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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
105/122

八つの宝と風の行方 0-2

  *


 ハルシャによる皇国への宣戦布告が行われたといううわさは、風に乗って大陸の隅々まで届けられた。

 一部は皇国の兵士が正式な書面でもって国を訪ね、状況の説明と出兵を願いを行うが、大陸の北端、グレアム王国にも馬に乗った兵士がひとり、腕に皇国の証である赤い星を輝かせ、セントラムの城塞を超えて、セントラム城の威容を前方に、親書を抱えて急いでいた。

 皇国からセントラム城までは一月ほどの道のり、来る日も来る日も野宿野宿に、いい加減体力も限界で、心に重たい親書をグレアム女王アリスへ渡せば彼もお役御免、久しぶりのセントラムの宿でゆっくり眠るさまを想像すれば、ここへきて足も軽いというもの。

 馬にも、


「もうすこしで着くからな、がんばってくれよ」


 と励ましながら行くのに、不意に鳴り響く雷鳴、天をばりばりと裂くような轟音に、兵士は馬から滑り落ち、慌てて地面を這った。


「な、なんだ? こんなによく晴れてるのに、雷か?」


 北国の天気は変わりやすいというが、まさか雲ひとつないのに雷が起こるはずもなし。

 兵士は澄み渡った蒼穹を見上げ、小首をかしげる。

 一瞬の轟音に、馬も驚いたにはちがいないが、暴れる様子もなく立っているのに近寄って鐙に足をかけた矢先、またもや激しい破裂音。


「わ、わっ!」


 ごろんと無残に転がり落ちれば、馬もいななき危うく踏み殺されるところで。

 背の低い雑草が茂るなかを転がり、はっと顔を上げれば、前方の丘の上、二十人前後の黒い人影がある。

 兵士がもそもそと起き上がるのに、向こうも気づき、


「打ち方やめ!」


 と一声、影がふたつ丘を降りてきて、兵士に手を差し伸べた。


「大丈夫か、まさか流れ弾に?」

「このあたりの兵士じゃねえな。城塞で、いまは立ち入り禁止だと聞かなかったか?」

「は、はあ、どうしても急ぎの用がありまして――」


 助け起こされながら兵士が観察するに、ひとりは筋骨隆々、見上げる長身に、差し出された腕など女の胴体より太い。

 もうひとりはいくらか小柄で、しかし筋肉の付き具合を見るにただの若者ではなく、兵士かそれに準ずるものであることは見て取れた。


「怪我はないか? 痛むところは」


 と若いほう、小柄な男が言うのに、兵士は自分の身体を見下ろして、


「どうも、大丈夫みたいです――あっ、親書が」


 と馬が落とした荷物に駆け寄り、無事にあることを確かめ、ほっと一息。

 くるりとふたりを振り返り、


「親切に助けていただいて、ありがとうございました。私は皇国の兵士であります。皇帝陛下の親書を、グレアム王国の女王アリスさまへ渡す任務の途中なのです。あなた方は、グレアム王国の兵士とお見受けしますが」

