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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
八つの宝と風の行方
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八つの宝と風の行方 0-1

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 皇国に風はない。

 雨が極端にすくない土地で、あたりのほとんどは荒野だが、そこにぐいとせり出したすり鉢状の台地の底、さらにぐるりを高い城壁で囲まれた、いわば地の底が皇国である。

 荒野では、わずかな草いきれを流し去る風も吹こうが、それらはすべて高い城壁、細かい石積みの表面にぶつかり、どんどんごうごうと不在を確かめるような風音を打ち鳴らして消えてゆく。

 二十万からの人間が暮らす皇国は、常にむっとするような熱気に包まれ、それが上昇気流を産んで不思議な風道を作るほど、すくなくとも気候の点では決して暮らしやすい国ではない。

 ただ、大陸の中央にどんとそびえ立っていることに意味がある。

 世界の中心はこの国であり、さらにその中心は皇帝であると、何百年ものあいだ理屈ではなく皮膚感覚で大陸全体に刷り込んでいるのである。

 かつて、伝説の英雄が作ったという尊き国。

 大陸にいかなる戦乱が起こり、荒れ狂う血の嵐が海を山を大地を洗っても、皇国はびくともしない。

 そんなような意味においても、皇国に風など吹こうはずがない。

 ゆえに第一皇女クラリスは、皇国のなかから風を巻き起こしてやろうと決意するに至った、それがすでに五年も六年も前のこと。

 本来、皇女というものは皇族でありながら皇族でないようなもの。

 皇位を継ぐこともなく、ただただ美しいばかりの銀髪は、高貴な血筋の証から、高値で売れる証と化す。

 よその王か貴族に嫁ぐだけ、無論それが皇国の力にはなるが、同じように生まれた皇太子の銀髪は、やがて皇帝になるという証で。

 いままでも、女ばかり不公平だと思う皇女はいたにちがいないが、彼女たちは皇国の仕組みからはみ出してまで自らの存在を謳おうとはしなかった。

 美しい自己犠牲、悲劇の皇女として嫁いでゆく裏で、唇を噛み、涙を流して諦めてきたのだろう、クラリスはそんな彼女たちに一定の感謝をしている。

 彼女たちの血と涙がなければ、私の皇国は存続できなかったのだ、彼女たちの臆病がなければ。

 そしてそれは、第一皇女クラリスの身に昇華される。

 町で皇女クラリスのうわさを聞けば、だれもが「あれはすばらしいひとだ」と答える、そのようにクラリスは振る舞ってきた。

 正式な皇太子がいる状況で、クラリスが皇帝代理を名乗ることに反論が出ない程度には、すでに皇国はクラリスのものになっている。

 だれも知らぬ謀反、だれも知らぬ侵略。

 すり鉢状の皇国内を、ぐるぐると新しい風が暴れまわっていることを、国民も、皇帝でさえも知らぬまま。

 もっともそれは、皇国の外でいまだかつてない暴風が町を襲い、山を焼き、ひとを屠り、波を裂いているせいもあるが。


「――く、クラリスさま、たた、大変ですっ」


 と女中のひとり、慌てたあまりたたらを踏んで室内へ飛び込めば、クラリスは大きな窓の前、一日に三度ある着替えの最中で、


「どうかしたのか」


 と問いながら、肌着の裾をゆったりと揺らす。

 そこに別の女中が取りついて、服を着せていくのに、入ってきた女中はしばらくクラリスに見とれたような顔、やがてはっと気づいて赤い頬を振り振り、


「た、たったいま、伝令の兵が参りまして、そ、それによると――」

「落ち着け。何事も、焦ってはうまくできぬもの。舌ももうすこしゆっくりと動かしてやれば自在に喋り出す」


 とクラリス、赤い舌先ちろと出して、いたずらっぽく笑ってみせる。

 着付けをしている女中がぽつり、


「そうやってだれかれ問わず誘惑するのがクラリスさまの悪い癖でございますね」

「誘惑しているつもりはないが、嫌われるよりは好かれるほうがよかろう?」


 うそか本当か、のたまうクラリスにも女中はぽっと咲いたよう、まだ幼く純情そうな瞳を揺らして、やっとのことで報告を続ける。


「さ、先ほど、ハルシャ王国が皇国へ対し、正式な宣戦布告を行ったそうです」

「ほう」

「いま、宝玉の間に陛下並びに大臣各位がお集まりになられて、どのように対応するか協議が開かれると」

「服は、別のものにしよう」


 ひょいと身を翻したクラリス、白いふくらはぎが部屋を横切り、肌着のまま箪笥に近づいて、白地に鮮やかな花柄、朱色や黄色が閃光のように散っているのを取り出して、女中に渡す。

