私を殺しても誰も得をしないというのに
背中の鋭い痛みで意識が戻った。体は重く、頭は霧がかかったみたいにぼんやりしている。軋むまぶたを開けるとそこは普段の寝室とは別の天井が目に入った。体中が痛いが、特に背中の部分には明らかに普通でない痛みを感じる。体を起こせないまま首だけを動かして辺りを見回すと、見覚えのある宮廷医が立っていた。どうやら私の主治医らしい。話を聞くと私は背中を短剣で刺されて、なんとか一命を取り留め、そのあとも丸三日、高熱で目を覚まさなかったとのことだ。口の中に独特な苦味を感じて、薬を飲まされながら看病をしてくれていたことを悟った。
私はどうやら何者かに襲われたらしい。
ここは王城の医務室。この国の第一王子であるクロシェット殿下と婚約している私は、将来の王妃になることが決まっている。そのため私は王妃教育を受けなければならず、一年ほど前から実家のレヴェラント公爵家を出て城の客室に住んでいた。私の記憶も、専属の侍女のアンナと一緒に、綺麗に整えられた客室で少しばかりの夜更かしをしていたところまでしかない。
そこで私ははっとした。
「アンナはどこにいるのですか?」
主治医の顔を見ると、困惑したような顔をしつつも説明をしてくれた。私を襲った犯人は侍女のアンナだということ。そして、今アンナの裁判中で、まず間違いなく処刑になるだろうということだ。
にわかには信じがたかった。アンナは私の最も信頼している侍女だ。歳も近く、主従の立場を超えて、かけがえのない友人でもある。昔から私の面倒を見てくれている彼女が、私を殺そうとしたなんて何かの間違いとしか思えない。
そもそもなぜアンナが犯人ということになっているのだろうか。目撃者でもいたということなのだろうか。少なくとも本人から直接話を聞くまでとても信じられる話ではなかった。
痛む体を叩き起こし、すぐに裁判会場まで連れていくように主治医に詰め寄る。まだ安静にしてないといけないのはわかってはいるが、それどころではない。アンナが処刑されようとしているのだ。
強い剣幕で主治医に頼み込むと、渋々と観念した様子で車椅子に乗せてくれた。
ガタゴトと揺られて会場に着き扉を開ける。私は視線を一斉に浴びた。大広間の中には、国王陛下を含むこの国の重臣や貴族たちが一堂に会している。その中心にアンナが後ろ手に縛られた状態で膝をついていた。
思わず一瞬だけ声が出かかったが、すぐに飲み込み車椅子をアンナの隣まで寄せて貰った。
「エレノア嬢か」
陛下は一言確認するように呟き、私が生きていることを理解する。表情こそ変わらず厳格なままだが、安堵している空気が読み取れた。
「アンナが犯人だなんて何かの間違いです」
「状況を見ればそこの侍女しか犯行が可能な人間がいない事は明白だ」
私の部屋の前には廊下が一本だけで、その扉の前にはこの国の騎士団の方が二人体制で夜警をしている。
部屋の中に居たのは私とアンナだけ。その状況で背中を短剣で刺されて倒れていたとのことだ。部屋には窓もなく、唯一の出入り口は騎士団によって監視されていた。アンナも前室で気絶し倒れていたようだが、この状況なら疑われても無理はないのかもしれない。
だが、最も重要な事はアンナは犯行を否認している、という事だ。もしアンナが犯行を認めていたのならあらゆる意味で絶望するしかなかった。私にとっては、アンナが犯行を否認しているというその事実だけで、アンナを信じる根拠としては十分過ぎるほどだった。だが、そんな感情論を言ったところで耳を貸す人などいるわけもない。アンナの無実を信じている人が私しかいない以上、私がやるしかない。
「私が犯人を見つけます」
陛下の目が少し見開かれた。わかりにくいが驚いているのだと思う。こんな小娘が何を言っているのかと、吐き捨てられても無理はない。だが、被害者である私自身が嘆願しているのだ。聞き入れてもらえる算段はあったし、何もしなければアンナが処刑されてしまうのだ。是が非でも頷いて貰う他なかった。
「これは王家の威信の問題でもある。王城で預かっているエレノア嬢が殺害されかけたのだ。犯人はわからないでは済まされない」
「存じております」
私の覚悟を試すように目を見て告げるが、私は目を逸らすこともなく即答する。じっとこちらを見ていたが、陛下はそっと目を瞑った。
「三日だ。それ以上は待てぬ。三日を過ぎたら当初の予定通りそこの侍女を犯人として処刑する」
* * *
私は物心ついた時からずっと、毎日が退屈だった。才能に恵まれたからだ。三歳には読み書き計算を覚え、五歳には大人でも難しい本を読み、そして十歳になる頃には領の経営の一部を任されていた。自分が優秀だと言う自覚はある。それを誇りに思わないわけでもない。地理、歴史、楽器、法律、社交、結局何ひとつ習得するのに苦労する事はなかった。自分が恵まれていることはわかっているし、これに不満なんて言ったらきっと神罰が下る。ただ、退屈なだけだ。当たり前のことを当たり前のようにやれば当たり前の結果が出る。この予定調和のような日々が苦痛だった。
私を知る大人たちは、誰もがその才を伸ばしたくなるらしい。期待と願望が積み重なって、日々仕事と課題が増えていく。大人たちの事情も理解しているので私はそれをこなす。そうするとまた課題が増える。それをこなす。また増える。またこなす。暴れたり逃げ出したりすることはなかった。幸か不幸かそのぐらいの理性は持っているらしい。何も問題を起こすことがなかった代わりに、一日、また一日と意識に霧がかかっていくようだった。
私の幼少期を言葉にするなら、つまらない、面白くない。これに尽きる。
ある時、公爵家に新しい侍女が入ってきた。年のころは私と同じ十歳だと聞かされていた。公爵家の教育は行き届いているため、今まで侍女たちは印象にも残らないぐらい完璧な仕事をしていた。
だからこそ、いきなり紅茶を顔にかけられた時には驚いた。驚き過ぎて何が起こったかを理解できなかった。他の侍女たちが青ざめて慌てふためいている様子をみて、ようやく新人がつまづいて持っていた紅茶を私の顔にかけてしまったんだと把握できた。私はその時のことを一生忘れる事はないだろう。込み上げて来る笑いを我慢できなかった。今まで生きてきてこんな面白い出来事があっただろうか。落としたティーカップと一緒に、退屈な日常を盛大に砕いてくれた気さえした。大きな声をあげて笑ってる私を見て侍女たちはぽかんとしていたが、ともかく私は楽しかったのだ。こんなことをしでかした侍女は本来ならクビ、良くて折檻だろうが、私はその新人の侍女こそを専属にと父にせがんだ。
その時の侍女がアンナだ。わがままを言ったことがない私のおねだりが珍しかったのか、お父様は快く承諾してくれた。アンナはそれ以来、誰よりも全力で私を支えてくれている。さすがに紅茶をかけられる事はもうなかったのだが、献身的に私に尽くすその仕事ぶりを見ていれば、アンナが私を殺そうとするわけがないことぐらいわかる。
