婚約破棄を申し出て鐘楼当番も返そうとした伯爵令嬢は、十二の鐘の下で硬い掌ごと選ばれる
「その手を晩餐の席へ出せるとお思い?」
一つ目。
アストギク様は私の手袋を裏返し、硬くなった掌を見て鼻先を曇らせた。
「スノッリ様もおっしゃっていたわ。働く女の手は、公爵夫人にふさわしくないと」
「スノッリ様が?」
「ええ。お気の毒だから、わたくしから伝えて差し上げるの」
公爵夫人の命で同じ鐘楼稽古へ入った方の忠告だ。疑う理由などない。ないったらない。胸の内側が鐘より先に割れそうなのは、信憑性とは無関係である。
私は鐘楼靴を寝台脇へ荷造りした。
あとは嫌われるだけだ。婚約を解き、当番も返す。二つ。きれい。数えられるものは怖くない。
翌朝、私はスノッリ様の見守る前で手袋を外した。
細い指で上品につまむふりはしない。撞木の綱を掌の奥へ食い込ませ、鐘守に教わった深い握りを堂々と晒す。公爵夫人候補としては落第、鐘守としては満点の握りだ。
「いきます」
「どうぞ」
腕ではなく腰で引く。撞木が鐘腹を打ち、朝の空へ澄んだ一打が抜けた。
広場の鳩が一斉に飛ぶ。
その下で、スノッリ様が誰より先に手を叩いた。
「見事です、ハスミク」
満面の笑みだった。
一度目の拍手。まだ足りない。
たぶん、遠目で掌の硬さが見えなかったのだ。次はもっと淑女らしからぬところを、至近距離でお見せしよう。婚約破棄というものにも、下準備は必要なのである。たぶん。
* * *
昼には裾を帯へ挟んだ。
足首が出る。縄を踏むよりずっとよいし、幻滅されるなら一石二鳥。私の評判だけが沈み、領民の昼餉は正しい時刻に始まる。たいへん善良な失恋計画だ。
礼拝の音は鐘の縁へ浅く、作業開始は腹へ強く。定刻の音は撞木を戻し、余計な響きを止める。
「止め!」
鐘守の声で掌を返す。三つの音は混じらず、屋根の向こうへそれぞれ走った。
鐘守たちは黙って親指を立てた。そこは協力しなくてよい。
「皆も、彼女から学んでください」
スノッリ様はまた拍手した。今度は鐘守たちまで続く。
二度目の拍手。計画が合わない。
縄をほどいた私の手を、スノッリ様が見た。親指の付け根が裂け、古い傷の上に赤い筋が浮いている。
「次の当番は休んでください」
ほら来た。
「承知いたしました」
「代わりはこちらで手配します。それから、これを」
彼は傷へ触れず、柔らかな裏革の手袋を私の指先へかぶせた。一指ずつ整える手つきが妙に丁寧で、追放の装備としては上等すぎる。
「痛みませんか」
「働かなければ」
私が答えると、彼の眉が寄った。
仕事ごと遠ざけたいのだ。アストギク様は正しかった。
なのに手袋は温かい。嫌われるのも、存外ぬくぬくしている。困る。
* * *
三度目は婚約祝賀日の大時報だった。
私の婚約を祝う鐘を、私が鳴らして、それから婚約を返す。
たいへん手際がよい。祝賀と破談を同日に済ませれば、招待客の馬車代も一度で済む。伯爵家の娘として経済観念まで立派。誰か褒めてほしい。できれば婚約者以外に。
鐘楼の下には、飾り布を張った見物席が設けられていた。正面中央にスノッリ様、その隣に公爵夫人。鐘守たちは塔の入口へ並び、祝賀の時打ちを待っている。
そしてアストギク様は、私のために空けられたはずの中央の席へ立っていた。
「ハスミク様は予鈴だけで結構よ」
彼女は銀糸の手袋で鐘楼鍵をつまみ、私へ差し出さず胸元へ寄せた。
「十二の時鐘はわたくしが。手のお加減が悪いのでしょう? スノッリ様も、無理をさせたくないと」
「アストギク」
スノッリ様の声が近づくと、彼女の語尾がふわりと丸まった。
