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第1王子の側近でしたが婚約破棄された悪役令嬢を大事にします

作者: 白百合千里
掲載日:2026/08/12


――その日、王宮の大広間は異様な静けさに包まれていた。


 煌びやかなシャンデリアの下。


 大勢の貴族たちが見守る中、一人の令嬢が壇上に立っていた。


 金色の髪を背中へ流し、背筋を伸ばしている。


 その姿は、まるで咲き誇る一輪の薔薇。


 セレナフィア・ローゼンベルク。


 この国で知らぬ者はいない、公爵令嬢だった。


 そして今日――彼女は、この国で最も恥辱的な立場に立たされていた。


「セレナフィア・ローゼンベルク」


 玉座の前に立つ青年が、冷たい声で彼女の名を呼ぶ。


 エルディア王国第一王子。


 レオンハルト・エルディア。


 かつて彼女の婚約者だった男だ。


「君との婚約を破棄する」


 ざわり、と大広間が揺れた。


 セレナフィアは一瞬だけ目を伏せた。


 しかし、すぐに顔を上げる。


「……理由を、お聞かせくださいませ」


「君がリリアーナを虐げていたからだ」


 レオンハルトの隣に立つ少女が、小さく肩を震わせる。


 リリアーナ・フェルメール。


 男爵令嬢でありながら、王子の寵愛を受けるようになった少女。


「私は……何度もセレナフィア様に嫌がらせをされました」


 涙を浮かべながら、リリアーナが訴える。


「教科書を破られたり、階段から突き落とされたり……私なんか王子殿下に相応しくないって……」


「嘘です」


 静かな声が響いた。


 セレナフィアだった。


「私は、そのようなことをしておりません」


「まだ言い逃れをするのか!」


 レオンハルトが声を荒らげる。


 その瞬間。


 大広間の隅に立っていた一人の男が、目を細めた。


 アーノルド・ヴァレンシュタイン。


 これまで第一王子の筆頭側近として仕えてきた男だった。


 彼は知っている。


 セレナフィアがリリアーナを虐げてなどいないことを。


 それどころか――。


 王子が知らないところで、彼女が何度も王子を助けていたことを。


 他国との交渉。


 王宮内の派閥争い。


 民から上がってきた陳情。


 レオンハルトが王太子として恥をかかないよう、裏で処理していたのはセレナフィアだった。


 だが、その事実を知る者は少ない。


「証拠もある」


 レオンハルトが一枚の紙を掲げる。


「これは君がリリアーナを害するよう命じた証拠だ」


 セレナフィアの顔から血の気が引いた。


「……そのようなもの、私は知りません」


「もういい」


 レオンハルトは冷たく言った。


「君には失望した」


 その言葉に。


 セレナフィアの瞳が、ほんの少しだけ揺れた。


 それでも彼女は泣かなかった。


「……承知いたしました」


 深々と頭を下げる。


「婚約破棄、お受けいたします」


 大広間がざわめいた。


 そしてレオンハルトは最後の言葉を告げる。


「さらに、ローゼンベルク公爵令嬢セレナフィアを王都から追放する」


 その瞬間だった。


「――お待ちください」


 低い声が響いた。


 全員が振り返る。


 アーノルドだった。


「アーノルド?」


 レオンハルトが眉をひそめる。


「何のつもりだ」


「本日をもちまして、私は殿下の側近を辞任いたします」


「……何?」


「これ以上、殿下にお仕えする理由がなくなりました」


 アーノルドは胸元の紋章を外した。


 そして、それを王子の前へ差し出す。


「好きにしろ」


 レオンハルトは吐き捨てた。


「お前の代わりなどいくらでもいる」


「……そうですか」


 アーノルドはそれ以上何も言わなかった。


 ただ、壇上のセレナフィアを見る。


「セレナフィア様」


「……何でしょう」


「私と婚約していただけませんか」


「…………え?」


 大広間が凍りついた。


「アーノルド……?」


 セレナフィアが目を見開く。


「私と結婚してください」


「なぜ……?」


 震える声。


 アーノルドは静かに答えた。


「私は、あなたがただの令嬢などではないと知っています」


 セレナフィアの瞳が揺れる。


「あなたが殿下のために何をしていたのかも」


「……」


「だから今度は、私があなたを守ります」


 その言葉を聞いた瞬間。


 セレナフィアの瞳から、一粒だけ涙が落ちた。


「……変な人」


 彼女は小さく笑った。


「こんな私を選ぶなんて」


「こんなあなた、とは?」


「もう何も持っていない女です」


「それなら、私が持っているものを半分差し上げます」


「……何を?」


「私の人生です」


 セレナフィアはしばらく黙っていた。


 そして――。


「……よろしくお願いいたします」


