第5話「犬と猫と鷹と」
この屋敷の住人を紹介しよう──人間ではなく、動物の。
まずは犬のコロ。
大型の猟犬で、茶色い毛並みに垂れ耳。推定七歳。人間換算で五十四歳なのに、甘えん坊すぎて子犬にしか見えない。私のベッドを占領し、朝は顔を舐めて起こし、散歩のたびに全力で走って股関節を心配させる。
名前の由来をルカに聞いたら「転がるように走るから」だそうだ。
今も私の足元でごろんと腹を見せて「撫でろ」アピールをしている。お腹の毛は背中より柔らかくて、指を沈めるとあたたかい体温がじんわり伝わってくる。
「コロ、あなたちょっと太りましたわね」
ばふ、と尻尾が床を叩く。反省の色なし。
次に猫のミルク。
白い長毛種。青い目。推定四歳。名付け親はハンス──ではなく、ルカだそうだ。「白くて、牛乳みたいだったから」という安直な理由。
ミルクは私にまだ懐いていない。廊下で会うたびにふんと鼻を鳴らして立ち去る。でも最近、立ち去るまでの秒数が長くなっている。三秒が五秒になり、五秒が八秒になった。
着実に前進している──と思いたい。
ミルクが唯一ベタベタするのはハンスだ。あの強面の使用人長の膝に乗り、ゴロゴロと喉を鳴らし、ハンスの大きな手で顎の下を掻いてもらう。ハンスはそのとき、鉄面皮の中にほんのわずかな緩みが出る。目尻が一ミリくらい下がっている。
「ハンス殿、ミルクちゃんは普段どこで寝ているのですか」
「……台所の暖炉の前です」
「暖炉? この季節に?」
「猫は暖かい場所を好みます。季節は関係ない」
猫に関しては饒舌。ノアと同じ構造だ。
そして鷹のゼフィル。
ルカが面倒を見ている、精悍な鷹。翼を広げると私の身長ほどある。金色の瞳は射抜くように鋭くて、近づくとキィと威嚇してくる。
「ゼフィルは気高いんです」
ルカが鷹匠の革手袋をつけながら語る。
「野生で育ったから、人に慣れるまでに時間がかかる。でもノア様が翼の骨折を治してくれてから、ここにいてくれるんです」
「骨折?」
「見つけたときは飛べなくて、羽根が泥だらけで、痩せてて──ほとんど死にかけてた」
ルカの声が少し沈む。
「ノア様が三ヶ月かけて治したんです。毎日、傷口を洗って、添え木を替えて、餌を手で食べさせて」
三ヶ月。その間、ゼフィルはノアに噛みつきも引っ掻きもしたのだろう。鷹の爪と嘴がどれほど鋭いか、前世の知識で知っている。
「飛べるようになった日、ゼフィルはまっすぐ空に行ったんです。もう戻らないかと思った」
「戻ってきたのね」
「翌朝、中庭の柵にとまってたんです。ノア様を見下ろして」
ルカがにっと笑う。
「それからずっとここにいます。ノア様の腕にしかとまらないけど」
ゼフィルが中庭の止まり木から、じいっとこちらを見ている。金の瞳に敵意はないけれど、歓迎もない。「お前は誰だ」と問うような、冷たい目。
風が吹いて、ゼフィルの羽毛がふわりと揺れる。灰褐色の羽根の奥に白い綿毛が覗いて、それが朝日に透けて輝いている。
「綺麗……」
「でしょう?」
ルカが嬉しそうだ。弟分、とノアは言っていたけれど、ルカにとってはゼフィルが弟みたいなものなのかもしれない。
「ルカは鷹匠になりたいの?」
「はい! ノア様みたいに動物を治すのは無理だけど、ゼフィルと一緒に狩りができるようになりたいんです。でもゼフィルが俺の腕にとまってくれなくて……」
「まだ?」
「もう二年になるのに」
二年。ゼフィルは筋金入りの選り好みらしい。
「でも、諦めないです。だってゼフィルもノア様に懐くまで三ヶ月かかったんだから。俺は──まあ、もうちょっとかかるだけです」
ルカの笑顔は眩しかった。十八歳の、真っ直ぐな明るさ。
午後、コロを連れて庭を散歩していたら、塀の上にミルクが座っていた。
白い毛が風に靡いて、青い目がこちらを見ている。
──見ている。
いつもならすぐにそっぽを向くのに、今日はじっとこちらを見つめている。
「ミルクちゃん」
声をかけると、ミルクが目を細めた。猫が目を細めるのは敵意がないサイン。前世で百回は読んだ猫の本に書いてあった。
私もゆっくり目を細める。ゆっくりまばたきする。猫語で「敵じゃないよ」。
ミルクが──ゆっくりまばたきを返した。
心の中でガッツポーズ。
コロが不思議そうに首を傾げている。お前にはわからんだろう犬よ、これは猫外交における歴史的一歩なのだ。
夕食時、ノアに報告した。
「ミルクちゃんがスローブリンクしてくれました」
「スロー……なんだ?」
「ゆっくりまばたきです。猫が信頼の印に──」
「ああ、猫のアイコンタクトか」
ノアが頷く。
「ミルクがそれをするのは珍しい。ハンスと俺にしかしなかった」
「三人目、ということですわね」
「まだ早い。一回では判断できない」
厳しい。獣医のジャッジは甘くない。
でもノアの口元が、ほんの少しだけ緩んでいるのを見逃さなかった。
──犬と、猫と、鷹と。
それぞれに距離感があって、懐き方があって、信頼の示し方が違う。
この屋敷の動物たちは、みんなノアに救われてノアを信頼して、ここにいる。
私もいつか、その輪に入れるだろうか。
まずはミルクのスローブリンク、二回目を目指そう。




