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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
107/122

八つの宝と風の行方 1-2

  *


 正行のエゼラブル訪問をきっかけに、グレアム王国はいくつかに分かれて周辺諸国との連携を強め、また出兵の申し出を行うことになった。

 実際、ハルシャによる皇国への宣戦布告、それに伴う皇帝名義の出兵の願いはすべての国に送られていて、各国が独自に連携強化をする必要はあまりなかったが、グレアム王国の場合、皇国やその他の国と没交渉の集団と知り合っており、その最たる例が大陸から遠く離れた島に暮らす人魚たちである。

 本格的な冬が訪れる前、雪によって港が封鎖される前に巨大帆船アリス号でセントラムを出たのは、かつて数ヶ月人魚の島、カルミア島で暮らし、住民や人魚たちとも面識のあるコジモとその弟子ふたり、ファビリオとブルーノの三人で。

 一月ほどの航海の果て、ようやくたどり着いたカルミア島は以前のとおり、海は常に凪ぎ、鮮やかに輝くような緑色、太陽の光が水面に揺れて、吹く風もほとんど体温と同程度。

 カルミア島唯一の人間が暮らす集落であるカルミア村は湾の奥にあったが、そこまで巨大なアリス号で進むことはできず、コジモはふたりの弟子を連れてちいさな手漕ぎの船に乗り換え、湾へ入った。


「まだ一年くらいしか経っていないのに、妙に懐かしいものですね」


 岩に抱かれるような湾のなか、ファビリオがぐるりと見回しながら呟く。

 外海も凪ぎだが、湾のなかはほとんど湖のよう、底に溜まった白い砂が透けて見えるなかを、手漕ぎの船が立てる波紋だけがゆっくり広がってゆく。


「ここでえらくでかい魚を仕留めたんだよなあ」


 とブルーノもぽつり、


「いまから考えたら、よく成功したもんですね。この湾と同じくらいもあった化け物を退治するなんて」

「たしかにの。あのときは、全員が夢中だったが」


 三人の船が、湾にぬっと突き出した桟橋に着岸するころには、村からもわらわらと村人が現れはじめる。

 ファビリオとブルーノはしっかりと船を舫い、かつて世話になった村人の顔を見つけると、ぱっと顔をほころばせた。

 それは村人も同じで、よくきてくれたのなんだのとわいわい、久闊を叙するのに余念がないが、コジモはそのなかに村長の姿がないのに気づき、


「村長は、ご自宅におられるのかの。それにどうやら、村人の数がすくないようだが」

「ああ、それは」


 と素朴な村人たちは顔を見合わせ、いたずらっぽく笑った、


「実は、カルミア村はふたつに分かれたんです。いまではむしろ、もうひとつの村のほうが人数も多くて」

「ほう、村が分裂したのか」

「もちろん、争いなんかがあったわけじゃありません。ただ、人魚とともに暮らすには、ここではすこし遠すぎるので。どうぞこちらへ、新しい村へ案内します。村長もそちらに」

「では頼もうかの」


 村の若者は、コジモたちを森のほうへと案内した。

 両側には熱帯にしか生息しない、ずんぐりとした木々が生い茂り、地面は石造り、コジモがこの島にいたころはだれも使うもののいなかった遺跡めいた古い道が新しく整備し直されている。

 そこをまっすぐ進むと、なみなみと水の溢れる巨大な穴。

 以前は打ち捨てられていたのが、これも周囲をぐるりと石で囲んで、地面に空いた立派な扉のような様相で。


「こちらです」


 通路は大穴を迂回し、さらに森のなかを進む。

 ブルーノが森のなかは蒸し暑いとぶつぶつ言いはじめたころ、ようやく新しい村が見えてきた。


「ここです。いまわれわれは、ここで人魚とともに暮らしているのです」

「ほう――これはまた、なんと壮大な」


 森を抜け、さっと視界が開けたかと思えば、目の前に広がるのは大陸のどんな国にも存在しないような、巨大にして荘厳な街並みである。

 家々は白い大理石で作られ、ひときわ巨大な宮殿を思わせる建物に、ぐるりと螺旋模様が描かれた柱、現在の住居としても、古代の遺跡としても桁外れに巨大で立派で。

 しかし通路を降り、近くで見てみれば、家々の壁や柱にはことごとく貝が張りつき、あるいは海藻の名ごりがそのまま残って、この町が長年水のなかに沈んでいたことがすぐに理解される。

