて、夫が兵士、妻が料理番など、夫婦揃ってこの戦争に参加している人間もすくなくなかった。

 そのような、本来戦争に関わり合っていない有象無象をまとめることこそ至難の業、とくに数が増えれば増えるだけ統率力を必要とするが、そこは準皇クラリス、皇族であるという強みと自らの能力を遺憾なく発揮し、ひとまずは兵をひとつの集団とまとめ、皇国の前にずらりと並べる。

 グレアム王国からは六千の兵、そして正行が戦列に加わっている。

 正行は合流するや否や、クラリスから遅かったなと至極当然の当てこすりを食らったが、幸いだったのは到着がハルシャが皇国に寄るわずか数日前であったこと、できの悪い言い訳でごまかしているあいだに、それどころではなくなる。

 二十万の皇国軍に対し、ハルシャ軍は三十五万を数えた。

 それがどろどろと黒く邪悪な海のように皇国へ寄るさまは、さながらこの世の終わりを思わせたが、そのままハルシャ軍が皇国を飲み込むようなことなく、皇国からある程度距離をとったところでぴたりと進軍が止まった。

 それに伴い、皇国軍もまた進軍を止め、両者は互いに目視はできるが言葉は届かぬ程度の距離で向き合うこととなる。

 最前線に並んだ兵士はみな緊張し、すぐに剣を抜けるよう、鞘に添える手もぶるぶると震え、首筋を汗が伝うが、まだ剣を抜いてよいという許可は下りていない。

 ハルシャ軍も同じような状況であることは、目を細めてみればわかる。

 だれもが開戦の合図を待ち、じりじりと震えながらその瞬間を待った。

 おそらくこの状況で緊張していないのは、ハルシャの皇帝ロマンと、皇国軍を率いる準皇クラリスくらいのもの。

 クラリスは自軍の天幕で、いつもと変わらぬ様子、馬に乗るからと男勝りなズボンを履いて、長い銀髪をぎゅっと絞り、口元には薄い笑み。

 そこに兵士が駆け込んできても、焦るような素振りは一切見せず、


「く、クラリスさま。待機中の敵軍から、ロマンと思われる男が単騎で前に出てきました。い、いかがなさいますか」

「ふむ、ご丁寧に宣戦布告までしてきたのだ。こちらが礼を失するわけにはいくまい」


 とクラリスは立ち上がり、


「馬を出せ、単騎でよい。すこし話をしてこよう」

「し、しかし、クラリスさま、相手は残虐非道で聞こえるロマンであります。もしなにか企んでいるとしたら、単騎で行くにはあまりに危険です」

「危険なのは相手も同じこと。ここでずらずらと男たちを引き連れては、なんだやはり臆病な女めと思われるのも癪であろう。心配せずとも、剣の心得なら多少ある」


 クラリスはにやりと笑い、天幕の外、兵士の制止を振りきって馬に飛び乗れば、ずらりと並んだ兵士たちを縫って前へ出る。

 目の前、両軍のちょうど中間地点に、馬に乗った男がひとり。

 中肉中背の、特徴のすくない男だが、目だけが異様に炯々と、クラリスは一目でロマンと知る。

 巧みに手綱を操って馬を寄せれば、ロマンはにやりと笑って、


「皇女さまは豪胆なりと聞くが、うわさばかりではないらしい」

「そう言われるために単騎で出てきたのだ、ありがたく聞く」


 ふたりの距離は数メートル、向かい合い、クラリスの銀髪が風にゆったりと揺れる。

 互いの馬はいななきもせず、わずかに頭を上下させ、穏やかそうな目を相手に向けていた。


「ハルシャのロマンか」


 クラリスはわずかに目を細めた。


「はじめて見るが、思ったよりも小柄だな」

「よく言われる」


 とロマンも笑い、


「おれの見た目は、どうも平凡らしい。それと中身は関係のない話だが」

「ふむ、たしかに――して、なぜ単騎で出てきた? 豪胆自慢なら、このまま一騎打ちでもするか」

「いささか好戦的すぎるな、皇女。おまえの手綱を持つ男は苦労しそうだ」

「ご心配なく、すでに手綱を持つ男は決まっておる」

「雲井正行か?」

「知っていたのか」


 クラリスがすこし驚いた顔を見せると、ロマンはにやりとして、


「推測さ。おれも雲井正行には興味がある。まあ、追々会う機会もあろうが――今回こうして出てきたのは、延々睨み合っても仕方がない、そろそろ戦争をはじめようという話だ」

「ふむ――偶然だな。私も同じように思っていたところだ」

「油断ならん女だ」

「油断ならん男がいるせいだろう」

「ちがいない――では、合図はそちらがやればよい」

「いつでもよいのか?」

「勝手に」


 とロマンが馬を引き返し、兵士のなかへ戻ろうとした後ろ、クラリスは腰に帯びていた剣をすらりと抜き払い、剣先を空に向けた。

 ロマンがちらと振り返るのに、勝ち誇った笑みを浮かべて、


「全軍、突撃!」


 ぶんと空を斬れば、それを鬨に、皇国軍がおうと応えて一斉に前進をはじめた。


「やはり、油断ならん女よ」


 ロマンはぽつりとつぶやき、自軍に戻り、クラリスよりはいくらか静かな口調で命じた。


「迎え撃て、ハルシャ軍」


 ――こうして、大陸を二分する最初で最後の大戦がはじまったのである。



 何重にも重なった皇国軍のしんがりで、正行は声だけで戦がはじまったことを知る。

 天を響かせる絶叫に、周囲の兵士もごくりと唾を飲み、持つ武器を握り直すが、正行とそのとなりに立つロベルトだけは表情を変えず、ただ互いに、


「はじまったか」

「おう」


 と答えるばかり。

 正行にとっては、ついにはじまったという感覚以上に、遠からず終わりがくるのだという諦念にも似た気持ちが強い。

 周囲にずらりと並ぶ兵士たち、数千、数万の彼らのうち、いったい何人が生きて故郷の土を踏めるか。

 そして自らも、無事に帰還できるかどうか。


「なあ、ロベルト」

「ん?」

「笑われるかもしれないけど、おれ、はじめて死にたくないって思うよ」

「そいつはいい」


 ロベルトは景気よく笑い、


「死んでもいいと思う兵士は、いつか死ぬもんだ。最後の最後まで生き残るのは、絶対に死にたくないと思う兵士なんだよ。つまり、戦ってのは死にたくないと思う兵士がひとりでも多いほうが勝つんだ」

「なるほど――そういう理屈もあるか」


 しかし死にたくないと強く願うだけで生き残れるはずがないことを、正行は知っている。

 勝つためには、行動し、戦わなければならない。

 正行はひとりでも多くの人間が生き残れるように、戦いをはじめた。


「予定どおり、兵を左右に展開しよう。相手よりも早く展開できたら、それだけでぐんと勝利が近づくぞ」

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