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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
たましいを守って
100/122

たましいを守って 5-2

  *


 グレアム王国のクーデター計画は、慎重に、しかし順調に進行していた。

 焦る必要はない、二千の兵と雲井正行がセントラム城へ戻ってくるのは、冬も終わったころである。

 いまや北端のセントラム城では雪が降り積もり、あたりは一面の雪化粧、晴れた日には解けた積雪の表面がきらきらと輝き、喬木の枝からどさりと音を立てて一塊が落ちる。

 すべてが白く塗り込められたような世界で、美しいが、生けるものはいなくなったような印象も受ける。

 しかし実際は動物の営みも失われず、とくに人間の町は猛吹雪でもないかぎり夏と変わらぬ賑わいを見せていた。

 積雪に伴い、セントラム港は閉鎖され、大陸中から商人や漁師が集まらない代わり、セントラム城内で暮らすひとびとが町を明るく華やかに飾り、酒場には常に明かりが点って騒がしく、八百屋や大工たちも休むひまがない。

 その影で、兵士三千人によるクーデターはすこしずつ前進していた。

 はじめはアルフォンヌの配下にあった兵士三千人が主体だったが、辛抱強く説得を重ねた結果、グレアム王国の人間を五十人ほど引き込んで、一兵卒が立ち入りできぬ王の寝室の近くまで自由に入り込めるようになっている。


「これは、戦争ではないのだ」


 反乱軍を指揮する立場にあるハリスは、もともと、名目上はいまもそうだが、グレアム王国軍の小隊長である。

 その権限を使い、城の内部に精通して、もはやセントラム城に関して知らぬことはないというほどになっている。


「すべての兵が剣をとり戦う必要はない。また、敵兵と戦うつもりもない。速やかにセントラム城を占拠し、女王アリスに退陣を要求すればよいのだ。三千の兵は、むしろ多すぎるといってもよいほどですな」

「しかし、油断は禁物だ」


 ぽつりと言ったアントンは、このところハリスの相談役を務めていた。

 無論、日中は普段どおりの仕事をしつつ、である。

 まだだれも水面下で進行しているクーデターには気づきもしていないと、反乱軍は信じきっていた。


「ロベルトの様子はどうか。気がかりは、あやつだ。あれでいて鋭いところがあるし、あれは天性の素質を持っておる。あれに指揮された兵が相手となれば、分が悪い」

「ご心配なく。アントンさまの言いつけどおり、部下が始終ロベルトに密着し、監視を続けております」


 ハリスはふんと鼻で笑って、


「毎日毎日、訓練訓練、脳天気に続けておりますよ」

「そうか――ならばよい。で、予定どおりに決行するのだな」

「無論。明日の早朝、すべてが決まります。明日のいまごろは、アントンさまが座っている椅子も変わっていることでしょうな。この国も真のグレアム王国となるのです」

「うむ。楽しみにしている――では、あまり席を外しすぎるのも不自然であるゆえ、執務室に戻る」


 アントンは立ち上がり、ハリスは部屋の扉まで見送った。

 ばたんと扉が閉まった矢先、ハリスはふんと口元をゆがめる。

 明日の朝にはすべてが変わっているというのに、どこまでも心配性の男だ、本来であれば王になどふさわしくないが、いまは仕方がない。

 いずれは、とハリスは笑う、王の交代ということもあろう。

 そのときは反乱の立役者こそ選ばれるべきであろうから、いまはあの陰気な男に夢を見させてやるのがよい。

 ハリスは部屋を出て、すでに自分自身が王座へ着くさまを想像しながら自室へ戻った。

 冬の夜は早く訪れ、いつまでも名残惜しげに留まる。

 あたりが暗くなったあと、セントラムの城下町には深々と雪が振った。

 それは朝まで止むことなく続き、夜明け前、三千の兵士たちが暗い町のなかを武装して歩くあいだも、また、城門前の広場に集結して事前に仲間へ引き入れておいた衛兵の手で騒ぎを起こすことなく城内へ侵入したときも、雪はなにも言わずに見守っていた。