 コジモはざらついた石の表面を撫でながら、


「この町に暮らしておるのか」

「いえ、実際に住んでいるのはもっと先です。ここは遺跡として、管理はしていますが、実際には住んでいません。われわれにはあまりに大きすぎる町ですからね」

「ふむ、なるほどの」


 古い町のなかをゆけば、その突き当たり、海との境界線ぎりぎりに、いかにも急ごしらえの家がずらりと並んでいる。

 どうやら前の村にあった家を一度解体し、それをまたここで組み立てたようで、背後の巨大な町に比べればいくらかみすぼらしいが、それが決して悪い印象ではない。

 村の若者がアリス号の到着を伝えているあいだ、コジモが海を覗き込むと、澄んだ水のなかで美しい人魚がゆったりと泳いでいた。

 思わず見とれるような光景に、向こうもはっと気づいて水面に顔を出せば、それがちょうど、去年の冬にセントラム湾へ流れ着いた人魚、フローディアで。

 水が滴る金髪は変わらず輝き、瞳も同様にきらきらと光って、


「コジモさま! いつこちらに戻られたのですか?」

「たったいま、アリス号できたところだ。またすぐ大陸へ戻らねばならぬがの」

「そうなんですか――あの、それで、ここへはおひとりで?」


 とあたりを見回すフローディアに、コジモはちいさく笑って、


「あいにく、正行殿はきておらぬのだ」

「そ、そんな、そういう意味ではなかったんですけど」


 とフローディアは赤い頬、ちゃぷんと水面に沈めて冷やせば、後ろから村長が駆けてくる。


「おお、コジモ殿、お久しぶりです。お元気そうで」

「村長こそ、病もないようで安心しました。しかし、なかなかよい場所ですな」

「そうでしょう」


 村長は目を細め、自慢げにあたりを見回した。

 古く立派な町の端に立つ、新たな人間の住処、波打ち際も大理石で固められ、奥の海には人魚たちが暮らす――コジモはある種奇妙なこの風景を、かけがえのない美しいものと感じた。


「われわれは、もう過去の過ちから目を背けることをやめたのです。この遺跡は罪の遺跡、できればなきものとして扱いたいが、それではまたいくつか世代を超えるうちに忘れられてしまう。この遺跡の目の前に暮らすことが、われわれにとっての贖罪なのです」

「ふうむ――村で相談し、それがよいと決めたのなら、その選択がもっともよいものであろう」

「われわれもそう信じています――ところで、どうしてまたこの島に? いえ、あなた方がきてくださることは村人にとってもよろこばしく、また人魚たちもそうなのですが」

「うむ、これがなかなか、話しづらいことでの。平和な話ならよかったのだが、こちらもいま平和には暮らせぬ状況なのだ」

「大陸で、なにかあったのですか」

「大陸を真っ二つに割る、最初で最後の大戦が控えておる。このために、われわれはひとりでも多くの戦力を集めねばならぬ。今回はそのためにきたのですよ」


 重々しく、悔しさを噛み殺すようなコジモの口調に、村長は感ずるところがあるらしい、きっと表情を引き締めて、


「われわれは一度、あなた方によって救われたのです。今度はわれわれがあなた方のお役に立つ番です。われわれにできることはありますか?」

「いや、村人には、とくにないのです。日々を漁で暮らす彼らに、いまさら剣の扱いを教えても無駄でしょう。ゆえに、今回われわれが助けを求めたいのは、人魚たちなのですが」

「わたしたちも、気持ちは村の方々と同じです」


 海のなか、フローディアはぐっと拳を握った。


「いまこうして暮らせているのも、みなさんのおかげです。その恩をお返しなければ」

「ううむ、そう言ってもらえると救われるがの。本来であれば、このような平和な島に戦火は持ち込みたくない。正行殿も最後まで悩んでおったが、今度ばかりは致し方がない。負ければ、大陸はハルシャによって支配され、必ずや暗黒時代となろう。それを防ぐために、力を貸してくれ」