アンナは一時的に解放された。もちろん監視は付くが、アンナに対してというより、私に対しての陛下の温情なのだと思う。端的に言えば三日間悔いのないように過ごせということだ。
アンナに車椅子を押されて、医務室に戻りベッドに横になる。やっぱりまだ背中は痛むが気にしていられるほど時間はない。
「エレノア様、こんな事になって申し訳ございません」
「アンナのせいじゃないわ。あなたも襲われたのでしょう?」
「私は気絶させられただけで外傷はありません。それよりエレノア様に剣を突き立てた犯人が本当に許せません」
悔しそうに歯噛みしている。アンナも犯人の顔は見てないそうだ。見ていれば話は早かったのだがそう簡単にはいかないらしい。突然、扉が開き一人の男が私の名前を叫びながら勢いよく飛び込んできた。特徴的な綺麗な目鼻立ちと、王族にのみ許された紋章入りのマントが目を引く。その男はベッドに横たわった私を見るなり、膝をついた。
「ああ、エレノア。本当に、本当に良かった。目を覚ましたんだね」
震える声で、私の手を取りながら言う。私の婚約者であり、この国の第一王子のクロシェット殿下だ。
私が目を覚ましたのを聞いて、即座に飛んできたらしい。殿下はつい先ほどまで騎士団で訓練をしていたらしく、鎧を付けていた。兜と剣は置いてきたが、鎧を脱ぐ時間も惜しんで駆けつけたそうだ。
「こんな格好ですまない。急いで来たものでね、本来は花の一つでも用意するべきだったんだが。何か必要なものでもあるかい?食事の準備でもさせようか」
捲し立てて来る殿下に少し引きながらも、そう言えば何も食べてない事を思い出して好意に甘える事にした。殿下は視線を隣のアンナに向けた。
「だが、なんで君がここにいるんだ?エレノアを殺そうとしたのは君だと聞いたんだが」
「いいえ、アンナは犯人ではありません」
私は遮るように否定した。殿下は裁判にはいなかったので、今の状況は知らないらしい。私がアンナを庇って、犯人探しをしている状況を伝えた。私が出しゃばってることや、犯人について殿下はどう思うのだろうか。
殿下はしばらく考え込んでいた様子だったが、こちらを見て微笑みを浮かべた。
「君がそう言うならそうなのだろう。信じるよ。でもそうだとするなら、君は誰が犯人だと考えているんだ?」
「まだわかりません。情報が必要です。殿下にもお話を伺いたいと思っているのですが」
「もちろん構わないよ。エレノアの力になれるならなんでも答えよう」
私を信じ、協力をしようとしてくれる姿勢を嬉しく思いつつも、頭を調査に切り替える。
「私が襲われた時のことを話していただけますか?」
「ん、そうだね。と言ってもあまり知っている事はないのだけど。僕も半年前ぐらいから騎士団に入って訓練をしてはいるけど、夜警をすることはないからね。あの晩は僕も側仕えと共に自室にいたし、朝方君が倒れて発見されたということを聞いただけなんだ」
概ね想像通りの内容だった。騎士団に入った事は知っていたし、団員たちとも仲良くやっているという話も聞いていた。護られる側の殿下が夜警をするということもないのだろう。殿下は整った顔を曇らせて続けた。
「今回の件で僕は君を守れなかった責任を取ろうと思う。王城で事件が起きた以上、これは王家に責任があると言える」
「どうすると言うのですか?」
「僕は王位継承権を放棄し、王家を出て臣籍降下する。おそらくそうならざるを得ない。これぐらいしないと君の父上が許さないだろう」
さらに殿下は顔をしかめた。その表情を見て私は続く言葉がわかってしまった。
「そうなるとエレノアとの婚約も…なかったことになる。まあ君を守れなかったんだ。婚約者としての資格はなかったと言えるのかもしれないな」
殿下は自嘲気味に言った。婚約解消。それも仕方がないか、と私は思った。
私と殿下との付き合いはそれなりに長い。私の殿下に対しての印象は、平凡そのものだった。整った顔で人柄が良く、他の令嬢からの人気も高いが、それだけの人だった。特別な能力があるわけでもなく、取り立ててダメなところがあるわけでもない。そんな普通の人であってもやはり婚約者だ。解消されると聞いて、思うところがないわけではなかった。
殿下が食事の準備のために医務室を去ると、重い沈黙が流れた。明るい話ではなかったので当然ではあるが、私の心はそれとは裏腹に浮き足立っていた。
大事になっている事は理解しているし、私だって怪我を負わされている。何よりアンナの命がかかっているのだ。非日常感に酔いしれている場合ではない。唇を噛んで気持ちを落ち着かせていると、その様子を見てアンナが、
「エレノア様、大丈夫ですか?」
と声をかけてきた。私が落ち込んでいると思ったのだろう。純粋に心配をしてくれているらしい。少しだけ罪悪感が芽生えたが、気を取り直してアンナに向き直った。
「私は大丈夫よ。それよりも一つ気になったのだけど、私は三日ほど寝込んでいたのよね?アンナの裁判はなぜ三日後にされていたの?あの状況では即日処刑されていてもおかしくなかったと思うのだけど」
「それは、一週間前から陛下が外交の為、王国を留守にしていたからです。城に帰ってきた日がちょうど本日でした。殿下も代理の仕事は大変だと嘆いていました」
なるほど、と私は首肯した。陛下は王国にいなかったのか。おかげでアンナが命拾いできたのだから運が良かった。殿下についてはまあ、お疲れ様でしたと言う他ないだろう。
「事件について一旦整理しましょう。私の部屋で私は何者かに襲われた。アンナは気絶させられて前室に。唯一の出入り口の扉の前には騎士団の夜警が二人いた。これで間違いないのね?」
アンナはこくりと頷く。その後倒れているところを発見され今に至ると。正直これでは真犯人の見当のつけようもない。
「そこから犯人を考えるのは無理ね。一旦別の角度から考えましょう。私を殺して得をする人は誰かしら」
「得をする人、ですか?」
そう、私を殺す動機から考えてみよう。公爵令嬢である私は政治的に重要な立ち位置にある。私が死ぬ事でどう物事が動くのだろうか。
例えば国王陛下。私は第一王子クロシェット殿下の婚約者だ。つまり王家はレヴェラント公爵家と契約を結んでいると言う立ち位置にある。
私の実家であるレヴェラント公爵領は、海に面していて海産物を始めとする経済活動がとても活発な土地だ。品物を内陸に運ぶために商人の行き来も多く、領内の流通こそが、レヴェラント公爵領を支える柱だ。
流通を維持する為に必要不可欠なのが治安だ。そのため収入の多くを治安維持に充てている。つまりは軍事費だ。公爵軍として私兵を多く持ち、盗賊の排除や街道の警備等、治安維持に全力を注いでいる。その結果武力では王国軍を凌ぐほどとも言われ、王家からレヴェラント公爵家は敵視、警戒されている。婚約はその折、王家から公爵家に要請があり、帰順の意思を確認するために結ばれたものであった。つまり私は言ってしまえば人質だ。それに公爵軍を一時的に貸与し王家と公爵家の武力のバランスを保つこと、その他軍備を維持するための金品を納めること。その代わりに娘を将来的に王妃に据える、つまり継承権第一位の王子に嫁ぐこと、という契約になっている。明らかに公爵家の持ち出しが多く、王家に取ってこの縁が破談になることは是が非でも避けたいだろう。