「わたくし、ハスミク様を案じておりますの。先日も掌を傷めていらして。公爵家の祝賀で失敗なさったら、おつらいでしょう?」
二人きりのときには、その手は恥だと断定した口が、ずいぶん可憐に心配している。口調にも礼装があるらしい。
「役を決めるのはあなたではありません」
公爵夫人が手を差し出した。
アストギク様は鐘楼鍵を握ったまま笑う。
「でも、公爵夫人。わたくしはスノッリ様とも鐘を鳴らしたことがございますし、ハスミク様より公爵家の作法を——」
「鍵を」
短い。
アストギク様の指が一本ずつ開いた。公爵夫人は取り戻した一本の鍵を、私の手袋の上へ置く。
「三度目も、あなたが鳴らしなさい。最後まで」
「最後まで」
「何か?」
「いいえ。承りました」
都合のよい言葉だった。
これが最後なら、全部を正しく終えられる。
私は鐘楼靴へ履き替えた。寝台脇から持ってきた、革の擦れた靴。今日が済めば箱ごと返す。鍵も、当番も、婚約も。三つ。増えた。よくない傾向だ。
石段へ足をかける。
一段、二段、三段。
「ハスミク」
振り向くと、スノッリ様が階下に立っていた。
「手は」
「手袋をいただきましたので」
「そうではなく」
四段目へ上がる。
彼は何か言いかけたが、公爵夫人に呼ばれた。私は聞こえなかったふりをした。得意ではない。今日から練習する。
鐘楼の上階には、日の光と油と古い麻縄の匂いが溜まっていた。
中央に大鐘。その左右へ予鈴と終鈴。足元には撞木縄、戻し縄、止音の革帯。毎日触れたものばかりなのに、返すと決めると急にこちらを見てくる。物に顔はない。今日はある。たいへん迷惑。
「綱、よし」
鐘守の頭が結び目を確かめる。
「止め革、よし」
「時刻、あと半刻」
「早いですね」
「いつも通りだ」
そう言って、鐘守たちはまた親指を立てた。
やめてほしい。親指一本で人の決意を揺らさないでほしい。
私は手袋を外した。
スノッリ様からいただいたものは柔らかすぎて、縄の癖が読めない。そっと畳み、窓台へ置く。硬い掌が風にさらされた。
広場からアストギク様の声が上がる。
「まあ。せっかくのお品を」
見なくても、口元が分かる。人の傷を憐れむときだけ、あの方はよく通る声を出す。
撞木縄へ右手を掛けた。
浅い。違う。
指をほどき、掌の奥へ縄を入れ直す。親指で押さえ、左手を一巻き下へ。撞木の深い握り。これでよい。
正午まで、あと十息。
十。
広場の話し声が低くなる。
九。
旗が西へ膨らむ。
八。
スノッリ様が見物席から一歩出る。
七。
アストギク様がその隣へ並ぼうとする。
六。
公爵夫人の扇が閉じ、行く手を塞ぐ。
五。
鐘守が予鈴の留めを外す。
四。
掌の傷が、手袋のない風を思い出す。
三。
寝台脇の箱。中はもう空だ。
二。
終わらせる。
一。
私は予鈴の縄を引いた。
高い音が一つ、広場を撫でる。市場の売り手が手を止め、荷車の御者が馬を寄せた。領都が時刻を受け取る姿を、私はずっと上から見てきた。
返したくない、などと考えてはいけない。
予鈴の戻りを肩で受け、縄を送り、揺れを殺す。次は大鐘。
「時鐘、入るぞ」
「はい」
撞木縄を握る。足を半歩引く。息を吸った。
一打目。
腰を落として引くと、撞木が鐘腹へ入った。
どん、と胸骨の裏まで震える。
一つ。
縄が跳ね戻る。手を開けば皮を持っていかれる。握り込まず、逃がさず、戻りに沿って腕を上げる。
広場の端で、パン屋が窯の蓋を閉めた。
二打目。
二つ。
残響が薄くなるところへ次の音を重ねる。早すぎれば警鐘、遅ければ偽の時刻。私がどれほどみっともなくても、領民にだけは間違った鐘を渡さない。
見物席で、スノッリ様がこちらを見上げている。