 女中はため息、指示されたとおりに服を着せ、はじめに着せるはずだった赤一色の情熱的なドレスを腕に引っ掛け、とことこと部屋を出ていく。


「やはりこのほうがよい。では、宝玉の間へ向かおうか」

「か、会議に参加なさるのですか」

「私が参加せずして、なにが決定できるというのだ」


 にたりと笑い、クラリスは裳裾をさっと払って、宮殿左翼、宝玉の間へ。

 宮殿の廊下を進む途中も、すれ違う兵士や女中はいるが、全員が全員クラリスが通ると廊下の端に寄り、頭は下げずに、むしろ視線を奪われたようにぼんやりと横顔を眺めていた、そのなかを毅然と胸を張って歩くクラリスで。

 宝玉の間の前、兵士がふたり並んでいるのも、敬礼ひとつで退かせて、扉を開けた。


「ん、クラリスか」

「ご機嫌麗しゅう、お父さま」


 宝玉の間は、ほかの広間に比べるといささか小作り。

 もとは何代か前の皇后の衣装室、いまはすべての衣装が取り払われ、代わりに木製の大きな机がひとつ置かれて、重要な会議の場として使われている。

 淡いクリーム色の壁に、いかにも深刻めいた蜜蝋の明かり、クラリスが身にまとって連れてきた風にひらひらと揺れる。

 奥に座る皇帝を中心に、腰に剣を帯びた男たちがずらり、最年少でもクラリスの倍以上の年齢という年寄りばかり。

 皇帝は、大きく立てた襟に両頬を守られながら、場違いなほど明るく愛らしいドレスを纏ったクラリスを見て、


「話は聞いたか」

「先ほど。罪深きハルシャが、またひとつ重大な罪を加えたと。それについての話し合いなら、私も参加させていただきたく存じます」

「うむ――本来であれば皇女のおまえに関係する話ではないが、まあ、よかろう。だれか席を加えてくれ」


 部屋のあちこちに立つ兵士が動く前、すかさずひげ面の、近衛隊隊長という立派な肩書きを持つ男が立ち上がり、さっと腕を払って慇懃に、クラリスに自らの席を譲った。


「麗しい皇女さまを立たせたままにはできませぬ」

「お優しいことで」


 とだれかが皮肉を言うのも聞こえぬふり、クラリスは与えられた椅子に座り、男に向かって微笑んだが、それ以上の対価は与えられなかった。

 腰ほどまであるクラリスの長い銀髪、背もたれのあいだに挟むことを嫌がって、さっと後ろへ流せばたちまちあたりに光が踊った。

 兵士が新たな椅子を運び、クラリスに席を譲った男も無事に着席して、皇帝がすこし疲れたように銀髪を掻き上げ、会議は再開される。


「ここへきて、ハルシャがわが皇国へ向かって宣戦布告を行うとは、意外であった」


 と皇帝、わずかに目を伏せる。


「無論、ハルシャとの戦争は、もはや避けられぬこととは考えておったが、卑怯なる連中のこと、闇討ちか、それに近い形で攻めこんでくるものと踏んでおったが」

「大陸南部へ放っております斥候によりますれば、連中、一度は大群をハルシャ本国あたりまで引き下げたようで。おかげで、ハルシャ本国より北部にあります小国、あるいは村や集落の住民が一斉に北上を開始し、一部はすでに難民として皇国に」

「うむ、それらの対応もせねばならぬ。大陸の民はわれわれの民である。ひとりたりとも飢えさせてはいかん。飢えはあらゆる罪の根源だ」

「至急、周辺の国とも連携をとり、民の振り分けと受け入れを行います」

「皇国に潤沢なる食料があればよいがな。しかしこのあたりは農作に向かぬ土、諸侯に苦労を強いるしかないか」

「無論、ハルシャ圏からやってくる難民も重要ではありましょうが――」


 とクラリスが口を開けば、全員の目が美しい皇女へ向けられる。


「それよりもいまは、ハルシャにどう対抗するかが重要ではございませぬか。難民は多少対応が遅れても皇国に対する意識が悪化するだけ、しかしハルシャは対応が遅れ、また誤れば、皇国そのものが失われる」