例えばクロシェット殿下。先ほど殿下自身が言っていたが、この件で王家は責任を追及される立場になる。私が被害者である以上、婚約者である殿下が責任の一端を担うと言うのは妥当なところだろう。継承権を放棄し、臣籍降下し、婚約の解消をするつもりだと言っている。爵位がどうなるかまではわからないが、王族を離れれば今まで通りの生活はできないだろう。
それならレヴェラント公爵家の方はどうだろうか。私には妹がいる。仲が悪いわけではないが、良くも悪くも私の中では妹は普通という認識だ。私のものをなんでも欲しがるし、見目の良い殿下との婚約を羨んでいたのも知っている。公爵家から嫁ぐなら私だって良いでしょうとお父様に詰め寄っていたのも目撃したことがある。とは言え、私を殺したところで殿下に嫁げるようになるわけもなく、私の持つドレスや宝石等が妹のものになるということもない。結局妹に取っても得はない。
だがお父様は違う。今回私が殺されかけたことで、王家に責任を追及できる立場にある。婚約に乗り気でなかったとしたのなら、これを理由に破談にできるし、賠償を請求することもできる。私が死んでいたならさらに大きな要求をすることもできるだろう。この事件だけを見ればお父様が最も利益を得る立場と言える。お父様は厳格で苛烈な人だ。目的のために必要とあらば非情な決断を下すこともある。
「お父様に会えないかしら」
「エレノア様のお見舞いのために、昨日公爵領を出立しこちらに向かっているとのことです。明日には到着すると思います」
* * *
お父様と話した記憶はほとんどが仕事のことだったように思う。十歳の頃から領地経営を手伝っている私は父の仕事ぶりを間近で見てきた。全ての物事を使えるか、使えないかで判断するお父様が幼心に少し苦手だった。幸いにも使える側に分類された私だったが、お父様の目には私自身より、私の能力だけが映っていたように思う。その冷たく、合理的な考え方がやっぱり少し面白味がないなという印象が強かった。
なので、アンナからお父様が私のお見舞いに来る、という話を聞いたが、本当のところはお見舞いはついでだろう。娘が傷付けられたことに対して王家に直談判しに行くというのが本来の目的のはずだ。
昨日より少し傷の痛みがマシになったので、ベッドから上半身だけを起こして、お父様を出迎えた。
「無事で良かった」
表情ひとつ変えずに告げる父に、私は本題に入る前の世間話を始めようとしたが、父に制された。
「前置きは良い。お前の傷に差し障る。長引かせるものでもないだろう」
「わかりました。お父様はこれから城に向かうのですよね」
「ああ」
短く簡潔な返事。お父様との会話はいつもこんな感じであったことを思い出した。久しぶりに会ったと言っても一年やそこらで変わるものでもない。
「殿下は責任を取って、王家を出ると言っておられました」
「その程度は当然であろう」
「私の今後の嫁ぎ先はどうなりますか?」
「王家の出方次第だな。少なくとも同じ条件で縁談を纏める気はない。ほぼ白紙だ」
まあそうなるか、と私は嘆息した。やっぱりお父様は婚姻の条件を快く思っていなかった。そうなるとこの事件は渡りに船と言うところだろう。問題はその渡る船を自分で用意したか否かという話だ。
「なぜ殿下の婚約者は妹でなく私にしたのですか?」
「お前の方が優秀だからだ。あれに王妃など務まらん。今後王族として公爵家と関係を取り持つのはお前が適任だ」
「では、もし私が今回の事件で死んでいたらどうするつもりだったのですか?」
「その時は、王家か公爵家のどちらかが滅ぶことになったであろうな」
その返答を聞いて私はぎょっとした。あまりに予想外で、一瞬言葉に詰まってしまった。
「王家と戦争をなさるおつもりですか!?」
「大事な娘を殺されて泣き寝入りできるほど、私は出来た人間ではない」
傍目にはわからないが拳を強く握りこんでいる。そんなお父様を見て私は唖然とした。お父様の口からそのような言葉が出てくると思わず、言葉の意味を飲み込むのに時間を要してしまった。
お父様に取って私など、代わりの効く駒でしかないと思っていた。家の存亡を賭けるほど大事にされていたと知って心の中にじんわりと暖かいものを感じた。
「そうでしたか。今ほど死なずに良かったと思ったことはありませんでしたわ」
心の内を隠すように、私はわざと軽い口調で返す。それを聞いてお父様もいつもの厳しい表情を緩めて言った。
「ああ。お前は生きていてくれ。それだけでいい」
*
「話をしてみるものね」
お父様が去ったあと、誰にともなく呟いた。私はお父様のことを誤解していたのかもしれない。想像外なのはいつだって楽しい。えもいえぬ満足感に満ちていた。ただ、お父様は事件の犯人ではないだろう。いくらなんでも王家と戦争をすることを望んではいないはずだ。
やっぱり私を殺したとして政治的に得をする人間なんていない。うーんと思考を巡らせていると、アンナが、
「それならば怨恨の線はどうでしょうか」
と言った。
「私、誰かに恨まれているの?」
自分で言うのもなんだが割と品行方正な方だと思う。それなりに回りには気を遣っているし、誰かに恨まれるようなことをした覚えはないのだけれど。
「いえ、そう言うわけではありませんが、アカデミーでの噂のようなこともありますので」
ああ、と私はため息をついた。私は一年ほど前はアンナや殿下とも一緒にアカデミーに通っていた。今は王妃教育のためアカデミーを休学しているのだが、半年ほど前に、私の身に覚えのない悪評が出回ったことがある。内容は別に大したものではない。婚約者がいる身で男遊びしているとか、下級貴族をいじめているとかだったと思う。事実無根だし、そもそも私は休学中だったのもありすぐに噂は鎮静化したのだが、一時的には結構広まったとの話は聞いた。
まあそんな噂が出回るということ自体恨みや妬みの類は持たれているということなのかもしれない。傍目からみれば、公爵令嬢で殿下との婚約者と言う立場を羨むものだってどこかにはいるだろう。
「その噂の出元を調べれば良いわけね?」
「いえ、実はもう調べてあります。ソフィア男爵令嬢です」
ソフィア、ソフィア。記憶を探ってみても名前に聞き覚えはない。
「私、会ったことあるかしら?」
「アカデミーでは建前上身分は関係なく、学力でクラス分けをしますので、エレノア様がご存じなくても無理ないことかと思います。私は同じクラスでしたので、一度直接注意をしに行きました」
「それでなんて?」
「たった一言だけ、申し訳ございません、と」
「よくわからないわね。そんな噂を流しておいて否定したり開き直ったりしたわけではないの?」
