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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
流星落ちるはかの国に
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流星落ちるはかの国に 0

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 目にも鮮やかな青い鳥、名をなんというのか、長い尾を向かい風、ひらひらと揺らして窓辺へ舞い降りれば、待つひとも美しく微笑んで止まり木たる白い人差し指、音もなく差し出す。


「あなたはいつもこの時間、やってくるのね。餌があるわけでもないのに」


 ひょいと指に乗り、ちちと鳴いて青い鳥、首をかしげて美しいひとを見上げる。


「だめよ、そんな顔したって。本当に、餌はないんだから。おとなりの国へ行ってごらんなさい。たくさんの餌をもらって、その美しさを褒め称えられるでしょう。ここのようなちいさな国じゃなくてね」


 独りごちる声も沈んで、目元がしょげる。

 それも一瞬、背後の扉が開けば毅然と背筋を伸ばして、


「アリスさま、国王さまがお呼びです」


 足を引いてぐいと頭を下げる女中に、美しいひとはぱっと手を振る、青い鳥は涙のように飛び去って、もう姿も見えぬ。

 白いドレスの裳裾、石造りの床を這うように。


「お父さまの容体は」

「いまは起き上がって食事を」

「このまま回復に向かえばよいのですが――そして、この国に平和が訪れれば」


 年若き女だが、眉尻がぐいと上がって、薄い唇一文字、長い首には銀の鎖が緩く絡んで、白い胸元、鮮やかな貴石がきらと輝く。

 優美な曲線で作られた階段を上る途中、ちらと窓の向こうを窺えば、恐ろしく晴れ渡った空、青々と澄み渡り、浮かぶ雲も所在なさげ、緩やかな風に右へ行こうか左へ流れるか迷うよう。

 眼下いっぱいには険しい山々、いくつもの緑が折り重なり、稜線なだらかに合わさって、なかには樹木のない禿げた山もある。

 採掘場の一帯は今日も騒がしいが、八重に広がる森林、いかなる名残も王宮には届けず、開けた城下町から祭り囃子のような雑踏、わずかに風が巻き上げて。

 女中が付き従う前、女は木造の扉、こんと叩いて扉を開ける。


「お父さま、お身体はいかがですか」

「おお、アリスよ、きたか」


 王の寝室というわりに、手狭な一室、ただ緋色の布団がかけられたベッドだけは大きく、四、五人は寝られようというところ。

 そこに、伸ばした髭の先まで白い男、目元には深い皺が刻まれ、目つきもどろんと濁って覇気がない。

 ふらふらと伸ばした手、女は駆け寄ってひしと掴み、ひどく熱っぽいのにはっとする。


「お父さま、ご無理をなさらず」

「無理なものか。おれは国王だぞ。この程度で倒れては、ましてや国の一大事、いま大臣以下を呼んでおる。対応を協議せねば」


 病の気配色濃く、それでも声には張りがあって、なるほど国王らしい威厳は消えぬ。

 それがふと、女を見る目つきはやさしくやわらかになって、


「評定にはおまえも並ぶのだ、アリス。いまのうちから国の動かし方を見ておかねばならぬ」

「いやです、お父さま」


 女は小刻みに首を振り、その白い頬、つつと涙が伝って、王の毛深い手の甲にぽとり。


「どうしてわたしが国など動かせましょう。お父さまでなくては、だれもついてきてはくれません」

「ついてきてくれるもの、と考えるのが悪い。よいか、アリス、国というのはな、鏡なのだ。清廉潔白心がければ、国も必ずそうなろう。他を排して内を優遇すれば、さような構造となろう。この国は、わしの鏡だ。やがておまえの鏡となる。おまえなら、よい国を作れる」

「お父さま、どうしてそのようなことをおっしゃるのです」

「さすがにこの病では気が滅入る。弱気が出ているのかもしれんが――」


 王は顔を正面へ向け、深々とため息つけば、偉大なる王も老いと病の衰弱を隠しきれぬ色。

 女がしかと王の手を握り、眉尻下げてベッドの傍ら跪くのに、控える女中も落涙を隠すよう、すっと顔を背けて目元を拭う。


「ともかく、清新たれ。他人を敬い、他人を助けるのだ。さすれば、窮地のとき、どこからともなく助けはこよう。希望は捨てるな。死してなお国を思え――おれもそうして死んでゆくつもりだ」