掌ではなく、顔を。
三打目。
三つ。
縄が指の節を擦る。昨日開いたところへ熱が走った。
アストギク様は扇で日を避け、正面中央へ半歩戻った。大丈夫。十二が済めば、あの場所も空く。婚約者の隣も空く。欲しい方が入ればよい。
撞木を戻す。
四打目。
四つ。
鐘の影が床を横切る。
子どもが母親の袖を引き、塔を指した。母親は耳元で何かを教え、子どもが両腕で縄を引く真似をする。
淑女らしくない格好まで、よく見えるだろう。
よし。幻滅なさいませ。
スノッリ様は笑っていた。
なぜ。
五打目。
五つ。
私は裾を膝へ挟み、さらに深く踏み込んだ。飾り布の下から拍手が一つ聞こえた。
彼だ。
まだ五つです。拍手が早い。時刻を乱さないでいただきたい。私の心拍だけが勝手に乱れる。
「間、よし」
鐘守の声。
六打目。
六つ。
右の掌で、何かがほどけた。
傷だ。
縄に細い赤がつく。握りをずらせば次の打ちは浅くなる。警鐘ではない。祝賀の大時報だ。正しく十二。終鈴まで。
左手を一巻き詰め、右の力を減らす。
広場には分からない。
分からなくてよい。
七打目。
七つ。
鐘楼靴の底が石を噛む。荷造りしたとき、泥を落としておけばよかった。返却物として減点。いま気にすることではない。ではいつ気にするのだ。破談の直後か。忙しいな、今日の私。
笑いそうになった口を結ぶ。
スノッリ様の笑顔は消えていた。
彼は私の手元を見ている。
八打目。
八つ。
「手を!」
下から声が飛んだ。
スノッリ様だ。
私は返事をしない。いま返せるのは時刻だけ。
縄が戻る。掌の赤が麻へ吸われた。
鐘守が動こうとしたので、首を横へ振る。
「続けます」
「替われるぞ」
「私の当番です」
最後の。
それだけは声にしなかった。
九打目。
九つ。
残響の底で広場が静まる。誰も話さない。アストギク様の扇だけが動き、金具を光らせた。
私は息を吐く。
引く腕はまだある。指も五本。左右で十本。十二打には足りる。計算として何かがおかしいが、勢いで押し切る。
十打目。
十。
撞木の入りがわずかに深い。
鐘守が「いい音だ」と呟いた。
褒められた。今でなくてよい。今でなくてよいのに、喉の奥が狭くなる。
窓の下で、スノッリ様が見物席を離れた。塔の入口へ向かってくる。
十一打目。
十一。
石段を上がる足音がした。
速い。
「ハスミク!」
短い。怒っているようにも、困っているようにも聞こえる。
あと一つ。
私は縄の戻りを待った。焦れば間が縮む。彼の足音ではなく、残響を聞く。鐘が遠い屋根へ届き、薄くなり、空へほどけるまで。
十二打目。
十二。
全身で引いた。
撞木が鐘腹を打つ。
音が塔を満たし、掌の熱も、階段の足音も、寝台脇の空いた場所も、何もかも一つに潰して広場へ落ちた。
これで終わり。
縄を送る。撞木を戻す。勝手な十三打目を鳴らさせない。止音の革帯を当て、揺れを受け止める。
まだ終鈴がある。
右手を開くと、皮膚が縄へ貼りついた。一本ずつ剥がす。鐘守が布を差し出しかける。
「終鈴が先です」
「おう」
誰も止めなかった。
終鈴の細い縄へ左手を移す。祝賀を結ぶ最後の一音。強すぎず、弱すぎず。
引く。
明るい音が、十二の残響へ銀の糸を通した。
下で歓声が上がった。
鐘守たちはまだ拍手をしない。仕事が終わるまで動かない人たちだ。だから好きだった。
好きだった、ではない。
好きだ。
困った。返す直前に確認することではない。
階段からスノッリ様が飛び込んできた。
「手を見せてください」
「時打ちは終わりました」
「手を」
質問ですらない。ずいぶん公爵らしくない。
私は畳んだ手袋を差し出した。