 かつて、女王アリスの戴冠式では数万という人間が殺到し、自由に身動きすらとれなかった広々とした通路。

 塵ひとつなく清掃され、赤い絨毯も鮮やかなのを、兵士たちが汚れた靴で踏みつけてゆく。

 ハリス自身も武装し、兵士に紛れながら、言いようのない興奮に身体が打ち震えるのを止められなかった。

 赤絨毯の敷かれた通路、いくつかの短い階段を隔てた先に、王の間がある。

 王座が待っている。

 ハリスは、本来であれば無人の王の間ではなく、女王アリスの寝室へ向かうはずだったのを、ひとりでふらふらと兵士のあいだを彷徨い出た。

 身体を支配しているのは権力への渇望であった。

 階段を上り、がしゃりと鎧、森閑たる城内に響き渡るのも気にせず。


「おれの王座だ、おれの」


 焦るあまり、ずるりと足が滑った。

 剣の鞘が大理石の床を打ち、それでも這うように前へ、ハリスはただ王の間へ続く巨大な扉だけを見上げている。

 遮るものはなにもないはずだった。

 ひょいと、ハリスをあざ笑うように、扉の前に黒い人影が現れる。

 火も落とされた城内で、外では雪が振るというのに、不思議とその瞬間ばかりは青々とした月光が差し込んで人影を照らした。


「アントン――」

「ご苦労だったな、ハリス」


 アントンは青白い頬を神経質に引きつらせ、それがどうやら笑顔のようだと理解するまで、ハリスには時間が必要だった。

 背後で兵士たちが騒いでいる。

 慌ててハリスが振り返れば、ともに城へ乗り込んだ三千の兵が、通路という通路から飛び出した兵士に抗戦のひまもなく抑えこまれていた。

 剣戟の音も聞こえない。

 わあわあと騒ぎ、城のなかはまたたく間に喧騒、どこかで城の住人たちが起き出す音まで聞こえてくるようで。

 ハリスはまた前を向いた。

 目指した王の間までは、ほんの数歩。

 いまや立ちはだかるのはアントンひとりではない、となりには大柄な男、ロベルトも立っている。


「裏切ったのか、アントン」

「言葉には気をつけろ、ハリス。裏切ったのは、おまえたちのほうであろうに」

「反乱軍に参加すると見せかけて、ロベルトに情報を流しておったのだな。貴様、それでも――」

「それでも、なんだ?」


 アントンはにやりとして、文官を示す紺色のローブを広げる。


「見てのとおり、私は兵士でもなんでもないが。陰気で人間嫌いの男、アントンでしかない。おまえこそ、私になにを期待し、私のなにを信用したのだ。反乱に興味があるふうをした、私の演技か? それとも、おまえの目には別の私が映っていたのか――私はいつもこの陰気な顔でおまえを見ていたぞ」

「アントン、貴様」


 ハリスの両腕を、ロベルト配下の兵士がぐいと掴む。

 振りほどく素振りを見せれば、すばやく剣が抜かれ、首筋に押し当てられた。

 さすがに押し黙り、ただアントンとロベルトを睨む目だけは、どんな剣よりも妖しく、どんな炎よりも苛烈に輝いて。


「いったい、いつからロベルトと通じていた? ロベルトには監視をつけていたはずだ。おまえとロベルトが接触すれば、わかったはずだが」

「勘違いしておるようだが、私はロベルト殿と相談をしたことは一度もない。いまも、だ。ロベルト殿は独力で兵士の反乱を見抜き、私はロベルト殿が見抜くであろうことをわかっておったから、世に聞く一網打尽を見学しにきただけである」

「おれも、正行殿の影響をずいぶん受けちまったらしい」


 ロベルトは頭を掻きながら、


「アルフォンヌの引き連れていた兵三千が、ほとんど犠牲もなく素直に寝返ったのははじめからおかしいと思ってたんだ。それも、すべてがグレアム軍の傘下に収まることを望むってのは尋常じゃねえ。セントラム城を占領したとき、それまでここで暮らしてた傭兵連中でさえ、一部はグレアム傘下には下りたくねえと去っていったんだ。大陸の南方からやってきたはずのおまえたちが、待ってましたとばかりに鞍替えしたのには裏がある。当然、それはグレアム王国の転覆だろうよ。それが確信に変わったのは、アントン殿とおまえたちが会っているのを見かけたときだ。おれはいまさらグレアム王国を捨てる気にもならねえし、説得には応じねえとわかっていたんだろうが、アントン殿なら、と思ったんだろう。とくにハリス、おまえは昔からアントン殿とおれや正行殿が言い争っているのを見ていただろうからな」