「そうですね。その後殿下の方からも注意されたようで、以降噂の方は落ち着いていきました」
「殿下もそのこと知っているの?」
「はい。殿下も私やソフィアと同じクラスでしたので」
アカデミーに通っているということならここからそう遠くないところに居を構えているか、アカデミー内の寮に泊まっているかどちらかだろう。お父様の時のように直接話すことで、得られるものがきっとあるはずだ。柏手のようにパン、と一つ音を鳴らす。
「そのソフィア男爵令嬢と直接お話ししてみましょう」
* * *
ソフィア男爵令嬢が医務室を訪れたのは夕方になってからだった。本当ならすぐにでも会いに行きたかったのだが、私は怪我をしているし、身分の差もかなりあるので貴族の常識に則れば呼び出すより他はなかった。
「急なお呼び立てに応じていただきありがとうございます」
本心ではあるが形式ばった礼を伝えたが、ソフィアは俯いて小声ではいと、返事するだけだった。体を縮こまらせ震えている。明らかに怯えた様子が見て取れる。
「大丈夫?顔色が悪いわ」
「申し訳、ございません」
「謝ることはないのだけれど、少しお話を聞かせてもらいたくて」
怯えて返事もできないのか、俯いたまま黙って佇んでいる。話が進まないので、私はそれを了承と捉えて質問する。
「私の悪評を流していたと聞いたのだけど、それは本当かしら?」
ソフィアの体がビクッと跳ねた。今にも泣きそうな顔をして、ただでさえか細い声をさらに絞り出したような音量で答える。
「申し訳、ございません」
「本当なのね?」
「申し訳、ございません」
この言葉しか知らないインコのように繰り返すだけで、全く会話にならない。そんな責め立てているつもりはないのだが、ソフィアには威圧するように聞こえてしまっているのだろうか。私はチラッとアンナの方を見て、私そんな怖い?と視線だけで尋ねたがフイと視線を外されてしまった。解せない。
「怒ってないから落ち着いて。私は事実を知りたいの」
「申し訳、ございません。私がお答えできることは、何もありません」
私は大きくため息をついた。どうやっても話は出来なさそうだと諦める。このままだと下級貴族をいじめていると言う噂が事実になりそうだ。まるで私が悪いみたいではないか。
「わかったわ。お呼び出ししてごめんなさいね」
私がそう告げると、ソフィアは頭を深く下げて、まるで逃げるかのように足早に医務室を出て行った。
「私、そんな威圧的だったかしら」
「まあ、正直なところソフィアの気持ちはわかります。私やソフィアのような身分の者にとって、エレノア様のような方は雲の上の人ですから」
「そうだとしてもあそこまで怯えるほどかしら?」
「それについては私も怪しいと思います。何かやましいことがあるからあんなに怯えていたのかも」
私も怪しいとは思ったのだが、それ以上にあの怯えた様子が気の毒に思えてしまい、何も聞けなかった。
「アカデミーでのソフィアの様子はどうだったの?」
「そうですね。目立つ印象こそ無いですが、とにかく色々な方と交流を持っていて、その皆全てと仲良くしていました。特定の派閥に属しているということもないですが、仲が悪い人の話は一人も聞いたことがないですね。殿下とも良く話をしていたと思います」
アンナの言葉に引っかかるものを感じた。殿下とも良く話していた?当然であるが王族である殿下は私より身分が高い。その殿下とちゃんと話ができているのであれば、さっきの私に対して怯えていた理由は身分とは別のところにあるということだ。
ただ、そこまで考えたところで結局行き詰まった。どんな理由で怯えたり、恨んだりしていたところでソフィアに私を襲う手段があるかと問われれば難しいと言わざるを得ない。特に王城に潜り込んで警備を掻い潜り私に短剣を突き立てるなんて、非現実的にも程がある。
窓の外を見るともう日が沈みかかっている。時間が無い。陛下との約束の日はもう明日に迫っている。心に焦りが出始めたのを察してか、アンナは私に声をかけた。
「もし犯人がわからなくても仕方がありません。私にとってはエレノア様が信じてくれたということだけで十分ですから」
慰めるようにいうアンナに言葉を返せず黙り込んでしまう。
「三日で犯人探しなんてそもそも無理な話なんです。それより最後にこうしてゆっくりとエレノア様とお話しできたこと、陛下に感謝しなければなりません」
明日のことを想像すると、凍え切ったように体が冷たくなるのを感じる。心臓が痛いくらいに脈打っている。私は今まで追い詰められたという経験がない。どんなことでもやればできる私にとって苦境に立たされただなんてことが一度たりとも無かったのだ。呼吸が荒くなり、傷口が痛む。体中の血が沸き立つぐらいこの状況が心から楽しくて仕方がないのだ。不謹慎なのもわかっている。だけどこのスリルはまるで脳内に直接ハチミツを流されたように私を魅了していた。
神経が研ぎ澄まされ、思考が冴え渡る。何かに覚醒したのではないかと思うぐらい私は絶好調だ。
だから、もしかしたら普段なら聞き逃してしまうようなことにも気付けたのかもしれない。アンナの次の言葉に何か違和感を覚えたのだ。
「それより、エレノア様がまた命を狙われるのではないかということの方が心配です」
命を狙われる。殺されそうになって生きているのだから当然なのかもしれない。けれども私自身、全くその可能性を考えていなかったのだ。それはなぜ?頭のどこか心のどこかで、殺されることはもうないと理解していたからだ。そこに至ってようやく私は一つの可能性に気づけた。だが、まだ足りない。
「アンナ、今騎士団はどこにいるかしら?」
「え、騎士団ですか?今は訓練場にいると思いますけど」
「すぐにそこまで連れて行ってちょうだい。そしてアンナにはそのあとやって欲しいことがあるの」
「や、やって欲しいことですか?」
「そう、ソフィアにもう一度会いに行ってちょうだい。私では怖いみたいだからね」
「それは構いませんが、話して貰えるんでしょうか」
私は指をひとつ立てて、少し得意げな顔を作って言った。
「この件に関して告発しない、と私が言っていたと伝えて」
*
私が訓練場に顔を出した途端、団員達は総員で私に頭を下げてきた。騎士団が警護に当たっていながら私に怪我を負わせてしまったことに対する謝罪だそうだ。今日は殿下は訓練に参加していないと聞いていた。だがいたとしてもそもそも全員がフルプレートの甲冑を着ていて、誰が誰だか全くわからない。
「謝罪は受け取りましたので、少しお話を聞かせてください」
そう言って私は、騎士団長と、あの夜の夜警をしていた騎士を除いて下がらせた。
「ずいぶんと訓練に熱が入っているのですね」
「ええ、二度とこのような失態を起こさんためにも皆訓練に必死になっているんです」
私はそれだけでない事は知っている。騎士団の仮想敵として定められているのは、レヴェラント公爵軍なのだ。私が襲撃されたことで、もしかしたら戦争が起きるかもしれないと考え、全力で訓練に打ち込んでいるのだろう。公爵令嬢の私に対しそんなことを言う人はいるわけもないし、私にとってもあえて口に出すことでもない。それよりも私は騎士団の方に聞きたいことがあった。