「お返しいたします」
「それではありません」
続いて、鐘楼靴を脱ぐ。さすがに素足はまずいので、持参した室内履きへ替えた。準備のよい破談者である。
靴を揃え、両手で彼へ差し出す。
「本日の大時報をもちまして、鐘楼当番をお返しいたします」
スノッリ様が動かない。
広場の拍手が階下から昇ってくる。一つ、二つ、もう数えきれない。三度目の拍手を勘定する予定だったのに。
「なぜ」
「公爵夫人にふさわしい方へ、お譲りするためです」
「誰に」
「アストギク様です。祝賀時打ちも、あなたのお隣も望んでおられます」
「私が望んでいません」
即答だった。
まだだ。言わなくては。一度で済ませる。ここで引き延ばせば、次の時報に差し支える。
「それから、スノッリ様。わたくしとの婚約を、破棄していただきたく存じます」
三度目は、拍手より先に彼の顔が崩れた。
笑顔が消えた、だけではない。
目が見開かれ、息が止まり、伸ばしかけた手が宙で固まった。私が傷を見せたときより、ずっと痛そうな顔をした。
「なぜ」
「ですから、わたくしの手は公爵夫人には」
「なぜ」
一歩。
鐘楼靴を挟んで、彼が詰める。
「私の何を見て、私を要らないと決めたのです」
数えられない。
短い問いが胸へ入って、十二まで並べた数字を全部さらっていった。
「要らないのは、スノッリ様のほうでしょう」
「誰が言ったのです」
「アストギク様が。あなたが、働く女の掌を恥じていると。彼女とは共に鐘を鳴らしたこともあり、祝賀の役も任せたいと」
「一度もありません」
階段口にいたアストギク様の扇が止まった。いつ上がってきたのだろう。公爵夫人もその後ろにいる。
「ですが、アストギク様は」
「彼女と二人で鐘を鳴らした事実は、一度もない。役を任せたいと言ったことも、あなたの手を恥じたこともありません」
「では、当番を休めと」
「傷が開いていたからです」
彼の声が掠れた。
「触れれば痛むと思った。だから手袋だけを直した。休む日を作りたかった。それを、仕事を奪う言葉に聞こえるよう言ってしまったのは私です。ですが、あなたを鐘楼から遠ざけたいと思ったことなどない」
「でも、この掌を晩餐の席へ」
「出してください」
「硬いのですよ」
「知っています」
「縄だこもあります」
「見れば分かります」
「今日など、血まで」
「それでなぜ、私があなたを手放す話になるのです」
知らない。私に聞かないでいただきたい。こちらは三回も嫌われようと励み、そのたび拍手された側である。計画書を返してほしい。赤字でいいから添削してほしい。
アストギク様が小さく笑った。
「まあ、行き違いですわ。わたくしはただ、ハスミク様が公爵家で恥をかかないよう——」
「あなたは彼女に、私がその手を恥じていると告げたのですか」
スノッリ様が振り向く。
アストギク様の声が、急に塔の壁へ吸われた。
「心配、でしたの。奥様も、若い令嬢に鐘楼を理解させたいと、わたくしたちを同じ稽古へ——」
「理解したのは、虚言でも鐘は鳴らせないということね」
公爵夫人が言った。
上品な声で、切れ味だけが俗だった。ばっさり。
アストギク様は公爵夫人の腕へ縋ろうとした。公爵夫人は半歩ずれ、扇の先で空いた階段を示す。
逃げ道ができたのは彼女なのに、なぜか私が逃げたくなった。
手を背へ隠す。
スノッリ様がこちらを向いた。
「見せてください」
「見たでしょう」
「足りません」
何が。
彼は私の右手を取った。傷を避け、指の付け根と手首だけを支える。柔らかいところを探すような持ち方だった。
広場からは塔の窓が見える。
鐘守も、公爵夫人も、アストギク様も見ている。
