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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
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八つの宝と風の行方 4-1

  4


 北の海からびゅうびゅうと吹いていた風も、いまやすこし弱まって、いわゆる初夏の雰囲気、日差しはすっかり夏模様だが、風はまだ涼しく、めぐる季節のなかでもっとも過ごしやすい時期である。

 北の果てにあるセントラム城は、それでもまだいくらか肌寒い日もあり、兵士たちが野外で訓練するにはちょうどよい気候、燦々と照りつける太陽の下、ロベルトは腕組みして兵の訓練を見守りながら、ふと手を庇に、空を見上げる。


「ううむ、天気はよいが」


 というのももっともな話、今日はいかにも初夏らしい晴天で、風はあるが雲は見えぬまま。


「しかし、遅いな」


 兵士の話ではない。

 姿を消して、早一月ほど、グレアム王国の女王アリスと、軍師雲井正行のことで。


「いい加減戻ってこねえと、隠すのにも限界があるぜ」


 いまのところ、かろうじてアリスと正行の消失は極秘のうちに留められている。

 しかしまったく姿が見えぬことを不審がる声がないでもなく、正行は日ごろからあまり城にもいないために言い訳のしようもあるが、アリスの姿がないことをごまかすのはむずかしい。

 そこで、アントンとロベルトが協力して考えた作戦というのが、


「おお、アリスさまだ。今日もお元気そうでなによりだ」


 と兵士たちが上げる声につられて城を見上げれば、城下町に面したテラス、ずいぶん遠目だが、女王の服を着て手を振る人影がちらちら。

 ロベルトはそれにぽつりと、


「大変だなあ、クレアも」


 と呟くはるか頭上、偽アリス、偽女王としてアリスの衣装をまとい、城下町に手を振るクレアは、いまにも泣き出しそうな顔つきで。


「うう、ば、ばれないでしょうか。もしばれてしまったら、わたし、わたし」

「心中お察ししますが」


 とテラスの奥に控えるのは、近ごろ正行の懐刀というあだ名のついたヤン、


「これだけ遠目ですから、きっと顔まではわかりませんよ。それに一瞬なら、アリスさまに似ていないこともないし」

「ほ、本当ですかあ?」

「まあ、そういうことにしておきましょう。しかしいつまでも影武者で通すわけにもいかないし、アリスさまと正行さまには早く戻ってきてもらわなければなりませんね」

「本当に」


 はあとクレアはため息をつき、


「おふたりは、いまごろどこにいらっしゃるのでしょうか。この大陸のどこかにいらっしゃるのかしら」

「あのあと、コジモさまが文献をお調べになったそうですが、いくつも相反する伝説なら見つかるものの、確証はないようで。まあ、英雄の秘宝そのものが、いまやほとんど忘れ去られたものですからね。それが八つ揃ったときの効果ともなれば、おそらく英雄の時代から何百年も起こったことがないでしょうから、正確なところはだれにもわからないものかもしれません。まあ、正行さまとごいっしょですから、アリスさまの安全に心配はありませんが」

「でもこのまま、もし戦争がはじまってしまったら?」

「そのときは……正行さま抜きで、やるしかないのでしょうね」

「そ、そんなこと、できるのでしょうか。皇国にはなんと言えば?」

「あるがままを言うほかないとは思いますが――でも、正行さまがいない分は、ぼくたちががんばらないと」


 ヤンはぐっと拳を握り、使命感に瞳を光らせる。


「いままでは正行さまがすべてやってくださっていましたが、本当ならその負担は全員で背負うべきなのです。それをいままで正行さまひとりに押し付けていた形だったのですから、むしろ正行さまがいないいまこそ、われわれの力が試されているといっても過言ではありません」

「は、はあ、たしかに」

「それに正行さまはもうある程度の作戦を考えて、残しておられますから――最悪、正行さまが戦争に間に合わなかったとしても、われわれだけでなんとかやっていけると思います」