「この方たちが私の部屋を警護してくれていた方ですか?」
「ええ。左からアルバ、ケインです」
兜を取り軽く会釈をする。私も車椅子に座りながら軽く会釈し、いつもご苦労様です、と言った。
「このアルバは非常に真面目で、ちょっと堅物過ぎるのが難点ですが。まあ忠義に厚いというのは良いことなのかもしれませんがね。信頼はできる男です。こっちのケインはアルバと正反対の雑で適当な奴です。良く訓練の手を抜いて、俺が叱り飛ばしています。二人混ぜられればちょうどいい人間にもなるんでしょうが、上手くいきませんね。あともう一人いるのですが、今日は休みでして」
「あら、警護は二人体制なのではないですか?」
「そうなんですが、ご覧の通り、フルプレートはとても重く体力を使うので途中で警護を交代する場合もあるんです」
交代要員は時間まで訓練場にある宿舎で仮眠を取っていて、時間になったら現地に向かうらしい。あの晩はアルバは夜通し、ケインは交代要員として勤務していたそうだ。ここから私の部屋までは大体十分ぐらいと言ったところか。
「食事はどこで食べますの?」
「宿舎にある食堂ですね。配給があるので訓練が終わったあと皆で食べます。興味がおありですか?男所帯なのであまりお嬢様にお見せできる所ではないんですがね」
ガハハと言って豪快に笑う騎士団長。見た目通りの気質らしい。訓練終わりにお酒も飲むのだろうし、大体どういう惨状になるのかの想像はついた。
「ありがとうございます、大変参考になりましたわ」
「お嬢様の力になれたなら騎士団冥利に尽きますな。ですが一つだけ言わせてください」
騎士団長は神妙な面持ちになって、私に向き直った。
「この騎士団に、賊に魂を売り渡す奴なんていません。アルバはもとよりこの馬鹿ケインであってもです。金や金品で賊を素通しさせるようなことがあったなら、俺が責任を持ってそいつを処分します」
「ええ、私は騎士団の方々を信用しています」
殺気の籠った声に、私は笑顔を向けて返した。もとよりそんな心配はしていないし、それだけ真剣に仕事に臨んでいる団長には好感が持てた。今後もたまには騎士団に顔を出してみようかな、とそんな他愛もないことを考えていたが、大事なことを思い出した。訓練場に連れてきてもらったあと、アンナにお使いを頼んでいたので、私はこのまま動くことができないのだった。
「団長様、ひとつお願いがあるのですが、私、侍女にお使いを頼んだので、誰かに押してもらわないと医務室に戻れないのです。団員の方を一人お貸しして貰えませんか?」
「それは構いませんが…」
「ケインさん、でしたかしら。あなたにお願いできますか?」
突然指名されてケインは少し慌てた様子ではあったが、団長の命令もあって、困惑しながらも送ってもらうことになった。ケインを指名したのにはもちろん理由がある。どうしても騎士団長のいない所で話をしたかったからだ。ガタゴトとしばらく無言で押してもらっていたが、訓練場を少し離れたところを見計らって私は声をかけた。
「ねえ、ケインさん」
後ろにいるケインの顔を見ることはできないが、息を呑む音が聞こえた。やっぱり何かを察して身構えていたらしい。
「な、なんでしょうか。お嬢様」
「あの晩の話なのですが、あなたが交代要員で宿舎に待機していたので間違いないのよね?」
「ま、間違いありません。それがどうかしましたでしょうか」
異様に私を警戒しているような雰囲気を感じ取り、私の推測が当たっていることを確信する。
「あなた、団長様に報告していないことありません?」
車椅子がガタッと揺れた。ケインの体が強張り車椅子が急停車したからだ。なんと返せばいいかわからずしどろもどろになっているケインに私は追い打ちをかけるように続けた。
「やっぱり、寝坊したのですね」
「こ、このことはどうか団長には…」
車椅子の前に回り込み、青ざめた顔をして懇願する。
まあ責任持って処分する、と言った団長の迫力を考えればそれも無理ないかと思う。だけど別に私は脅迫したいわけではない。事実確認がしたかっただけだ。普段だったらそれを黙っておいても良かったのだが今回はそういうわけにはいかない。
「残念ながらそれはできません。ですがお願いを聞いて貰えれば多少なりとも擁護はしてあげられます」
「お願い、ですか?」
絶望して打ちひしがれていた顔に、若干の希望の光が見えた。そんなに期待されても困るのだが。
「ええ、明日の裁判に出席してください」
* * *
裁判は厳かに始まった。王城の広間には三日前に見た同じ面々が集まっている。国王陛下は当然として、その他にも私が呼んで出席をしてもらった人たちがいた。殿下、お父様、騎士団の方々、そしてソフィアだ。ソフィアには「この件について告発しない」という約束で、ここに来させるようアンナにお使いを頼んでいた。あの怯えようだともしかしたら来てくれない可能性もあるかと思っていたけど、視線を巡らした先に彼女を見つけて、私は安心した。
アンナは前回と違い手こそ縛られていないが、やはり中心に立たされている。注目を一心に受けるプレッシャーは相当なものだろう。だが凛とした顔付きで陛下を見つめている。昨晩アンナと打ち合わせをした。裁判の結果を決定付けるものは、事実でも証拠でもない。陛下の心証が全てなのだ。どんなに強力な根拠があったところで信じて貰えなければ全ては無意味だ。アンナの無罪を勝ち取るためには私の説得力にかかっている。このプレッシャーが実に心地良い。私の気分はこれ以上無く高揚していた。そして私は今、アンナの隣に立っている。
「さて、あれから三日が経過した。話を聞かせて貰おうか」
陛下のこの言葉が合図となった。私は目を閉じてひとつ深呼吸をして言った。
「やはり、アンナは犯人ではありません」
「理由を聞こう」
「私が今生きてここにいること、そしてアンナ自身が犯行を否認しているからです」
「犯行を否認すれば犯人で無くなるなら、この世に罪人は一人もいない」
陛下は吐き捨てるように言った。ある意味当然の反応だ。私が言いたいこと、伝えたいことはここからだ。
「もし、アンナが私を殺そうと思ったのであれば機会はいくらでもあったはずです。私の専属侍女なのですから。わざわざ自分しか犯行が可能な人間がいないような状況でするはずがありません」
「死を覚悟してのことかもしれんぞ」
「そうであれば今、犯行を否認していること自体がおかしなことになります」
陛下は押し黙った。ある程度の合理性を感じて続く言葉を待っていてくれているのだろう。私は言葉を続けた。
「そもそも、私が生きている事自体が不自然なのです。もしアンナが犯人だとするなら…いえ、これに関しては誰が犯人だとしても、です。私の背に短剣を突き立てただけで、なぜとどめを刺さなかったのでしょうか。首を切ればほぼ確実に死んでいましたし、仮に急所を外したのだとしても、その短剣を抜いてもう一回刺せばそれで済む話ではないでしょうか」
