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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
106/122

八つの宝と風の行方 1-1

  1


 正行がこの世界へきて三度目の冬がくる。

 二年前の夏にこの世界へ落ちてきた十七歳の異邦人だった正行は、いまやグレアム王国に、そして大陸に欠かせぬ智将、十九歳の若き参謀となっている。

 当然、冬は大陸中に舞い降りて、新たな春がやってくる。

 正行がふたつ年をとるあいだに、周囲も当然ふたつ年をとり、最初に出会ったときは十六歳、まだ子どもらしさを残していたロゼッタも、いまや十八歳、大人といってもよい年になっていた。

 正行が苦労をして、魔女の国、エゼラブル王国を尋ねたとき、ロゼッタとはこの年の春ぶり、せいぜい夏のあいだ会わぬだけというくらいだったが、ロゼッタがぐんと大人びた外見になっていたことに驚いた。

 それというのも、ロゼッタはその赤毛をいつもひとつまとめにしていたが、春ぶりに会ってみると、それをまっすぐ伸ばし、加えてお姫さまのような、事実王女なのだが、裾の長いドレスを着ていたので。


「だって、ちょっとくらい女らしい格好しなさいって、お母さんがうるさいんだもん」


 髪を下ろしていることも、ドレスを着ていることも恥ずかしいらしいロゼッタ、怒ったように淡い青色の裳裾を揺らす。


「いいじゃないか。よく似合ってるんだし」


 正行はエゼラブル王国の女王アンナに会うため、ロゼッタに連れられ、女王の私室へ向かっている。

 道中は薄暗い廊下、エゼラブル王国へくるのは二年ぶりというところだが、なにも変わっていないようなのに、正行はすこしほっとする。

 考えてみれば、たった二年、変わらぬことのほうが多いもの。

 わずか二年、三年で変わるものといえば、子どもの背丈や顔ばかり、町や山が変わるには足りぬが、二年前グレアム王国の首都であるグレアム城へ降り立った正行は、そこからノウム城へ移り、さらにセントラム城へ、その後も大陸を転々とする生活続きで、わずかな時間でなにもかも移り変わってしまうような錯覚を抱いている。

 ロゼッタも変わり、正行自身も変わってゆく、しかし変わらぬものもあるのだと知れば、そこに心を休められる。

 いずれは、と正行は考える、そうした変わらないものに心を寄せて、休むときがくるのかもしれないが、それはまだ先のこと、いま立ち止まっては、世界に置いていかれてしまう。


「正行くんも、結構変わったよね?」


 先を歩きながら、くるりとロゼッタが振り返る。

 背中で赤毛がふわりと舞い、正行は眩しいものを見るように目を細めた。


「変わったかな。自覚はないけど」

「うん、変わったよ。ニナトールへ行ったときも言ったけど、大人っぽくなった。背も高くなったんじゃない?」

「どうかなあ」


 と正行、天井をちらと見上げるのに、ロゼッタがくすくす笑う。

 そうして笑っている姿は、二年前、はじめて会ったときのロゼッタそのままで。


「そういえば、アリスとはもう二年も会ってないんだよね。どう、結構変わった?」

「ううん、どうかな――ほとんど毎日顔合わせてるから、あんまり変わったって気はしないけどな」


 と思い出せば、たしかにアリスも変わったはずで。

 二年前は十七歳、おそらくまだすこしの幼さを残した少女だったのが、いまは十九歳になり、女王という肩書きに耐えうる女性になっている。

 顔立ちも、すこしあごが尖って大人らしくなり、思い返せばなるほど変わったと正行はうなずいた。


「美人になったかな」

「あー、そういうこと言うんだ。あたしのときはなんにも言ってくれなかったのにー」


 ロゼッタは目を細め、唇をつんと突き出す。

 正行は苦笑いで、


「似合ってるって言っただろ。それがそのまま、美人になったってことさ」

「えー、ほんとかなあ。正行くんのそういう言葉は信じられないなあ」

「なんでだ、信じろって。ほんと、きれいになったよ。どっちかっていうと、おれは髪を上げてるほうが見慣れてて好きだけど」

「ほんとに? じゃ、やっぱり次から上げよっと」


 のんきそうに言う台詞の本心に、正行どころかロゼッタすら気づくかどうか。

 女ばかりの国に育ち、王女という肩書き上そこを出るわけにもいかぬロゼッタ、まだまだ心は幼いままらしい。

 やがてふたり、廊下の突き当たりにたどり着いて、ロゼッタが扉を開ける。


「お母さん、正行くんがきたよ」

「わかってるよ、そんなことは。それから、公の場ではちゃんと女王とお呼び」

「はあい、女王さま」


 正行にだけわかるように舌を出し、ロゼッタは部屋を出る。

 苦笑いの正行に、竹で編まれた椅子に腰掛けた女王アンナははあとため息、


「あの子はいつまで経っても子ども気分が抜けないねえ。もう子どもって年でもないはずなんだが」

「それだけこのエゼラブル王国が平和だということでしょう」


 と正行が言えば、アンナは眉をひそめて、


「いまはいいが、やがてあの子の時代になって現実を知るようじゃ困るんだがね。多少は血なまぐさいことも教えておこうと思っておまえさんに預けたが、おまえさんも変な気遣いをして、あの子を前線には出さなかったろう」