 小さく頭を下げた。


 こうして。


 王宮を追われた悪役令嬢と、第一王子の元筆頭側近。


 二人の婚約生活が始まった。



 アーノルドとセレナフィアが婚約してから、半年。


 二人は王都から少し離れたヴァレンシュタイン領で暮らしていた。


「アーノルド様」


「どうしました?」


「今日もお仕事ですか?」


「ええ。ただ、今日は早く戻ります」


「……本当に?」


 セレナフィアが不安そうに尋ねる。


 以前なら考えられなかった。


 誰かの帰りを待つこと。


 誰かに甘えること。


 けれどアーノルドは、そんな彼女を笑わなかった。


「約束します」


「……はい」


 それだけで、彼女は嬉しそうに笑う。


 そんな日々を重ねるうちに。


 二人の間には少しずつ変化が生まれていた。


 アーノルドは気づけばセレナフィアの好きな紅茶を覚えていた。


 セレナフィアは、アーノルドがいつ帰ってきても過ごしやすい環境を用意した。


「……不思議ですね」


 ある夜、セレナフィアが呟いた。


「何がです?」


「私は以前、愛されることに必死でした」


 彼女は窓の外を見る。


「殿下に認めてもらいたくて、完璧な婚約者でいようとして……」


「……」


「でも今は」


 セレナフィアがアーノルドを見る。


「あなたに嫌われないように頑張る必要がない気がするんです」


「当然でしょう」


「どうして?」


「私はもう、あなたを愛していますから」


「…………」


 セレナフィアの顔が真っ赤になる。


「……突然、そういうことを言うのは卑怯です」


「申し訳ありません」


「謝らないでください……」


 彼女は俯いた。


「……嬉しいですから」


 その夜。


 二人の距離は、ほんの少しだけ近づいた。



 一方、王宮では――。


「なぜだ!」


 レオンハルトが机を叩いた。


 政務が滞っていた。


 外交交渉は進まない。


 貴族たちの派閥争いは激化する。


 財務状況にも問題が出始めた。


「アーノルドがいなくなっただけで、なぜここまで……!」


 さらに悪いことは続いた。


 セレナフィアが処理していた案件まで次々と発覚したのだ。


 彼女が王子に報告する前に解決していた問題。


 彼女が独自に動いていた外交。


 彼女が止めていた貴族たちの陰謀。


 すべてが表面化した。


「……まさか」


 レオンハルトは震えた。


「今まで……セレナフィアが……?」


 しかし。


 もう遅かった。



 それから一年。


 王宮で開かれた夜会に、一組の男女が姿を現した。


 アーノルドとセレナフィアだった。


 かつて「悪役令嬢」と呼ばれた女は、以前よりもずっと穏やかな顔をしていた。


 そして、その隣には彼女を愛する男がいる。


「……セレナフィア」


 レオンハルトが近づいてくる。


「久しぶりだな」


「ええ。お久しぶりです、殿下」


「君に……謝りたい」


 セレナフィアは黙って彼を見る。


「私は間違っていた」


「そうですか」


「君を疑うべきではなかった」


「……」


「もう一度、やり直せないだろうか」


 その瞬間。


 アーノルドが一歩前へ出た。


「申し訳ありませんが」


 穏やかな声だった。


「妻に近づくのは、その辺りにしていただけますか」


「妻……?」


 レオンハルトが目を見開く。


「ええ」


 アーノルドはセレナフィアの手を取る。


「私の妻です」


 セレナフィアも、その手を握り返した。


「私はもう、殿下の婚約者ではありません」


 彼女は微笑む。


「私はアーノルド様の妻です」


「……!」


 レオンハルトの顔が歪む。


 だが、もう彼女の心は王子にはない。


 かつて愛した男ではなく。


 自分を信じてくれた男を見つめる。


「帰りましょう、セレナフィア」


「はい、あなた」


 二人は並んで歩き出す。


 その背中を、レオンハルトはただ見つめることしかできなかった。


 かつて自分が捨てたもの。


 それがどれほど大切だったのか。


 失って初めて気づいた。


 ――けれど。


 もう二度と戻ってはこない。


 王宮を出た二人は、夜空を見上げた。


「アーノルド様」


「はい」


「私、今とても幸せです」


「私もです」


「……昔の私に教えてあげたいです」


「何を?」


 セレナフィアは微笑んだ。


「あなたを信じていれば、大丈夫だって」


 アーノルドは彼女の手を握る。


「では、これからも私を信じてください」


「はい」


 二人は歩き出した。


 もう振り返ることはない。


 悪役令嬢と呼ばれた女は、愛する男とともに。


 自分だけの幸せを見つけたのだった。


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