「何が言いたい」
「犯人には殺意そのものがなかった、という事です」
陛下の目が見開かれた。どよめきが水面を伝播するように広がっていく。私がずっと思い違いをしていたのがこれだった。私は殺されそうになったのに、私を殺して得をする人間がいない。これがずっと引っかかっていた。それは当然だ。犯人は私に死んで貰っては困るのだ。犯人の目的は私を襲撃する事そのもので、殺すつもりは最初から無い。そう考えた時私の頭の中でようやく全体像が描けたのだ。
「そう考えた時に、必然的に必要な能力があります」
「それはなんだ」
「私を殺さない為の技術です。万が一にも致命傷を与えるわけにはいかないのであれば、それは誰にでも可能というわけにはいきません。人体を熟知し、人を殺すことに精通した手練。殺す事に精通しているからこそ、殺さない事もできる、と考えます。例えば戦に備えて何年も対人訓練を積んでいるような方であれば可能なのではないかと」
陛下は騎士団の方に視線を向ける。だが、すぐに視線を戻し首を横に振った。
「騎士団の誰かが犯人と言いたいのかもしれないが、常時二人での任務を義務としている。あの夜もそうだった。まさか警護に当たった二人が共犯とでも言うつもりか?」
「その可能性はありますが、私は無いと考えています。というよりその必要がありません」
「どう言うことだ?」
「騎士団はフルプレートでの勤務のため、体力の消耗が激しく、交代制での勤務だそうです。こんなにも重い鎧を纏っていたらそれも当然ですね。ですがその交代要員がいつまで経っても来なかったらどうでしょうか」
私はそこまでで区切り、一息入れた。そして騎士団の方を見る。陛下も再度騎士団の方を見た。
「交代時間過ぎても来ない。しびれを切らして宿舎まで迎えに行くでしょう。訓練後は皆で食事をするそうです。それなら食事に眠り薬等を入れるチャンスは団員なら誰にでもあったでしょう。そうすれば確実に寝坊させることができます。そして私が襲撃された晩、寝坊した方がいたそうです」
本当か、と陛下が騎士団の方に証言を取る。ケインの食事に本当に薬が入っていたかはわからないが、そう言うことにすれば酌量の余地も出るだろう。私ができる擁護はこれぐらいしかない。ケインは顔面を蒼白にしながらはいと答えた。団長は私に刺さった短剣よりも鋭い視線をケインに向けていた。
「つまり私を殺さず襲撃できる手練が一人になる時間があったということです。宿舎まで片道十分だとすれば往復で二十分程度。それだけの時間があればアンナを気絶させ、私に短剣を突き立てることも可能でしょう」
「アルバが犯人、ということか」
ケインの隣に立つアルバは口を固く結び、視線を誰に向けるでも無く一点に固定している。この場にいる全員がこの騎士アルバを見ている。その圧の中みじろぎひとつせず沈黙を貫くのはさすがと言う他なかった。
「アルバは私もよく知っている。長年国を支えてくれた忠義に厚い騎士と認識していた。このような反逆まがいの真似をするとは、にわかには信じがたい」
「私を襲撃した事自体は事実でしょう。ですが、なんのためにそんなことをしたのかが、一番の疑問でした。陛下に覚えていただけるほどの騎士が、なんの理由もなく王家の婚約者を害するとは到底思えません」
「だがアルバは一切を口にしておらぬ」
私はこの先を続けることを少し躊躇った。私の目的はとにもかくにもアンナの無罪を勝ち取り、処刑を回避することだ。ここまでくればそれはもう達成したも同然と言って良い。陛下も私の話に納得してくださっている。これ以上は私にとってリスクしかないことはわかっている。それでも私はもう一歩踏み込む事に決めた。それはアルバの為ということになるだろう。だが、それが本心かと言ったら嘘になる。私はこの昂った高揚感に抗うことができない。そんな身勝手な思いだけだ。
「口にしない、のではなく口にできない、のではないでしょうか」
「なんだと?」
「この騎士の忠誠心は王家に、ひいては国に向けられたものです。例え家族を人質に取られ脅迫されたとしても裏切ることはないかもしれません。そうであるなら、黙っていることこそが忠誠心の表れなのではないかと思います。そう例えばーー」
「王命とか」
そこまで言うと、陛下はガタッと音を立ててその場で立ち上がった。
「余がエレノア嬢を殺せと命じたと申すか!」
激昂し、掴みかからんばかりの勢いで怒鳴りつけるが、私は努めて冷静に首を横に振る。
「王命とは国王が王の権力を持って強制的に他者を従わせるもので、基本的には国王陛下以外に使用することはできません。ですが、例外があります。陛下は私が襲撃された日、外交のため国を留守にしていらっしゃいました。その場合、王国法で国王不在時の取り決めがなされています」
「……ああ、そうだ。例えば不在中反乱や他国からの侵略等があったときのために王権代行、つまり継承権第一位の王子を一時的に王の代理とする決まりがある」
厳密には有事の際と明記されているわけではない。だから陛下が不在でさえあれば、王権代行を用いた王命は有効となる。
「お前か、クロシェット」
皆が一斉に殿下の方を向いた。正直に言えば賭けだった。それも分の悪い。事実がどうかが重要なのではない。陛下がどう判断するかなのだ。どれだけ疑惑があろうとも、陛下が違うと言えば違う。王族である殿下の罪を陛下が認めるかどうかは、陛下の公平性にかけるしかなかった。殿下が王命で私を襲撃させたと言う証拠自体はどこにもない。聞く耳をもってもらえなければそれで終わりだった。だが、陛下は疑惑の目を息子であり王太子であるクロシェット殿下に向けた。私は賭けに勝ったのだ。これで私は殿下を勝負の土俵に引き摺り出す事ができる。
「僕が大事な婚約者であるエレノアを傷付けるなんて、そんな馬鹿なことがあるわけないでしょう」
殿下は一瞬動揺した様子を見せたがすぐに落ち着きを取り戻したようだった。推測でしかない私の話なんてどうとでも言い逃れできると思っているのだろう。身振り手振りを用いて、どれだけ私を愛しているかを語り出した殿下は、控えめに言って滑稽だった。
「エレノアは何か勘違いしているんだ、きっと。君の侍女を助けたい気持ちはわかる。だからと言って僕を犯人扱いするのは、君のためにならないよ。そうだろう?」
私は殿下の問いかけには答えず、陛下の方を向いたまま、追撃をすることにする。
「陛下、ソフィア男爵令嬢をご存知でしょうか」
名前を出した瞬間、殿下の顔色が明らかに変わった。口をぱくぱくさせて何か言いかけているが、無視して私は続ける。
「私やアンナや殿下と同じ、アカデミーに通う生徒の一人でございます」
「それがどうした」
「陛下は半年ほど前、私の悪評が広まったことはご存知でしたか?」
今そんなことは関係ないだろう!と殿下が叫びながら遮るが、陛下は一瞥して少し黙れと言い下がらせた。