「いや、気遣いってわけじゃないんですけど」


 困ったように頭を掻くのに、アンナは腕組み、


「それで、今日はなんの用できたんだい。ハルシャが皇国に宣戦布告したことなら、この山奥まで聞こえているよ。えらいことになったが、まあ、予想できないことじゃないね」

「くるときがきたと、おれは思います。もともとハルシャのそのつもりで兵を集めてきたにちがいない」

「だろうね。まあ、ハルシャの考えていることなんてわかりようもないが、やつらの動きは不審だよ。本当に皇国を落とすつもりなら、大陸北部が結託する前に、その兵力でもって個々に叩けばいい。数万の兵ではとても太刀打ちできないだけの兵力を、向こうはもう持っているんだからね。それをせずに、みすみす皇国に対抗する力を与えた。ご丁寧に一年、準備期間まで設けてね。いったいなんのつもりなのか」

「ハルシャのロマンがなにを考えているのかはおれにもわかりませんが、やりたいことは、なんとなくわかる」

「ほう」


 とアンナは目を細め、


「同じ智将同士、通ずるところがあるのかい」

「智将というなら、おれよりロマンのほうが確実に優れてる。まあ――」


 正行はにやり、


「それよりも、大学者ベンノのほうが優れていたとおれは信じていますけど」

「ふん、おまえさんはそうだろうさ。それで、ロマンはなんのつもりで宣戦布告なんかやったんだい。いまどき、普通の国でも宣戦布告なんてやりゃしない。大昔の礼儀を重んじる連中には見えないがね」

「たぶん、ロマンはおれたちに逃げ場を与えたくなかったんでしょう。もし不意打ちで襲いかかれば、兵士は正面を向いて戦うひまも与えられない。おそらく戦わずして逃げる兵士も大勢出る。しかしこうして宣戦布告され、時期まで決められては、すべての兵が準備万端、剣を抜いて待ち構えるしかなくなる。双方ともにそうして総力戦をはじめれば、行き着くところはどちらかの全滅、あるいは双方の大打撃でしょう。ハルシャとの戦いが終わったころには、大陸の人口はぐんと減ってしまうかもしれない――おそらくどちらもひとりでも多くの兵力を求めるでしょうから、普段は農民として生活しているひとたちを金で雇うことになる。それが多く失われれば、戦後の人口はいまの半分か、ひどくすればそれ以下になる」

「そいつはまたおかしな話だ。ハルシャの連中は、戦にかこつけて、大陸全土を滅ぼすつもりでいるのかい?」

「さあ――おれもハルシャのことをすべて理解できるわけじゃありませんけど、現状から推測すれば、どうしてもそんな結論になってしまいます。ロマンは、大陸すべてを恨んでいるのかもしれません。おれたちはその呪いに巻き込まれた形になる。まあ、不幸だなんだといっても現実は変わりませんから、やるべきことをやるしかないんですけど」


 ため息をつく正行を、アンナはじろりと見てぽつり、


「おまえさん、前に会ったころよりもずいぶんと経験を積んだみたいだね」

「おかげさまで、こうやって生きてるのが不思議なくらいにはいろいろ経験しました」


 正行は苦笑いで。


「でも、根っこはなにも変わりませんよ。おれはたぶん相変わらずの理想主義なんだろうし、夢見がちだ。ただそれを認めてくれるひとがいるから、なんとか実現させる力になる」

「ふん。ロゼッタにも、そういう気心がほしいもんだね」

「あの子はあの子で立派ですよ。ニナトールでも、魔法の使いっぱなしでつらかっただろうに、最後までよく働いてくれた。もしロゼッタがいなければニナトールではうまくいかなかったでしょう」