「もちろんです。ほかの人魚たちに伝えて、すぐに準備を」


 フローディアはとぷんと水面に波紋を残し、水中でぐんぐんと加速していく。

 コジモはその様子を見、ついで空を見上げて、ちいさく息をついた。


「これも正行殿の人望がなせる技かの。彼がいなければ、果たしてこの戦どうなっていたか――」



「あ、あの」

「しゃべるな。何日も前からこのあたりをうろついている怪しいやつめ」


 剣先をぐいと首元に押しつけられ、あまりに無造作なその仕草に、ヤンは声にならぬ悲鳴を上げる。

 相手の首筋に剣を突きつけて顔色ひとつ変えぬのも恐ろしいが、その人物が馬に乗っているというのもまた恐ろしい。

 もし馬が気まぐれで一歩蹣跚しようものなら、剣先は容赦なくヤンのやわい肌を貫くであろうし、場所が場所、首に重症を負って生きられる望みも低い。

 ヤンは無理に逆らわず、ばっと両手を掲げて敵意がないことを主張する、その周囲を何重にも取り巻く馬に乗った男たち。

 唯一、ヤンに剣を突きつけている人間だけが男ではない。

 まだ子どもらしい、ふっくらと丸い顔をした少女。

 おそらくは十二、三歳であろうというのが、ヤンの首筋ぎりぎりに剣先を当て、馬をぴくりともさせず、また風がそよいでも剣先を揺らさぬ。

 その技量には素直に感服するものの、それを表現できぬヤンの現状であった。


「いったいなにが目的だ。どこの者だ?」


 馬上から少女がじろりとヤンを見る。


「あ、あの」

「しゃべるなと言ったろう」

「い、いや、しゃべらずに答えるのは無理ですよっ」

「ふむ――では、こちらの質問にだけ答えろ。それ以外をしゃべった瞬間にこのまま刺し殺す」

「りょ、了解であります……」


 少女以外に助けを求めようにも、肩口では別の馬が鼻息も荒く頭を上下させ、その上から厳しい顔の男たちがぐいとにらみつけているものだから、剣を持っているとはいえ、まだ顔そのものに恐ろしさがない分少女のほうがよい。


「見たところ、騎馬民族ではないな。どこの人間だ。このあたりの草原はわれら騎馬民族のものと知っての不審か?」

「じ、自分は不審者ではありません。グレアム王国の兵士であります。このあたりにミーチェという方がいると伺い、何日か探しておりました」

「グレアム王国の兵士だと?」


 少女の表情がすこし揺らぐ。


「ミーチェというのは、あたしのことだ。あたしの名をどこで聞いた?」

「正行さま――雲井正行さまから」


 その名に男たちがどよめくのを、少女が視線で制する。


「正行の名は有名なんだろう、知っているぞ。おまえが正行の名を知っているからといって、正行の仲間とは限らない」

「あ、あの、自分が正行さまの命でここにきたことを証明するために、正行さまから伝言を承っています」

「伝言?」


 いいのかなあ、とヤンは心中ぼやく、こんなことを言って、斬り殺されないんだろうか。

 でも、正行さまは言えと言っていたし、そのときなんとなくにやにやしていたのが気にかかるが、仕方ない。

 ごほんとひとつ咳払い、ヤンは記憶のとおり馬上のミーチェに言う。


「すぐに酔っ払ってだれかの膝で寝るくせは直ったかミーチェ――ということであります」


 背中でだれかが咳き込む声、振り返れば、馬上の男たちは背中を丸めて震えている。

 首にひたりと冷たいものが当たるのにヤンが飛びのけば、ミーチェはぷるぷると剣を震わせ、真っ赤な顔、


「ま、正行はどこにいる? いますぐ行って斬り殺してやるっ」

「まあ、待ちましょうよ、頭領」


 と男のひとりが笑い声を隠そうともせず言って、


「どうやらこの兵士が正行殿の部下だというのは本当らしい。いや、すまんな、なにかと物騒な世の中だ。われわれも警戒せずにはやっていけないんだ」

「いえ、その、わかっていただければよいのですが――あの、伝言の意味はなんだったんでしょう」

「う、うるさい、おまえは知る必要がない暗号だ!」


 ミーチェは剣を鞘に収め、くるりと馬を回す。


「それで、正行の部下がなんの用だ。そもそも正行自身ではなく部下を送るとは、えらくなったものだな」


 ふんと鼻を鳴らすミーチェに、別の男はぽつり、


「悪癖をばらされて照れているだけだ、気にするな」

「だ、だれが照れているんだ! さっさと目的を言えっ」

「は、はあ、では――正行さまから親書を預かっているんです。それを直接ミーチェさまに手渡してくれと」

「親書?」


 ヤンが後生大事に抱えていた親書を手渡すと、ミーチェはその場で乱暴に封を切り、それから首をかしげてヤンに突き返した。


「あ、あの?」

「読め」

「は?」

「読み上げろ。われら気高き騎馬民族は文字など用いないのだ」

「は、はあ、では読み上げますが――ミーチェへ。酒を飲むととりあえず近くにあるものに抱きつく癖は直りましたか。近ごろはめっきり寒くなり、酔っ払ってそのまま寝たりしないよう――」