「スノッリ様、硬いですから」
「ええ」
逃がそうとした掌を返される。
彼は膝を折らなかった。ただ私の手を高く持ち上げ、目を逸らさないまま、縄だこの重なった掌へ口づけた。
傷ではなく。
隠してきた、いちばん硬いところへ。
広場の拍手が一瞬遅れ、それから大鐘より大きく塔へ押し寄せた。
嫌われる計画、大失敗。
ざまあみなさい、私。こんな失敗なら、もう一度くらいしてもいい。
「私は自分であなたを望み、婚約を申し入れました」
彼の唇が掌から離れる。
「鐘を正しく鳴らすあなたも、傷を隠して笑うあなたも、嫌われようとして三度も私を喜ばせた不器用さも。誰にも譲る気はありません」
「喜ばせていたのですか」
「毎回」
「最初の拍手も?」
「抑えたつもりでした」
「二度目も?」
「かなり」
あれで。
では三度目はどうなるのだ。下から響く拍手を数えようとして、三つ目で諦めた。これは無理。領都じゅうが計算を妨害している。
* * *
「わたくしも」
声がうまく出ず、一度のみ込んだ。
ここで軽口へ逃げれば、たぶん一生逃げる。
「鐘楼も、あなたも、譲りたくありませんでした」
スノッリ様の指が強くなる。
私は左手に持った一本の鐘楼鍵を、彼の掌へ置いた。
それだけでは返却に見える。今日の私は返すことばかり考えていたから、彼の顔にも一瞬、同じ影が戻った。
違う。
鍵の上へ、自分から右の掌を重ねる。
「ですから、返しません。どちらも」
硬い皮膚が、彼の手へ触れた。
彼がようやく息を吐いた。笑い直そうとして、失敗した顔だった。そちらも大失敗である。目元がまるで公爵らしくない。
「承知しました」
「スノッリ様がお決めになることではありません」
「では、お願いします。私の隣にいてください」
「鐘楼でも?」
「鐘楼でも、晩餐でも」
これでようやく、二つとも私が選んだ。
背後で衣擦れがした。
「奥様、わたくしは祝賀のためを思って——」
公爵夫人は階下へ向かい、見物席を見下ろした。中央には私が抜けたままの席があり、その隣にスノッリ様の椅子がある。
端には、柱で塔が半分しか見えない小さな席が一つ。
「アストギク様をご案内して」
従者が進み出る。
「祝賀時打ち役はハスミクです。あなたは端で見物なさい」
「ですが、わたくしにも稽古の成果が」
「虚言を吹き込む暇はあったのでしょう。見物の時間も取れます」
公爵夫人、二太刀目。乱発はなさらない。だから深い。
アストギク様の祝賀用の手袋から、飾り房が外された。従者が彼女の名札を中央席から抜き、端の椅子へ差し直す。
彼女はもう公爵夫人の腕へ触れられなかった。
広場へ下りると、アストギク様は人垣の端へ案内されていた。望んでいた中央では、スノッリ様が私の傷んでいない側の手を取る。
鐘守たちが一斉に帽子を脱いだ。
「いい時報だった」
「次も頼む」
「手ぇ休めてからな」
三人目だけ余計である。正しいけれど。
スノッリ様は受け取った鐘楼鍵を私へ戻した。
「次の時報は、二人で鳴らしませんか」
「公爵様に撞木縄が引けます?」
「学びます。あなたから」
「手の皮が剥けますよ」
「なら、手袋を貸してください」
「柔らかすぎて滑ります」
彼は少し考え、私の右手を両手で包んだ。
「あなたの掌が傷んだ日だけ、私が縄を引きます。あなたは隣で間を教えてください」
「毎回休ませようとなさらない?」
「しません」
「鐘楼から遠ざけない?」
「私も上がります」
「晩餐には?」
「その手で来てください」
硬いでしょう、と逃がした手を、彼は離さなかった。
私は数えるのをやめ、指を絡め直した。




