修道院送りになった本物の悪役令嬢たち、残念ながら誰一人反省してない
聖マグダレナ修道院の応接室で、私は公爵家から送られてきた書類を繰っていた。
目の前では質素なドレスを着せられた若いご令嬢が、「どうして私がこんなところに」とぷんすかしながら座っている。
「どうして私が」のその理由は、私の手元の書類に綴られている。
「あなたは従兄である公爵閣下と奥様の仲睦まじい様子に嫉妬した。そして奥様を虐めて追い出そうとしたのですね?」
「違うわっ!」
私は「ほう」と微笑んでペンをとった。
「どう違うのか、教えていただけますか」
エレナ・シュタイナー元伯爵令嬢は、「全部よ!全部違うわ!」と拳を握った。
「まず、クラウスとあの女は仲睦まじくなんてないの。だって彼は私を愛しているんだもの。なのに無理やり、『社交界の毒婦』なんかと結婚させられて困ってたのよ!」
「…なるほど」
私は《事実と感情の境界が曖昧、妄想、恋愛脳》とメモする。
ちなみに彼女の従兄と結婚した公爵夫人は、これまた性格の悪い異母妹に「毒婦」という噂を流されていただけで、実際には淑やかな女性である。
だから《都合のいい話だけ信じる》ともメモしておく。
「それにむしろあの女が私を虐めてたの!毒婦がクラウスの隣にいること自体が、私に対する虐めだもの!」
「…なるほどですね」
ペンが《自身の不快感のみで、虐められていると判断》と走る。
「それにあの女、初対面で『エレナ様が今まで女主人の代わりを務めてくださっていたと聞きました。ありがとうございます、けれどこれからは私が』って笑ったのよ?」
思わず「結婚して公爵夫人になった奥様からすれば、当然では?」と言いそうになるのを、ぐっと堪える。
「そう言われてすぐ理解できる人間なら、ここへ送られていない」と、数多の収容者たちと接してきて、さすがにわかっている。
「あれは私を追い出すという宣戦布告だったの!」
最後に《被害妄想》とメモし、私は彼女のファイルを閉じて、立ち上がる。
「エレナの主張はわかりました。では部屋に案内しますね」
「っていうかあなた、何様!?呼ぶなら『エレナ様』でしょ!」
「私はシスター・アンナ。ここでのあなたの指導係です」
まだ座っている彼女を、見下ろす。
「そしてあなたは、従兄である公爵の怒りを買って家門から追放された元伯爵令嬢。だから私があなたを敬称付きで呼ぶことはありません」
「…っ!認めない、そんなの認めないぃいいいい!」
「あなたが認めようが認めまいが、扱いは変わりません。さ、立ちなさい」
◆
翌日の午前三時半。
起床の鐘をついてからエレナの様子を見に行くと、彼女は癇癪を起していた。
「何よこの水、氷みたいじゃない!誰か、誰か温めなさいよ!」
「うるさぁい。冬の水が冷たいのは当たり前でしょ」と、同室のシャルロットが耳を塞いで唇を尖らせた。
シャルロットは、「婚約した幼馴染」を引き留めようと詐病し、幼馴染の婚約者の逆鱗に触れてここへ送られてきた。
本当に病弱ならこんな寒い修道院で生きていけないはずだが、ぴんぴんしている。
「冬の水が冷たいのはわかってるわよ!だから温めろって言ってるの!」
「うるさい子どもですこと」と、イザベラが口の前で手を扇子のように広げ、「黙らせなさいよ」というように私を見る。
イザベラは、「自分の婚約者に近づいた令嬢を階段から突き落とす」というクラシックな罪でここに送られた古株だ。
「エレナ、あなたはもう伯爵令嬢ではないんです。湯を沸かしてくれる使用人はいません」
「嫌っ…嫌なのぉおおおお!こんなのおかしいっ!」
「あなたが喚いても水は温かくなりません。水で顔を洗うか、顔を洗わずに一日過ごすかの二択です。どうしますか。十秒以内に洗わないと、この水は捨てます」
「お湯じゃないと嫌!」
「わかりました」
私は十数えて、たらいを取り上げた。
「お湯を持ってきなさいよ!」
「持ってきません。私はちゃんと説明しました。今日は一日、目ヤニだらけの汚い顔で過ごしてください」
「嫌っ…嫌ぁあああ!」
「はいはい、嫌ですね」
本当ならこんなことはしたくない。結膜炎などになられたら困るし。
だけど最初が肝心だから、甘やかすわけにはいかないのだ。
「食事の前には掃除です。あなたは窓担当なので、イザベラに教えてもらってください」
イザベラが「私がこのうるさい小娘を教えるの?」と舌打ちして、エレナにはたきを手渡す。
「汚い顔で見ないでちょうだい。目ヤニが感染りそうだわ」
「…っ!なによ、皺だらけのおばさんのくせに!!」
「…はあ!?あんたもいつかこうなるのよ!どうせ見た目と若さだけで頭からっぽの馬鹿女のくせに!そういう女が人の婚約者に手を出すのよ…っ!」
「違う!私は手を出された側なの…っ!」
エレナははたきをイザベラに向かって振り上げた。
間に入った私の頬を、はたきがかすめる。