「むう――もっともである。して、現在ハルシャの兵力はいかほどか」

「すくなく見積もっても、四十万というところでしょう」

「比べて、わが方は?」

「すべての国に総動員を命じ、皇国へ集結させれば、二十五万、あるいは三十万はなんとか」

「十万の兵力差か」

「決して勝てぬ戦ではありますまい。この程度の兵力であれば、覆して勝利した記録はいくらでも見つかります。ましてや、わが方には陛下がおられる。皇帝陛下、すなわち天がわが方に味方するかぎり、敗北の二文字は常にハルシャのために用意されておるようなもの」


 熱っぽい口調、苛烈に輝く老いた瞳に、クラリスは彼らがどれほど自分の言葉を信じているのだろうと考えている。

 もし皇帝に対する阿諛追従なら、まだ話は簡単で。

 問題は、彼らが心の底から皇帝の神性を信じ、十万の兵力差などあってないようなもの、勝利は必ずわが方に転がり込んでくると確信しているとき。

 いまの若い人間は、皇帝を尊敬はしていても、天上人の血を継いでいるとか、天がひとの姿をとったものと信じているわけではない、しかしここに集まった老人たちはそれを本当に信じきっているのかもしれぬ。

 最後は天の奇跡が救ってくれる、と信じている人間を炊きつけるほどむずかしいことはない。

 クラリスはにわかに熱狂を帯びはじめた場を見回し、すかさず嘴を挟む。


「ともかく、ハルシャには徹底抗戦をもって返答するということでよいのですね。周辺諸国から兵を募り、武力でもってハルシャを打ち崩すと」

「そうするほかあるまい。それとも、ほかになにか手はあるか? 些細なことでもよい、なにか思いついたら発言してくれ」


 皇帝の投げかけに答える声もなく、ただ蝋燭の赤い炎だけがゆらゆらと。


「では、ハルシャと戦を持つということをひとつ決定事項として」


 さり気なく、クラリスが場の主導権を握っている。


「次に決めねばならぬのは、皇国の兵をだれが率いるかということでしょう」

「だれが、と申しますと?」


 大臣のひとりが心底不思議そうにクラリスを見る。


「無論、皇国の兵はすべてお父さま、皇帝陛下のもとへ集うが、しかしお父さまが直々に兵を指揮するわけにはいきますまい。ハルシャとの戦争ともなれば戦線は大陸中へ広がるはず、それらを皇国にいながら指揮するのは不可能であり、また好ましい形でもない。しかし皇国の支柱たるお父さまが皇国を離れるわけにはいきませぬ。必然、お父さまの意志を受けただれかが兵を率いることになりましょう」

「うむ、そうするしかあるまいな」


 皇帝もうなずきひとつ、


「兵を率いるとなれば、だれが適任か。このむずかしい戦を勝ち抜ける智将、猛将なければならぬが」


 ぐるりと見回した皇帝の、尊き視線から逃れるように顔を伏せるものと、むしろ自身を誇るように胸を張るものと。

 クラリスもすばやく見てとって、顔を伏せるものは野心なしとして忘れる、これから敵になるのは、ここで自分を積極的に売り込もうとするものなのだから。


「恐れながら、その大役、私に務めさせていただきたく存じまする」


 と真っ先に声を上げたのは、先ほどクラリスに席を譲った男で。


「いままで近衛隊を率いてきた経験もあり、皇族の方々を長年守護してきたという自負もあり。この度の厄災も、わが身をもって陛下並びに皇族の方々、ひいては皇国を守りとう存じます。かかる火の粉があるならこの身をお使いくだされ、それがなによりの僥倖」

「ふむ――」


 立ち上がって演説をぶつひげ面に、皇帝もまんざらではない顔つき、おまけにひげ面は欲を出し、クラリスにちらと流し目を。

 皇帝はほかに名乗り出るものがいないのを確認し、改めて全員を見回して、


「異議がなければ、ホーソーンに決するが」

「お待ち下さい、お父さま」


 ついにクラリスが立つのを、ひげ面が訝しげに、しかしまだ余裕を持った表情で眺めている。


「たしかにホーソーン殿は立派な武人、この大役も見事果たしてくれるものと信じますが、いかんせんホーソーン殿は近衛隊の指揮をとっておられるお方、皇国内で知らぬ者はおらぬという名士であっても、悔しいながら周辺諸国までその名声が轟いているとは言いがたい。皇国は元来ほとんど兵を持ちませぬ。ハルシャに対抗する軍のほとんどすべては周辺諸国の兵によって構成されるものであるなら、その総司令官をホーソーン殿が務められるのは、われわれとしては首肯しうるものであっても、周辺諸国にとってはどうかと疑問に思われます」