「このソフィアが、私の悪評を広めたということになっております。私は昨日お会いしてその件を聞いたのですが、全く何も答えてもらえませんでした。ですが、この件に関して何も告発しないと言う約束で、改めてアンナに聞きに行くようお願いしたのですが、少し話をしてくれました」
「ああ、余の耳にも入って来ていた。エレノア嬢を知る余にとってはくだらぬ噂でしかなかったがな。そこの令嬢が流した噂だと言うのか」
ソフィアの方を見ると、また小動物のように俯いて縮こまっている。
「ソフィアは男爵令嬢です。アカデミーに通っている生徒のなかでも身分は最も低いと言って良いでしょう。そんな下級貴族が、公爵令嬢である私の悪評を流したところで、どれだけの人が本気で取り合うでしょうか。陛下が信じなかったように、おそらく大多数の人がくだらないと聞き流すのではないでしょうか。陛下の耳に入るほど広がることは考えにくいと思います」
私は殿下の方を一瞥する。青白かった顔を今度は真っ赤にしながらこちらを睨んできた。整っていた顔は見る影もなくぐにゃりと歪んでいる。私が言おうとしていることがなんだかわかっているようだ。
「噂の拡散には影響力がものを言います。影響力は身分の高さに比例するでしょう。そして、現在アカデミーに通っている生徒の中で私より身分が高い人は、王族である殿下ただ一人です。そう考えた私は、ソフィアに、アンナ越しに尋ねました。殿下が流した噂の出所として、汚名を被っているのではないか、と」
ソフィアが小さく頷いたのを見て、陛下は深く息を吐いた。デタラメだ、と今もなお叫んでいる殿下から視線を外して、私に問う。
「クロシェットが身分の低いソフィア嬢に目を付け、身分をふりかざし汚名を被るよう指示したということか」
「そうであればまだ良かったのだと思われます」
「なんだと?」
私はアンナと場所を代わる。聴取内容は勿論私も聞き及んでいるが、直接話したアンナが話すのが一番適任だろう。アンナは手帳を取り出して読み始めた。
「殿下とソフィアの面識は、最初は同じクラスということだけでした。ソフィアは勉強でわからなかったところを殿下に尋ねたそうです。そのことがきっかけで、徐々に話す回数が増え、それとともに親密になっていきました。ある時を境に、殿下はソフィアに求婚するようになりました。殿下には婚約者がおられるし、身分が違いすぎると言ってお断りしたのですが、殿下は諦めませんでした。もし、僕が王族じゃなく、婚約者もいなかったら、結婚してくれるか。それを聞いたソフィアは困り果てこう言いました。それが運命ならば、と」
陛下は目を閉じて眉間を押さえた。言葉は発していないが、なんて愚かな、という声が聞こえて来る。
実に貴族的な言い回しだ。それが運命ならば、つまり今回は運命でないのでごめんなさいという断り文句だ。だが、生粋の貴族であるはずの殿下は、そうなったらそれはもう運命なので結婚しますと受け取ってしまったということだ。
どこまで盲目的に恋をしていたと言うのだろうか。
本当に意味を取り違えたのか、それとも自分に都合良く解釈したかっただけか。今となっては本人にしかわからない。私はアンナを下がらせ、続きを話す。
「それを聞いた殿下は、まず私の悪評を流しました。とりあえず私が婚約者として相応しくないという形にしたかったのでしょう。しかしそれは上手くいきませんでした。ソフィアは殿下を庇うため、自分が汚名を被ることで殿下の短慮の後始末をしたのです」
ソフィアが怯えていたのはこれが原因だ。殿下と恋仲にあるなどということが公になれば、もう貴族として生きて行くなんてことはできない。私や陛下に国外追放を言い渡されたとしても何もおかしくないのだ。
「そして殿下は今回の計画に辿り着きました。私が襲撃され、その責任を取る形で王家を出て、婚約を解消する。そうする事でソフィアと自分を釣り合わせる。以上が今回の事件の全容です」
全てを語り終え、私は口を閉じた。まるで舞台俳優にでもなったような心地で、一歩下がる。私が話し終えると同時に、先ほどまでのざわめきが嘘のように静かになっていた。
そんな中、最初に口を開いたのは陛下だった。
「クロシェット。何か弁明はあるか」
拳を握り締めたまま固まっていた殿下に、一斉に視線が集まる。その視線からは非難や嘲笑、呆れのような感情が読み取れ、好意的な視線はひとつも見られない。そんな空気に耐えかね、観念したかのように殿下は声を上げた。
「ああ!そうだ、そうだよ!お前みたいなのが婚約者だなんてずっと嫌だったんだ。なんでもできるような顔して僕を見下しやがって。お前なんて願い下げだ!ソフィアだ!僕にはソフィアが相応しい!」
広間に殿下の声だけが響き渡る。もう言い逃れはできないと悟った殿下は開き直ることにしたらしい。私に対する罵詈雑言を聞き流しつつも、自白を取れたことに満足していた。だが、殿下の次の言葉は、私の中に漂う空気を一変させた。
「僕は真実の愛を見つけたんだ!」
私は心が急速に冷えていくのを感じた。まるで燃え盛った火に樽いっぱいの水をかけたように、急速に心と体の熱が奪われていった。私はずっと興奮していたのだ。襲撃され、犯人を探すという非日常はとても刺激的で楽しかった。だから殿下が犯人とわかった時も別に恨みなんてなかったし、平凡な人間だと思っていた人がこんなことできるだなんて、と正直見直していたほどだ。なんなら希望通りソフィアと結婚…できるかわからないがそのチャンスがあったって良いと思っていた。
だけど、真実の愛?それはダメだ。そんなつまらない、面白くもなんともないことを言い出すだなんて、興醒めもいいところだ。高揚感を台無しにされ、私はもう殿下のことがどうでも良くなってしまった。
「ソフィアは優しかった。うるさいことは言わないし、僕に寄り添ってくれた。身分でなく僕自身を見てくれていたんだ。こんな女性他にいるわけない」
どうでもいい。興味も無い。恥ずかしげもなくそんな耳障りなことを叫べるのはある意味すごいと思うが、すでに見切った男の戯言なんて、私の心に少しも波風を立てることはなかった。周囲を見ても呆れが八割、冷笑が二割、ぐらいで白けた空気感が満ち満ちている。その空気感に気づいてないのは本人だけだ。
「王族である僕がたかがこの女を刺す命令を出しただけのことで死罪になるわけがない。だが臣籍降下し婚約を解消する理由には十分なはずだ。これでやっと僕は彼女と結ばれる運命を辿ることができる」
まるで勝ち誇ったように両手を広げて、声高々に叫ぶ。私はため息をついて、話に割って入る。
「殿下は自白致しました。これでもう確定ということでよろしいかと思います。被害者である私が求めることは、侍女アンナの正式な解放、そしてクロシェット殿下の修道院入りです」