「そんなところはいい、用件だけを読み上げろ!」

「りょ、了解であります」


 あたりから聞こえてくる忍び笑いに負けぬよう、ヤンは声を張り上げる。


「次の夏、大陸全土が戦場になる。大陸の南をほぼすべて制圧したハルシャと、皇国を中心とした大陸北部の諸国の連合軍がぶつかるせいだ。規模は大陸に暮らす人間すべてが戦場に放り込まれるほどになる。もちろんグレアム王国は皇国軍として戦争に参加する。そこで、みんなにも皇国軍の一部として動いてもらいたい。無論、皇国との関わりが直接ないみんなが戦争に参加する理由はない。参加しても得られるものはなにもなく、参加すれば全滅の可能性もある。強制ではなく、あくまで平等な立場としての懇願だ。いまはひとりでも多くの戦力がほしい。どうか力を貸してくれ」


 読み終わると同時、草原にざあと風が鳴り、ヤンの手から親書を奪い取り、空高くに舞い上げた。

 それがゆらゆら、風に翻弄されて落ちてくれば、ミーチェが受け取ってそのまま握りつぶす。


「あたしたちに、皇国のための犠牲になれというのか。あたしたちは皇国ができる前からこの草原で暮らす誇り高き騎馬民族だ。皇国はなにひとつあたしたちに与えてくれなかった。それなのに、こんな紙切れひとつで、皇国のために死ねというのか」

「ミーチェさま――」


 ヤンは自分の背丈ほどもある馬の前に回り込み、ミーチェの目を見上げた。


「どうか、ご理解ください。現在、想定される兵力でわれわれは大きく遅れをとっています。もしハルシャに敗れれば、大陸は闇に包まれるでしょう。彼らは力と欲望しか信じない。誇りや心は失われ、そしてそれは永遠に戻ってこないものかもしれません。正行さまはそのためにどうしても負けられないのです。正行さまの性格を思えば、本来無関係な人間を争いに巻き込むのはひどく心を傷つける選択でしょう。それでも正行さまは自らの心が傷つく覚悟をなされ、方々に協力を要請しておられます。ぼくが身代わりになれるなら、どれだけよいか――しかしぼくには伝令役しかできません。どうか、われわれに――皇国ではなく、正行さまにお力をお貸しくださいませんか」


 その場に跪き、額を地面に押し当てるヤンを、ミーチェは馬上から冷たく見下ろす。

 なにかががさりとヤンの襟足に触れ、手を出せば、皺だらけになった正行の親書、ミーチェは馬を返し、立ち去ろうとしている。


「ミーチェさま!」


 追いすがるヤンに、ぽつりと。


「字が汚い」

「は? じ、字でありますか。た、たしかに、うまいとは言えない字ではありますが、正行さまもまだ不慣れなところ、精いっぱいに気持ちを込めて書かれたものと――」

「文が悪い」

「そ、それも不慣れの仕業なのです、決して正行さまの心の現れでは!」

「正行のもとへ戻れ、グレアムの兵士。そして正行に伝えろ」


 ミーチェは背を向けたまま、言った。


「皇国のためではなく、おれのために死んでくれ、と書き直したら、協力してやろうと」

「は――で、では」

「それから、もうひとつ伝言を頼む」


 ちらと振り返ったミーチェの、そばかすが浮かんだ頬は、相変わらずわずかに赤い。


「たまには遊びにこいと。あたしのことを忘れていないなら」

「か、必ずお伝えいたします!」

「おまえもすこし、酒でも飲んでいけ。正行の部下だけあって、あいつと似ているな」

「そ、そうでしょうか」


 と満更でもない顔で。

 しかしヤンははっと気づいて、


「さ、察するところによると酒が入るとあまりよくないようですが、よろしいのですか?」

「あ、あいつの言うことを真に受けるな! それに、あいつが言ってるのはもう一年近く前のことだ。いまはもうそんなことはしないっ」


 どうだか、という囁きがどこからか聞こえてくるのに、あれほど恐ろしかった騎馬民族が、いまや明るく穏やかな男たちに変貌している。

 変貌させたのは、おそらく正行なのだ。

 ヤンは飛び上がりたいようなよろこびを抱え、駆け足で騎馬民族についていく。

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