「そうするしか、ありませんよねえ」


 クレアは息をつき、ヤンは意気込むが、どちらも、まさか正行とアリスがこのまま戻ってこないとは信じていない。

 必ず戻ってくるはずだが、もし戦争のはじまりに間に合わなければ、という意識は、ロベルトやアントンにも一致している。

 そのため、いまは徐々に正行が間に合わない場合に向けて指揮系統や作戦を組み直しているところ、それをいつどのように皇国へ伝えるかというのもむずかしい問題で。

 最終的にはアントンあたりが皇国へ伝えることになろうが、どう伝えても皇国の、準皇クラリスの不興を買うのは必至、うまくやらなければ戦争前の一波乱もありうる。


「とにかく、正行さまとアリスさまを信じて待つしかありませんね」


 クレアも、もしものときは自分がしっかりしなければと侍女ながら決意して、表情を引き締める、それをヤンがぼんやりと眺めて、


「クレアさんは、もしかして、正行さまのことがお好きなので?」

「へ?」


 と気の抜けた声、クレアはぽんと音を立てるように顔を赤らめて、手足をじたばた、


「そ、そんなことありません! も、もう、ヤンさんったら、おかしなことおっしゃるんですからっ」

「そ、そうですか? ぼくの気のせいかな……」

「わ、わたしが、正行さまのことを、そ、その、す、すす――」


 唇を尖らせて打ち震えるクレアの後方、よく晴れた初夏の空に、ぽつんと黒点ひとつ。

 はじめはだれも気づかなかったが、それがぐんぐんと城に近づくのに、下から見上げていたロベルトがいちばんに気づく。


「あれは――魔法使いか?」


 この時期に魔法使いがやってくる、その意味をだれよりもよく理解しているロベルトは、兵士をその場に残して城のなかへ駆け戻った。

 一方テラスでは、クレアがまだ説得力のない反論を続け、そのたびに墓穴を掘っていたが、ヤンがふと気づいて指をさしたときには、もう人影がはっきり判別できるほどに近づいている。

 黒いローブが風になびき、燃えるような鮮やかな赤毛を後ろでひとつ括りにした女、エゼラブル王国の王女ロゼッタである。


「おっとっと――」


 テラスの手すりに降り立ち、勢い余ってたたらを踏んだロゼッタは、なんとかその場にとどまって、あれと一声、


「アリスだと思ったら、ちがう?」

「あ、あの、あなたは――」

「エゼラブルの王女、ロゼッタよ。アリスか、正行くんはいるかしら」


 クレアとヤンは互いに顔を見合わせ、ヤンが相手の出方を窺うように、


「女王か正行さまに、なにかご用ですか」

「ご用っていうか、報告にきたの。ハルシャ軍が動き出したよって」



 正行は久しぶりのスプリングがよく効いたベッドで、眠れぬ夜をすごした。

 照明を落とした部屋のなか、それでもカーテンを開けていれば完全な暗闇ではなく、どこからともなくうっすらと青白い光が輝き、満月かと思って空を見ればなんのことはない曇り空、星のまたたきひとつ見えやしないが、立ち込めた雲がうっすらと発光して見えるほど、町は明るい。

 ベッドに寝転がり、天井を見上げていると、そこに明かりで模様が生まれ、ときおり下の道を車が通れば、そのヘッドライトが別の陰影をつける。

 別段おもしろいものでもないのに、目を閉じていられないのは、それほどまでにこの世界が名残惜しいせいで。

 無理もない、正行は今晩、この世界には二度と戻らぬと自らの意志で決めたのだ。

 はじめは、わけもわからず異世界へ放り込まれ、そこで生きていくしかなかったが、今度は自分で選択したのである。

 アリスの言うとおり、この世界にいれば、戦争に巻き込まれることもないし、血なまぐさいこととは無縁に生きていられる。

 ひとに殺されるような恐怖もなく、常にぼんやりとした平和のなか、まどろむように生きるのもきっと悪くはない。

 しかし正行は、必要に迫られるのではなく、自分の意志でこの世界を拒絶した。

 すっかり退けてしまったあとには、ただただこの世界が愛おしく、まばたきのあいださえ惜しい。

 できるだけこの世界を眺め、感じていたいのだ、自分が生まれ育ったこの世界を。

 正行はそうして眠れぬ夜をすごし、まだ朝とも言いきれぬ夜明け前、枕元のデジタル時計は四時五分の表示。

 ベッドから起き上がり、服を着替えていると、廊下でぺたぺたと足音、開けてみれば、白いドレスに着替えたアリスが立っている。


「一巳は?」

「よく眠っていらっしゃいます」

「そうか――あいつ、一回寝たら引っ繰り返しても起きないからな」

「そのかわり、腕のなかを抜けてくるのが大変でしたけど」


 どうやらひとつのベッド、抱き合って眠っていたらしい。

 正行は自分の準備も整っていることを確認し、言った。


「それじゃあ、行くか」

「はい」


 ふたりは照明もつけず、まるで駆け落ち、できるだけ床を軋ませないように階段を降り、玄関で靴を履いて、わずかに押し開いたすき間からするりと抜け出す。

 あともゆっくり扉を閉め、鍵をかければ、夜明け前の清々しい空気、それも向こうで吸う空気にははるか劣るが、まだ暗い空に、なにやら心がざわつくような、落ち着かない気分になる。