「おまえさんがうまくあの子を使ったってことさ。ついでにもらってやってくれないかい。なかなか器量はいいだろう」

「なかなかどころか、器量がよすぎて、とてもおれじゃ釣り合いませんよ」


 冗談を返すように正行は笑うが、アンナはため息に沈む。


「まあ、そのことはひとまず置いといて」


 と正行、


「今日お邪魔したのは、事前に伝えておきたいことがあったせいです。当然、ハルシャとの戦争に関することで」

「ふん、なんだい」

「いままで、エゼラブルには二度、兵を出してもらいました。一度目はグレアムのセントラム攻撃、二度目はニナトールの救援。どちらもエゼラブルの魔法隊なしでは得られぬ結果になり、感謝しています。おそらくハルシャとの戦争も、ありったけの魔法隊を出してもらうことになるでしょう。皇国からの正式な要請はまた別に届くと思いますが」

「だろうね。なんだい、いまさらそんなことを言いにきたのかい?」

「いや、過去二回の出兵で、エゼラブルはひとりの兵も欠いていないでしょう。それは、無論こちらの魔法隊が優秀だということもある。でも作戦を立てたおれが、あえてエゼラブルに被害が及ばないようにと考えていたところでもありました。しかしハルシャとの戦争では、おそらくそうはいかない。向こうにも魔法隊があるでしょうし、魔法隊の相手をできるのは魔法隊だけです。魔法隊同士が直接やりあえば、当然被害も出る」

「当然さ。そんな覚悟はとうにできている」

「そうでしょう――おれも、ようやく覚悟ができました。もしエゼラブルの魔法隊が全滅しても、おれは足を止められません。そのことを伝えにきたんです」


 アンナはじろりと正行をにらみつけ、正行はその視線を浴びながらびくともしなかった。


「エゼラブルを見殺しにすることもある、ということかい」

「見殺しにはしない。助けられるなら助けますが、エゼラブルだけ危険のない役割に徹してもらうというわけにはいかないということです。むしろ貴重な魔法隊だけに、ほかの部隊よりも危険かもしれない。おれには、エゼラブルの魔法使いたちの無事を約束できない。その代わり――」


 と正行はアンナをまっすぐ見つめ、


「自軍の勝利は、約束しましょう」


 アンナはうなずいた。


「それが正しい選択だよ、雲井正行」


 正行はうなだれる。


「すみません。おれの自己満足のために時間を取らせて」

「なに、そういうことが必要なときもある。おまえさんは、いまや皇国軍には欠かせない人材だろう。あたしらが無事でも、ハルシャとの戦争に負ければ意味がない。それなら、ハルシャとの戦争に勝利して、あたしらが死んだほうがいくらかマシってもんさ。でもね――きっとそうした考えを嫌う人間はいるだろう。たとえばうちの娘のような、必要以上に夢を見ちまったり、正義ってもんを信じちまったりしてる人間はね」

「わかってます。その最たる例がおれなんだ」

「悪魔と罵られても先へ進み続けることだ。おまえさんが足を止めないかぎり、おまえさんは英雄と呼ばれるだろう。しかし一度足を止めれば、背中へかかる声援は罵声に変わるよ。民衆ってのは勝手なもんさ」

「だからその声は素直なんだ。よくも悪くも」

「まあ、そうだがね」

「今日はありがとうございました。戦まではまだ時間もありますが、それまでにお会いすることもあるでしょう」

「ああ、そうだね。ところで、帰りは急ぐのかい?」


 女王に背を向け、部屋を出ようとしていた正行、立ち止まって振り返れば、不思議そうな顔で。


「できるだけ早く帰ろうとは思っていますけど、なにか?」

「いや、急がないなら、一日や二日ここでゆっくりしていけばどうかと思ってね。ロゼッタも遊び相手がなくて退屈しているところだ、子守をしてやっておくれ」

「お互い、子守って年でもないですけど」


 と正行は笑いながらも首肯をひとつ。


「それじゃあ、発つのは明日にします」

「それがいいだろう。部屋はすぐに用意させるよ」


 正行が部屋を出れば、そのすぐ外で、ロゼッタが壁にもたれ、いかにも退屈そうな顔。

 出てきた正行に気づき顔を上げ、たたと軽く足音で駆け寄れば、


「ね、もうお母さんとのお話は終わったの?」

「ああ、もう全部終わったよ。やっぱりすごいひとだな」

「そうかなあ。最近またちょっと太ったって言ってたよ――あっ、これ言ったら怒られるんだった。秘密ね?」


 唇に指を当てて小首をかしげるロゼッタ、正行は笑って、


「わかってるよ、秘密な。ところでさ、いまからちょっとひまか?」

「ん、いまから?」

「散歩でも行こうぜ」


 正行の横顔によろこび以外のなにかも見出したロゼッタだが、その正体に気づくことはなく、ただ戸惑うようにうなずいて、ふたりはエゼラブル城を出るのだった。

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