「ああ、いま新兵器の実験中でな。危険だから、このあたり一帯を立ち入り禁止にしていたんだ。まあ、怪我がなくてよかった」


 と兵士然とした巨躯が言うに、兵士は首をかしげ、


「新兵器、でありますか」


 巨躯はちらと小柄を見て、いたずらっぽく笑ったのち、丘の上から兵をひとり下ろしてその手に握らせていたものを見せつけた。

 一見、黒光りする鉄の塊である。

 ここからすこし南へ下がったところにグレアム城があり、その背後の山からは多く鉄が産出するため、グレアム王国産の武器は著名だが、それにしても用途不明の鉄である。

 先端らしいものがぬっと長く、鉄製の鞘のようにも見えるが。


「なんなのです、これは?」

「銃というものだ」

「じゅう?」

「ひとつ実験してみよう。まず、先端を敵へ向ける」


 巨躯が鉄の塊を構え、長細い先端をなにもない空間へ向けた。


「しっかり狙いを定め、この引き金を引く。すると、だ――」


 ぱんと手を打ち鳴らしたような破裂音が響き、兵士は目を丸くする。


「先ほどの音は、これでありますか」

「火薬が爆発し、その勢いで鉛玉を飛ばすんだ。これがうまく敵に命中すれば、遠距離から、それもたった一発で仕留めることができる。こいつが増えたら戦場の形が変わるぜ」


 と白い煙を立てる銃を撫でる巨躯の、誇るような、一抹の寂しさを隠しきれぬような。


「まあ、なかなか作るのもむずかしいし、うまく敵へ当てるには熟練もいるがな。いまのところ二十挺、二十人の銃器兵が精いっぱいってとこだ」

「ははあ、それは……」

「ところで、親書はいいのか?」


 と小柄が問えば、兵士もはっとした顔、


「さ、先を急ぐ旅でありました。では、失礼いたします」

「気をつけてな」


 兵士は先に逃げてしまった馬を追い、その場を駆け出す。

 見送る小柄の顔が、なにかにやにやと歪んでいることにも気づかず。



 親書を受け取った女王アリスは、うわさに違わぬ美しさで。

 長い黒髪を左右へ流し、王座にゆったりと腰掛けるさまは不思議なほど清廉で、すらりと伸びた足は白く輝きどきりとする。

 しかし親書を携えて王の間へ入った兵士がなにより驚いたのは、セントラム城の前で出会ったあの小柄な兵士が、かの有名なグレアム王国の軍師にして、かの大遠征でもその智謀を発揮したという雲井正行であったこと。


「ハルシャが皇国に宣戦布告か。案外、正面から堂々と仕掛けてきたな」


 正行がぽつりと言うのに、アリスもうなずいて、


「それに伴い、可能なかぎりの出兵を望むと」

「ふむ、そうだろうな。ハルシャの兵力を考えれば、皇国より北部の国の兵力をすべて集めないかぎり、勝負にならない。ニナトールでそれははっきりわかった。あれも状況が特殊だったから、なんとか犠牲もすくなく終わったけど――もし平地でやりあったとしたら、あれじゃ済まなかっただろうな」

「親書はたしかにお預かりいたしました」


 アリスは兵士に目をやって、丁寧に言った。


「出兵に関しても、無論お断りする法もございません。可能なかぎりの出兵をお約束いたしましょう」

「は、はっ、ありがたく存じます。皇帝陛下に必ずお伝えいたしましょう」


 慌てて頭を下げた兵士に、くすくすと笑う正行のとなり、王座のアリスは兵士に向かい、


「ここまでの長旅、さぞお疲れでしょう。セントラムは明るく華やかな町ですから、どうかゆっくり身体を休めてください」

「は、そのようなお言葉をいただけるとは、身に余る光栄にございます」


 恐懼に震えながら、兵士は王の間をあとにする。

 残ったアリスと正行、ようやくアリスはふうと息をつき、女王の殻を脱ぎ去って、気心の知れた正行には不安げな顔も見せる。


「これで、ハルシャと皇国の戦争は決定的なものになりましたね」

「大陸南部を手中に収めたハルシャと、大陸北部の戦力をかき集めた皇国の戦争だ。大陸にあるすべての戦力がぶつかり合う戦いだよ」


 正行は、アリスのようには表情を変えない。

 巧みに感情を殺し、不安げなアリスを見て、安心させるために笑顔すら浮かべる。


「大丈夫だ。こうなることはわかってたし、そのためにいろいろと準備をしてきたんだから」

「でも、きっといままでとは比較にならない規模の戦いになるのでしょうね」

「そりゃそうさ。大陸の端から端まで、至るところに戦線ができる」

「このあたりにも、でしょうか」

「どうかな」


 と正行、広い部屋のなかにさっと視線を投げて、


「ここは大陸の北端だから、戦場になるとしたらきっと最後の最後になる。絶対に大丈夫とは言えないけど、おれもロベルトもアントンさんも、この城にいる全員が最善を尽くせば、きっと悪い結果にはならない」