 しかし彼らはふたり組、正行がそういう気分なら、アリスが彼の手を引いて。

 だれもいない暗い路地を、ふたりは音もなく進んだ。

 正行は何度も立ち止まり、あたりを見回して、灰色の雲が立ち込めた空や、等間隔に並んだ街灯、その根元のあたりだけが照らされて、水玉柄のように明暗が切り替わるアスファルト、森閑に沈んだ家々の風景をしっかりと目蓋に焼きつけた。

 結局、家族にはなにも伝えていない。

 せめて一巳には、異世界で体験したこと、そして二度とこの世界には戻らないことを説明しようかと考えた正行だったが、それをじっくりと行うには時間が足りなかったし、どれだけ時間をかけたところで一巳を納得させるのはむずかしい。

 それならと、家族の信頼を裏切る気持ちで、書き置きひとつ残さず、正行はこの世界を去ることにした。

 その選択が正しかったのか、いまだに決心はつかないが、この世界にいられないことだけはわかっている。

 アリスには、信頼だのなんだのと言葉を尽くし、それらしい理由をでっち上げたが、正行の心中、深くわだかまるのは、自身の残虐な性格で。

 どんな必然性があり、またそうしなければならなかったにしても、間接的にひとを殺したその手で一巳や家族に触れ、その言葉で彼らに接することは、正行には許せなかった。

 あの世界においては英雄でも、この世界ではただの人殺し、それが正行のなかに巣食って、最後まで払いのけることができなかったのだ。

 ふたりは狭い路地を通り、例の鎮守の森、その前に立つ。


「さて、ここまできたはいいけど、どうやって向こうの世界に戻ったもんかな」


 正行がぼやくのに、アリスは首から下げた貴石をきゅっと握り、


「きっと大丈夫です、向こうの世界へ戻りたい気持ちがあれば」

「――そうか。ま、そうだな。それ以上にできることもないし」


 正行のほうから、先にアリスの手を握った。

 アリスもそれを握り返し、鎮守の森に向かって、ふたりは目を閉じる。


「そういえば――」


 と正行が口を開いたとき、ふたりの周囲には淡い光がただよいはじめていた。


「言い忘れてたけど――向こうに戻っても、おれはアリスのそばにいるよ」

「でも――」

「ハルシャとの戦争に勝って、皇国からひとつ褒美をもらえるなら、おれはアリスをもらう。向こうの世界で、いつまでもいっしょにいよう」

「――はい」


 アリスの返答があるか否かというところ、流星のような一瞬の輝き、それが消え去ったとき、暗い路地にふたりの姿はなくなっていた。



 ロベルトとアントンはさすがに困ったような顔、見つめ合うのも気味が悪いが、そうせざるを得ない現状に、出てくるものはため息ばかりで。


「ハルシャが動き出したとあれば、われわれもすぐに兵を出さねばなるまい」


 アントンがぽつりと言う。


「正行殿は間に合わぬか」

「まあ、まだ時間はあります。兵を皇国へやって、そこから戦闘がはじまるまでのあいだに正行殿が戻ってくればいいんだ」

「それにしても、間に合う保証はどこにもないがな」


 冷静にアントンが言うのを、ロベルトもうなずき、資料室、机に並べられた秘宝を眺める。

 この秘宝が正行とアリスをどこかに連れ去ったというなら、早く返してほしいものだと息をついた矢先、じわりと染み出すように秘宝が光り出す。


「なんだ――まさか」


 ロベルトとアントンは、またなにか起こるのかと秘宝から距離をとる、そのあいだも光はぐんぐんと強さを増して、資料室全体が白く清廉な光に満たされた。

 滂沱の光にふたりは目を細め、手で覆うが、前触れもなく発光をはじめた秘宝たちは、前触れもなくそれをやめた。

 光がすっと秘宝のなかに引き戻され、ぱちぱちと瞬き、驚いた顔のロベルトとアントンの前に、ふわりと黒髪が舞う。


「――遅刻寸前だぜ、正行殿」


 ロベルトが言うのに、姿を現した正行はアリスの手を取りながら立ち上がって、


「なんとか間に合ったか?」

「危ないところだけどな。さっき、エゼラブルからハルシャが動き出したって報せがきた。すぐにこっちも兵を動かさねえと、皇国での集合に間に合わない。すぐ出られるか? 行方不明になる前に言ってた、武器の改良も一応できてるぜ」

「わかった、すぐに出よう」

「アリスさまも、よくご無事で」


 とアントンが頭を下げるのに、アリスはゆっくりとうなずき、それはもう女王としての笑顔で。

 正行はアリスの手を離し、臣下として跪き、言った。


「それでは、アリスさま、ハルシャとの戦争に行って参ります。必ずや勝利を持ち帰りましょう」

「あなたの言葉を、わたしはいつまでも信じています」


 アリスはそっと正行の頭に触れ、加護を与えて、彼を戦地へと送り出した。

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