「エレナ、反省室行きです。イザベラもあまり刺激しないで」
「ねえシスター・アンナ、私、この人たちと同じお部屋怖ぁい」と、シャルロットが絡みついてくる。
「あなたも十分怖いわよ」という言葉を、私はぐっと飲みこんだ。
◆
「最近暴力沙汰が増えて、困ったわねぇ」
修道院長がそうため息をつきながら、頬の傷を消毒してくれる。
「そうですね」
そもそも、ここへ送られる元令嬢が増えすぎているのだ。
性格の悪い女たちの人口密度が上がれば、遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、何かは起こる。
「受け入れを止めるしかないのでは?」
「そうなったら行く場所をなくす子も多いわ。罪を犯しても神の子…見捨てるわけにはいかないの」
修道院長の考えは神に仕える者の正論だが、現実的に考えて、すぐに施設拡張と職員増員はできない。
「みんな熱心に祈りを捧げているはずなのに、どうして改善しないのかしら」
「修道院長、悔い改めて祈りを捧げているふりをしてるだけでは、だめです」
「ふりだなんて…!彼女たちはみんな本当に…」
修道院長は、性善説が過ぎる。
そういう人も必要だけれど、ここでは、それだけじゃ何も変わらない。
「いいえ、修道院長。耳を澄ましてよく聞いてみてください。彼女たちは自分をここへ送った人間への呪詛を吐き続けてますから」
反省室のノートに、びっしりと「許さない」と書かれていたこともある。
「優しさだけでは、人は変わりません。彼女たちに必要なのは、自分と他人の正しい理解です」
「それって、一体どうしたら…」
◆
私は反省室にいたエレナを談話室へ呼んだ。
「反省室で呪詛を吐くのは反省と呼びませんので、これをやってもらいます」
配った紙には、彼女が「出来事」と「自分の捉え方」を整理するための表があり、私が唸りながら絞り出した例文が載っている。
ーーー
【出来事】従兄が結婚した。
【そのときの考え】本当は私を愛しているのに、無理やり結婚させられてかわいそう。助けてあげなきゃ。
【そう思った根拠】彼は昔から私に優しかったし、たくさん贈り物もくれたもの。
【本当にそうなのか?他の可能性はないか?】彼は従妹として私を気遣っているだけかもしれない。公爵夫人とよく一緒にいて笑っているから、公爵夫人を愛しているのかもしれない。
ーーー
「こんな感じで、自分に起きた出来事と、そのときの気持ちを振り返ってみましょう」
修道院の図書室にあった本で読んだのだ。王都の医学院から寄贈された、心理学者だか精神科医だったかが書いた本だったはずだ。
「問題行動を起こすものは、思考に癖のある場合が多い。それを『認知の歪み』と呼ぶ」「ある出来事に対しての自分の捉え方を疑ってみることで、思考の癖に気付ける」と。
例文を見て「これは自分のことだ」と気づくきっかけになれば…
――なんて、甘かった。
エレナが書き上げた内容は、こうだ。
ーーー
【出来事】従兄が社交界でも有名な「毒婦」と結婚した。
【そのときの考え】誠実でかっこいい彼が、あんな毒婦と結婚なんてかわいそう。清純な私が助けてあげなきゃ。
【そう思った根拠】毒婦に公爵夫人が務まるわけない。それに彼はいつも私に贈り物をくれて、私のことを好きなんだもの。なのに陛下の命令で無理やり毒婦と結婚させられただけよ。
【本当にそうなのか?他の可能性はないか?】そうに決まってるわ。
ーーー
得意げに渡された紙に目を落とすと、虚無感で手が震えてくる。
いや、諦めるな。
「あの…公爵閣下からのプレゼントは、好意の表れなのでしょうか。ご本人からは『妻でもないのに家の差配を任せていた詫び』と聞いておりますが」
「彼は照れ屋なの」
私は額に手をやる。
「ええとそれから…公爵閣下は昔から公爵夫人のことを好きだったそうですが」
「嘘だわ。あなたって、根拠もない噂に踊らされるのね」
「いえ、ご本人からの手紙にそう…」
「じゃあその手紙が偽物なのよ!」
頭の中ではなく現実のほうを書き換えられては、どうしようもない。
頭痛がしてくる。
紙一枚で魔法のように歪みが治るなんて思ってはいなかったが、手ごわすぎる。
むしろ妄想で自分の論理を補強してしまい、悪化している気さえする。
「エレナ、少しやり方を変えましょうか」
私は机の上の紙を裏返して、公爵からの手紙を出してきた。
この手紙には、エレナの言動が事細かく記されている。
「自分を客観視するために、他人になってみましょう」
「他人に?」
「私があなたになり、あなたには公爵夫人になってもらいます」
エレナが顔をしかめる。
「なんで私があの毒婦役なの!嫌よ!」
「嫌でもやるんです。やらないと明日も顔を洗わせませんから」
エレナはぴたっと黙る。