「ならば、なぜその場で捕らえなかった」

「アントン殿がおまえたちの話に乗ったふりをしていると気づいたからさ。たしかに意見が食い違うことは多いが、おれはアントン殿の忠誠心を疑ったことはただの一度もねえ。正行殿も同じだろう。そのアントン殿が反乱軍に乗ったふりをする、こりゃあつまり、泳がせておいてすべて捕らえようとしてるってことだ。それならと、おれも気づかねえふりをしたまでよ」


 ハリスは強く唇を噛んだ。

 歯の先が皮膚を突き破り、血が流れ出しても、それにすら気づかない。


「近ごろ、どうも国内の団結に欠くようだったのでな」


 アントンはひどく冷たい眼差しであった。


「のちの禍根となりうる不穏分子は、ここですべて排除しておこうと思い立ったのだ。ハリス、おまえはよくやってくれたぞ。忠誠心のないものを巧みに誘い、今回の反乱に巻き込んでくれた。でなければ、また第二のおまえのような者が出てくるであろう。それらをすべて取り去るために、おまえの働きがどうしても必要だったのだ」

「はじめから、そのつもりだったのか。王の座に一度も心惹かれたことはなかったと?」


 喉の奥から絞り出すような声は細かく震えて、ハリスの情念を思わせたが、アントンは軽くうなずいて、


「王など、なんの興味もない。私にとって王とは地位であり、国とはすべてである。しかし今回の騒乱は楽しめた」

「下衆め!」

「なんとでも言うがよい。国に仇成すものは、私の前から消えてもらう」


 ハリスは兵士に両腕を捕まれ、そのままずるずると、這ってまで進んだ道を引き戻される。

 遠ざかっていく王の間に、伸ばす手もなく、ハリスはただひたすらにその扉を見つめ続けた。

 反乱に参加したほかの兵士たちも同様、いくつかの組に分けられて牢へ運ばれてゆく。

 ロベルトは暗い城内をちらと見回し、


「さて、一段落というところですかな。念のために城の外へ出ていただいているアリスさまに完了を伝えねば。これから連中の処遇も問題になりますな」

「うむ――どこの兵なのか、だれの指示でことを起こしたのか、聞き出さねばなるまい。ハリスはおそらく首謀ではない。ほかのだれかの意志が働いておるはずでしょうからな」

「ほかのだれか、か」

「まあ、おおよその見当はつくが」

「ほう、だれです?」

「おそらくは、ハルシャの皇帝、ロマンという男の指示でしょうな。あの兵士たちは、みなハルシャからアルフォンヌに貸し出されたもの。無論、ロマンはアルフォンヌが王子として自らの城に戻ろうが、それに失敗しようが知ったことではないはずだが、その争いを通じて自らの兵をグレアム王国の内部へ送り込んだにちがいない」

「ふむ――ロマンという男は、それほど頭の切れる男ですか」

「でなければ、あのような大群は率いられぬでしょうな。ロマンは北端にあるわがグレアム王国が力をつけてきたのを知り、直接兵を出すには遠すぎると、そのような手を使ってきたのでしょう。しかし今回、それは失敗した。ロマンも完璧な人間ではない、ということだ。無論ハルシャも無敵ではない」

「こちらはなんとかなったが、あちらはどうですかな」


 ロベルトは視線を宙に投げ、いまごろ大陸の西端に到着しているであろう正行を思う。


「正行殿にもうまくやってもらわねば困りますな」


 アントンはぷいとそっぽを向き、階段を下った。


「遠からずくるであろうハルシャとの全面戦争で、ロマンの相手ができるのは正行殿だけなのですから、この程度のことで挫折されては困る」

「ふむ……まあ、そうしておきましょう」


 ロベルトも階段を降り、ふたりは城外に待避しているアリスのもとへゆくため、城門を出た。


「おや」


 と見上げれば、いつの間にか雪もない。


「どうやら、よい朝になりそうだ」


 雲は晴れ、東の空にゆっくりと太陽が昇ろうとしていた。

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