「はい――それは、信じてますから」


 アリスは黒い瞳をまっすぐ正行に向ける。


「こんなことを言うと怒られてしまうかもしれませんが、わたし、わかってるんです。みなさんはきっとわたしのことを守ってくださるだろうって。だから、わたしのことはなにも心配していません。ただ――」

「ただ?」

「みなさんがわたしを守ってくださる代わりに、わたしがみなさんを守れれば、よいのですけれど」

「ふむ――」


 正行はすこし困ったように腕組み、視線を宙に彷徨わせるのは、照れている証かどうか。


「おれもさ、兵を指揮しながら、自分では戦わないだろ。それでまあ、いろいろと思うことはあるんだ。兵士はおれを守ってくれる。ときには、おれの代わりに死んでくれる。おれはその代わり、自軍を絶対に勝たせなきゃいけない――でも、たまに自分が剣になり、盾になったほうが楽だって思うよ。だれかに守られて生きていくよりは、だれかを守って死んでいくほうがいいって。でもまあ、実際には無理だ。おれの腕じゃ、だれも守れない。アリスだって同じだろ。その白い腕では、どれだけがんばってもおれは守れないぜ」


 すこし意地悪に言うのに、アリスはドレスから伸びる自らの腕をゆっくり撫でた。


「ニナトールの遠征でさ、皇女さま――クラリスさまを見て、それに気づいたんだ。たぶん兵士はおれたちに盾になってほしいわけでもないし、剣を振り回してほしいわけでもないんだと思う。それよりは、いちばん後ろにどんと座って、不安な顔なんて見せないで勝利に導いてほしいんだろう。戦場で笑えるのは、兵士と自軍の勝利を信じているからだ。クラリスさまを見て、おれもそうならなきゃと思った――ま、実際はなかなかむずかしいけど」


 頭を掻く正行の右腕、アリスはそっと指先で触れて、


「わたしは正行さまのこと、信じてます」

「うん――おれも、アリスのことは信じてる。でも、まだ足りないな。おれはもっと優れた人間にならなきゃいけない。ハルシャのロマンってやつは、たぶんおれよりもずっと頭が回るやつなんだ。ニナトールでは完全にやられた」


 と悔しげに唇を噛めば、アリスは気遣うように正行の腕から指先を離す。


「でも、もうあんな失敗はしたくない。できればなにも失いたくないから、いままで以上にがんばって、いままで以上の成果を残さなきゃだめなんだ。アリス――おれは勝つよ」

「はい。わたしも、勝ちます」


 王座から、真剣な顔でアリスが見上げる。

 柳眉も凛として、その黒い瞳はまだなにか続けたいような文目を見せたが、一文字に結ばれた唇は動かず。

 正行のほうも視線をわずかに逸らせば、なんとも言えぬしじまに、音を立てるものもなにもない閑散たる王の間が恨まれるが。


「ハルシャは、いったいいつ皇国に攻撃を仕掛けるつもりでいるんだろうな」


 ぽつりと言うのに、アリスが手元の親書を開いて、


「それも書いてあります――来年の夏、最後の春風に乗ってハルシャの兵は皇国に寄ると」

「来年の夏、か」


 ちらと視線を送った野外は、すっかり秋も深まって、海から吹きつける風には気の早い冬が乗り込んでいる。

 ほぼ一年後、双方ともに準備期間は充分といえる。


「互いに一年で集められるだけの戦力を集めて、それをすべて出し切る戦いになるだろうな――ハルシャは、この大陸で暮らす人間すべてを巻き込もうとしてるみたいだな。本当は一般市民は戦争の無関係にいてほしいけど、こうなっちゃ仕方がない。正面から迎え撃って、必ず打ち倒してやる」


 決意も新たに、正行はぐっと拳を握る。

 アリスはただそれを不安げに見つめるばかりで。

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