「設定はこうです。あなたは異母妹に陥れられ『毒婦』という噂を立てられ、家族に虐げられて生きてきました。しかし公爵閣下から『幼い頃からずっと好きだった』と情熱的に愛を告白されて結婚し、初めて公爵家へ来ました。そこには公爵の従妹である伯爵令嬢エレナがいます」
「…」
「はい、始めますよ」
私は大きな音を立てて椅子へ座り、頬杖をついた。
そして手紙に書いてある「メイドが聞いたエレナの言葉」を読む。
「クラウスったら、本当は私を愛しているのにかわいそう。あんな毒婦と結婚させられて」
「っ…」
「だから私が助けてあげなきゃね」
そして立ち上がり、エレナの口調と仕草を真似して、エレナの顔を扇子で指す。
「毒婦と呼ばれるあなたなんて、クラウスにふさわしくないわ。クラウスは私のことが好きなんだから、私たちの愛の邪魔をしないでちょうだい」
エレナの眉がぴくりと動く。
「…はい、このとき公爵夫人はなんて言いましたか。夫人になりきって言い返してください」
「閣下は…私を愛していると言って下さいました」と、エレナの口から小さなセリフが返ってくる。私は食い気味に畳みかける。
「クラウスがあなたに優しいのは演技よ。だって私にはたーっくさん贈り物をくれるもの。彼は本当は私を愛してるんだから」
私はエレナにわざとぶつかって倒す。
「痛いじゃない!」
「ええ、痛かったんですよ。公爵夫人も」
目を見開いたエレナを見て、私はくすくすと笑いながら去る。
そして部屋の隅で架空のメイドに「あの女をここから追い出さないといけないわ。あの女の呼び鈴が鳴っても、行っちゃダメ。行ったらクビよ」と厳しく言いつける。
にたりと笑いながら。
「違…私、そんな醜い…」
そう、あなたはこうしたの。醜いでしょう?
私はたらいに水を入れ、エレナの手をつける。
「冷たい…っ」
そうでしょう。
どうか、感じて。
「公爵夫人はお湯ももらえず、洗濯もしてもらえず、冷たい水で、毎日自分で洗濯していたんですよ。これも、あなたが彼女にやったことです」
「も、やめて…!」
「そう、わかりますか?それが彼女の気持ちです。これは寸劇ですけど、実際こんな目にあった公爵夫人は、どれだけ辛くて怖かったでしょうね?」
「でも!でも…っ!あの女は毒婦で…クラウスの隣にいちゃいけなかったから、だから…!」
私はぐっとエレナの手を、たらいの底に押し付ける。
「毒婦はただの噂だし、本当に毒婦だとしても、やっていいことと悪いことがあるでしょう?」
私は「エレナ」と彼女に話しかける。
「あなただって、罪を犯してここに送られたのです。だったら私は、あなたに何をしてもいいのですか?」
「私は冤罪よっ…!」
あくまでそう来るか。
「あなたがここに送られたのは、何かの間違いだと言うのですね?」
「そうよ!」
「だとしたら、公爵夫人が『毒婦』だなんて言われるのも、何かの間違いなのでは?あなたがここにいるのが信じられないような間違いだとしたら、貞淑な女性が『毒婦』だなんて誤解されることがあってもおかしくないでしょう?」
「そ、それは…」
「公爵閣下があなたを愛してるなんて話も、何かの間違いかもしれませんね?だってこの世の中では、信じられないようなことが起こるんですから。あなたがここにいることみたいにね?」
「そ、そんなの…そんなの…」
エレナはもう、自分の手が冷たい水に浸かっていることも忘れている。
「よく考えてください。公爵夫人が公爵閣下以外の男性を誘惑しているところを、実際に見たのですか?」
「…」
「公爵閣下はあなたに『愛している』『結婚してくれ』と言ったことがあるのですか?」
「…」
彼女は答えられない。どちらも答えは「いいえ」だから。
「でも…信じられ、ない…」
「信じたくない、では?」
「…」
談話室が静まり返る。答えはない。
けれど、今はそれでもいい。
私はゆっくり息を吐いた。
「今日は終わりましょう。頑張りましたね」
小さな小さな楔でも、今はいいのだ。
明日にはまた「クラウスは私を愛してる」「湯を持ってこい」と騒ぎ出すかもしれない。
それでも、少なくとも今の彼女は、「自分が絶対に正しいとは限らない」という可能性を、知っている。
◆
ちょうど、夕食を知らせる鐘が鳴った。
「立って。今日は鱈のグラタンです。美味しいんですよ」
私の好物なのだ。
エレナは俯いて、座ったままだ。
ちょっとだけ、かわいそうになる。冷たい水に無理やり手をつっこませたのは、私だし。
私はふっと息を吐いて、まだ赤い彼女の手に乾いた布をふわりと乗せて、「冷たかったですね、ごめんなさい」と手を添えた。
「…なに、あなた私のこと好きなの?私たち、女同士よ?」
「…っ!?あのですね、これは一般的な優しさと配慮というものであって…」
「照れないでいいの。私、意外にそういうことには寛容よ?」
「あのねぇ…!」
やっぱり、シンプルに認知の歪みがすごすぎる。