「死ぬなど、おっしゃらないでください、お父さま。そんな病はじきに去ります」

「病は去っても、老いが止まるわけでなし、いつかは死ぬのがひとの定めよ。しかし」


 と王は女を後目で見て、


「おまえには、すまぬことをした。良縁にも出してやれず、女の身にして国を継がねばならぬとは」

「それがわたしの宿命であれば、従うほかありません――ですが、わたしはまだ幼いのです。お父さまなくして生きていける法もありません」

「なに、おれなどなくとも、おまえを助けるものは数多い」


 言う矢先、外の廊下に幾人かの足音、扉が開けば、王の腹心が勢揃いしている。

 入室するや否や口々に体調を気遣うのを制して、


「疲弊しているのは国そのものだ。おれのことなどどうでもよい、早く対策を講じねば――連中が攻めてくる気配というのはたしかな情報か」

「はっ、どうやらそのようで――王の体調芳しくないと伝わっているようで、臆病なやつら、いまが好機と進軍準備を整えておるよう。迎え撃つにしても、兵力の差はあまりに甚大、いかがなされますか」


 王の伏せるベッドのまわり、ずらりと屈強たる男たちが並ぶのに、紅一点、王の娘は父の手を放さず、ベッドへふわりと広がるドレス、まるで室内に鋭い光が差したよう。


「国を捨てるか、迎え撃って潰れるか」


 乾いた唇が呟けば、王の表情に新たな苦渋、


「ともかく、準備だけはしておかねばならぬか……。城下にも情状を知らしめよ」

「し、しかし、それでは混乱が起きましょう。国民が逃げ出せば、それだけ国力も失われるということ、ここは城門を封鎖してでも国力確保へ動いたほうが良策かと存じまする」


 意見したのは額に汗を浮かべた痩せぎすの男、力なく上体を上げることにも億劫な王がちらりと見れば、ぶるると震え上がる。


「なるほど、その意見も理解はできる」


 存外にやさしい声である。


「しかし、考え方のちがいのようだ、おれはそのような策はとらぬ。逃げる民は存分に逃がせ。彼らは国離れてわれらの国力となる。われわれの意思、生き様が、彼らのなかに息づいておるだろう。逃げぬ民あらば、最後まで守ってやれ。国とはすなわち彼らのことだ」

「はあ――では、そのように」

「おれはどうやら動けそうにはない」


 王は深く息をつき、一同を見回して、最後に娘を見た。


「あとはおまえたちに任せよう。なにかあれば、また報告を」

「御意」


 大臣諸君が去れば、また静まる寝室のなか、しいんと空気が落ち着いて、耳鳴りすら起こすよう。

 豪勢なベッドにもいまやなにもない、ただ病に苦しむ男がひとり、七転八倒のなかで思い煩う。

 呼吸がぐっと荒らげば、女ははたと顔を上げて王を覗き見る。

 王は薄く目蓋を開いて、黒い瞳、なにを捉えるでもなく揺れながら、


「すこし眠る。なに、心配はいらん。明日になれば、今日よりはよくなるだろう」


 まるで信じていないような言葉を紡いで目を閉じれば、呼吸は寝息に変わるものの、やはり苦しげで落ち着かぬ。

 女はそっと手を放し、すくと立って、女中を連れて部屋を出た。

 廊下をすこし言ったところで口を開けば、


「学者さまは、お父さまの容態、なんとおっしゃっているのです」

「南方の薬あらば助かることも、と」


 女中がうっすらと涙ぐむのに、女はむしろきっと表情を引き締めて、


「お父さまは、なんとおっしゃって」

「わざわざ取り寄せる必要はないと。いまは国がそのようなときではないから、月日と資金を使ってやることではないと」

「ああ、せめてお父さまが国王でなければ! 娘が父を思う気持ちだけなら、わたしが無理やりにでも取り寄せるものを」

「お察しいたします」


 女中は深々と頭を下げている。

 女は自室へは戻らず、女中も連れず庭へ出て、抜けてゆく風、なにも知らぬふうな空を望み、果たして思うこともなく、土がむき出しになった地面、膝をついてただただ祈るのである。


「どうかお父さまのご病気が治りますように。どうかこの国が平穏無事に続きますように――」


 一陣の風が吹きて、舞い上がる黒髪、あらわになった首筋に白く清廉な横顔を見て、天上人はなにを思うか。

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