本心より
友へ
私は今までとても辛く苦しい大変な人生を送らざるを得なかった。
だが、そうでなくても私の生きている中で必ず守り続ける考えは変わらなかっただろう。
あえて言うなら信念は変わらなかっただろう。
なぜなら、この考えはとても綺麗な心から生まれた事なのだから。
決して失う訳には行かないんだよ。
何が起きてしまっても必ずだ。
だから、私はあなた達から離れるんだ。
今もまだ完全に期待するのをやめている訳では無い状態を行き来するけれど、
こう改めて考えると信用は出来ない。同じようにはなりたく無い。
もう既に友とは呼べないではいるけれど、
あえてこのままで今は良い。
書き終わる頃には今の気持ちはっきりしているだろう。
やはり感情を大事にしなければ悪い。
大事にしなければ他人を思いやる事は出来ない。
誠実さとは、感情を大事にする精神のことを示している言葉だと思う。
私の信念は誠実に生き続けることだ。
子供の頃は、誠実に生き続けることを真面目に生きることとして略して生きていた。
真面目に生きることの定義は今も変わらない。
真面目さこそ人間性そのものだ。
誠実さを失い、真面目に生きることやめている人間が人間性に欠けていると言われても仕方のない事だ。
話として間違ってはいない。
だが、それを覆そうとする人間はいる。
その人間側になれば、同様に人間性が欠けていると客観的に捉えることが出来る。
当の本人は主観的な意見が客観的な意見では無くなっていることも、
その原因が誠実さを失っていることに気づいていても、その行動原理とも呼べる精神が先にある場合は承知の上でいるだろう。
精神とは感情にどのように向き合うかという考えのことだと私は思う。
人の精神は誠実でなければならない。
誠実であるから責任感が自然と存在し、心から楽しめるように取り組み続けられると私は思う。
責任感に欠けた状態で何かに取り組むことは、
直感的につまらなく感じて嫌気が差す。
9ヶ月や1年半の間、感情を大事に何かに取り組みながら過ごしていくうちに、
その何かの実力と言い換えられる優れた技術を得ているだろう。
周りの成人達の中には生まれ持った才能だとほざき、誠実に取り組み続けたことだけでは無く、その人のことを誠実な人間とも捉えないだろう。
嫌に感じる。
人間性に欠けて客観性を失った主観的なことを考えているだろう。
間違った意見はしっかり否定することが大事だ。
手を抜いたり諦めたりせずに、
疲れていても仕方がない時は素直に思ったことを自分で悪いことだと考えてはいけない。
今述べた事は、私の中では根性とはこう言うことまたは定義内容とも呼べることです。
平常は休む時を十分に確保している時だ。
生まれ持った才能だと言い張るのは、
誠実さを失った人間の醜い筋の通らない勝手な言い分だ。
誠実に生き続けていくには、敬意と礼儀も大事です。
敬意とは知ろうとする考え方やその思いのような言葉に感じます。
そして、礼儀はそのことを無理の無い動きで伝えることです。
まずは最低限の敬意を持つことが必要になると思います。
それは、相手の人が感情または心とも言えることにどのように向き合う考え方をしているのか知ることだと思います。
これは感覚的に捉えている状態でも良い時は全然あると思います。
その感覚を言葉にしていき、さらに相手の人のことをよく知って行くのも良いと思います。
ただ、相手の精神が誠実と言えない時は注意しなければ危なさを感じる。
相手の人と仲を深めること以外にも、
相手次第で相手の危なさを分かる為でも必要だ。
場合によってはその場所から遠くに行く必要もある。
物凄く面倒だけど、それ以外の良いやり方が良いやり方として確立しずらい。
その原因の人間には呆れるなんて言葉では言い表せない怒りがある。
ところで、誠実さは賢いと思う考えを思いつく原理のようなことだと思う。
私にとって賢さとは、考えて想像した感覚を言葉にしようとすることです。
相手の精神性を細かに言葉にして行く必要が必ずある訳では無いように、
何でもやる事はないですが、
大事なことは言葉にしようとして行くことは大事だと思います。
感覚的に捉えたままで守ることもありますが、大丈夫な状況ならば言葉にしていきたいと思います。
言うなら、私にとって賢さとは一を聞いて十を知ると似た話です。
私にとって知識は情報の言い換えでしか無く、
実感なき情報は信用しきれない。
実感と結びついた情報は知恵と呼べる。
知恵を身につけるには先ほど述べたことが大事になる。
情報を集めて終わりなら見栄を張るだけで終わり、それを賢いとは思えない。
それにつまらない。
私はおもしろいことは責任感があるから成り立つと思う。
誠実に取り組み続けるからこそ、
賢いと感じる大まかな良い考えが出来て、物事は面白くなる。
誠実に生きて、
今の感情を犠牲にしてでも感情を大事にし続けられる状況を作るために、
分かりながらも取り組むと言う勇気を持ち、
その精神性に見合った優れた技術を培い、
その技術の分野に縛られずに生きられれば一人前だろう。
言い換えれば大人だ。
私はそうあり続けたい。
友だった者よ
だから離れるんだ。
品性は内面による外見から感じる綺麗さだ。
大人はかっこいいんだ。
とても綺麗な人間なんだ。
そこから遠ざかっていき誠実さを否定するならば、
私は同じ人間では無いんだ。
君たちは同じ人間では無い。
大事なことを諦める理由を作った人間から品性に欠け始め、
実力をつけることを楽しむためでは無く、
その場しのぎの連続になる虚しい見栄を張る。
それどころか真面目な人間の行動を、
自分の醜い生き方を肯定する為に否定してくる奴らまで現れる。
盲信する事は可能でも、
意見が客観的に正しくなる事は無く、
最上位の戦いでは誠実に生きた者が終わらせる。
誠実に生き続ける思いを守るには根性で終わらせるしか無い。
競い合いのおもしろい話には勝ち負けがあるけど、
戦いはどう終わらせるかなんだ。
その結果が感情を、つまり心を大事にする状況を築くことが出来たら素晴らしい。
長々と書いたけど、真面目に生きることがめっちゃ良いってことだよ。
それが普通だし、そうでは無いと嫌気が差して生きづらい。
僕の本心を、
ただ当たり前のことを言葉でいくつか説明してみた。
なんか文学っぽく描こうと思ったけど、
物語を書くのではなくて
当たり前ってこうだよっていう話を、
最初は怒るの抑えめに書きながら考えてたけど、
やっぱり納得出来ないな。
心から楽しく生きるなら誠実に生き続けなきゃ無理だよ
やっぱ、人間は真面目じゃないと面白くない。