修道院。爵位を捨て、身分を捨て、俗世のありとあらゆるしがらみを捨て、そして婚姻を捨てて一人の人間として神に仕えるというところだ。つまりは王族も貴族もやめてソフィアともう二度と会うことができないということ。本来はここまでの要求はするつもりはなく、むしろ弁護し殿下の望む処遇に近づけてあげようかと思っていたのだが、たった今気が変わったのだ。
陛下も眉間を押さえたまま頷いた。
そもそも殿下は何か勘違いをしている。殿下の望む処遇は、アンナが犯人だった場合の、王家の責任だ。自白し、真犯人が殿下そのものだった今、本人の希望通りで罰になるわけがない。陛下もその辺を鑑みて、修道院送りに納得してくれたようだ。
これを聞いた殿下は、激怒、憤慨し、なりふり構わず私に掴みかかろうとして、騎士に取り押さえられている。床に伏し、身動き取れなくなった状態でもまだ騒いでいるが、私の目にはもう彼の姿は映っていなかった。
* * *
あれから一週間程度が経ち、私の背中の傷も癒えてきたころ、私はアカデミーに復学することを決めた。今までは王妃教育のため王城に寝泊まりしていたのだが、今回の件で婚約が白紙に戻ったためだ。
順当に行けば第二王子と婚約することになるのだろうが、お父様が賠償を求めているので、その調整がひと段落するまでは保留ということだ。
実行犯の騎士アルバについても、ずっと黙秘を続けていたのだが、陛下が王命で王命を上書きして話をさせると、膝をつき泣き崩れたように話し出した。内容自体は私が言った内容と大差がないことだったが強い責任を感じていたそうだ。私は、あなたの腕が確かだったので今生きていられるんです、と伝えると安堵と感謝でまた泣き崩れてしまった。
結局その騎士は公爵領で引き取ることになり、誠心誠意今度は私のために仕えてくれるということになった。とても良い拾いものだ。私の賠償としてはこれで十分だった。
そんなこんなでまた退屈で平凡な日常が戻ってきた。平和と言えば聞こえはいいが、何も変わり映えしない日々は目を覚まさない眠りと一緒だ。
アカデミーには解放されたアンナと一緒に通っている。もうここには殿下はいない。修道院に行ったらしいが、だからなんだという感想しか出てこない。出てこないんだから仕方がない。
次の講義への移動の際、ソフィアとすれ違った。ソフィアはあの裁判以降顔を合わせるのは初めてだった気がする。ソフィアは私に気づくとぺこりと一礼をして通り過ぎた。
その瞬間、私の脳内に何か電撃のようなものが走った。まるで、目の前で火花が散ったかのように視界が明滅している。別にソフィアに何かされたわけではない。ただ、まだ言葉になる前の閃きのようなものが全身を駆け巡っている。
「ま、まって!」
思わずソフィアに声をかけた。
ソフィアは待っていたかのように振り返って貴族らしい微笑みを浮かべている。私が呼び出して話を聞いた時のような怯えた様子はもうどこにもない。
アカデミーでは建前上、ここでの身分は問わないことになっている。とはいえ、実際にはそういうわけにもいかずどうしても身分の高い者を中心に動いてはいる。噂の件もそういうことだ。なので咎められる事こそないが、基本的にはアカデミーでも貴族社会だ。身分の低い者が高い者に声をかけるのは無礼とされてるので、男爵令嬢のソフィアの対応としては至極完璧で問題はない。
だからこそ違和感があった。
なんで殿下はソフィアに興味を持ったのだろう。
殿下はこれでも人気があり、話しかけられるのを待っている女性は大勢いたはずだ。その中でソフィアを選んだ理由は?可愛らしい容姿をしているとは思うがそれだけで?きっかけは勉強を教えて貰った事だと言っていた。当たり前に殿下が声をかけたと思っていたが、証言の時、アンナはこう言ってなかっただろうか。
ーーソフィアは勉強でわからなかったところを殿下に尋ねたそうです。
下級貴族として完璧な振る舞いが出来ているソフィアが殿下に声をかけた?これはどういうことだろうか。もしかしたら、もしかしたら。
人払いした教室に場所を変え、私はソフィアに向き直る。ひとつ咳払いをして、持って回った言い方をせず単刀直入に問いかける。
「あなたが仕組んでいたの?」
ソフィアはその質問には答えず貴族的な微笑みを返すだけだった。その態度だけで確信を得た私は矢継ぎ早に質問を重ねる。
「なぜこんなことしたの?」
ソフィアは頬に手を当ててコテンと首を傾げる。
「あなたとお友達になりたかったからでしょうか」
予想もしていなかった返答に面食らっているとソフィアは続けて言った。
「楽しかったですか?」
その言葉を聞いて私の心臓は大きく跳ねた。
まるで心を見透かされたようで、それでいて寄り添われているような安心感が満ちる。
「初めてあなたを見た時、同類だと感じました。笑ってはいても目の奥は空虚で日々の退屈に苦しんでいる。そう感じました。なのであの事件は私からのプレゼントです。楽しんでいただけましたでしょうか?」
おかしいとは思っていた。あんな平凡な男がこれだけのことを考え、やってのけるなんて。
ソフィアは殿下と故意に距離を詰め、殿下があれほど熱を上げて入れ込む程に籠絡したということか。
殿下は別に勝手に婚約を破棄して王家を出たければ出れば良かったのだ。だがソフィアはそうさせず、婚姻をちらつかせて言葉巧みに、私を襲撃させた。その手段もソフィアが考え、それを殿下がまるで自分で考えたかのように誘導して伝えたということか。そんなのまるで人の心を操っているみたいではないか。
「ふふ、仲良くなるの昔から得意なのですよ。人を動かすのに身分も王命も必要ありません」
まるで思考を読んだかのようにソフィアは言う。
「……真実の愛とか言うのはダメね」
「仕方がありません。私はあなたと違い木端のような貴族ですので使える手札は多くありませんの。使えるものはなんでも使いませんと」
その言葉を聞いて背筋がゾクリとした。多くない手札の中の一つが王族だったと言うのか。困ったように頬に手を当てて言うソフィアをみて思わず笑みが溢れる。
「それであなたは私を告発するのですか?」
「いいえ。告発しないと言う約束で証言をして貰ったのでするつもりはないわ。それに故意にやっていたとしても落ち度は結局殿下にあるもの」
「そう言っていただけると思っていました」
本当にそう思っていたのだろう。なんなら告発しないと言う私の言質ですら意図して引き出していたものかもしれない。さして気にする様子もなくソフィアは貴族的な微笑みを浮かべてお辞儀をし、
「また遊んでくださいね」
そう言って去って行った。私は全身に鳥肌が立ち、耳の奥でソフィアの言葉がずっと反響している。口角がずっと上がりっぱなしで、心の奥底から笑みが溢れ続けている。
きっと最高の親友になれる、そう思った。
久しぶりに明日が楽しみになっていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
異世界テンプレ×悪役令嬢×婚約破棄×ざまぁ×ミステリーでした。
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