「では、どうするのがよいか」

「ホーソーン殿の代わりになるとは思いませぬが、私が代わりに」


 とクラリスが言ったところでひげ面もようやく話の流れに気づいたが、ときすでに遅し。


「昨年からこの春にかけて約半年、ニナトール遠征の兵を率いて参りました。それに、女ではありまするが、私は皇族、この髪が兵に与えるものもありましょう。結果としてニナトールではハルシャ兵を取り逃がしましたが、二度とそのような鉄は踏まぬとお約束いたします」

「ううむ、しかしだな」


 と皇帝は腕組みで、眉根をぐいと寄せる。

 クラリスはすかさず、


「今回周辺諸国に出兵を願うとして、その代表者も出てくることと存じまするが、彼らと私には面識がございます。彼らの性格や、彼らの兵の特性も存じておりまするゆえ、作戦もまた立てやすい。軍とは人間の集団であり、人間の集団とは関係と関係の繰り返しでありますれば、私が矢面に立つのが自然であり、また最善であるかと。実際、ホーソーン殿やほかの優秀な方々に指揮を委ねるなら、それに専念していただく分、本来の業務に差支えが出ましょう。その点、私はただの小娘、軍の頭にとんと置かれてもなんら問題はございませぬ」

「それは誤りである」


 皇帝はすこし顔を歪め、


「皇女のおまえが戦場に立てば、母が心配するであろう。無論、わしや皇太子もそうだ。おまえのおてんばはいまにはじまったことではないが、これはあまりに危険すぎる」

「では、皇国でじっとしているのが安全なのでしょうか。どのみち、ハルシャに敗れた皇国に明日はないのです。まずはなんとしてもハルシャに打ち勝つ、そうでなければ安全もなにもない。そのために、私も兵とともに戦いたく存じます」

「む、むう……」

「お父さま、陛下、どうかご理解を。小娘の私も、陛下のこの国を愛し、守る手助けをしたいのです」


 そうとまで言われては、皇帝も出るなとは言えぬ。

 というのも、クラリスの素質はだれもが認めるところである。

 昨年から今年の春にかけて行われたニナトールへの大遠征、結果はニナトールのほぼすべての領地を焼き払われるという悲劇を生んだが、そこで一度ハルシャ兵を打ち破り、ほとんどすべてを捕虜にするという成果を残している。

 同時に味方の兵をほとんど欠くことなくそれぞれの故郷に帰国させた手腕、多国籍の兵をまとめあげた統率力は、直接大遠征に参加した兵士であればだれでも知っている。

 周辺諸国に総動員をかけるのであれば、また当時と同じ兵を呼び寄せることにもなる、その際クラリスの名と姿が兵のどれほどの光をもたらすかは、皇帝もよく知っているので。


「では、兵の指揮はクラリス、おまえに任せるぞ」


 という決定も詮方なきこと。

 しかしクラリスは、これでは満足しない。


「謹んでお受けいたします」


 と決まりのとおりに頭を下げたあと、強気な視線を皇帝に向けて、


「それに伴いまして、お父さま、戦時の私の肩書きですが、単に皇女というだけでは、ハルシャへ向けても威圧にならぬかと存じます。つきましてはなにか別の肩書きを授けていただければと」

「ふむ、なにがよいか。総司令、というのもすこし漠然としているが」

「准皇、などよろしいかと。この名なら皇帝陛下の尊さを汚すこともなく、またそのご威光を授けていただけますゆえ」

「準皇か。よかろう。では、戦時はそのように名乗るがよい」

「はっ――必ずや、皇国に勝利を」


 クラリスは目的をすべて達し、満足げに微笑んで席についた。

 戦時の混乱に乗じ、本来であれば政略結婚の道具でしかない皇族の女子が、新たに創設されたにせよ、皇帝に次ぐ地位を手に入れた瞬間である。

 第一皇女あらため、準皇クラリスは、皇国の危機さえ利用して自らの目的を果たしてゆく。

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